第9話:バグの真相

【old_logs_ver1.3】


 そのフォルダ名を見た瞬間、僕の心臓が、嫌な音を立てて軋んだ。

 半年前の、あの日の記憶。美咲を守るために、僕が全てを捨てた、あの夜。


「……なんだろう、これ」


 美咲が、無邪気にそのフォルダを指差す。

「古いログみたいだけど、レビュー対象に入ってるわね」


「ああ……そうだな」


 僕は、平静を装って頷いた。

(まずい。なぜ、このログがここに。消去されたはずじゃ……)


 僕たちは、ログのレビューを開始した。

 新しいプロジェクト『イヴ』は、過去の失敗データから学ぶ必要がある。皮肉な話だ。僕が隠蔽したはずの「失敗」が、今、僕たちの目の前にある。


「……ん?」


 作業を始めて数時間後、美咲が、怪訝な声を上げた。

「陽太、ちょっとここ見て。タイムスタンプが、おかしい」


 彼女が指し示す画面。そこには、僕が改ざんした、あのログがあった。

「このコミットログ、更新日時が、バグ報告の三時間後になってる。ありえない」


「……サーバーの、時刻同期エラーじゃないか」


「そんなレベルのエラーなら、他のログにも影響が出てるはずよ。でも、おかしいのは、ここだけ」


 美咲の目は、もうアナリストの目だった。鋭く、的確に、異常値を見つけ出す。

 僕が、かつてそうであったように。


 彼女は、さらに深くログを掘り進めていく。

 そして、ついに、見つけてしまった。

 オリジナルのログと、僕が上書きしたログ。二つのバージョンが、なぜかサーバーの片隅に、復元可能な形で残っていたのだ。


 画面に、二つのコードが並んで表示される。

 最終更新者:高橋美咲。

 そして、もう一つは、相葉陽太。


「……これって」


 美咲の声が、震える。

「陽太……あんたが、やったの……?」


 怒り、ではない。

 困惑と、信じられないという気持ちが、その声に滲んでいた。


 その時、僕たちの背後に、静かな影が差した。


「――その通りだよ、高橋さん」


 佐久間だった。彼は、いつからそこにいたのか、腕を組んで、僕たちのモニターを静かに見下ろしていた。


「そのログは、俺が復元させた」


「……先輩? どういう、ことですか」


「半年前から、ずっと疑問だったんだ。あのバグは、高橋さんのレベルのエンジニアが犯すには、あまりに初歩的すぎた。そして、相葉くんの行動は、あまりに不自然すぎた」


 佐久間は、僕の目をまっすぐに見つめた。

 その目には、もう冷たい光はない。ただ、静かな敬意のようなものが、宿っていた。


「相葉。お前の嘘は、美咲のためか。……データは嘘をつかないが、人間はそれでいい。データより、男らしいじゃないか」


 全て、バレていた。


 ◆


 再調査委員会が開かれた。

 僕は、半年前の、あの夜のことを、全て証言した。


「……なぜ、そんなことをした」

 役員の一人が、僕に問う。


 僕は、一度だけ、隣に座る美咲を見た。

 彼女は、ただ、俯いて、固く拳を握りしめている。


(嘘の確率100%。でも、守りの価値、無限大)


「……僕の、判断ミスです。彼女の能力を過信し、適切なレビューを怠った、僕の責任です。彼女に、罪はありません」


 僕がそう言った瞬間、美咲の肩が、小さく震えた。


 処分が、下される。

 前回よりも、重いものが来るだろう。

 だが、僕の心は、不思議なほど、晴れやかだった。

 臆病だった、半年前の自分は、もういない。

 これが、俺のアップデートだ。


「……待ってください」


 か細い、だが、凛とした声が、会議室に響いた。

 美咲だった。

 彼女は、ゆっくりと立ち上がると、涙で濡れた顔を、まっすぐに上げた。


「……その処分、おかしいです」


「高橋さん?」


「陽太は……相葉くんは、嘘をついています。彼は、私を……守るために……」


 言葉が、途切れる。

 彼女は、嗚咽を堪えながら、必死に言葉を紡ごうとしている。


 そして、僕の目を見て、言った。


「嘘つき。……でも、その嘘、私の、ためだったんだね……」


 涙が、彼女の頬を伝う。

 その涙が、僕の心の、最後の壁を溶かしていく。


「好きに、なって、ごめん……」


「……!」


「嘘でも、優しかったよ。あなたの嘘が、私を守ってくれた」


 彼女は、一度だけ深く息を吸い込んだ。


「でも……」


 そして、世界中の全ての人間に向かって叫ぶように、そして、僕一人だけに届けるように、言った。


「好きで、よかった……!」


 会議室が、静まり返る。

 ただ、彼女の嗚咽だけが、響いていた。

 涙がこぼれる瞬間、嘘のデータが、本物の愛に変わる。


 僕は、ただ、その場に立ち尽くすことしか、できなかった。


(第九話 終)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る