第10話 おバカとバカ

 トビーはアルトの言葉に満足げにニヤリと笑った。


 「いいぜ、好きにすればいいさ」


 そう言い終えると、トビーはすぐに牢屋の扉の横に立つ衛兵に近づいた。トビーは一言も発することなく、懐から取り出した銀貨を衛兵の手に直接握らせた。衛兵はそれを確認することもなく、慣れた手つきで銀貨を素早く服の内側に隠す。


 『ガチャン』


 衛兵は無言で鍵を開けた。トビーは「行くぞ」とアルトに声をかける。アルトは開いた扉から堂々と牢屋の外へ出た。アルトはトビーの後について収容所の廊下を進む。途中で数人の衛兵とすれ違うが、誰も二人を止めることはしない。まるで2人が存在しないかのように衛兵たちは業務に従事していた。結局、2人は誰にも止められることなく収容所を抜けることができた。


 収容所を出た瞬間、アルトは思わず口を開いた。


 「こんなの、おかしいよ」


 正義感にかられたアルトの呟きに、トビーは嘲るように言った。


 「何をバカなことを言ってるんだ」

 「だって、お金を払っただけで釈放されるなんて、おかし過ぎるよ」


 アルトは故郷で教わった常識が通用しない現実に苛立っていた。トビーは呆れた目でアルトを見た後、冷静に問い返した。


 「じゃあ聞くが、お前はどんな罪を犯したのだ?」

 「僕は…………」


 アルトは言葉に詰まった。アルトは何の罪も犯していない。汚いという理由で収容所に連れて行かれ、盗人の嫌疑をかけられただけだ。


「そうだ。俺たち泥底の人間は、くだらない理由で収容所に連れて行かれるのだ」


 トビーは続けた。


 「俺だって、蠅の王のお金をちょろまかしたのがバレて捕まった。でも、正式な罪状など何もない。蠅の王が常習的に衛兵たちに賄賂を渡しているから、奴らに逆らったという理由だけで捕まる。でも、アイツらは誰の味方でもない。金さえ渡せば簡単に出してくれるのさ。これが、お前がこれから生きる泥底の常識だ」


 トビーの説明を聞いて、アルトは王都の底辺に蔓延する腐りきった現実を再確認した。憎むべきトビーの言葉だが、その通りだと認めざるを得ない。さらにトビーはアルトに説明をする。

 

 「いいか、アルト。これから俺がこの泥底の現実を徹底的に教えてやる。まずは職業案内所へ行くぜ」

 「……あぁ」


 アルトはやる気のない返事をした。



 2人が職業案内所に辿り着くと、まだ朝早いというのに、受付には30名ほどの人が並んでいた。彼らは皆、アルトと同じように、今日の仕事を得ようとするハズレ職の住人たちだ。


 「僕たちもすぐにならばないと」アルトがそう言いかけると、トビーは鼻で笑って制止した。


 「何をバカなことを言ってるんだ。あそこに並んでももらえる仕事は、糞ばかりだ。ただ並ぶだけでは良い仕事など貰えないぞ」

 「でも、昨日は朝早く並ぶと良い仕事があるって言ったじゃないか!」


 アルトはトビーに言い返した。


 「あれは嘘だ。お前と仲良くなるために嘘を言ったのだ」


 トビーは悪びれる様子もなくあっさりと白状した。アルトはトビーの言葉に動揺はしなかった。なぜなら、トビーが信用してはいけないペテン師だと、既に骨身に染みて認識しているからだ。


 「初めから僕を騙すつもりだったのだな」

 「もう、その話は無しだ。今日からは本当の相棒になったんだ。昨日のことは忘れろよ」


 アルトは「ぁぁ」と軽く呟いた。しかし、彼の心の中では、トビーの裏切りを一生忘れないと固く誓っていた。アルトの明らかに不機嫌な返事に、トビーは気に留めることなく話を続けた。


 「職業案内所で紹介してくれる仕事は二通りある。バカ向けとバカ向けだ。おバカ向けは昨日説明したゴミ山の仕事。あそこは3K(臭くて汚くてキツい)の仕事のわりに、一日鉄賃7枚(700円)しかもらえない最悪の場所だ。泥底の六割の住人がゴミ山の仕事をしている」


 トビーはアルトに問う。


 「アルト、ゴミ山以外の仕事をもらうにはどうすれば良いかわかるか?」

 「経験を積めば、良い仕事がもらえるのだろう」


 アルトは故郷での常識に基づいた正論を答えた。


「違う。受付嬢に賄賂を渡すのだ。そうすればマシな仕事を斡旋してもらえるし、高額の賄賂を渡せば、泥底内で定職に就くことができるのだ。だが所詮、職業案内所を裏で牛耳る金色の蜘蛛の養分となるバカ向けの仕事だ。泥底にはまともな仕事など何もないのだ」


 アルトはトビーの言葉に驚きはしなかった。牢屋での出来事と、衛兵への賄賂。泥底はすべてが金と腐敗で動いているのだと、再確認した程度に過ぎなかった。


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