星に願いを

音羽真遊

星に願いを

ある秋の日の夕暮れ。一人の少年が閑静な住宅街を歩いていた。少年の名前は晴彦、通称ハル。中学三年生のハルは高校受験を間近に控えながら、あることに悩まされていた。

頭から生えた二本の白い耳。ふわふわと頭上で揺れるそれは、どう見てもウサギの耳なのだ。けれど、人間としての自分の耳はしっかり残っていて、まるで仮装の時などによく使われる耳付きカチューシャを付けているかのようである。

しかし、カチューシャについた耳と違い、この耳はただの飾りではなく耳としてきちんと機能しているのだ。別段意識しなくても、学校中の声という声が聞こえてきたことがそれを物語っていた。

ただ、自分以外の誰にもこの耳が見えないことが唯一の救いでもあり、また、恐怖でもあった。本当は誰しもが持っていて、それを互いに知らないだけではないのだろうか、とか、実は見えているのだけれど、みんなして自分をからかっているのではないだろうか、とか、そんなふうに思えて怖くなるのだ。

そもそもどうしてこんなことになってしまったのか。昨日の夜、眠る前は皆と同じように普通の人間だったはずである。昨日のことを思い返して、ハルはハッと立ち止まった。

――きっかけがあるとしたら、あれかもしれない……。


「クラスの女子がときどき僕のほうを見て何か言ってるみたいだけど、僕、何かしたのかなぁ」

ハルはそう言って自室の窓から空を見上げた。街の明かりが邪魔をして満天の星空とまではいかないが、そこそこに星が見えるため、ハルはここから夜空を見上げるのが好きだった。

「もっと聞こえる耳なら、会話の内容も聞こえたのにな」

女子の会話を聞いて、何を言われているのかを知りたかった。悪口を言われているならそれでもかまわない。何を言われているのかわからない方が、ハルには数段怖かった。

「あ。……みんなの会話が聞こえますように、みんなの会話が聞こえますように、みんな会話が聞こえますようにっ」

流れ星を見つけた途端、思わず口走っていた。そんな自分が恥ずかしくなって、ハルは窓とカーテンを閉めベッドに入り眠りについた。

そして朝になりいつものように学校へ行くための身支度をしていると、なにやら鏡にふわふわしたものが映ったのだ。最初は寝ぼけているのかと思ったけど、しっかりと頭からウサギの耳が生えていたのである。そしてそれに気づいた途端、普通なら聞こえないはずの離れた場所の音が聞こえるようになったのだ。

「ばかばかしい。そんなことあるわけないじゃないか」

しかし、他に原因が思い浮かぶわけでもなく。ハルは自分の頭に生えた耳を引っ張りながら再び家へと歩きはじめた。

だいたい、よく聞こえる耳がついたからといって、いいことなど一つもなかった。

仲がよいことで近所でも有名な隣の家のご夫婦が諍い合う声。リストラされるかもしれないという父の言葉。担任の先生と家庭科の先生の不倫の会話……これはクラスのヤツらとのネタにならないでもないが。

それからそこかしこから聞こえてくる携帯電話の発着信音。テレビの音なんかは、一度にいろんな人間の声や音が一斉攻撃を仕掛けているようで、ハルの頭は何度もパンクしそうになった。

もちろんこの耳のおかげでクラスの女子の女子の会話は聞き取れたのだが、それは些細なことでしかなかった。クラスの女子達が話していたのは「ハルくんって、王子に似てるよね」だった。女子達の間で流行っているマンガに出てくるキャラクターに僕が似ているというだけのことだったのだ。

――そりゃあ、じろじろと顔を見るはずだよ。

ウサギ耳がついて丸一日も経たないうちに、ハルは疲れ切ってしまっていた。

今まで聞こえなかった遠くの音や小さな音が聞こえるようになったことで、知りたかった情報以上に、どうでもいい情報、知りたくなかった情報が洪水のように押し寄せてきて、処理をするのに頭をフル回転させなければならなかったし、何よりも日常生活の中は耳をふさぎたくなるほどに機械音で溢れていて、頭をハンマーで殴ったようにガンガンと痛みが響いているのだ。

耳をふさいでみたりもしたけど、頭に手をやっている姿はみんなに怪しまれるし、なによりあまり効果もなかった。

――これが、機械も何もなくて、人もいない草原の中だったら、遠くの敵を察知するために使えるんだろうけど。

自分が願ったことのハズなのに。実際聞こえない方が暮らしやすかったなんて。

ハルは必至に涙を堪えて住宅街を家へと歩いていった。


どうにか家に着くとただいまの挨拶もそこそこに自分の部屋へと籠もって頭から布団をかぶった。いつもなら着替えてすぐリビングに降りてテレビを見るのだけれど、とてもじゃないがそんな気分にはなれなかった。

だけど、敏感なウサギ耳で一日過ごしたせいか布団がこすれ合う音までもが気になって、もうハルにはどうしようもなかった。せめて自分だけでも音を立てないよう、ただじっとうずくまっていた。

どれほどの時間そうしていただろう。いつしかハルは眠ってしまっていた。目を覚ましたときにはあたりは真っ暗で、窓からはいつものように星が見えている。

ハルはそっと窓を開けて外を見てみた。静かだと思っていた夜の住宅街も、様々な音で溢れていた。どこからかピアノの音が聞こえてくる。誰かが練習しているのだろう。時々つまずいたり音を間違えたりしている。テレビや携帯電話の音などと違って、どこか安心できる優しい音色だ。

そのピアノの音に耳を傾けながら、ハルはぼんやりと空を見上げた。いつもと変わらない星空のハズなのに、いつものように穏やかな気持ちで見ることが出来ない。ハルの心の中は、これからどうなるのだろうかと不安でいっぱいだった。

このままずっとウサギ耳で暮らさなければいけないのなら、きっと近いうちにハルの精神はおかしくなってしまうだろう。たった一日で、こんなにも疲れてしまった。ウサギ耳と上手に付き合って暮らしていく自信などかけらもなかった。

ふと、一筋の光がハルの視界をよぎった。流れ星だ。気づいたときにはもう遅く、空の黒に吸い込まれていた。

――お願いだからもう一度流れて。

ハルは無意識に手を合わせ必至に祈った。もし本当に流れ星が願いを聞いてくれたのなら、もう一度願いを聞いてほしい。

すると、ひときわ大きな星が瞬いて流れた。

「元に戻して、元に戻して、元に戻して!」

縋るような想いで三回唱える。元に戻れる保障などどこにもないのに。ハルは少し自嘲気味に笑って窓とカーテンを閉めた。

 翌朝、目覚めるとそこはいつものように静まりかえった自分の部屋だった。遠くの音は聞こえてこない。頭に手をやると昨日のあの感触がなくなっていた。慌てて鏡をのぞき込む。白くふわふわした耳は映らない。

 ――なくなってる。

 昨日のあれは本当は夢で、昨日は本当は今日だったのか。寝起きの、あまり働かない頭でハルは必至に考えた。しかし、携帯電話の表示はちゃんと一日経過したことを示している。

 ――きっと、流れ星の悪戯だったんだ。

 そう思うより他はない。ハルは大きくのびをして、パジャマのボタンに手を掛ける。

 ――そういえば。昨日のピアノ、上手じゃなかったけど、優しい音だったな。きっと弾いてたのは女の子だ。どこから聞こえてたんだろう。会えるといいなぁ。

 昨日は一日様々な音に悩まされたけど、あのピアノの音は出会いのきっかけになるかもしれない。ハルは早速喉元過ぎれば何とやらというやつで、ピアノの音に思いを馳せていた。

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