第8話 究極の選択

布袋エリア、沼乃探偵事務所……


「ああ、もう最悪! 助手くん候補を見逃すわ、事務所は派手に荒らされるわ!」


あかりはいら立った様子で、ほうきとちりとりを手にガラス片を片付けていた。


「片付け終わったら、マナリーグ本部に乗り込んでやる! で、あの助手くんを返してもらうんだから!」


「あの、所長……確かに彼は最強の風使いとうわさされてますが、わたしにも所長にも負けましたよね。

本当に最強なんですか?」


フレイヤは掃除を手伝いもせずに、呑気に緑茶をすすりながら尋ねた。


「ガセネタつかまされてるんじゃないですか? あの人いいやつだとは思いますが、本当にうちにスカウトする価値あるんでしょうか?」


「あるよ。あたし、あの子と戦った時にびびっと来たんだ!

絶対に強い。あたしたちが勝てたのは、多分――」


その時だ……ドアのチャイムが鳴った。


「はーい」


あかりがほうきをその場に置いて、入口の方にぱたぱたと歩き出す。

フレイヤはふと出口の方を見て、口を切った。


「所長、何かおかしいです。開けない方がいいかも」


その警告は聞こえず、あかりは堂々とドアを開けた。

そこには、派手な柄シャツの金髪の男が立っていた。


「やあ。こんにちは、探偵のお二人さん。

ちょっとお二人に手伝ってほしいことがあってね……簡単なことだよ」


風の四天王・百々島鮫明は――口が裂けるくらいに大きな笑みを浮かべた。

それからすっと表情が冷たく変わり、ナイフをあかりに突き付けた。


「今から命乞いしてもらいたいんだよ」



――同時刻、マナリーグ本部。夕方になり、窓から差し込む光で辺りは真っ赤に染まっていた。

マナリーグプログラムに参加するための書類が、妖霧の前に置かれていた。


「急がせてすまないが、今返事してもらおう。風の四天王に入るチャンスは、今しかないんでな」


焔太郎は妖霧の前に高級なペンを置いて、そう言った。


「とはいえ、3枚の書類にサインするだけだ。そこまで時間もとらないだろう?」


妖霧はまだ迷っていた……確かにマナリーグで風の四天王になるのが、一番楽で最高の学園都市ライフを過ごせるだろう。

金にも、住むところにも、名誉も異性にも困らない。

だが……本当にそれでいいのだろうか? ちくちくと違和感が胸を刺す。


「本当に今サインしないとだめか? もう少し、考える時間をくれたっていいじゃないか」


「お前はいちいちスマホのアプリをダウンロードする時、契約書読むか?

読まないなら、この参加契約書だって同じじゃないか」


それに、と焔太郎は続けた。


「外の世界でやって来たことと、何が違うというんだ?

おれたちは戦って死ぬものだと思ってた……それが今、こうして生きている。

今いい思いをしたって、罰は当たらないだろう?」


何か言おうとして、妖霧は黙り込んでしまった。

自分と師匠の念願とはいえ、さんざん人を攻撃して、不幸にした……妖霧の中では「大悪党」という自覚があった。

彼はここにきて、すっかり迷っていた。

頭にちらつくのは、あの二人の少女の姿……自分があっさりと敗北して、屈辱を味わったあの探偵事務所の二人。


ああもう、何で余計なことを?

妖霧が自分の迷いにいら立っている時だった――


その瞬間――妖霧のポケットが震えた。

ふとスマホを取り出すと、着信があった――「非通知」。


「……電話に出てかまわん」


焔太郎が、妖霧に聞かれる前にそう答えた。


妖霧は通話ボタンを押すと、スピーカーから、いやに軽い声が響く。


『こんばんは、馬尾妖霧さん――おれだよ、百々島。風の四天王の』


声の主を知り、妖霧はますます表情をこわばらせた。



『時間もないし、お互いスマートに交渉しようや。

風の四天王の座――今すぐ、あきらめてもらえないか?』


妖霧は焔太郎、同席している刀真に目をやった。

焔太郎の方は表情一つ変えず、刀真の方は慌てふためいている様子だった。

妖霧はもう一度机に目を戻し、話を続けた。


「あきらめるとは、どういう意味だ?」


『あんたが風の四天王になったら、おれの立場がなくなっちまうんだ。だが実力じゃあんたに勝てないのは、この前襲撃してわかったよ。

だから、あんたが風の四天王を辞退しやすいようにこっちで準備しておいたのさ』


「……準備だと?」


『あんた、沼乃探偵事務所の二人と仲がいいらしいな。

確かにかわいい子たちだよな……顔の皮をはがしてやったら、どんないい声で鳴くだろうな?』


その瞬間、どこかでガラスの割れる音がした。

通信の向こうから、確かに聞こえる。

あかりの声。フレイヤの叫び。


『おれの部下も、早くこの二人とやり合いたくってたまらねえってさ。あんたもこっち来て、一緒に楽しもうぜ』


「……どこにいる?」


努めて冷静に振る舞っていたが、妖霧の声がひどく震えた。


『沼乃探偵事務所だよ。

あんた一人で来いよ……約束を破ったらさ、おれもう我慢できないかもしれねえわ!

ふふふ……一時間以内に来い。さもなきゃ、お前抜きではじめるからな』


ブツン、と通信が切れた。

焔太郎は眉一つ動かさず、低くつぶやく。


「あの野郎……百々島の暴走だ。気にするな、やつの最後の抵抗だろう」


そう言って、焔太郎は立ち上がった。


「やつがやらかしたおかげで、風の四天王から格下げするにはいい機会になった。

すぐ近くの地団駄団を助けとしてよこす。だからお前はここで、サインに集中しろ」


「相手は風の四天王だろ。地団駄団ごときで、何とかなるのか?」


戦ったことのある百々島と地団駄団の鍛冶山を思い浮かべ、妖霧は反論した。


「心配するな……10万人のマナ使いのうちの、2

探偵事務所のことは、きっぱり忘れるんだな」


焔太郎ははっきりと告げる。


「兄弟……悪いが、行かせてもらうよ」


妖霧は静かに立ち上がった。


「売られたケンカ、放置できるほど人間できてないんでな」


「やめておけ。お前が行ったところで、もう手遅れだ。

そいつらは餌だ……百々島はお前を誘い出して殺す気だぞ、妖霧!」


「だとしたら――余計に行かないとだよな」


引き留めようとする焔太郎に、妖霧は告げた。


「風マナ使い最強のおれをなめたら、どんなことになるか……思い知らせてやる」


風が床を裂き、赤いカーペットが宙を舞う。

焔太郎が目を見開くよりも早く――妖霧の姿は、完全にかき消えていた。


陰の気配。完全発動。


「……行っちゃいましたね、妖霧の兄貴」


刀真がうれしさをにじませて、焔太郎に言った。


「やっぱり兄貴は、ケンカ売られて黙ってるような人じゃないですよ。

百々島のやつ、生きてりゃいいですね……ひひひ」


そう言う刀真の目には、妄信という名の「狂気」が宿っていた。



マナリーグを飛び出し、まっすぐに布袋エリアへと向かう。

空を裂き、マナ使いひしめく夜の都市を駆け抜ける風……馬尾妖霧。

彼の気配を察知できる者はいない――まさに妖霧は、静かに殺すための風へと化していた。


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