第3章 空駆けるもの ⑥

 トゥスクが消えてしまった。文字どおり、霧散するように消えてしまったのだ。

「シーヴェン! トゥスクが!」

「分かってる!」

 ティテは彼がいた場所に顔を埋めて背を震わせていた。サンカリは一刻も早くティテのところへ駆けつけたかった。しかし、黒い飛行艇からの砲撃のせいで近づくことが出来ない。シーヴェンはティテのいる塔に着地しようしては、砲弾の雨に阻まれて遠ざかることを繰り返していた。

 黒の飛行艇からは、通常の砲弾の合間に稲妻が落ちてきた。稲妻は中央の奇妙な形の砲台から繰り出されている。あれが竜を殺す機械だろう。シーヴェンは他の砲弾にぶつかってでも雷撃を回避することを優先していた。翼や尾で砲弾を払う度にバランスが大きく崩れて、サンカリは何度も彼の背中から落ちそうになった。

「くそ! 攻撃が激しい!」

 何度目かの離脱のあと、シーヴェンが毒づいた。

 雷撃の間隔が短くなってきていた。他の砲撃もただ撃つのではなく、シーヴェンの進行ルートを妨害し、雷撃の着弾点に誘導しようとしている。

 このままでは、いずれ追い詰められる。

「シーヴェン! ティテのいる塔の真上まで行ける?」

「駄目だ! 止まったら狙い撃ちにされる!」

「止まらなくて良い!」

 ティテだけでも救わなければならない。彼女を助けるには今、動くしかない。迷っている暇はない。サンカリは覚悟を決めた。

「……分かった。やってみる!」

 シーヴェンは何度も急旋回し、飛行艇の照準を欺くために無謀な滑空を繰り返した。竜の結界に守られているはずのサンカリの体も、シーヴェンが激しく動く度に同じ方向に揺れ動いた。日課の空の散歩では決して感じることのない横向きの負荷がサンカリに襲いかかり、シーヴェンの尋常ではない運動量を否応なしに実感させる。

 塔が近づいてきた。うずくまるティテの背が大きくなってきた。速度を緩めれば、たちどころに雷撃の餌食になる。チャンスは一瞬しかない。

 塔の真上に差しかかった。

「シーヴェン、あとは頼む!」

 サンカリは竜の背から飛び降りた。

「わああああ!」

 思わず声が出たが、舌を噛むと思い、すぐにぎゅっと口を閉じた。着地する。受け身はうまく取れなかった。尻をひどく打ったが、なんとか辿り着いた。

「痛てて」

「サンカリ!」

 ティテは空から降ってきたのがサンカリだと分かると、抱きついてきた。彼女は自分の体を掻き抱くようにがむしゃらにサンカリにしがみついた。

「トゥスクが! トゥスクが!」

「分かってる。遅くなって、ごめん」

 サンカリはティテを抱きしめ、その金色の髪を撫でた。塵や埃や砂礫を浴び続けた彼女の髪は、その美しい色とは対照的にざらざらとした粗い質感をしていた。

「とにかく、逃げよう」

「でも──」

 サンカリの提案にティテは視線を泳がせて逡巡するような素振りを見せた。未だにトゥスクの温もりが残っているような気がするこの場所からは如何とも離れがたいのだろう。しかし、時間と上空の黒い鯨は二人を待ってはくれなかった。

 黒い飛行艇の砲門の一つが、サンカリたちのいる塔へと狙いを定め、火を噴いた。

「わあ!」「きゃあ!」

 塔の縁に着弾した。建材の煉瓦が弾け飛び、細かな残骸となって辺りに飛び散った。先ほどまではすべての砲弾を弾いてくれたトゥスクはもういない。二人を守ってくれるものは何もないのだ。途轍もない熱波と爆音が二人を襲い、その衝撃で二人は倒れ込んだ。

「ティテ、しっかり!」

 サンカリは這ったままティテに近づき、華奢な体を抱き起した。彼女は気を失っていた。肩を揺さぶっても、目を閉じたまま小さく呻くだけだった。

 サンカリは空を見上げた。真っ黒な鯨の下腹部に生えたいくつもの砲塔が鈍重な動きでサンカリに狙いをつける。もう間もなく次の弾丸が発射されるだろう。それはすなわち、死を意味している。

 サンカリはティテの肩を抱いて立ち上がらせた。残念ながら時間がない。ここもいつ砲撃されるか分からない。

「行くよ、ティテ」

 返事のないティテの脇の下と膝の裏に手を差し込み、抱きかかえた。

 サンカリは砲撃で崩れかけている塔の縁に立った。シーヴェンが遠くで旋回し、再びこちらに近づいてきていた。急降下し、地面すれすれを猛スピードで飛ぶ。彼はサンカリが何をしようとしているのか分かってくれているようだった。

 サンカリはシーヴェンにあとを頼んだのだ。彼がサンカリに頼んだのと同じように。シーヴェンにはサンカリの意図が通じているはずだ。絶対に。竜を殺す機械がシーヴェンを狙っているこの状況で、サンカリたちを救い出すにはこの方法しかない。サンカリはシーヴェンを信じていた。シーヴェンが心のままに為すことが、サンカリのためになるものであるはずだ。

「シーヴェン!」

 サンカリは友の名を呼び、ティテを抱きしめたまま、半壊した床を踏み切って跳んだ。

 直後、背後で着弾による爆発が起きた。

 真っ逆さまに落ちる。地面が猛烈な勢いで近づいてくる。

「サンカリ!」

 シーヴェンが自分の名を呼ぶのが聞こえた。気づいたときには、二人の体は竜の背に受け止められていた。

 シーヴェンは再び急旋回。空を支配する竜の雄々しさを以て火薬と灰煙に塗れた黒い空を駆けた。

 激しい雷撃と砲撃が浴びせられる。

「当たるものか!」

 シーヴェンは最後の力を振り絞り、限界を超えた速度を叩き出した。

「このまま離脱する!」

 竜は追撃を振り切り、黒の飛行艇の影を振り払い、廃墟と化した砦から飛び去った。

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