僕らの、透明な不履行

雲丹

プロローグ

高校二年の十二月。夜の自室。俺は、スマートフォンを握りしめていた。

画面には、同じ二年A組のクラスメイト、葉山燈子との何の変哲もないメッセージ履歴が並んでいる。


​「じゃあ、また明日、授業でね!」

​それが、たった今届いた最後のメッセージだ。お互い高二のクラスメイトとしての、完璧な「友達」の関係を示す、揺るぎない証拠。


​だが、俺にとって、このメッセージが発する明るい響きは、たった今終わった今日の放課後の出来事により、胸を締め付ける鋭い痛みに変わっていた。


​俺が葉山燈子を「友達」として見られなくなったのは、数時間前の、あの放課後からだ。


​あの日。急な雨に降られた俺は、傘を差しに昇降口へ向かったが、誰もいない渡り廊下の隅に、たった一人で座り込んでいる燈子を見つけた。


​いつも完璧に整った彼女の姿は、ひどく乱れていた。雨に濡れた制服の裾を強く握りしめ、顔は手のひらに埋められていたが、肩が小さく、規則的に震えているのがわかった。


​俺が声をかけると、燈子はハッとして顔を上げた。俺の目に飛び込んできたのは、周囲の光を全て吸い込んだかのように、孤独と不安に満ちた、彼女の素の顔だった。


​彼女はすぐに、いつもの、周りの全員に向けている「陽だまりの笑顔」を作って見せた。


​「あ、潮見くん。ごめんね、ちょっと忘れ物しちゃって」


​その時の震える声と、目だけは笑っていなかったその顔が、頭から離れない。


​俺は悟った。葉山燈子は、周囲が求める「完璧で優しい葉山燈子」という分厚い殻の中に、本当の自分の弱さや孤独を閉じ込めているのだと。


​俺の心の中に、「この弱さを、この素顔を、自分だけが知っていて、自分だけが守りたい」という、独占的な気持ちが流れ込んできた。


​俺は今、その真実を抱えながら、明日もまた彼女の隣で「完璧な友達」を演じることになる。


​切ないのは、告白ができない理由が、彼女への愛ゆえだということだ。もし振られたら、せっかく築いたこの居心地のいい関係は壊れる。


そして何より、彼女の必死に維持している「殻」を破り、彼女を傷つけてしまうかもしれない。


​俺はスマホの画面をそっと消した。明日もまた、彼女の隣で「友達」を演じる覚悟を固める。

​殻を破ること。それは、彼女を孤独から救い出す、唯一の道かもしれないのに。


​俺には、その一歩を踏み出す勇気が、まだ見つからない。


​俺は布団に潜り込んだ。今日の放課後に知ってしまった葉山の秘密が、頭の中で何度も再生される。


この秘密を抱えたまま、俺はほとんど眠れない夜を過ごすことになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る