第20話 犬猿
「わっ」
「あ、ごめんね」
最後のオムレツは少し失敗して、形が崩れてしまった。半熟トロトロではあるもののこれを出すのは恥ずかしい。自分のにしてしまおうと雑にケチャップライスの上に乗せれば、「俺が貰っていい?」なんて言ってきたスミレくん。
「ダメあげない。これは私のオムライスになるの。スミレくんは綺麗なやつ食べて」
「でも、俺のせいで」
「気にしない気にしない。味は変わらないし、私が食べる。でもお詫びにケチャップにお花描いてね、スミレくん」
はいっと渡せば、一瞬だけ目を見開いて力が抜けたように笑った。「白雪姫の仰せのままに」なんて、冗談を言うスミレくんはこれ以上は何も言わないでふにゃふにゃの線で花を描く。
真剣な横顔に、垂れ下がるもみあげ。鼻筋を縁取る光は、彼の整った輪郭を際立てる。
ふと耳を澄ませば、ミカゲとトマさんが言い合いしている声が聞こえてきた。相性悪そうだもんなぁ、なんて思いながらいつもの癖で頭を触ってはたと気づく。しらたまちゃん居ないんだったと。
「……あれ、カランちゃん頭痛いの?」
「ち、違う。いや、なんか自分の頭を撫でたくなって無性に」
嘘だけど。しらたまちゃんを掴もうとして、いなかっただけなんだけど。そういう時に限ってこっちを見ないで欲しい。
早くスミレくんの意識を逸らさなければと、彼が一番今気にしてそうな話題をぶち込もうと口を開けば、ポスっと頭に手が乗った。
「これだから、イケメンは……そうやって軽率に女の子の頭を……」
「カランちゃんあのね、俺も誰これ構わずその、こんなことは」
「しないって言うんでしょ。そこまでがセットだもんね知ってるよ。カキラがそういう男に気をつけろって、昔からよく言ってたもんね」
ため息混じりで返して、肩を落とす。その刹那、ぬっと手が伸びてきて頬を摘んだ。「ぅ、え」と声を漏らせば、その手の主は真っ赤な顔で片眉を上げて私を見つめる。それは言わないお約束でしょの顔だ。
しかしこの距離の近さ、甘さはまた林檎のペンダントが渦を巻くに違いない。早めにこの空気はぶち壊さなければと、私は机に置かれたケチャップを取った。
「そういえば、メアに来て欲しいのって質問に答えてなかったね」
「……え、あっうん」
「結論から言えば、あまり会いたくは無いけど。頼れる気がしたから来て欲しいだけ。それ以上でも、それ以下でもないよ」
カキラ用のオムライスにハートを描いてから、まだ何も描かれてないオムレツにメアの顔を描いていく。これはトマさん用でいいかな、なんて思いながら他のオムライスにしらたまちゃんの絵を描いていけば、大きな影が私を覆った。隣から落ちてきた影が、テーブルに並ぶオムライスをゆっくりと飲み込んでいく。
「水の国から闇の国は遠いはずだけど、どうしてそこまでアイツの事、信頼してるのカランちゃんは。……いつ、出会ったの?」
布が擦れることが鮮明に聞こえて、手に触れる指先が冷たい。扉の向こうから聞こえる足音は静寂に飲まれるように消えて、気配だけが張り付くように残っていた。
「六、七歳の頃だったかな。向こうから会いに来たんだ。本当に突然だったけどね」
ケチャップを置いて、緊張を解くように息を吐く。盗み聞きを立てている二人にも、聞こえるように少しだけ声を張って言葉を続けた。
「出会って早々、喧嘩を売られてね。勿論私が勝ったけど、負けたくせに「その程度なんですね、カランも」って煽られて。それからもことある事に」
「アイツって、そんな昔から性格悪かったんだ」
「うん。けど、実力は確かだったよ。それに、メアなら絶対に好きにならない自信があるんだ私。だから、心臓に優しい気がして」
この言葉の裏を返せば、皆私のターゲットにされるぞを意味してるんだけど。さすがに気づかないだろう。
話はこれでおしまいと、お皿をスミレくんに渡して壁に張り付いているであろう二人を呼んだ。あからさまに動揺するトマさんと、あたかも今来ましたみたいな笑顔を浮かべるミカゲにも、お皿を渡す。
「あれ、白雪ちゃんは来ないんすかー?」
「洗いものしちゃいたいから、三人は先に食べてて」
「なら僕が」
「しらたまちゃんが不在の今、ぬいカキラ使いの私しかこの役目は果たせないから」
最もらしい理由をつけて、三人を追い出し一人息をつく。遠ざかった足音を確認して、壁を伝いながらずるずるとしゃがみこみ、膝を畳んで瞼を閉じた。
バターの香りも消えて、日が当たらないキッチンは次第に空気が冷たくなる。胸元で揺れる林檎のペンダントは、また淡く揺らめいて私の心境変化を現しているようだった。
(この感情が、ドキドキが一定の許容範囲を超えたら呪いが発動されちゃうのかな)
だったら、嫌だな。
自分のせいで誰かを滅ぼすなんて、そんな事したくない。でもどうしたらいいんだろう。皆にこの島を出てもらう? けど、私が呪いにかけられていることはバレている。つまり、解くまではここに残る人の方が多い。
「トマさんか、メアになら話してもいいんだけどなぁ。メアなら、自滅の道は選ばないだろうし」
閉じた瞼から浮かび上がるは、腰まで伸びた長い髪を一つ結びにした少年。ぐるぐるとした特徴的な右目を持つ彼は、ある日突然私の前に現れた。
「──お久しぶりですね、カラン。あーあー、こんなに小さくなって」
「……だれ? 貴方もだいぶ小さいと思うけど」
真っ黒なローブに、紅月のような目。
見下すような発言をしてきたメアは、正直言って印象は罪悪だった。だけど、子供の割にはどこか大人びた雰囲気を纏っていたのが印象によく残ってる。そんなメアは、大きな目を丸め口角を引くつかせた後、ズカズカと大股で近付き、私の顎を持ち上げた。
「おっ前、ボクの事覚えてないんですか!? 冗談もその顔の可愛さだけにしてくださいよ本当に」
「カキラの妹だからね、顔は可愛い方だと思う。ありがとう、じゃあね」
「ちょっと、逃げないでくださいよ。褒めてないですからねボクは。あ、ショック療法って知ってます? ほら、今すぐボクと戦いましょうよ」
渦を巻く赤眼は、動揺しているようにぐるぐると動いて彼の肩にいる黒くてもっちりとした何かは、退屈そうに欠伸をする。
カキラから、世の中変なやつが多いと言われていたし地位狙いのヤバい奴がわんさかいると言われてきた。だから私は、このメアという人物もそうだと思って早速逃げようと回れ右。けれど、メアは逃がすかと言わんばかりに私のマントを引っ張ってこう言った。
「あぁ、もしかしてだけど負けるのが怖いんですか? 随分と平和ボケしちゃったんですね、カランは。なら、じゃあこのボクが世界最強になる日も近いか。そういうことですよね、挑戦から逃げる敗北者さん?」
「ボコボコにしてあげるから、こっちきて。後悔させてあげる」
胸の内側が燃えるようになったのは、この時が初めてだった。これが、怒りなのかと知った私は完膚なきまでに倒し「挑発した割には、その程度なんだね」と言ったあたりで、付き人に回収され説教された気がする。
「今思えば初対面相手に、あそこまで嫌悪感を抱いたのは不思議だったなぁ」
ゆっくりと瞼を開けて、天井を見上げた。
新しいページを捲るように光は流れて、カチャンとお皿が位置を崩した音が響く。
組んだ腕を伸ばして、腰を上げた。ときめかない対象を考えると、不思議と心が軽くなっていく気がする。
「さてと、そろそろ洗い物しないとね。ぬいカキラ、前みたいにお水出せる?」
「……」
「お水、ほしいなー」
「……リョウカイ」
ワンテンポ遅れて反応したぬいカキラは、本当に水魔法を発動した。魔法陣から流れる水は水道水よりも綺麗で澄んでいるように見える。なんだか、キラキラと星の粒子が舞っているみたい。有難くお借りして、サクッと洗い物をしてから私も皆が待つ食堂へ向かった。
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