宇宙放浪生活
@matorix
第1話
『続きまして、カルロー軍大学、首席、カーター・カール君』
これは、走馬灯だ。キラキラと光る表彰台の上に隠された強力な照明が、網膜をピリつかせる。でも、それよりも、ただひたすらに嬉しくて。そんな、幸せな記憶だ。それまで、何もかもが平凡なことに落ち込んでいた。でも、自分でも思いもよらない才能のようなものがあることを知った。初めてアイデンティティのようなものを開花させた軍大学での生活。苦しくも楽しく規律に縛られた窮屈な環境で、初めて仲間と呼べるような人ができた。
これからの俺の人生は、もっと広がっていくのだと。そう心から思っていた。将来に期待し、夢を追いかけて。
でも、それから1ヶ月が経った今。
俺は誰もいない宇宙の何もない空間でひとり、生死の境をさまよっていた。
「…」
恒星の光がうっすらと見える。ずっと。ずっとだ。曖昧な時間感覚が強烈な不安をかきたてる。そんな無意味な感情の乱れをまぶたを閉じるという最小限の労力で殺し、乾いた喉を唾液でごまかした。
朦朧とする意識の中あたりを見渡すも、やはりその光景は当初と変わっていない。体力消費を最小限にするために、再び俺は瞳を閉じる。
放浪して約3ヶ月。身一つで宇宙船から放り出されてからずっと、今まで宇宙服に搭載された循環システムと非常用栄養剤だけで命を保っていた。ただ、限界まで切り詰めたそれらもすでに尽き、残っているのは酸素循環系のみ。だだっぴろい宇宙の中で、ただ呼吸するだけの毎日を過ごしている。
いつか、救難信号を拾ってくれる誰かが現れることを信じて。
「……は…はは」
いや。ちがう。
最初のうちは、期待していた。けれど、今はもう期待などしていない。ただただ、生きながらえている。それだけだ。
俺が乗っていたのはカルロー宇宙連合の正規軍の艦船。普通なら、撃沈から数日以内に回収部隊が現れるはずだ。もちろん、救難信号を出していれば、救出に来た連合軍が保護してくれる。
でも、その楽観を疑って、もう2ヶ月は経っている。1週間以内に救出が行われない時点で、何らかのトラブルがあったということだ。それが3ヶ月ともなれば、もはやその疑いは確定的である。
それに、宇宙で遭難した場合の消失率というのは、現在地をロストしてから時間が経つにつれて指数関数的に上昇する。放浪時間が3ヶ月ともなれば、もはや回収は絶望的だ。そういえば、これも軍大学で習ったんだっけか。
「……」
期待していた未来に待っていたのは、絶望的な状況。というより、絶対的な死。なんとかして俺を生きながらえせようとする宇宙活動用軍服も、すでに限界を迎えようとしている。
俺は一体、何に期待していたんだろうか。
良い大学で良い成績を取って、真面目に仕事をすれば幸せな生活が送れる。物語に出てくる主人公のような世界はあくまで幻想で、今進んでいる着実で平凡な路線こそが「現実的」な幸せを得られるのだと、そう思っていた。統計とか、OBの話とか、そんなことを考えて、真面目に。そう、至って真面目にしていたつもりだった。
それが、どうだ。
見ろ、この現状を。
何もない。本当に、なにもない、この世界を。
敷かれていたはずのレールは、もはやどこにも見えない。唐突に現れた災厄で、全てが無に帰したのだ。まるで、今までの努力やちょっとした喜びすらも、世界にとってはなんの意味もないと告げているかのように。
枯れた涙は、もう出ない。
喉の奥の酸っぱい感覚だけがあった。
「…うあ……ぁ」
叫んでるつもりなのに、全然声が出ない。絶望してるつもりなのに、ドラマチックな嘆き方すら許してくれない。
今この瞬間、生存を諦めた男に対して、世界は何もすることなく、ただ遠くに恒星の光を灯すのみだった。
寝て起きると、大抵のメンタルはある程度マシになる。おまけに、ここは恒星の紫外線と赤外線が宇宙服にいい感じに調整されてベストな状態で当たり続ける環境だ。少ない栄養素のなかで、体内ではしっかりとセロトニンが生成されているらしい。
「は…」
笑ったつもりだけど、口角が少ししか上がらない。
ぎしぎしと音を立てる関節を無視して、小さく伸びをした。
「…は」
おそらく、今日。少なくとも、10日以内にゆっくりと最期を迎えることになるだろう。昨日、ひとしきり絶望的な感情に浸ったおかげか、今はそこまで辛くない。毎朝、起きるたびに裏切られたような気持ちになっていたのだが、逆に言えばそれさえ諦めてしまえばこの場は極めて平穏といえる。なんの変化もなく、なんの外的要因もない、純粋な一定の空間。むしろ、修行僧が精神集中をするときよりも、研ぎ澄まされている。
せめて、地獄へ行く前に、在学中に溜まった漫画を読みたかった。
なんで俺、頑張ってたんだっけ。そんなことを考え始める。何もない停滞の中、ただ暇を謳歌し続けることにはすでに飽き飽きとしており、かといって衰弱への不安で頭を悩ませるのもダメだと分かっていて。だからこその、過去の回想による暇つぶしだ。
最初は母が病死して本格的に1人で生きていく必要が出てきて、学費の関係で仕方なく軍大学に入っただけだった。体型は普通、身長も普通、趣味も普通(にしてはオタク寄りだが)。一般教練についていくのもやっとな、よくいる訓練生。それが俺。
ただ、カリキュラムをこなしていくうちに、一つだけ、自分にも得意な教科があることを知った。それが、宇宙空間上での戦闘艦による戦闘シミュレータ訓練である。その操作感はシンプルで、とにかく隠密し敵の視界から逸れながら、高機能な兵器を用いて確実な撃破を狙う。その教練は、一つの単位に対してシミュレータ内に拘束される時間が長く、暗いポッドの中で何時間も神経を張り詰める必要があることから、そこまで人気ではないようだったが、体を激しく動かさなくていい分、俺としては楽な単位だった。べつに特段好成績というわけでもないが、俺の平凡人生の中ではかなりマシなほう、少なくとも平均値は越していた。具体的に言えば、受講人数30人程度の中で、シミュレータのランキングでは平均8位くらい。まあでも、他の生徒たちがシミュレータの中で疲弊する中、俺は休憩気分というか、とにかく楽だったのである。単位の割に(俺だけは)楽。なら、取りまくるしか選択肢はない。
なるべく筋力を使わない、その手の教科。小型から中型、大型の宇宙艦まで、なるべく多くの単位をシミュレータで取得し、軍大学にあるシミュレータで取ることのできる殆どの単位を1年間で網羅した。大型船は複数人では扱えないため、訓練仲間みたいな奴らもできたし、なぜだか教官に指名されて船長ばかりやっており、仲間も優秀だったので単位取得はバカみたいに簡単だった。
大学での一年も終わり、授業料を更新する書類が自宅へと郵送された。軍大学の授業料は他と比べて格安とはいえ、親なしの貧乏大学生に出せる余力はそう多くない。顔を顰めながら、来年度の学費を覗いてみる。すると、そこには「学年主席による授業料免除と特典の通知」という手紙が一枚。
『学年主席…?』
配送ミスかと思って宛名を確認したが、俺の名前が書かれていた。通知書にも俺の学籍番号があった。
そのときの俺は自分のことを、あくまであくまでシミュレーターで楽して単位を取った一般訓練生に過ぎないと、そう思っていた。ただ、手違いを伝えるために担当教官に連絡をとったあと、思わぬ喜劇に目を瞬かせることとなる。
「それはこちらのミスではない」
教官は端的にそう告げた。そして、続けてこう発した。
「あと、貴様に春季休暇を利用した司令幹部養成特別演習の案内が来ている。というより、これは指令だ。必ず参加すること。以上」
本能に刻み込まれた敬礼動作で、指導教官の部屋を後にする。ただ、頭の中はハテナでいっぱいだった。
不思議に思いながらも、一応成績を確認してみる。軍学校の単位は基本的に出席していれば取れないことはなく、失格の場合は個別に通知されるので、今まで自分の成績というものをちゃんと見たことがなかったのだ。
携帯端末から軍大学のページにアクセス。細かい成績表に目を凝らしてみると。
「S?なんだこれ」
俺が楽な単位と思っていたシミュレータ系の成績全てが、S評価になっていた。知らない評価だ。Aが最高評価で、Dが失格。特別成績がいいとA+。そんななか、俺の記憶ではSという評価は存在しない。
不安に思い、シミュレータ訓練で一緒だった仲間に聞いてみると、どうやら過去最高の成績をとった生徒に付けられるものとのことだった。一般課程には存在しない評価だが、機械で成績が算出されるシミュレータ科目では、数値で明確に成績がわかる。大学の中で歴代トップのスコアを叩き出すと、評価はSになるようだ。
『いや、俺いつも8位とかだったんだけど』
『はぁ…。お前それ、現役軍人も含めた連合軍全体のランキングだからな。学生で一発目で8位はイカれてるだろ。俺なんて10万に入れたらいい方だ。っていうか、毎回教官に船長指名されてる時点で、気づけよ。カーター1人だけやたら生き残って、シミュレータずっと使ってるしよ、なげえんだよマジで』
『だ、だとしても、1000人以上の学生のうちたった30人しか受けないクソほど人気ない授業だろ?そんなのばっか受けて、たまたま8位でも、首席にはならんだろ』
『はぁ?お前それ本気で言ってたのか。人気がないわけないだろ、軍の花形なんだから。事前の適性検査で大勢落とされて、授業に来れる奴がそもそも少ないだけだ。大型艦は特にな』
そんなこんなで、自分自身に秘められた思わぬ才能を、そのとき知った。
最初は現実感がなくてポワポワとした気持ちだったが、しばらくすると飛び跳ねて喜んで、ルンルンとした日々を過ごすようになった。
今まで平凡だった人生に、唐突に訪れた転機。まさしく、主人公に選ばれたような気がした。このチャンスを逃してなるものかと、それから俺は本当に真剣に軍大学での日々を過ごすことにした。気持ちが空回りしたこともあったが、やる気があるというのは素晴らしいもので、今まで億劫に感じていた教練も「自分のためだ」と頑張れるようになった。
そんなわけで、俺は晴れて軍大学を首席で卒業するに至ったのである。
いい思い出だった。あの日々は俺にとって人生で最も充実していた期間と言っても過言ではない。
でもまあ、あの時の訓練が役立ったかと問われれば、まあこの宇宙に放り出されている現状を見ればわかる通り、意味などなかったと言えるだろう。幹部候補生といえど、新兵の言葉に責任者にジジイが耳を傾けることもなく、そのまま油断してパトロールを継続して、あっけなく撃沈した。もっと安全な行動をとっていればいくらでも情報を取れたのに、とは思うが結局のところは結果が全て。あのとき俺が艦長を動かせなかった時点で、俺の訓練の意味は消失したのである。あんなに勉強するなら、ジジイの効率的な導き方とかも勉強しておけばよかった。
まったく、損な人生である。
そんなことを考えている最中。
ふと。違和感を感じた。
音も風も光も、変化はない。
だが、予感した。なにかが、近づいている。
「っ!?」
指先についた小型の圧縮空気噴射口を使い、ゆっくりと体を回転させる。焦ってはいけない。空気の噴射は、あくまで一瞬だけ。そのあとは、慣性だ。ゆっくりと、ゆっくりと視界が体を軸に動いていく。
気づけば。
視界の奥から、なにか白い構造物が近づいてきていた。広大な宇宙の中で肉眼で見えるということは、それなりに近いか大きいかだが、造形からして明らかに人工物。球体の上下左右についた突起は、遠くて見えないがおそらくスラスターだ。
おそらく、カルロー連合軍の小型戦闘機。見慣れたカラーリングから見るに、俺が配属されたのと同区画の機体だ。
宇宙服に搭載された高画素カメラから、その詳細を調べる。目視では見えない距離だが、カメラであれば拡大すればある程度外形を掴むことができる。
高画素といえど拡大すると荒い画像をヘッドアップディスプレイでくまなく見渡す。その小さなコックピットの像には、人影のようなものが。
「……」
だが、その人影は妙に全面に押し出されている……というか、コックピットに張り付いているというか。明らかに、生きている様子がない。軌道も、こちらに向かうにしては少しズレている。光信号も送ってきていない。
おそらく、というかかなり高い確率で、彼はすでに事切れていた。
なんともいえない、もやっとした感情が浮かぶ。これは救難ではないということは、やはり母国になにかあったことはほぼ間違いないのだから。
「……」
だが、これは奇跡に違いない。
骸骨入りのスペースポッドと、死にかけの新任軍人の邂逅。これが、今の俺にとってどれだけ救いであるか。
この広大な宇宙空間で身一つの状況で、都合の良い漂流宇宙船に出会う確率は小数点100桁以下に違いない。神の思し召しとでも、いえるだろうか。いや、こんな状況になった時点で、我々が崇めるような善良な神などいないのだろうが。
これは、俺が奇跡的に掴み取った、唯一の生存策だ。
曖昧な思考回路をなんとか動かして、なんとしてでもあの小型宇宙船に近づく必要がある。まずは、ヘッドセットの端末で宇宙船の軌道と自分自身の動きを割り出し、どうにかして俺をあの宇宙船の軌道上に乗せるための手段を模索する必要がある。視線移動でヘッドセットを操作する間にも、宇宙船は徐々に近づいてくる。
わずか10秒で割り出した方策をもとに、俺は小型スラスターを起動する。すべては、コンピュータの計算した通りに、操り人形だと思って盲目的に操作する。宇宙空間の移動操作、とくにドッキングなどの精密な制御が求められる場所では、人間の直感なんていう誤差の大きなものに頼れない。
プシュ、プシュと、スラスターの向いている方向が適正位置に動くたびに自動的に自らの位置が調整されていく。
「…」
最終的に、俺は漂流船の軌道上に移動することに成功した。と、思ったのもつかの間。スラスターがいつまで経っても止まらないことに気づく。
「くそ…」
ここにきて、スラスターに不具合が起きたらしい。そりゃあ、いくら宇宙服といえど船外活動を3ヶ月もぶっ続けでやるようには作られていないだろうし、仕方がないのだろうけれど、よりによってこのタイミングで暴走し始めるとはツイてなさすぎる。
このままでは、軌道線から逸れてしまう。
「っ…」
気づけば、宇宙服内の空気残量が低下していた。それに、空気量の低下が原因で酸素の混ぜ込みがうまくいっていない。このままでは、数分ももたない。
「…」
パニックになりそうな状況。しかし、それを許さない現状。焦りのようなものが、じんわりと背筋に寒気を伝えてきた。
とはいえ、すでにパニックを起こすほどの体力は残されておらず、体の動きだけは妙に落ち着いている。
「…く」
スラスターが止まる気配はない。時間もない。
ならもう、取る手段はひとつしかない。
このまま、あの宇宙船に自らを誘導し突っ込む。接触さえすれば、衝撃は宇宙船が吸収してくれる。コンピュータによる制御はない。すべて手動と目視だ。
スラスターによって徐々に加速していく体。そして、加速度的に距離を縮めてくるスペースポッド。ゼロコンマ一秒の判断ミスが、すべてを台無しにしかねない。おそらく、一度逃したら、もう未来はない。
「…すー」
小型ポッドは、そこまで大きな代物じゃない。全長5メートル程度で、人間2人がギリギリ入れるかどうかといったものだ。ぶつかることができる面積も、そう多くない。
集中する。この数秒に。
直後。ドゴォと鈍い音を立てて腹部に鉄の塊がジャストミートした。速度差は30km/hほど。この広大な空間の中に限って言えば、それは極めて同速に近いといえるが、生身の体からしてみれば、市街地で軽自動車が突っ込んできたレベル。
貴重な空気を吐き出してしまうほどの、とてつもない衝撃だ。もしかしたら、骨も折れているかもしれない。めちゃくちゃに痛い。だが、そんなことを言ってる場合でもない。
即座に作業用マグネットを貼り付け、命綱をつける。あとは、コックピットを開いて中に入ればいいだけだ。スラスターで空気を消費し続けているせいで、徐々に頭がくらくらとし始める。酸素が薄いのだ。
非常用ノブをこじあける。中には、予想通りカルロー宇宙連合の軍服を着た軍人が入っていた。口から泡を吹いた状態で事切れている。無重力の空間が、その泡をいつまでも彼の口にまとわせていた。
すまない、と心の中で告げながら、彼の体を宇宙空間へと放り出す。星まで戻って埋葬してやりたいところだが、あいにく今の俺にそんな余裕はない。すぐに、ハッチを閉じて酸素を補給しなければ。
強化アクリルの分厚いハッチを閉じると、すぐにプシューと空気が充填される音が。ヘッドアップディスプレイには、呼吸をして問題ない数値が検出されている。
「っは…ぁ…はぁ…」
船室内に漂う死臭。そんなものは気にもならないほど、俺は人工物とシートの感触に安堵感を抱いていた。
宇宙放浪生活 @matorix
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