第13話 討伐

 ぬいカキラの声が止まると、風がほんの一瞬で逆流した。目の前まで迫っていた水泡を躱し海岸へ走った時、世界の温度が一度下がったように冷たい風が吹き抜けていく。


 ───リンッ


 儚い鈴の音と共に、海上へ現れた三日月を描く美麗な水。

 ぬめりを帯びたおどろおどろしいタコとは正反対なほどに、神聖な光を放つ水の刃は音もなく降下し、分厚触手を切断した。


 青と銀の星交差しが、海の闇の中で瞬いては消える。

 切断された足は、生気を失ったようにゆっくりと海へ落ちていった。触手の根元から、どろりと濁った黒い魔力が滲み出す。

 その不気味さすら水の魔法を引き立てる演出のようで。息を呑むほどの、美しい技だった。


「グゴォオオ……!!」


 地響きのような呻き声に身の毛がよだって、今度は何? と顔を上げれば、たこの上に描かれる魔法陣が淡く光った。


 空気がわずかに震える。爽やかな空気が円を描くように広がって、緊張を溶かすようにキラキラと舞った。生臭くない、優しい潮の香りが鼻をかすめる。その時、初めて息ができた心地がした。

 そして肩を下ろした刹那、タコに向かって瞬く間に水の槍が降り注いでいく。


 相手に隙を与えないほどの一方的な残虐的な攻撃は、ほんの一瞬でこの戦いに終止符を打った。


「っ、え? 今のは……?」


 手も足も出ないほどに、音速よりも早く槍は四方八方から無慈悲に貫いて。ビタンビタンと打ちつける音が浜辺に響いた。水飛沫が白銀の線を描き、闇へ消えていく。


「いったい、何が起こったの?」


 困惑を隠せないまま顔を上げれば、最後に切断された足がドボンッと沈む。

 大きな水の王冠が上がっては、落ちて。唖然とする二人に向かい水の雫が降り注いだ。


「あっ……」


 まずいと駆け寄ろうとしたけれど間に合わず。二人はびしゃっと思い切り海水を浴びた。

 マントは滴り、浜辺に染みを描く。スミレくんのアホ毛は再起不能のように上がることはなく、ミカゲは重たくなった服を嫌そうに絞った。


「どうして、カキラの水の槍がここに」


 困惑する私を置いて、赤黒い空が去った夜空はこの戦いの終わりを告げるように月を覗かせる。海面に引かれる月光の道筋から、流れる澄んだ空気が頬を撫でた。


「んみゃあ!」


 嬉しそうにしらたまちゃんが飛べば、穏やかな風が吹いて。嵐のような喧騒が嘘みたいに、海は穏やかさを取り戻していた。


「カランちゃん、怪我は無い?」

「うん! 二人とぬいカキラが守ってくれたから大丈夫だよ」


 隣にやってきたスミレくんに安心してと満面の笑みで返せば、スミレくんは伸ばした手を引っ込めてくるりと振り返った。


 海の音が囁くように波を立てる。ふと、その音色が大好きな兄の魔力の揺らぎに似ている気がした。

 スミレくんは深呼吸を繰り返しながら、あの海を凝視して。顔を真っ青にさせながら震える声で呟いた。


「嘘だろアイツ。あの距離で、なんで魔法が届くんだよ」


 通常、精霊族の魔法は想像から展開し発動される。距離が遠ければ遠いほど、的確な位置への解像度は下がり命中率と威力が落ちる。

 一般的に視野に入る範囲が領域。地図上や写真からのイメージでも、高い解像度、想像力――そして膨大な魔力の精度が必要だ。


(それなのに――あの島から、この海岸へ?)


 スミレくんは頬を引くつかせながら「あー、でも今日の俺かっこ悪いな」と頭を掻いて、長いため息をついた。しょげるスミレくんに、おおよしよしと、濡れているその頭を撫でてあげる。すると前方には、とぼとぼと戻ってきたミカゲの姿が。「カキラさんには、敵わないな」と悔しそうに唇を噛み締めて、顔を上げる。

 その時、ぱちりと揺れる草原の眼と目が合った。


「姉さん、守りきれなくてごめんなさい」

「えっ」

「油断をしたわけではありません。ですが力及ばず、不覚にも姉さんに攻撃を向けられてしまいました。これは僕の実力が、まだ足りたかったからです」


 しゅんと顔を下げるミカゲは、ペタンと犬耳が垂れる幻覚が見えるほど落ち込んでいた。

 よしよしと頭を撫でてあげようと手を伸ばせば、スっと躱されて。なんで逃げるのと、一歩近づけば「海水で姉さんを濡らしたくないんです」と怒られてしまった。


 でも、逃げられると追いかけたくなるのが本能なわけで。めげずにじりじりと距離を縮める。隙さえ見せれば、こちらのもの!


「どうせ後でお風呂入るから関係ないね。えいっ!」

「ちょっ、なんで姉さん! あっ、うわっ!」


逃げるなよこの〜! と思い切り抱きつけば、引き剥がそうとしたミカゲがマントを踏み思い切り足を滑らせた。砂は真っ白な服に嬉しそうにくっついて、私の下にいるミカゲは林檎みたいな顔で眉を吊り上げる。


 絶対これは何か言ってくるなと、お姉ちゃんの勘が告げたので、先手必勝おだまり攻撃として両頬をもちもちと包みこんだ。


「ミカゲもよく頑張りました。想定よりも強い夢喰? だったんでしょ。なのに引けを取らず戦えたのは凄いよ」

「でも、本当はもっと成長した姿を姉さんに」

「風の力の使い方は上手だった、スミレくんもミカゲも充分かっこよかったよ。勝てたんだから、それでいいじゃん。ね?」


 ほらほら、元気だしなと頭を撫でれば不貞腐れたようにそっぽ向いて。水分を含んだ重たい黒髪から真っ赤な耳を覗かせた。バクバクとミカゲの心音が聞こえてきそうなくらい、耳も顔も真っ赤っか。


 可愛いヤツめ〜と更に頭を撫でようと身を乗り出した時、反対方向に体が浮遊した。びちゃっと背中が冷たくなって、無意識に背筋が伸びる。そして、ぐるりと身体が回転。「ひょえ」っと素っ頓狂な声が零れ、なにが起こったのかと顔を上げれば、水も滴る良いスミレくんの横顔が飛び込んできた。


「はい、ここまでにしようね。カランちゃん」

「は、はーい」


スミレくんは黙って私の頭を撫でたあと、スっとミカゲを見下ろした。

 その横顔を見た瞬間、胸の奥がきゅっと縮む。


「……嫉妬ですか」

「……そうだよ。でもこのままじゃ三人とも風邪引くからね。だから焼きタコは諦めて、帰ろうか」


 優しいその微笑みが、月明かりに照らされて夜空との美しいコントラストを生み出す。光にぼやける輪郭は、スミレくんの温かさを思わせるようで。お互いの服は濡れて冷たいはずなのに、向けられる笑顔は陽だまりみたいに温かかった。


「夕飯どうしよっか。カランちゃん食べたいのある?」

「じゃがバターと、ハンバーグ」

「じゃあハンバーグで、朝じゃがバターにしよう」

 

 そう言ってスミレくんは私を抱き上げたまま、砂浜をそっと離れた。ひんやりした潮風が、少しずつ温度を失っていく。


「姉さん、あの屋敷ってお風呂何個あります?」

「分かんないけど、多分沢山あるよ。あ、スミレくんそろそろ降ろして」

「各階ごとにも浴室あったし、一階には男女別の大浴場もあったかな」


 のそりと起き上がったミカゲと、何故か下ろす気配がないスミレくん。頭に乗るしらたまちゃんを捕まえて、のんびり帰路を辿る。ゆらゆらと揺れる腕の中で、ふと顔を上げると夜空に満天の星が広がっていた。


 目を奪われたように見つめていると、数多の星の中に冷たく赤紫を見つけた。


「あっそうだ。私を呪った人の話、もう少し後でもいいかな。……呪った人というか、頼んだ人の話だけど」


 懐かし色を見て、突拍子もなくそう話す私に二人はぎょっと目を丸くする。

 そんなに変なこと言ったかな。お昼に聞いてきたのはそっちなのにと瞬きを繰り返せば、ミカゲはわざとらしく咳払いをして屋敷の鍵を開けた。


「それじゃあ、全員一旦お風呂に入りましょうか。夕飯はその後食べて、今日は早めに寝ましょう」

「そうだね。支給された中にパジャマもあったし。着替えてまた食堂に集合しようか」


 なんか変だな。

 ささっと消えたミカゲと、いそいそと私を下ろすスミレくん。待てとしがみついて、その胸板に耳をくっつければ思い切り唾を飲む音が聞こえた。でも今はそんなことどうでもいい。絶対何かに動揺してるなと耳を済ませば、どっくんどっくんと激しい心臓の音が聞こえた。


「……な、なんか脈拍大変なことになってるよ? 大丈夫? そんなにあの話題に何かあるの」

「〜〜っ、カランちゃんが急に抱きついてくるからだよ!」


 わざわざ言わせないでと、唇を結ぶスミレくんは私を抱っこしたまま大浴場に入って。床に私を置いてからぴゃっと脱兎のごとく逃げ出した。


 余裕のない姿がなんだか可愛くて、閉められた扉を見てはつい笑みがこぼれてしまう。

 とりあえず服を脱いで湯気が立つ薔薇風呂に肩までずっぽり浸かれば、じんわりと体の芯が温まる。真冬の中毛布にくるまってるみたいに気持ちいい。


「極楽だぁ〜」

「んみゃ〜」


 情報過多による脳疲労や、見たことない光景で疲労した心身も。この極楽湯には敵わない。疲れを取るように浸れば、体がふわふわして頭もぽや〜としてきた。

 今日はずっとお湯に使ってたいな、なんて考えていると「俺さっきカランちゃんにさ、抱きつかれちゃったんだよね」という声が反響して聞こえてきた。


(あれ、二人とももしかして隣の浴場にいるのかな)


 抱きついた記憶ないけどと、心の中で返しながら湯に浮くしらたまちゃんに水を飛ばせば「は?」とドスの効いた声が隣から飛んでくる。


「スミレさんの勘違いでは?」

(うん、うん)

「それはないよ。だってしがみついて甘えてきてくれたからね。ぬいカキラがいなかったら、俺止まれなかったかもな」


 ……あ、あれかー!

 スミレくんの発言にぴしゃーんっと稲妻が走る。動揺チェックしたあの行動、そう思われてたの私。は、恥ずかしい。全然違うのに、否定したら二人の会話聞いてることバレる。別に聞きたくて聞いてる訳じゃないけど、なんか悦に浸ってるスミレくんにも色々申し訳ないし言えない。


 タオルでクラゲを作りながら、ぶくぶくと浮かぶ泡を見つめ意識をそらす。まだ疲れは取り切れてないし、もう少しお湯に入ってたいから小声で話してほしい。そう願っても届くはずもなく、どんどん二人の話はヒートアップしていく。


「姉さん、最後に会った時よりもすごく小さく見えて可愛いんですよね。なんか、可愛いんですよ」

「分かる分かる、反応も分かりやすいし。カキラがいじめたがる気持ちも今すごくわかる」

「僕思うんですけど、スミレさんってカキラさんのこと気持ち悪いって言える立場じゃないですよね」


 なんだか、聞きたくないなぁ。この会話。でも耳が勝手に動いてしまう。

 気まずさと羞恥がごちゃ混ぜになって、胸が変なふうにざわついてきた。とりあえず、無駄にシャワーでも流して雑音を混ぜよう。ついでに頭も洗おうとお気に入りのシャンプーを出せば、トリートメントが出てきた。


「あ、あぁ……」

「んみゃ?」


 毛はないけど寄ってきてしまったが最後。

 しらたまちゃんの頭にトリートメントを仮置きして、本物のシャンプーを出して泡立てていく。


「そういえば、スミレさんって姉さんのどこが好きなんです?」

「珍しいね、ミカゲくんがそういう質問するの」

「いえ。質問を投げただけで、答えられる前に僕が一方的に話そうかと。一つ目はやっぱり、可愛くて強いところですかね」


 ダメだ、これ以上聞いてはいけない。

 心臓が暴れて、思考が追いつかなくなってきた。恥ずかしいのか、嬉しいのか。それともただ疲れてるだけなのか──自分でもわからない。


 ミカゲの好きは尊敬、尊敬を意味する好き。動揺するだけ無駄なんだ。だけど、さっきから聞こえてくる声に胸がざわつく。湯気が熱いのか、心が熱いのかもうわからない。


「お湯、もう一回お湯に浸かりたい」

「みゃっ」


 ぱたぱたと小走りでお湯に戻るけど、冷静になるどころか心拍数は上がる一方で。


「自分から抱きつくのはいいのに、僕が抱っこすれば意識してくれてるのか、真っ赤になるところもすごく可愛いです」


 ミカゲの一言ひと言が耳に溶けて、反響するように何度も頭の中で繰り返される。

 恥ずかしくて、聞かなきゃいいのに続きが気になって。怖いもの見たさの気持ちで、お湯から上がってはお湯に浸るを繰り返してしまう。


「みゅ?」

「ちがうの、奇行じゃないの」


 不思議そうに見上げるしらたまちゃんに、違うよと手を振って、大人しくお湯の中で膝を折り座った。


(なんで、こんな心が忙しいんだろう)


 前まではこんな、ドキドキすることも意識することもなかったのに。胸の奥が熱くなって、息が思うように吸えない。


「……ダメダメ、気にしたらいつか呪い殺しちゃう。むしむし」


 ぎゅっと拳を握って、はーっと何とか気持ちを落ち着かせるように息が吐けた。

 湯気は不透明に揺れて、浴場を満たす。なんだか視界もぼやけてきて、頭が重い。


「んみゃ! みゃあ〜」

「そうだね、これ以上はのぼせるかも」


 そして最後に温かい湯船でもう一度身体を温めてから、私たちはお風呂を出た。


「拝啓、カキラへ」


 夕飯を済ませた私は、もう寝るぞとベッドに横たわってぬいカキラを抱きしめた。この声がカキラに届けばいいな、なんて淡い期待を込めながら私はぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。


「今日は助けてくれてありがとう。久しぶりにカキラの魔法見れて、すごく嬉しかった。やっぱりカキラはかっこいいね」

「……」


 頬を撫でる夜風が気持ちいい。

 重たくなる瞼を頑張って開けて、窓を見ればカーテンがふわりと優しく揺れた。

 窓を開けた記憶は無いけど、なんだか今はこの風が気持ちいいから閉めるのがもったいないな。なんて、そんなことを思ってはもう一度瞼を閉じて、静かなさざ波の音に耳を澄ませた。意識が少しずつ遠くなっていく。


「カキラ、あのね。私、恋しないと死んじゃうんだって。……難儀なものだね、人生は」

「……」

「恋したって、相手を呪うのに」


 どう足掻いたって孤独の未来しかない。ちらりと林檎のペンダントを覗けば青リンゴが冷たく私を見ていた。


「なんだかなぁ」


 寂しいなぁって、ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめれば懐かしい香りが鼻を掠めた。潮の香りじゃない、もっと柔らかくて石鹸みたいな爽やかな香り。


 いつも私を抱きしめてくれてたあの香りだ。すんっと鼻で息をすれば、その香りが胸いっぱいに広がって安堵したように身体から力が抜けていく。


「だから、ね……。わたしが、眠りに、つく前に……あいにきてね。カキラに、あいたいよ」

「……」

「カキラ……」


 途切れ途切れになりながら、年甲斐もなくぬいぐるみに甘えて。

夜は心の鏡のように、私の弱い心を映し出すから胸が苦しくなる。焦燥感に近い孤独感にだんだん目を奥が熱くなり、薄く瞼を開ければ視界が滲んだ。


「……大丈夫、大丈夫だよ」


だけど背中に感じる体温が、耳元で落とされる声が酷く優しくて。


「おかえり、カラン」


目尻を撫でたその指先が、愛おしいくらい温かかった。

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