第8話 弟分
ふよふよと浮く袋は、従順な犬のようにミカゲの後ろをついていく。
木々を抜けて来た道を辿る道中。チラチラとスミレくんは後方の荷物を見て、ちょんと私の肩をつついた。
「ミカゲくんのあれ、便利だね」
「わかる。無から風を起こせるのっていいなぁ。私も歩かないで浮きたい」
最初こそ、鳥が飛び去ってどうなる事やらと思っていたけど。どうやらそれは杞憂だったようで、ミカゲはなに食わぬ顔で荷物に手を翳し程よい上昇気流でそれを浮かせた。
歩かず運ばれる荷物が正直羨ましい。
じっと見つめつつ、案内といった手前歩かないのも失礼かと視線を外せば、反対側にいるミカゲの腕が肩にぴとっとくっついた。
「姉さん、姉さん」
弾んだ声が私を呼ぶ。甘えん坊発動かなぁと顔を上げると、何か期待してるように目を輝かせてミカゲは両手を広げた。
うーん、可愛い。何でそんな自信満々の笑顔なのかは分からないけど、ミカゲがうきうきしているだけで笑みがこぼれてしまう。
「どうしたの?」
首をかしげてそう問いかければ、伝わらなかったのが恥ずかしかったのか、ミカゲは少し眉を潜める。そして「失礼しますね」と私の膝裏と背中に手を回した。
「ん、ぇ?」
突如、地面が消えたみたいに身体が浮く。
驚く私を包み込むように、大きな手が背中を支えていた。昔よく怪我をしていた指先は、白の手袋で隠されて。頬にあたる胸板は硬く、じんわりと伝わる彼の温もりにどきりと心臓は跳ね上がる。
「ふふっ、驚きました?」
「う、うん……すごく」
艶やかな黒髪がさらりと揺れた。
眩しい笑顔、細められた目は熱を帯びながら私を見つめる。逆光のせいで陰る顔は、どこか恍惚としていて。同時に、いたずらが成功した子供みたいな笑顔だった。
「僕、姉さんの隣に立てるくらいには強く成長したんですよ?」
すごく頑張りました、と言葉を続けたミカゲはまだまだ伝えたいことがありそうに口を開いては閉じて笑みを浮かべる。
笑った顔は昔と変わらないのに、身長も余裕さも負けてしまった。手の大きさも骨格も、もう昔みたいにミカゲは小さくない。それが寂しくもあって、でも今はそれよりも、可愛いミカゲが普通にかっこよくなった事に動揺が隠せない。
(わ、私お姉ちゃんだったはずなのに……!)
呪い殺されたいのかな、ミカゲも。
いやダメ、ダメだよカラン。ミカゲのこの行為に特別なものはない。親愛、ただそれだけのスキンシップなんだから。意識するだけ無駄。ミカゲを守るんだから心を無にしないと。
「……姉さん、顔赤いけど熱?」
「ひょえ、ちがう。熱なんてない、そんなやわじゃない。でももし菌持ってたら大変だから俯くね」
「んみゃ」
横抱き事件の時、頭から落ちて毛先にぶら下がっていたであろうしらたまちゃんは、スミレくんに回収されていった。ほんの一瞬だけ視線が絡んだ時、スミレくんは何か言いたげにこちらを見ていたけど貴方もだいぶ危険人物なんだよね。
バクバクと私の耳に振動するように響く鼓動が煩くて、ミカゲにバレないように少し離れれば持ち直すようにまた抱き寄せられる。もうダメかもしれない、無人島生活二日目で幕降りるのかな。
「ミカゲくん、しんどくなったら俺変わるよ?」
「いえ、大丈夫です。スミレさんにあの荷物頼んだら、炎で全部燃えるじゃないですか」
「カランちゃんのことを、言ってたんだけど」
どっちに抱っこされても変わんないよ。
つっこんでたら、なんだか心の疲れが増してきた気がする。もう無心になるしかない。
瞼を閉じて深呼吸を繰り返す。ふと、ふわりと吹く風は潮の匂いを運んで、私の鼻を掠めた。
「随分と穏やかな島ですね」
木漏れ日が作る星空の中を進んでいけば、小鳥が鳴いて。微睡みに溶けていく思考を起こすように波の音が強く耳に届く。
「そうだね。俺の頭の上は、穏やかじゃなさそうだけど」
なんて返すスミレくんの意味が分からず、顔を上げれば彼のアホ毛を食べているしらたまちゃんがそこに。遊ばれてるなぁなんて、眺めていると、ミカゲは「あっ」と何か思い出したように声を零した。
「ずっと気になってたんですけど、その餅みたいな生き物なんなんです?」
「私の友達、しらたまちゃん」
「ちなみに俺も、それしか情報知らないよ」
食い気味でそう返すスミレくんに、「別に疑ってないですよ」とミカゲはため息混じりに呟いた。ただ求めていた答えではなかったようで、訝しげにしらたまちゃんを見ている。
「んみゃあ?」
「害は、なさそうですね。魔物の類ではないのか……」
「逆に魔物じゃないならなんなんだって感じは、俺もするけどね」
そんなこんなで。特に終わりのない会話を続けているうちに、私たちは森を抜けて屋敷の前までやってきた。
無人島で一番浮いている豪華な屋敷。城門を開けて薔薇が咲きほこるガーデンを抜ければ、甘い香りが鼻をくすぐる。
さてそろそろ案内役を返してもらおうか。ミカゲの腕から降りた私は、ぬいカキラを抱っこしたまま勢いよく片手を屋敷に向けた。
「ここが今の私の家だよ!」
「そしてこれから俺たちの、家になるところだよ」
突如隣から知らない情報が飛んできたけど、聞かなかったことにしよう。
どやっと口角をあげれば、ミカゲは特に驚いた様子もなく「ふぅん」と屋敷を一瞥して終わった。なんか思ってた反応と違うなと思いながら扉を開ければ、ぎょっと草原の目を丸くする。
「鍵かけてないんですか!?」
確かに。
至極真っ当なことを言われて、開いた扉を閉じる。そういえば、鍵なんて持ってないや。
「まぁ、無人島だし。その、人来ないからいっかなって」
「良くないですよ。危機管理能力置いてきちゃったんですか姉さん」
「そ、そこまで言わなくても……」
いいじゃん、とは思ったけどミカゲの反応は当たり前なんだよな。
ちらりとスミレくんの頭上にいるしらたまちゃんを見てみたけれど、こてんと首を傾げるだけで鍵の存在は分からなさそうだ。
「とっても冷たくて良ければ、溶けない氷で鍵作ってみる?」
「そうですね。さすがに、冷たくてもせめて鍵はかけたいですし。あ、持ち手だけ木にしてみます?」
「困ったな。俺、燃やすことしか出来ない……」
途端に戦力外となってしまったスミレくんは、恥ずかしそうに後ろ首を掻く。項垂れたアホ毛、飽きたようにこっちに飛び乗るしらたまちゃん。そして、いい感じの木を探しに去ったミカゲ。自由だなぁ。
「そしたらスミレくんは、私の代わりにぬいカキラ持ってて」
「えっ、あ……うん。じゃあ借りとくね」
そう言ってなぜか呪物を見るかのような目で、ぬいカキラを抱っこしたスミレくんは「カキラはカランちゃんがいいって言ってるなぁ」と震えた声で応援してくれている。心做しか顔が真っ青なような。
とりあえず差し込み部分だけ、ちゃっちゃと作ろう。鍵穴に手を翳し、氷の粒子を送っていく。入口から少し長めに作った氷鍵を抜き取って、三個作り終わったところでミカゲが戻ってきた。
片手には既に角材となった木と、どこで見つけたのか謎な木の実がいくつかある。
「みゃ!」
「ふふっ、ミカゲはすごい子なんだよ。しらたまちゃんにも紹介してあげるね」
頭の上で嬉しそうに飛ぶしらたまちゃん。
材料も揃った事だし、第二作業に移ろう。とりあえず木くずが飛ぶと大変だから、私たちは扉から少し離れたところに移動した。そして、手持ち無沙汰になってしまったスミレくん。彼はミカゲに大荷物の荷解き役を任命され、屋敷の中へ消えていった。
つまり、ここには私とミカゲとしらたまちゃんしか居ないわけで……。
「よし。しらたまちゃん、紹介するね。この黒髪のかっこよくて可愛い子はミカゲ。風の国の元騎士団副団長で、今は……」
「近衛騎士です」
「えっ?」
今日はいい天気ですね、みたいなノリで落とされた爆弾発言に氷鍵が手から滑り落ちる。二人でしゃがみながら作業しているけれど、ミカゲはずっと顔を下に向けてるせいで冗談なのかも私らない。でも、仮にそうだったとしても……。
(近衛騎士が、こんな無人島でのんびり木材を風の力でスライスしてていの?)
え、ダメじゃないかな。さすがに職務放棄な気がするけど、真面目なミカゲに限ってそんなことしないはず。何かしら理由があるに違いない。てか、騎士団辞めたとしかお姉ちゃん聞いてないよ。
ものすごい勢いで回転する思考。
落ちた氷鍵をキャッチしたミカゲは、綺麗に削られた木をサイズ調整するように二つの切り口を当てた。そして、持ち手を花形になるように僅かな風を刃にして削っていく。
「姉さんの事だから、今色んなことを考えてると思いますけど。僕は、職務放棄はしてませんよ。むしろ、自分の役目を全うしているとこです」
思い出話をしているように穏やかな声で、ミカゲは言葉を紡いだ。
どういう意味だろうと瞬きを繰り返す私の手に、棘もないつるつるの木製持ち手と氷鍵が乗せられる。言葉の真意は今は置いといて、早くくっつけてしまおうとそれに手を翳した刹那、クイッと袖を引っ張られた。
風が私の背中を押すように流れ、葉は空へ舞う。彼の黒髪は後へ流れるように靡いて、幼さが少し残る端正な顔が晒された。
「何の役目か、聞いてくれないの姉さん」
「ひぇ、えっと……」
立膝で身を乗り出したミカゲは、その草原の眼に私を映してきゅっと唇を結ぶ。
少し赤らんだ頬に、熱い息。潤んだ眼に、聞いてしまっていいのだろうかと心が揺らぐ。聞いたら最後、私の無いに等しいお姉ちゃんとしての余裕が塵になる気がした。
「……っ、お願い姉さん」
なのに、その揺らいだ心を更に揺さぶるようにミカゲは顔を近づける。
無意識に繋げた木製氷鍵を握れば、その手を大きな手が覆って。反対の手は早くと言うように私の袖を引っ張った。
その行動すべてが可愛いのに、全然可愛くなくて。そこまで私からの問いを待つ必要ないんじゃないかなとか、先に言ってよとか言い返したいのに心臓が煩くて言葉が詰まる。
顔が、熱い。
「え、えっと。ミカゲは、その」
そこまで期待されると逆に言いたく無くなる。だから聞いちゃダメだ、心を強く持て私。
いや無理だよ、ミカゲのお願いに弱いんだもん強く持てないよ。こ、こんの呪め。私をちょろい精霊にして楽しいか。今頃、愉悦愉悦と笑ってるんでしょう。絶対凍てつかせてやる。
「うん、続けて」
甘い声が、誘うように落とされる。
だめだ、本当に熱が出てきそうだ。誰ですか純粋無垢なミカゲをこんな、魔性にした人は。絶対に許さない、絶対に許さないから。
なんて心の中は強気でいられるけど実際はそうじゃない。涙すら浮かんできた顔を隠すように俯いてから、決意するように息を吐いて顔を上げた。
「な、なんのっ。役目を担ったの……?」
上擦った声。それでも、私は優しいお姉ちゃんだからミカゲが求めている言葉を返した。
一瞬の静寂、弧を描く唇。
「――姉さんの婚約者、です」
……その言葉の意味を理解するまで、呼吸が止まった。
袖を掴んでいた手はゆっくりと背中に回って、頬と頬がくっつく。
「弱虫で、怪我ばかりしていた僕を貴女はいつも助けてくれた。だから僕、姉さんの傍にずっと居られるように近衛騎士の座まで上り詰めたんです」
「へ……?」
「そして一昨年、風の国代表として貴女の婚約者に立候補しました」
耳に落とされる言葉一つ一つが、熱くて真っ直ぐで。聞こえなかったなんて言わせないくらい、息がかかる距離で紡がれた、プロポーズよりも甘い言葉。
(ミカゲも、婚約者の一人なの……?)
熱が移ったように吐いた息が熱くて、ぐっと息を飲む。頬を伝う汗、脈打つ心臓が煩くてバレないように背を丸めれば、大きな手が私の顎を掬いあげた。
「だから、貴女に見合う男になるために頑張ってるんです」
「ひょ、え……」
本当にどこで口説き文句を覚えてきたの、ミカゲ。
そんなお砂糖山盛り熱々ココアみたいな雰囲気で、私の顔を、のぞき込まないで。呪い殺しちゃうよ。
なんて、心の中で文句を言えばミカゲは私の手を取ってそっと手の甲に口付けをした。
「だからこれからは、姉さんの可愛い弟分だけじゃなくて。一人の男として、見てください」
時が止まった気がした。私の、心肺という時が。
何を言われたのか理解できなくて、思考は彼方へ飛んでいく。ぺしぺしと、しらたまちゃんの尻尾が私のつむじを叩いてくれたおかげで、何とか飛んだ思考を脳に戻すことができた。良かった、何も良くは無いけど。
「ミ、ミカゲ……あの、その」
「あはは、姉さん顔真っ赤」
「っ、ホイッスル貸して」
茹だる頭が完熟になる前に、ホイッスルを貸してとミカゲのマントを引っ張る。
カラカラと嬉しそうに笑うミカゲは、首に提げていたホイッスルを素直に渡してくれた。何に使うのかなと見つめてくる草原の眼が、あまりにも愛おしそうで。頭から火が吹きそうだ。
もう無理、理性が限界。
逃げ場を求めて、私はホイッスルを咥えた。
──ピピーッ!
あの時、スミレくんを止めるように頭上から降った笛。それを今、私はミカゲに使った。
雲を裂き天へ吹き抜けるように、高らかに鳴った笛の音。
非常事態に察してくれたのか、屋敷の中からバタバタと足音が聞こえてきた。そもそも、スミレくんはいつまで荷解き時間取られてるの。私たちの帰り遅いことちょっとは気にしてよ馬鹿。
なんてスミレくんに理不尽なとばっちり文句を心の中で言いながら、私はミカゲをぴっと指さし現れたスミレくんに向かって声を上げた。
「げ、現行犯逮捕ー!」
「んみゃ〜!」
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