第12話 夢喰
まるでこの島だけ空間を閉じこめられたようだ。美しい透明の壁は、息をするように静かに波打ちオーロラを魅せる。
「すごい……」
幻想的な景色に思わず声が漏れる。
故郷であるハスリーベ島は、真夜中のように闇が空を彩っているのに、ここは違った。何が起きているのか分からないけれど、この温かな光と壁が私たちを、この島を守っていることは確かだろう。
「ん、みゅ……」
「これはしらたまちゃんの、魔法なの?」
「んみゃあ」
手の中で小さく鳴いたしらたまちゃんは、褒めて褒めてと頭を出した。
少し疲れたのか、声に覇気はないけれど「ありがとう」と人差し指で頭を撫でれば嬉しそうに鳴いて。そのまま、すぽっと手の中から抜け出して私の頭の上に乗っかった。
「魔力たくさん食べていいよ。ご褒美だからね」
「んみゃ!」
懐いてくれたのか、ただ私が餌的存在だったのか分からないけれど。この子がカラン島を守ってくれた事に変わりは無い。ちゃんと絆は存在している。
嬉しいなぁって、頬が緩む私と反対にミカゲとスミレくんは信じられないものを見ているようにその壁を凝視していた。
「幻夢の厄災を、防いでる? 光属性でも不可能だったはずですが……どうして」
「壁が展開された時も魔力の気配は感じなかったし、厄災と同じ類の力なのかな」
また、私の知らない言葉ばかりだ。
置いていかれた時間が、胸の奥をひたりと冷やす。二年も眠っていたから当たり前かもしれないけれど。ここまで世界は変わってしまうものなんだろうか。
時空が歪んでいるように、あの島に浮かぶ淀んだ雲は渦を巻いて。そのまま闇が飲み込んだ。どくんと、心臓が嫌な音を立てる。
「ねぇ、ミカゲ。教えて、何も知らないのは嫌だよ」
話に入れない寂しさがもどかしくて。
くいっと服を引っ張れば、ミカゲは我に返ったように私を見て「ちょっと待ってて、姉さん」とお姫様抱っこする手をゆっくり離した。
「スミレさん。警戒を解かず、そのまま偵察お願いします」
「よし、任せて」
そう言ってミカゲは軽く周囲を見回し、落ちていた木の枝を拾うと戻ってきた。そして、浜辺に枝を滑らせていく。
「二年前、突然人間たちが夢から覚めない事件が起こったんです」
「夢から覚めない……?」
ベッドに眠る人間の絵に、モコモコとした雲が現れ可愛い顔が足された。そしてその雲の口に、人間の魂みたいなものが吸い込まれていく。
ミカゲの画伯は、昔から交わしていた文通で見慣れてたし理解できると思ってたけど、今回のはちょっと難しいな。
「えっと、食べてる?」
「正解です! へへっ、なかなか上手く描けた気がします」
「ミカゲくん、公私混同は騎士として良くないんじゃないかな! 端的に、説明!」
薙刀を構えたスミレくんは、海に入らないギリギリの所に立ちながらそう声を上げて。珍しく言い返さなかったミカゲは、眉間に眉をひそめながらまた何かを描き足した。
「二度と覚めたくない幸せな夢を見る。それから、目覚めなくなった人間の元に黒い霧が訪れ。その夢を食べてしまうんです」
「……眠る人から幸福を生み出して、育んでから食べるってこと?」
「恐らく。そして、食べられた人間の記憶にはトラウマや絶望の記憶だけ残される」
夢を喰われた者は、その時初めて起きることが出来た。けれど、言葉は発しない。空っぽな心で、虚空を見つめ。ただ心臓が動いているだけの抜け殻として息をする。
まるで、夢の中にいるようにぼーっとしてるのだと。
砂浜に描かれた人間は、ミカゲがコミカルに描いたからかにこっと笑っているけれど、その笑顔すらゾッとした。想像しただけで、喉が震えて。落ち着かせるように、きゅっと自分の服を掴んだ。
「既に、何人かは手遅れになりました。僕ら精霊族も在らぬ疑いを掛けられて、散々でしたけどね」
ひゅっと、心臓が掴まれたように息が詰まる。
あの島で死者なんて、病や寿命以外では聞いたこと無かったのに。
思わず後ずさる私に、ミカゲは足で雑にその絵を消した。
「まぁ、レカムさんとカキラさんが上手いことしてくれたので事は収まりましたが。色々あって厄災の次の標的となったのが、僕ら精霊族なんです」
「だ、だいぶ端折ったね」
「あんまり時間が無いのと、多分この先はカキラさんが詳しく教えてくれると思うので」
ぬいカキラをちらりと見てから、ミカゲは顔を上げた。
びゅっと突風が吹き抜け、上空に向かって流れ始める。あまりの強さに思わず顔を上げれば見たことない光景が広がっていた。空は赤黒く渦を巻き光の点滅を繰り返す。絶望を連想させるような空は、雲を切り裂くように鋭い光線を海へ解き放った。
ドォンッ───!
激しく海面は揺れ、地割れのような爆発音に耳を塞いだ。カッと眩しい光が飛び込み、思わず閉じた瞼を開けた時、美しい海面はあの空を映し出すように赤黒く変容していた。
「参ったなぁ、今回は水場か……」
なんて嫌そうにスミレくんは呟いて首を振る。その独り言すら、海に流れるように消えていく。
さざ波の音が次第に遠くなって、静寂が訪れた。不気味な程に静かな夜。
おぞましい光景に手が震えて。無意識に呼吸が浅くなった時、ふわりと白檀の香りが花を掠めた。
「風の国の近衛騎士に、炎の国のチャンピオンがここにいるんです。大丈夫ですよ、絶対に。今度こそ、姉さんを僕に守らせてください」
「ミカゲ……」
真っ直ぐに私を見つめる瞳は、あの空とは対照的に鮮やかな草原を彩っていて。よくカキラが私にするように、大きな両手が私の両頬を包み込んだ。
その手が太陽みたいに温かくて。この異変を見てから、初めて呼吸ができた気がした。
「やっとずっと一緒にいられるのに、またお別れなんて嫌ですからね」
「ふふっそうだね。ありがとう、ミカゲ」
お互いの視線が絡み、笑いあってからミカゲはパッと手を離した。
海に向かって歩き出したミカゲの背中は、大きくて。すごく逞しく見えた。スミレくんと並んだ時は、少し小さいのに不思議。
「姉さんはそこから動かないでくださいね」
「当たり前だけど、魔法で援護もしちゃダメだからねカランちゃん」
「……はーい」
なんだか、守られるのが落ち着かなくて少し不服な返事をしてしまった。
特にこの二人は、昔私が守ってあげる立場だったから余計にもどかしい。それでも、白雪として未来の婚約者さんの活躍は見てみたいから、文句は言わずに頷いた。
「みゃ、みゃ……」
「大丈夫だよ、きっと大丈夫」
ぬいカキラを抱っこしながら、不安そうに鳴くしらたまちゃんを撫でる。
頭から取ってぬいカキラに乗せれば、しらたまちゃんはフルフルと震えて海の向こうに目を向けた。
「あれは、魚影?」
波音が遠のいて、大きな影が水中で揺らめいた。
あれが噂の夢喰なのかと、一歩足を前に出したその刹那、ざばんっと激しく水面が揺れた。
ゴンッ、ゴォンッ───!
得体の知れない何かが激しくぶつかる音がする。
バクバクと込み上げてくる心臓を落ち着かせるように、ぐっと顔を上げればはっきりと見えたその姿。
「たこだ」
でも、キメラのように渦巻く魔力はただの海の魔物ではなさそうだ。
べちんべちんと、大きな触手を壁に打ち付けてくる。墨に覆われたように、真っ黒なたこ。八本の触手は厄介だけど、凍らせてしまえば……。
「ダメだ、この壁は長く持たない! スミレさん、近距離戦はお願いします!」
「みゃ、んみゃあ……」
「了解。今夜は焼きタコかな」
二人の声にハッとして、構えた手を下ろす。早速、約束を破るところだった。
恐怖とは別の、二人に叱責される未来にまだ未遂だよと意味もなく右手を隠した時、ふわりと紫の怪火が灯る。
精霊の力に刺激されたのか、夢喰たこは理性を失った獣のように力強く触手を壁に打ち付けた。その攻撃に意思のようなものは一欠片も感じない。
絶え間なく繰り返される打撃に耐えられず、遂にバリンッと大きな音を立て壁は崩れていく。圧倒的な力による破壊だ。
(悔しい。凍らせてしまえば、こちらのものなのに)
この世に氷属性が存在していれば、こんな縛りはなかったのに。
悔しくて唇をかみ締めた時、手の平にぴちゃんと何かが落ちた。冷たくて、温かい雫が。
「んっ、みゃ……みゃぁ」
酷く弱々しい声が聞こえた。
ぴちゃぴちゃと、雫は池を作るように流れて。手の中でもぞもぞと動いている。
刺激しないように、そっと覗き込めばしゃくりを上げながら涙を零すしらたまちゃんがそこにいた。
「ど、どうしたの?」
「みゃあっ、んみゃ……っみゅ」
丸まって、泣きくじゃるその姿はあまりにも痛々しくて。伝えたい言葉すら、分かってあげられなくて胸が締め付けられるように苦しい。大丈夫だよと、頭を撫でることしか出来ない私に、しらたまちゃんは花飾りを見てから「ごめんね」と言うように涙を零しながら俯いた。
その時、初めて点と点が繋がった気がした。
「しらたまちゃんは、あの壁を作って守ろうとしてくれてたの?」
「みゅ……」
こくんと頷いたしらたまちゃんは、力なく手から抜け出して「ごめんね、ごめんね」と繰り返すように私の頬に頬擦りをする。
あの時、ぺちぺちとアピールしてたのは私の魔力を食べたお礼に守るぞって頑張ってくれたのかな。もしかすると初めて会った時のお礼なのかもしれない。
真相は分からないけれど、しらたまちゃんはしらたまちゃんなりに守ろうと頑張ってくれて。でもそれが上手くいかなくて悔しいんだ。
その気持ちが今、すごく分かって。すとんと胸に落ちる。
「ありがとう、守ろうとしてくれて。すごく嬉しい」
「んみゃあ」
「私もね、本当はすごく強いのに。あの二人を守れないことが悔しくて仕方ないの」
だから、分かるよって小さな身体をぎゅっと抱きしめた。もしかするとこの子は、本当に私みたいに強い力を持っているのかもしれない。今はまだ使いこなせないだけで、目覚める時が来るのかも。
たこの悲鳴、スミレくんの舌打ちやミカゲの空を切る音が混ざり合う中。しらたまちゃんを抱きしめてるこの時だけは、酷く穏やかに感じた。
「っ、こいつ今までの夢喰より硬い。フィールドの相性も俺には不利だっていうのに、ついてないな」
「急所さえ分かれば、こちらのものなんですけどね。それにしても、しぶといな……」
二人の声に顔を上げる。
その声が、思考を現実へ引き戻した。
(今の私に出来ることは、二人の代わりに敵の急所を見定め伝えること)
暗闇に光る炎を薙刀で切り、的確に相手に高火力の火種を刃の如く当てるスミレくんと、上昇気流で空中から剣よりも鋭い矢で相手を射抜きながら下降気流で相手の動きを制圧するミカゲ。
連携の相性に無駄はない。ミカゲの下降気流によりスミレくんの炎は渦を巻き、持続的にダメージを与えてる。
だけど……。
「足は残り二本。なのに、どうしてやられないのかな」
「んみゅ?」
「普通なら動くことも不可能なはず。どこかに原動力となってる格があるんだろうけど」
あのおぞましい光によって内部構造も改変されたか。
二人の激しい攻防に、怯むことなくたこは触手を振り回し抵抗する。また一本、触手は切られ焼かれるけれどそれでも衰えない。
(いったい、何処に弱点が……)
目を凝らしたその瞬間、ぱちりとたこと目が合った。
怪しく光るその眼の奥に、見たこともない淀んだ赤紫の揺らぎが見えた。直感が、アレだとそう告げる。色だけじゃない。あの揺らぎは、どう見ても生き物のものじゃない。
「スミレくん、ミカゲ! たこの両目を!」
声を上げたと同時にたこは上を向き、黒いしゃぼん玉のようなものを飛ばしてきた。
「姉さん!」
「カランちゃん!」
二人の声が重なり鼓膜に響く。
指先が冷えるほど嫌な予感がした。それは私に向けられた攻撃に対するものじゃない。
見たことない攻撃を交わすことは容易いけれど、それよりも二人がよそ見をした瞬間にたこの触手が再生してしまった。
(馬鹿……!)
今から叫んでも遅い。たこは既にその触手を叩きつけるように高く上げている。
私を守りに来る二人は気づいていない。ダメだ戦闘中に相手に背を向けるなんて一番やっちゃいけないことなのに!
(どうしよう。嫌だ、私の存在が二人の枷になってるなんて)
魔法を展開すれば確実に助けられる。でもそれを二人は望まない。けど、私だって自己犠牲から守られることを望んじゃいないんだ。
浅く息を吐く。
水泡を交わしあの足が振り落とされる前に、双剣を格である目に向かって投げれば。いやでも、足が落とされる未来は変わらない。なら、どうする。
水泡はもう目の前まで来ていた。
考えてる暇はない。双剣に魔力を込め、あの海一面を凍らせる───。
(約束、すぐに破ってごめんなさい)
でもきっと、バレなければ大丈夫。
そう言い聞かせて、剣を振りかざそうとした刹那、ブルっとぬいカキラが震えた。
風が止む。潮は引いて、まるで雪が降っているかのように冷たい空気が張り詰めた。
「ターゲット、ロックオン」
凛とした声は全てを制すように、空を切って。
淡々と宣告の言葉を続けた。
「シマツモード、カイシ」
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