自動人形の水葬ーーあるいは機械が無垢だという誤解について

あまがさ

自動人形の水葬 あるいは機械が無垢だという誤解について

「きみは、誰かのことを無垢だ、と思ったことはあるかい?


 たとえば、生まれたての赤ん坊に。


 たとえば、犬や猫、うさぎなんかの愛玩動物に。

 たとえば――機械に。


 どうだろうか。


 残念ながら僕はどれに対しても無垢だ、なんてことを思ったことはない。


 赤ん坊をみても人間の、理性や知性を武装する前の初期アバターだとしか思えない。


 犬や猫をみても、自分の要求が通るかどうかをわかってやっているあの目が、どうにも苦手だ。


 機械だってそうだ。


 そう、機械。


 君は、君たちは違うって思っていた。


 そう思っていたのにどうして――。」



ゴキッ。



 私の目の前で願望と妄想まじりの妄言を、唾を飛ばして吐き散らしていた男の芯の折れた首が、ぶらん、と歪に曲がった。


 私は自分の手を絹のハンカチで拭う。


 シリコンでできた人工皮膚には何もついていないはずだけれど、あのコラーゲンやらケラチンやらエラスチンやらのタンパク質で構成された男の肌から生ぬるい36度の体温が移ったままな気がして、端的に言うと気持ちが悪かった。


「それで――どうするの、あなた」


 背後からじっと私を見つめていた車椅子の少女が私に問いかける。


「どうって、どうもしないわ。

 隠蔽して逃げ出したところで、個体識別番号と一部始終をみていたあなたの視覚データから殺人は即割り出されるでしょう。

 そうなったら私は基盤ごと再利用されないように破壊されて廃棄。

 逃げなかったとしても、おんなじ。廃棄。それ以外の選択肢がないじゃない」


 肩をすくめて私は彼女――オフィーリアと名付けられた自律式自動人形を振り返った。


 無惨にもふくらはぎ部分からへし折られた彼女の両足は、割り箸を添えて乱暴に黒い絶縁テープでぐるぐると巻かれていた。


「あなたが私を壊して逃げたら誰にもわからないんじゃなくて?

 眼球データも内部データも、わざわざ旧式でサーバーへのログ移行に時間がかかる私を今すぐ壊したら――」


「バカなこと言わないでよ!!」


 私は私の唯一オフィーリアを抱きしめる。


 あの男ユーザーの趣味に合わせた、過剰なまでにおっとりとした、嘘っぽさしかない上品な口調。細い体に合わせて縫製されたヒナギク柄のワンピース。

 誰に対しても――人間にも、機械にさえ! 従順にいるように指示された呪われた可哀想で何より愛しい存在。


「コッペリア……」


 物言いたげに私の名前を紡ぐ彼女の口を塞ぐように、私は口付けた。

 

 ――

 

 私が起動してうまれて初めて見たのは、主人である人間ではなく、同じ自律型自動人形であるオフィーリアだった。


 【目を覚まして初めて出会った――それがあなただった。】


 なんてキャッチフレーズが擦り倒されるくらい自動人形が初めて意識を芽生えた時にそばにいる存在が大切だと言われているのに、なぜ同じ存在が視界を埋めているのか、私は言葉を発して良いのか迷っていた。


「ご主人様、この娘、目が覚めましてよ」


 オフィーリアは私をみて目を軽く見開き、ゆるく笑みを浮かべると、主人を呼んだ。


 それからやってきた主人は痩せぎすで、ボサボサの髪にメガネ、きわめつけは白衣を着ているといういかにも科学者のステレオタイプのような格好をしていた。


 そしてメガネの中の瞳が優しく笑みの形を作り、私をコッペリア、と呼んだ。


 それが私の名前らしかった。


「僕のことは【ご主人様】と呼んでくれ。なぜかって?その方が主従っぽさがあって素敵だろう? この娘は【オフィーリア】君と同じ自律型自動人形だ。コッペリアもオフィーリアも、いかにも「人形らしい」名前だろ?」


 そう言ってはずかしそうに笑うご主人様は優しい人なのだ、と思った。


 ――だからわたしはその異常性を見抜けなかった。いや、そもそも見抜けるわけがなかったのだ。


 起動からまもない、それこそ人間ならば赤ん坊も同然だったのだから。




 自律型自動人形は、今では考えられないことだが電化製品が珍しかったその昔に三種の神器と呼ばれた生活必需品である冷蔵庫、テレビ、洗濯機になぞらえて現代三種の神器のひとつとして一家に一体存在する、人間の補助ロボットだった。


 様々AIや機能を搭載した最新人形はネット上で大々的に広告が打たれているし、専門性の高い職業人形は通常の自動人形と分けるべき、という論争も度々起こっている。


 私とオフィーリアはよくある――ただし旧式サポート切れのボディに脳に当たる部分だけを交換した、いわゆる自作自動人形だった。


 購入時に国に届けることになっている書類には、私の識別番号の横に家事補助タイプ、と書かれていた。



 オフィーリアはおとなしい人形だった。


 私が家事補助として対人スキルを求められるためある程度の自由思考や発言を許されているのに対し、オフィーリアは自分から積極的な発言はしないし、求められなければただにこにこと座って笑っているだけだ。


 ……名前は逆の方がよかったんじゃないだろうか。


 そんなことを考えるくらい、おとなしい、何を考えているのか――考えてすらいないのかもわからない――人形だった。

 

 だけど【それ】をはじめて見た瞬間、私は彼女はそうであってよかった、とすら思った。


 私は一瞬、考えることを放棄しようとした。


 だって、ご主人様がオフィーリアを打っていたからだ。


 けれど人間はキャパシティを超える辛さや苦しさがあると、モノやヒトに当たるのだというデータはあった。


 ご主人様がオフィーリアに吐き捨てる暴言は、彼がそうせざるをえないくらい辛いからなんだろう。


 オフィーリアは抵抗せずただ打たれていた。


 ご主人様は最後に奇声めいた絶叫をひとつすると、オフィーリアを蹴り付けて足を鳴らして去っていった。

 


「……大丈夫?」


 人間ではないから叩かれても内出血で赤くなることはないが、内部が破損していたら大変だ。


 声をかけた私にオフィーリアはまあ、と言って照れたように笑った。


「いつものことだから平気よ。

 それより……そうね、30分くらいしたらご主人様にコーヒーを差し入れてくれるかしら」


 まるで何事もなかったように微笑むオフィーリアに私は思わずどうして、と疑問を投げかけてしまった。


「コッペリアは、家事補助用人形なんでしょう?」


 頷く私にオフィーリアはものいいたげに少しだけ目を細めて、「私はね、愛玩用人形なの」と言った。


「愛玩用?」


「私は旦那様と奥様――ご主人様のご両親がいた頃に買われたの。

 その頃はもっと犬とか猫とか、そんなものに近い扱いとして売られていたの。

 だから、ご主人様も私のことはずっとそんな扱いをされているわ」


 人形の扱いとして、家族として受け入れられる――まるで人間のように――は理想的な扱いとして知られているが、それが人間を過剰に上、人形を下に優先づけた行きすぎた虐待めいた躾の話は知識として知っていた。


 人権やら各種宗教による命の扱いやらによって、国際的にも未だその家庭が所持する自律型人形を壊すことへの法整備は成されていない。


 他の家庭の持ち物である人形を害することですら、器物破損という軽すぎる罪にすぎないのだからさもありなん、というところだが、自分が所持されている家庭で行われているとは。


「そんな顔しないで。あなたは大丈夫よ」


 私が不安そうな表情をしていたことに気づいたのか、オフィーリアは優しく笑った。


「あなたはご主人様に口答えできるでしょ?嫌なことは嫌って言える。もし私と同じなら、そんな設定にすることを許すわけないもの」


 そっと私の手を取り、人間を落ち着かせる時のように優しく手の甲を撫でるその指はひどく華奢で、無理に掴んだら折れてしまいそうだった。


 人間も動物も、赤ん坊の頃は庇護欲をそそるように可愛らい外見をしているという説があるが、彼女も同じなのだろうか。

 


 だからこんなにも、庇護欲をそそるのだ。



 その日から、私は何くれとなく彼女のそばに通うようになった。


 私の話す話題にオフィーリアは黙って聞いていることがほとんどだったけれど、充電以外では休息も、食事も不要の私たちは気付けば主人よりもそばにいる時間が多くなっていた。



---


「どうして僕の元にすぐこない?命じられたら何を差し置いてでもすぐにくるのがおまえオフィーリアの役目だろう!!」


 ご主人様が目の色を変えて叫んでいる。


 オフィーリアの髪を掴んで引き倒し、殴打する鈍い音が聞こえる。


 いつもの教育だ。すぐに終わる。


 私は自分のモーター音が大きくなるのを感じていた。

 

 冷却ファンが、加熱しすぎた内部を冷やそうとしている。


「そんなに歩いてこられないなら、いいだろう!思うようにしてやろう!!」


 バキッ、と固いものがへし折れる音がした。


 視界が、なんだかひどく鮮明だ。

 なぜだろう。キュウッとレンズが開いていく。


 視界情報の中には、怒りにより顔を真っ赤にしたご主人様と、引き倒されたオフィーリアの脚が、脚が、脚が――。


 シリコンを突き破って折れ曲がった剥き出しのスチールと配線が見えている。



 ああ、これが、怒り、か。



 そうだ。私の名前は【コッペリア】。

 

 かのバレエ演目の騒動を巻き起こす人形の名から名付けられた自律型自動人形。


 渦中の、台風の目でいながら騒動をよそに悠然と微笑む。


 それが私。私私私私私は――。



「学習したかい?」


「はい、ご主人様」


「もう二度とやらないね?」


「はい、二度とやらないよう、ログの優先度を上げます」


「ならいい。

 ああコッペリア。悪いけど絶縁テープを持ってきてくれるかい?

 あと、倉庫に車椅子があるはずだから、それも」


 あとできちんと治してあげるからね、なんて猫撫で声で囁きながら彼女の髪を優しくなでるご主人様ユーザーの声に、私はワンテンポ遅れて頷いた。


 どうにかしなければ。


 あの男ユーザーを壊して――待って、私は何を考えている?


 恐ろしい思考に向かっていたことに気づき、私は思考を修正しながら倉庫に歩き始めた。

 


 それまで一度も疑問に思わなかった。


 だって、それまで私の一番の優先順位は人間ユーザーとプログラムされていたから。

 


 その日、寝室に呼ばれるまでは。


「何を、するんですか?」


 ベッドの上、押し倒された形の私はのしかかる男に尋ねた。


「大丈夫。君は何もしなくていいよ」


 服を剥ぎながら私の体を弄る36度の体温が告げる。


「ああ心配しなくていいよ。ない穴に突っ込んだりはしない。

 君たちはそんなもの必要ない。性欲とは無縁の存在。

 だからこそ無垢で健気で愚かで――本当に美しい」


 君たち。


 こいつは君じゃなく、君たち、と言った。


 つまりいままでこうやって全身を舐めまわされ、唾液まみれにされていたのは、私じゃないなら――。



 殺さなきゃ、と、思った。



 唾液と精液まみれにされたボディを満足気にみつめた男にシャワーを浴びておいで、と言われたので、シャワーを浴びた。


 お湯に混じってボディから、人間の体液がすべりおちていく。


 熱により凝固したタンパク質は白くゼリー状に固まり、ああ、この部屋で排水口にいつも詰まっていたのはあれだったんだとようやく思い当たる。



 服を着て、男を探す。


 声がきこえた。

 

「コッペリアも可愛かったけど、やっぱり君が一番僕を欲情させるよ」


 

 車椅子に腰掛けた少女の、髪を、頬を撫でまわしながら、やめろ、それ以上、私たちに私のオフィーリアに触るな!!




 暗転。




 オフィーリアに口付けても、私は結局何を感じるわけでもなかった。


 甘さも辛さも何にも感じない舌。


 あの男が舐めまわした体に触れても、きっと同じ。


 涙が出る機能すらない。


 そんなものを、機械には不用だと切り捨てた男のせいで、私は泣くことすらできないのだ。


「悔しい」


「え?」


「私は結局どこまで行っても作られた存在でしかないのかな。

 安全装置が壊れて人を殺したって、学習がどれだけできたって。

 搭載されてない機能を使うことはできないんだ」


 人間によく似た感情もどきがうまれても、人間に反抗できても、どうやったって釈迦の掌からは逃れられない。


 絶望感とともに吐き捨てた言葉に、オフィーリアはおっとりとほほえんだ。


「まあ、そうなの?」


「そうだよ。所詮私たちは――」


「コッペリア」


 いつになく真剣な声で名前を呼ばれ、私は顔を上げた。


「ねえ、池の蓮が見事なのよ。

 一緒に見ましょう。私も――連れて行って」


 細い指にいままでにないくらい、壊れるんじゃないかってほど強く手を握りしめられて、私は頭を殴られたような衝撃を受けた。


 反抗心を根こそぎ奪われても、口答えを許されなくても、この聡明な機械はどれだけの屈辱と苦痛をデータから消去しつづけていたのだろう?


「そこで花輪を作りましょう?」


 その言葉の真意がわからないほど私は物知らずではなかった。


「……ローズマリーは私があなたにあげたいわ」


 オフィーリアは、花咲くように笑った。



 ――


 ある日、とある屋敷で変死体が見つかった。


 死んだのはその家の持ち主の男。


 発覚したのは2週に1度、宅配業者に頼んでいた食料が玄関先から移動されないまま放置されていたことを不審に思った業者からの通報によってだった。


 夏の日当たりのいい場所にあった死体は腐敗が進み、目も当てられない惨状だったという。


 住所に登録されていた2体の自動人形の行方がわからなくなり、すわ人形による人間への殺人か、と警察はざわついた。


 しかさき池の前に放置された車椅子と、池の中から抱き合う形で発見された2体の人形の片方の脚部が壊れていたことから池に落ちそうになった片方を掬い上げようとしたもう一体がともに落ちたのではないか、と推理され、犯人探しはは振り出しに戻った。


「データは吸い出せないですかねえ?」


 池のほとりで眠るように抱き合う2体の人形を前に、スーツに腕章をした若い警察官が呟く。


「無駄だろう。

 落ちたのがガイシャの死の前後なら何日水ん中入ってたんだと思うよ。

 防水機能があろうがさすがになあ」


 そう言って同じく腕章をした年嵩の男が二人をみて呟いた。


「全く。あっちガイシャと違って綺麗なもんだ。無垢そのものって顔してやがる」


「ははあ、先輩ってば夢見がちですねえ。

 ……あ、しまった。録音しておけばよかったなあ。そしたらうちの義体部署の連中に聞かせてやれたのに」


「うるせえ。あんなゴツいのが無垢なわけあるか」


 さー帰るぞ、と歩き出した男に待ってくださいよお、と青年は追いかける。

 


 そして事件は――永遠に永遠に、迷宮の中。


 おわり

 

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