紋章なき魔王と王都の試練
「ゼノス!あんた、ちょっとこっちへ来な!」
ゼノス(ヴァルザーク)が、六人目の勇者としての熱烈な歓迎にうんざりし、どうにかギルドから姿をくらまそうとしていた矢先、大柄な体躯を持つギルドマスターに大声で呼び止められた。
「…なんだ、用件は手短に願おう」
ゼノスは、人間相手とはいえ、常に魔王としての尊大な態度を崩さないように努めた。
「ったく、態度のでかいルーキーだ。まあいい。まだ六人目の勇者は公にされていない。あんたにはまず、教会の神官が付き添って王都へ行ってもらう。そこで王様に謁見し、勇者の紋章を見せて、正式に任を受けるんだ」
「勇者の紋章」。その言葉を聞いた瞬間、ゼノスの心臓が止まるかと思った。
(勇者の紋章だと!?何だそれは!? そんなもの、召喚された覚えのない私にあるわけがないだろう!紋章など、魔族側からは一切確認されていない代物だぞ!)
ゼノスは顔色一つ変えなかったが、心の中では絶叫していた。これは完全な想定外。潜入が始まってから、誤算と焦燥の連続だ。
ギルドマスターは、ゼノスの返事を聞く前に、既に待機していた一人の神官を伴ってきた。優しげな顔立ちの、初老の男性だ。
「こちらは教会から派遣されたリエル神官だ。道中、王都までの護衛と案内役を頼む。さあ、時間がない。すぐに出発だ!」
有無を言わさぬギルドマスターに押し出されるように、ゼノスとリエル神官は王都へ向かう馬車に乗り込んだ。
「ゼノス様、お初にお目にかかります。リエルと申します。さぞかしお疲れのことでしょう。しかし、六人目の勇者様が加わるという朗報に、王様もさぞお喜びのことと存じます」
神官の穏やかな言葉も、ゼノスの耳には入らない。
(紋章、紋章、紋章!どうする!?私の本体である魔王城にはそんな代物はない!もし、紋章を出す段になって『知らない』と言えば、一発で偽物だとバレる!そうなれば、私は王都のど真ん中で敵に囲まれることになる!)
王城に到着したゼノスは、そのまま謁見の間に通された。豪華絢爛な玉座に座る王と、左右に並ぶ廷臣たち。
「面を上げよ、六人目の勇者よ!」
王の威厳ある声が響く。しかし、魔王であるゼノスにとって、人間の王など畏怖の対象ではない。ゼノスは、警戒と焦りからくる苛立ちを隠すこともできず、玉座の前の絨毯の上に立つと、ふんぞり返って腕を組み、不遜な態度で王を見下ろした。
(クソ、これ以上、人間どもの指図は受けん。もし紋章の件で何かあれば、この王を人質に取るか、その場で滅すれば良い。そして、魔王軍を呼び寄せ、この王都を一気に…!)
内心でそんな恐ろしい計画を立てながら、ゼノスは冷や汗を拭い、王に低い声で告げた。
「…用件は何だ。長話は好かん」
王と廷臣たちは、ゼノスの想像とは裏腹に、その不遜な態度を咎めなかった。むしろ、「さすがは伝説の勇者、一般の礼儀などにとらわれない規格外の豪傑だ!」と感嘆の視線を向けてくる始末。
「うむ!その心意気、まことに頼もしい!さて、勇者ゼノスよ。他の五人の勇者と同様、勇者の紋章を我々に見せ、その力を証明してもらいたい。それが、正式に王国の庇護のもとで活動する証となる!」
「紋章」。再び聞かされたその言葉に、ゼノスは全身の血の気が引くのを感じた。
(いよいよ、逃げ場がなくなった。どうする、ヴァルザーク…!?)
ゼノスは、王の前でふんぞり返ったまま、顔は平静を保ちながらも、内心の焦燥と不安から、その後の行動を必死で模索するしかなかった。
王の「勇者の紋章を見せよ」という厳命に、ゼノス(ヴァルザーク)の心臓は激しく波打った。逃げ場はない。バレれば即座に魔族だと露見し、人間界の中心で集中砲火を受けることになる。
(このままでは終わる!ならば…!)
彼は一瞬で決断した。魔力制御を極限まで精密にし、自身の右手の甲に微細な魔法陣を展開させた。
「待たれよ、王よ」
ゼノスは低い声で威厳を保ち、右手の手のひらを王の前に突き出した。
魔法陣は、極小の魔力で描かれた、言わば即席の落書きだった。黒いインクにも似た魔力で円を描き、その中央に、どこか気味の悪い一つ目の瞳を雑に描き込んだ。
「これこそが、私の『勇者の紋章』だ」
ゼノスは内心で「苦しい、苦しすぎる…!」と叫びながら、これが世界を統べる魔王の紋章だと、大真面目に宣誓した。
王と廷臣たちは、その奇妙な「紋章」に一瞬息を呑んだが、すぐにざわめきが起こった。
「な、なんだあの紋章は…他の五人の勇者とは全く違う」
「瞳…?底の見えない、恐ろしいほどの深淵を感じるぞ」
「さすがは六人目の勇者様だ!他の紋者とは一線を画す、格の違いを感じる!」
誰もゼノスの紋章を偽物だとは疑わなかった。むしろ、その異質で不気味なデザインが、他の勇者にはない「伝説級の力」の証だと、勝手に解釈し始めたのだ。
ゼノスは内心で安堵の溜息をついた。
(よし、騙せた!やはり人間など愚かなものだ。この場さえ乗り切れば…!)
ゼノスがこの危機を乗り切ったと確信した次の瞬間、玉座の王が声を上げた。
「うむ!見事な紋章だ、勇者ゼノス!その紋章に込められた力がどれほどのものか、我々に見せてくれるか!控えよ!」
王が合図を送ると、謁見の間の奥から、先だって召喚された五人の勇者のうちの一人、大剣を背負った少年が前に進み出た。彼はゼノスを尊敬の眼差しで見つめている。
「勇者ゼノスよ。早速だが、我が国の騎士団に模擬戦を申し込むよりも、同じ勇者同士で相対する方が、お互いの実力を最もよく把握できるだろう!そこの勇者と一戦交え、その『格の違い』を我々に見せてみよ!」
王は楽しげに告げた。
「な…に…!?」
ゼノス(ヴァルザーク)の表情は凍りつき、心臓は爆発寸前まで高鳴った。
(模擬戦だと!?この私に、他の勇者と戦えと!?もし本気を出せば、一瞬でこの勇者を消し炭にしてしまう!かといって手を抜けば、格の違いどころか『勇者のくせに弱い』と、即刻偽物だと露見するではないか!)
魔王は、自分が討伐に来たはずの勇者と、真剣勝負を強いられるという、二重の絶望に直面した。焦燥と絶望が、玉座の間を満たす静寂の中で、魔王ゼノスの心臓を打ち続けた。
王の命により、ゼノス(ヴァルザーク)は目の前の若き勇者と相対することになった。勇者の名はカイト。大剣を背負い、真摯な眼差しでゼノスを見上げている。
「ゼノス様!お手合わせ、光栄です!全力で参ります!」
カイトは剣を抜き、戦闘体勢に入る。一方、ゼノスは腕を組んだまま微動だにしない。
(仕方ない。この勇者を一撃で消し炭にするわけにはいかない。だが、手加減しすぎてもダメだ。魔力で周囲を威圧し、相手を萎縮させる。そして、こちらの力量を悟らせた上で、適当なところで降参させるか…)
ゼノスは瞬時に戦術を組み立て、無意識のうちに抑え込んでいた魔王のオーラを僅かに解放した。それは、威圧を通り越した、生物の生存本能を揺さぶる「存在の重み」だった。
カイトは、ゼノスが微動だにしないにも関わらず、一歩も前に踏み出せずにいた。大剣を握る手が震え、その額には冷や汗が滲んでいる。
「な、なんだ…このプレッシャーは…」
カイトは、模擬戦を観戦している王や廷臣には聞こえない声で、震えながら呟いた。
「まるで、人の枠を超越している…!剣を握る意味がない…!こんな人と戦ったことはないぞ…!」
カイトは、ゼノスから発せられる本能的な恐怖感を、「勇者としての圧倒的な練度と強さ」だと誤解した。
「ゼ、ゼノス様…!あなたは、もしやあの魔王すら相手にできるかもしれません…いえ、できますよ!」
その言葉を聞いたゼノスの心の中で、大きな悲鳴が上がった。
(そりゃそうだよ!!俺、魔王だもん!! お前らが倒そうとしている本物だ!この威圧感は、ただの魔王の覇気だ!)
ゼノスは激しい自己ツッコミを心の中で連発したが、顔には一切出さず、あくまで冷静沈着な、達人の表情を保ち続けた。
勇者カイトは既に戦意を失いかけている。ゼノスはここでダメ押しをする必要があると判断した。彼は、不遜な態度をさらに誇張するように、一歩踏み出し、低い声で威圧的に告げた。
「ふむ…貴様もやるではないか」
(何もやってないのに、何言ってんだ俺!? 私はただ立っていただけだ!むしろ、やるべきは私だ!早く適当な技を出して終わらせなければ!)
内心の叫びを必死に押し殺し、ゼノスは冷酷な覇王の演技を続行する。
「だが、この程度では、王国の期待に応えることはできんぞ。力を込めろ、カイト」
「は、はい…!」
カイトは魔王の言葉を真に受け、大剣に渾身の魔力を込めるが、ゼノスの前では踏み出すことすら叶わない。
(まずい、このままでは本当に何もせずに終わってしまう。どうにかして、適当にすごい技を出して、威厳を保ったまま終わらせる方法を…!)
ゼノスは、目の前の勇者の実力(そして自分を魔王と見抜けぬ愚かさ)を測りつつ、どうやってこの絶体絶命の状況を「勇者としての勝利」で終わらせるか、必死に頭を回転させるのだった。
ゼノス(ヴァルザーク)がどうにか「適当にすごい技」でこの模擬戦を終わらせる方法を模索していると、周りの神官たちがざわめいた。
「おお、勇者カイトが動いたぞ!」
「あれは…カイトの必殺の構え!『昇竜斬』の準備だ!」
神官が興奮気味に叫ぶ。その声を聞き、ゼノスの心の中でまたしても悲鳴が響いた。
(なるほど、ってさっそく必殺技使うのかよ!? 必殺技!?そんな大げさなもの、私の一撃を食らったら本当に消し飛ぶぞ!おい、加減しろ!加減を!)
ゼノスは慌てて対処を考え始めた。相手の必殺技を無傷で受け止めつつ、怪我をさせずに吹き飛ばすには、魔力の盾で受け流すか、空間転移で背後に回るか…。
(怪我は絶対にさせられない。だが、ここで逃げ腰になれば偽物だと疑われる。どうする…!)
ゼノスが最適な対処法を迷い、わずかに魔力を集中させた、その瞬間だった。
必殺の構えを完了したカイトが、「うおおおお!」という雄叫びと共に、剣を振り上げながらゼノス目掛けて飛び込んできた。
その瞬間、ゼノスが全身に集中させていた微細な魔力の制御が、勇者の突進という刺激によって、ほんの一瞬だけ、緩んでしまった。
ドォン!
それは、ゼノスの体から放出された、ほんのわずかな「存在の重み」に耐えかねた周囲の空気が、急激に圧縮・爆発した音だった。ゼノスは何も攻撃していない。ただ、強大すぎる魔王がそこに「立っていた」という、それだけの事象が生んだ衝撃波。
「ぐわああっ!」
カイトは、ゼノスの体に剣が触れることもなく、目に見えない強大な力によって弾き飛ばされた。王城の頑丈な壁に激突する寸前、リエル神官が咄嗟に光の結界を張り、カイトは無傷で床に叩きつけられた。
ゼノスは、無傷のカイトを見て、心の中で焦りと安堵が入り混じる。
(いけたか!? いや、やってしまったか?威圧だけで吹き飛ばすとは、私としたことが…!しかし、怪我はさせていないようだ。なんとか…なんとか誤魔化せるか?)
ゼノスが心の中でドキドキしながら周囲を見回すと、王をはじめとする廷臣たちは、皆、感嘆の表情を浮かべていた。
「…素晴らしい」
「何という、人知を超えた技だ!」
そして、王の隣に立つ老練な騎士団長が、興奮を隠しきれない声で叫んだ。
「まるで、魔王のように圧倒的で、その存在そのものが力だ!勇者ゼノス殿は、他の勇者とは格が違う!魔王討伐は、この方にかかっている!」
「魔王」!?バレてる!?
ゼノスの心臓が、今度こそ本当に止まった。
(魔王!?バレてる!?やば!?バレてるよね!? なんで今、私の正体を知っているかのような言葉を!?やはりあの紋章は不気味すぎたのか!?それとも、この衝撃波は魔王特有の魔力だったのか!?)
ゼノスは、表情一つ変えずに立ち尽くしながら、内部では極度のパニックに陥っていた。
しかし、王は彼に疑いの目を向けることなく、ただただ満足そうに頷いた。
「うむ!六人目の勇者として、その力、存分に見せてもらった!見事である、ゼノス勇者!六人目の勇者として、心からよろしく頼むぞ!」
王は満足そうに謁見を締めくくり、その場で解散を命じた。
(…え?終わった?バレてない?ただの、最強の勇者として、褒められただけ…?)
魔王ゼノスは、混乱と疲労で思考停止寸前になりながらも、なんとかその場を立ち去り、勇者としての活動拠点へと向かわされることになった。魔王を倒すための勇者の一員として。
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