第17話 疑問

***


「まだ間に合うかなー」


 カキラに頼んで洗ってもらった服を氷のハンガーにかけて、ちらりと外に目を向ける。

 まだ日は高くなったばかり。海は水面に日差しを反射させ、宝石のように輝いた。雲ひとつない晴天、一面の青が広がる空に真っ白なカモメが横切った。


「ふふっ、なんだかいい事が起こりそう」


 カモメはお昼の流れ星。いいもの見たぞと、籠の中にある水を含んで重くなった服たちを持ち上げれば下から声が飛んできた。


「姉さん! 日当たりのいい場所取り見つけてきました!」


 大きく手を振るミカゲは、太陽に負けないほど眩しい笑顔を浮かべて草原の眼を輝かせる。


「分かった、すぐ向かうね!」

「ゆっくりでいいですよ!」


 そうは言われてもびちゃびちゃの服をのんびり持ち歩くのも気が引ける。廊下も階段も濡れるしなぁと、小走りで私は庭園に向かった。


(最初から一階にいればよかったな)


 元は二階で干すつもりでいた。ただ、干す場所がなかったせいで廊下で立ち往生。そんな時やってきてくれたミカゲに、日干しエリアを探してとお願いしていたのだ。


「姉さん、急がなくて良かったのに」

「氷でハンガー作る職人になるところだったからいいの」


 隣に並べば、ミカゲは洗濯籠を風で浮かせて屋敷に目をやる。そのまま視線を空に向け、私に移しては何か悩むように顎に手を当てた。キラリと光る彼のヘアピンに目を引かれて、じっと見れば「姉さんは」と突然その口が開かれる。


「えっ、な、なに」

「カキラさんに洗濯物の水分を取ってもらってから、僕の風で乾かすのと。自然で乾かすのどっちがいいとかありますか?」


 こてんと首を傾げるミカゲに、私も瞬きを繰り返しながら首を倒した。


「なんか、違いあるっけ。乾くならどっちでも」

「ほら、無人島だからこその自然を使った生活をしてみるのも、姉さんの中の醍醐味だったりするのかなと思いまして」


 確かに、一理ある。

 力に頼らなければやっていけないのも事実だけど、全てそれで完結させたら流石に快適すぎてつまらない。

 ぴょんっと頭からしらたまちゃんは飛んで、ミカゲの方に乗っかった。小さな手を叩くしらたまちゃんは、早く行こうと言うように跳ねる。「戻っておいで」と手を伸ばすと、しらたまちゃんは私の指先を見て「どうしようかな」といたずらに首を傾げた。

 その一拍のあと、びゅっと強い突風が後ろから吹き抜けた。


「ぅ、わっ……!」


 突風に背中を押され、思わず前のめりになる。更に、視界には一面の緑という名の地面。


(あ、転ける)


 咄嗟に体を捻り受け身の体勢を取ろうとすれば、それよりも早くお腹に何かが当る。雑草との事故ちゅうは未遂で終わり、代わりにふわりと白檀の香りが私を包むように香った。


「姉さん大丈夫ですか!? 足捻ったりは、してないですか?」

「してないよ、大丈夫。支えてくれてありがと」

「良かった」


 ふにゃりと笑ったミカゲは胸を撫で下ろして、そのままひょいっと私を持ち上げる。追い風は、ミカゲの艶やかな黒髪を後ろに靡かせて密着させるように背中を押した。


 密着する体から伝わる熱。無防備に晒される首元に、視線が泳ぐ。見てはいけないものを見てしまった気がして、手に汗が滲んできた。こうなるから軽率にお姫様抱っこをしないで欲しいのに、当の本人は「やっぱり、姉さんの体重を感じない。綿と同じ質量な気が」なんて意味のよく分からないこと呟いている。


「ミカゲが強くなっただけだよ。綿じゃない、ちゃんと身が私にはあるから安心して」

「けど、姉さん風で飛ばされそう」

「そんなヤワじゃないよ。少なくとも戦闘中、敵に背中を向けるミカゲよりは強いから」

「そ、れは」


 言葉をつまらせるミカゲは、反論の言葉が出てこなかったのか息を吐いて「今日は洗濯日和ですね」と無理やり話題を逸らしてきた。


「あ、洗濯で思い出した。ねぇミカゲ。今、移動開始しちゃってるけど、スミレくんとカキラ二人残してきちゃって大丈夫だったかな」

「大丈夫ですよ。お二方の実力も申し分ないですし」

「違う違う。あの二人あんまり仲良くないんだよ」


 小さくなっていく屋敷を眺めながら、「帰ってきた時ギスギスしてたら嫌じゃないの?」と付け足せば、ミカゲはきょとんと目を丸くした。


「僕はそこまで繊細な性格ではないので、そんなには」

「そ、そうなんだ」


 木漏れ日が無くなって、頬を撫でる風が冷たい。 葉が風波に乗って、私とミカゲの間をすり抜ける。


「姉さんは、気遣い上手だけど……自分の優先順位がいつも低いですよね」


 同じ緑なのに、ぱちりとあった草原の眼はいつもより陰って見えた。だけど瞬きをした時には日が差し込んで、ふっと心が軽くなる。


「あの二人がギスギスしていても、それは二人の問題で僕には無関係ですし。無関係なことに対して一々自分までその空気に飲まれてたら、変に疲れますからね」

「た、確かに」

「まぁ、僕はそうやって割り切ってるのでこうして抜け駆けをしてるわけですが。みんなが皆割り切れる訳でもないですからね」


 足を止めて、ミカゲはにこっと笑う。

 木々に囲まれた道を抜けた先には、小さな花畑があった。小躍りするように色とりどりの花は揺れ、太陽の光を浴びている。


「こんなところあったんだ……」

「野生のリスが教えてくれました! あそこに、木製の物干し台を用意したんで一緒に干しましょ」

「うん!」


 ゆっくりとミカゲは私を下ろして指先で風の線を描く。すると洗濯籠からふわりと衣服が浮かび、柔らかい風が均一に吹きつけた。

まるで小さな風の精が踊っているみたいに、布がひらひらと揺れる。


「ところで、姉さんはさ」

「んー?」


 木製ベンチに腰をかければ、隣に腰を下ろしてミカゲはそっと私の手を取った。

 夜空の星のように眩しい花畑。蜜を吸いに来た蝶が羽休めをしては、飛んでいく。微睡んだ空気に、私も花になろうかなと瞼を閉じた時手首の内側にきゅっと指が当てられた。

 どうしたの? と顔を向ければ、揺れる草原の眼と視線が絡む。


「雷の国王、レカム様とお知り合いだったんですか?」

「んー」


 その名前を聞いてほんの少しざわつく胸に、首を傾げる。

 うとうとと、重たくなる瞼を擦りながら記憶を掘り返してみるけれど、国王という気軽に会えない人と出会った記憶が無い。

 でも、唯一同じ名前の人との思い出はあった。


「名前の分からない不思議なお菓子をくれるレカムさんなら、小さい頃あったことある」

「ただの不審者ですよそれは。特徴は?」

「えっと、絹のような髪ってあぁいう感じなんだなって思うくらい、綺麗な金髪で。三つ編みしてたかな」

「えっ」


 そうは言っても二回くらいしか会ったことがない。記憶なんて朧気だ。それでも思い出そうと瞼を閉じ、記憶を掘り返す。

 匂いは一番記憶と紐づいているから、花畑の中深呼吸をした。鼻をくすぐる花の柔らかな甘い香りを吸い込めば、ふっと意識が沈んでいく。


 あの日もこことよく似た花畑の中に迷い込んで、吹き込む風に押され顔を上げたんだ。


「──おや、随分と可愛らしいお嬢さんが迷い込んだみたいだ。こんにちは」

「こ、こんにちは」


 初めて出会った時、まるで世界がこの人を中心に回ってるんじゃないかと思うほど見惚れる美しさを彼は纏っていた。黒い服が似合わないくらい、眩しい人だったのをよく覚えてる。金髪は太陽の光を浴びて作られたのと疑いたくなるくらい、綺麗だった。


「──カランちゃんは、今幸せかい?」

「うん! あのね、カキラっていうお兄ちゃんがいてね……」

「ふはっ。そうか、また君たちは一緒になれたんだね」


 頭を撫でる手が優しくて。よくにこにこと朗らかに笑う人だったから、私が懐くのも早かった。

 ただ、国王様かと言われるとそんな威厳ない気がする。だから「多分、同名の別人だよ」と返せば、呆れたようなため息が飛んできた。


「お姉ちゃんに対して、ため息をつくなんて」

「姉さんの交友関係に驚いて声が出ないんです」

「私そんな友達いないけどね。レカムさんだって、お菓子貰いに数回しか会ったことないもん」

「……数回か。なんか、なんかなぁ」


 どこか腑に落ちないのか、ミカゲはどこか遠くを見ながらすりすりと手首に置いた指を滑らす。触れる肌からミカゲのソワソワが移ったように胸がざわついた。


「カキラは、当たり前のように言ってたけど。初対面か数回しか会ったことがないレカムさんが、なんで私の味方をしたんだろうね」


 この話をして改めて思った疑問。二年前の騒動の時、その場しのぎとして私を仮の容疑者としてしまえば、レカムさんがわざわざ出る必要は無かったはずだ。なのになんでと首を傾げれば、ミカゲも「同意見です」と頭を縦に振る。


「僕も当時そう思いました。その方が不満は募っても場は一時的に収まりますし。でもこの事態をどうするか会議した時、レカム様は姉さんを疑うどころか最初から匿う方針でいたんですよ」


 空を流れる雲が太陽を隠しては、通り過ぎて。チカチカと暗転を繰り返す。

 頭に乗っていたしらたまちゃんは、欠伸をこぼしてからすいっと飛んで、日が当たる所へいってしまった。ふよふよと浮遊するゆるい姿を目で追いながら、眠気が飛んだ頭を捻る。


 カキラの話を聞いた限り、私がやっていないと言い切れる証拠はひとつもなかった。人柄で彼女ではないと言い切るにも、不信要素しかなかったはず。何より、信じるに値する人物かも分からない中どうして。


 無意識に指先が震えた。

 理由もない善意で守られると、どうにも裏を考えてしまう。借りを作りたくないのもまた然り。

 しかしどんなに悩んでも、目覚めた三日の私にその答えが分かるはずもないのも事実。まぁ今日中に、答えの方からやってくるから深く考えなくていいかと割り切れば、きゅっと手を握られた。


「そもそも今回の白雪の婚約者候補が、例年と違って豪華と言いますか。色々変なんですよ」

「豪華だったんだ」


 拾って欲しいのはそこじゃないと言わんばかりに、じっとりとした視線が飛んでくる。今は目を合わせないでおこうと、温もりを探すしらたまちゃんを目で追えば、くいっとミカゲは指を振った。


 その瞬間、風が吹き始め雲が逃げるように去っていく。陰は消えしらたまちゃんが頭に帰ってくれば、ミカゲは長いため息をついてから私の肩に頭を置いた。


「豪華も豪華。雷と光の国王、水の国第一王子……自分でも信じられないくらいの顔ぶれですよ」

「他には、ほかには?」

「炎と土、そして闇の三ヶ国チャンピオンです」


 やれやれと肩を竦めるミカゲと同時に、コツンと星が頭に落ちたような軽い衝撃があった。


(闇の国のチャンピオンが、居たんだ)


 脳裏に浮かぶはミカゲと同じ真っ黒な髪をしたひと。腰まで長い髪を束ねては、紅月の瞳に私を映し煽り散らかしてくるムカつく精霊だ。どうせ今も闇夜に身を隠して、のらりくらりと過ごしてるに違いない。


 思い出したら、なんだか気分が下がった気がする。とりあえず、ミカゲの顔を見て気分を戻してから私は口を開いた。


「……例年は?」

「騎士団長や御曹司とか。運がいいと第一王子かチャンピオンが候補者ですかね」

「ふぅん、そうなんだ」


 そう言われると、確かに運が良すぎるどころか豪華面子だったな私の婚約者候補さん。

 これは惜しいことをした、カキラしか選ぶつもりはなかったけど。顔合わせの空間にはいたかったかも、一生に一度の光景だったに違いない。


「行きたかったな、顔合わせ」

「偽物の白雪が来たせいで、あの日は地獄絵図でしたけどね。……そんなことより、そんなことよりです」

「は、はい」


 握る手が急に強くなって、思わず敬語になってしまった。真顔で顔を覗き込むミカゲに、変な冷や汗が背中を伝う。


「最高権力者であり、国王のレカム様がここに来るんですよ。こんな、警備もなってない無人島に」

「カラン島ね」

「んみゃ」


 どうすればと頭を抱えるミカゲを和ませてあげようと、ボケてみたけど普通にスルーされてしまった。悲しいな。仕方ないから「おぉよしよし」と、頭を撫でれば「命がいくつあっても足りないんですが」と珍しく泣き言を零した。


「大丈夫だよ。そこら辺の警備隊より私の方が強いから。いざとなったら私がレカムさん守るよ」

「ダメですよ。絶対に、氷魔法は使わないでください。絶対に。変異型属性なんて、未知そのもの。バレて実験体にされたらご両親が姉さんと別れる決断したことが無に」

「わか、わかったから。剣術だけでどうにかするから」


 捲し立てるように言ってくるミカゲの圧はすごい。さすがの私も、これ以上は余計なこと言えないなと口を閉じた。おかしいな、私がお姉ちゃんなのに。ひんっと、目を瞑れば構え構えと、尻尾でつむじを叩くしらたまちゃん。仕方ないなと、手のひらでにぎにぎすれば「んみゃ」と嬉しそうな声を上げた。可愛い。


「みゃっ、みゃっ」

「ねー、今日は平和がいいね。でも夢喰とかが来てから、レカムさんが来るのかな」

「来なくていいですよ、夢喰は」

「でもほら。起きてから皆、獲物横取りされてるし今日もその流れかなって」


にへらと笑えば、ミカゲは口を尖らせた。

初日は、しらたまちゃんにいい所を見せたかったが故に一発で竜を倒そうとすれば、スミレくんにトドメを獲られ。昨日はミカゲがいい所を見せようとして、カキラの魔法が発動し終わったし。


「今日はカキラが何か倒すのかな。その時、レカムさんが来るとか」


でもカキラが苦戦する敵なんて、この世に存在しないかと笑みをこぼした瞬間、風が止まり、ひたりと冷たい手が頬に触れた。気配に気づけないまま、完全に背後を取られたことにひゅっと息を飲む。

頬を撫でる手は首に纏わり着くように肩に置かれ、ぎゅっと体重がのしかかった。


「そうだな。だとしたら今ここにいるミカゲが、今日のターゲットかな。俺的に」

「さすがカキラさんですね。油断も隙もないや」

「お前の方が油断も隙もないないと、俺は思ったけどな」


あはっと笑ったミカゲの声の奥に、わずかな緊張が揺れたように聞こえた。だけど、何事も無かったように乾いた洗濯物を取り込み始めている。

 

「んみゃ〜」

「今日は本当にいい天気だね」

 

ごろんと手の中で転がるしらたまちゃん。そよ風が私たち三人のマントを揺らし、静かに舞う花びらは空高く飛んだ。顔を覗き込むカキラの空色の眼をじっと見つめれば、遠くからざぶん、ざぶんと波が寄せる音が聞こえる。


「ふふっこれは大きな魚か、船の音かなぁ」


今夜はお魚食べたいなと、夕飯に思いを馳せた時ぴたっとその音は切られたように止まった。


「その二択なら、レカムのクルーザー船に俺は一票入れようかな」

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