第1話 雨の夜のボロアパート

雨の日の工事現場はなかなか辛いものがある。

 今日は夜間出勤だから、ヘルメットにライトを装着し、冷たい雨と、汗と、土埃にまみれになりながら俺は黙々と作業を続けた。

「おーい、一ノ瀬!そこ済んだら、次こっち固めろやー」

「あいよー」

 俺は、ランマーを運び、両手でハンドルを持って身体全体でバランスをとりながらドンドンッ!ドンドンッ!と上下に跳ねながら地面を叩き固めていった。

 雨は小降りになったり止んだりして、路面が乾く事は無かった。11月の夜はだいぶ冷える。夜も深くなると、身体の熱も相まって吐く息は白くなってきた。


 ――あー!しんど!!

 ボロアパートに帰ったのは早朝5時半を過ぎていた。

 仕事が終わっても冷たい雨は降り続けていた。

 コンビニで買ったカップラーメンを床に投げ、ブルッと身震いし、ベットにすぐ飛び込もうとしたが、自分の身体の汚なさに気づき、チッ!と舌打ちをして上着を脱いだ。そのままシャワーを浴びて、バスタオルを巻いたままベットに飛び込んだ。……もう寝る。あー、もう、このまま寝てしまえ。疲労が押し寄せ、空腹よりも眠気が勝利した瞬間だった。


 ピンポーン。ドンドン!ドンドン!

 ピンポーン。

「すみませーん!」

 部屋のドアを叩く音で目が覚めた。

 ゆっくり起き上がり、時計を見ると、10時を過ぎていた。

 ヤベ!あのまま寝てしまったのか。身体が冷え切って冷たくなっている。ブルブルっと身震いし近くのパーカーを着てジーンズを履いた。なんだか身体が重く感じた。

「すみませーん!いらっしゃいませんかー?」

 外で男の声がする。

玄関の前へ行き、ドアスコープを覗いて見ると、知らない顔だった。

「どちら様ですか?」

 ドアを開ける前に尋ねてみた。

「あ、私、K商事の小高と申します」

 名前を聞いてドアを開けた。

 そこに立っていたのはスラッと身長が高く、派手ではないが、整った顔に影を落とす前髪、結ばれた唇の端にかすかな余裕の表情。片手にはA4サイズの資料が沢山入るであろう黒のバックを持っていた。

ただその場に立っているだけで、自分とは全く逆の空気感を放つ男だなと感じた。

 「お忙しい所、申し訳ございません。ちょっとお尋ねしたいことがございまして。」

 悪びれるでもなく、淡々と話し始めた。

「こちらの物件、間も無く取り壊しとなりますが、この101号室と105号だけがまだ入居中でして、先ほど、105号の方とは、明後日引っ越すと言う話をしてまいりました。」

「え⁉︎取り壊し?」

「すみません、勝手ながらポストを拝見させていただきました。郵便物がだいぶ溜まってましたので、もしかしたら取り壊しを知らなかった可能性もあると思い、訪問させていただきました。」

 男は気の毒そうな顔をして少し申し訳なさそうに眉間に皺を寄せて話した。

「取り壊しが決まったのは2ヶ月前でして、住民の方々にとっては急な通知で大変申し訳ありません。」

 男の手には3通の封書があった。どれもアパートを取り壊しに関する通達封書であった。

 しまったー。毎日、仕事に追われて郵便受けを確認していなかった。郵便受けはいつも、どこかのチラシや勧誘ばかりだったから、自分に届くものは何も無いとそのままにしていた。

男から通達を受け取って読んでみる

「…………!……え⁉︎11月30日までに空け渡し⁈……まじ?あと1週間しかないって事?」

「そうなりますね」

 同情と困惑が混ざったような顔で頷く。

身体から力が抜け、よろめいた。男が「おっと!大丈夫ですか?」と俺を支えた。

「あの……一ノ瀬さん、とても熱いですが、もしかして熱あるんじゃないですか?失礼」

 と、俺の額に手を当てた。

「はぁ」

 気のない返事を返した。

「ちょっと、失礼いたしますね。」

 俺を支えながら男は玄関に入って来た。

 バタン!と扉が閉まる音が響いた。

 あーーまずい。シャワー浴びてそのまま布団もかけずに裸で寝てしまったから風邪を引いたようだ。朦朧として来た。アパート取り壊し?1週間で空け渡し?頭の中でその言葉が反芻されていた。


 *


 目が覚めて時計を見たら16時になっていた。相変わらず身体は重いが、暖かい。そっと起き上がり額に手を当ててみる。額には冷えピタが貼ってあり、布団がかけられていた。エアコンも付いていた。ベット脇の机には、ミネラルウォーターと風邪薬、それにオレンジジュース、ヨーグルトやゼリーなどが置いてあり、俺が早朝買って投げっぱなしだったカップラーメンは台所に丁寧に置いてあった。

 ミネラルウォーターの下に名刺と置き手紙があった。

 (勝手に部屋へ入ってすみません。ふらふらしていたのでベットまで運びました。少し何か召し上がって、お薬を飲んでゆっくり休んでください。玄関にあった部屋の鍵はポストの奥に置いておきます。 また伺います。    小高 亮介 )

 薬の箱が開いている。俺、薬飲んだのか?熱で朦朧としてたからか、記憶が無い。考えながら無意識にそっと唇を触っていた。

 

 ――――その夜、しっかり寝たおかげか、薬が効いたのか夜勤の仕事には何とか行けるようだ。

 見ず知らずの男に世話になってしまい、情けないような、バツが悪いような思いだったが、あの部屋を1週間でで出なくてはいけない事の方が重大で頭がいっぱいだった。実家に世話になる訳にはいかない。実家はすでに兄貴が結婚し、奥さんと子ども2人が暮らしている。

 俺は、あんな形で家を出たのだから、元より実家を頼るのは無駄だった。


 「おーい、一ノ瀬!このラインまで掘っといて!」

 と指示されて、スコップとツルハシを使い分けて交差点信号脇の歩道の掘削、整地作業をまかせれた。重機が入れない狭い場所では特に新人の出番だ。これが、冬は夜に地面が凍ってたりするとなかなか掘れない…。


  街は、寒くなるにつれ、煌びやかになっていく。クリスマスの装飾で歩いている人々も寒いのに表情は豊かだった。信号が変わり、車が停まった。


 何となく停まった車の運転席に目をやる。運転席には今朝、うちに尋ねて来たアイツ、名前なんだっけ?りょう何とかと書いてあった気がする。助手席には、女が座っていた。明らかに年上の女は、派手な黒のスーツで耳にぶら下げた大きなイヤリングが何とも都会的だった。女の赤い爪が亮介の胸あたりをなぞってるのが見えた。


 俺はツルハシを上に上げたまま、亮介を見ていた。時間にすればほんの1〜2秒ほどだと思うが、2人の全容を見た気がした。

 亮介は困ったような、それでいて爽やかな笑顔で首を傾げて何か答えているが、その時信号が変わり車は走り去って行った。

 へぇー。アイツ、結構ゲスいな。

 俺はそんな事を考えながら地面を掘った。

 

 

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