第27話

 深夜の峠を駆け下り終え、二台はスタート地点の駐車場へ戻ってきた。

 冷えた空気が、火照った車体を静かに撫でていく。


 先に戻ったS13がヘッドライトを落とすと、闇がその赤いボディを包み込む。

 少し遅れてエボⅨが隣へ滑り込み、タービンの名残を震わせながら静止した。


 ミオは二台の接近を確認すると、わずかに目を見開き――すぐに平静へ戻った。

 驚きはある。

 だが、取り乱すほどではない。

 勝負の行方を冷静に受け止めるのが、彼女のスタイルだった。


「……本当に、負けたんですね。レイナさんが」


 淡々とした声。

 だが、その裏にはわずかな驚愕と、理解し難い何かが滲んでいた。


 エボⅨのドアがぎこちなく開き、レイナが降り立つ。

 ヘルメットを外した彼女の表情は、悔しさと混乱がないまぜになった複雑な色を帯びていた。


(……負けた。私が……負けた?)


 自分の腕を信じていた。

 マシンにも、ラインにも、判断にも。

 なのに、S13はそのすべてを“越えた”。


 レイナは拳を握り締め、路面を見つめたまま言葉を失う。


 一方のホムラも、静かに車を降りた。

 膝に手をついて深く息を吐く。勝ちはしたが、ぎりぎりだった。

 心臓はまだ激しく脈打っている。

 勝った――その実感が、現実に変わるまで数秒かかった。


(本当に……速かったな、レイナ)


 疲労と安堵が同時に押し寄せ、ホムラは額に手を当てた。


 二人の視線が交差する。


 沈黙のあと、先に口を開いたのはレイナだった。


「……納得いかない。正直、めちゃくちゃ不服よ」


 険しい目つきのまま、だが逃げずにホムラを正面から見る。


「でも……負けは負け。

 約束は守るわ。あなたの走りに、今後口は出さない」


 その潔さに、ホムラはわずかに目を見開いた。


「そうか。……アンタ、律儀だな」


「当然でしょ。一応プロの端くれよ、私は」


 その言葉にフっと笑い、ホムラは右手を差し出した。

 

黒瀬くろせ ホムラだ。――レイナ。アンタ、速かったよ」


 レイナは一瞬だけ鼻を鳴らし、力を抜いて微笑んだ。


「ホムラ、あなたもね。…やっぱりサーキットに来なさいよ」


 二人は強く手を握り合う。

 その瞬間、互いの技量と気迫を認めあったことだけははっきりした。


 ◆ ◆ ◆


「……それで? もう一つの要求って、何なの?」


「……ひとつ、頼みたい事がある」


 ホムラの声は、さっきまでの戦闘的な音色ではなかった。

 もっと静かで、重くて、触れたら切れそうなほど繊細な響きだった。


「“峠の女王”……私の姉の事故のことを、サーキット――プロ側の人間から聞ける範囲で、探ってほしい」


 その一言で、レイナとミオが同時に顔を見合わせる。


「姉……?」


 ミオが小さく息をのむ。

 レイナは一瞬だけ言葉を失い、唇を結んだ。


 そして――バツの悪そうにため息をついた。


「……あたし、何も知らずに……好き勝手言ってたわけね。

 影狼が“危ない走り”なんてしてる理由も知らないで……」


 レイナのその様子に、ホムラは首を横に振る。


「気にしてない。むしろ……アンタらのおかげで、プロの世界に伝手ができた。

 それは、正直ありがたいと思ってる」


 ホムラが、微笑んだ。


 レイナが目を丸くする。

 ミオは腕を組み直し、ふっと小さく笑った。


「……そういう事情なら、わたしも協力します。

 なんならレイナより伝手が多いですし」


「ちょっとミオ、それどういう意味よ」


「そのままの意味ですよ。人望とか、ね」


 ミオの淡々とした冗談にレイナがむっとするが、すぐに笑みへ変わった。


 その空気を前に、ホムラは胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じていた。


 深夜の冷たい空気の中――

 峠で生まれた勝負は、奇妙な連帯を生み、そしてようやく“本当の目的”へ繋がり始めた。

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