五話:誤った成功体験で歯車が狂う

「飲み屋の姉ちゃんにリスペクトせなあかん」

身内で飲んでいる時に妖怪君はそう豪語する。


何故その言葉を発するのか。

推察するのは難しくない。



結論:「誤った見栄」+「歪(いびつ)な成功体験」


「飲み屋の姉ちゃんにリスペクトせなあかん」



この言葉をボクと同じステージに居る人間は察する。


ボク(ああ、こいつはここが褒められたいポイントなんだな)



ボクはウソをつかないという制約があるので褒めないが、

同じステージに居る人間はここが「褒めポイント」とわかればもちろん褒める。


「そういうの大事だよね!」

と共感するように。


そしてもっと下のIQ発達が弱い人間、

あるいは言葉を言葉通りに受け取るピュアな人達はそれに賛同する。



「職業に貴賎なし……なんて素晴らしい人格者なんだ!」


目を輝かせる様子を見て、妖怪君は悦に浸る。


バカには有効だ。



しかし賢者は違う。

ネットで嫌われているリベラルもそうだが、

綺麗事言って称賛されたいってのが透けて見えてしまっているんだ。



ともあれ、そんなものはネットと違い現実の場で指摘されない。



発言した張本人は格上からも格下からも『称賛』を得る。


もしももしも否定されようものなら、

「お前は心がない酷いやつ!」

と正義の免罪符で攻撃する事ができる。



歪な成功体験を得てしまう。


それは正しい矜持なんだと誤認する。

その誤認は、称賛の数に比例して肥大化していく……。




妖怪君は何度も何度もその矜持を愚直に遂行してしまっていた。


少なくともボクと飲んだ時、といってもかなりの回数だ。

一度たりとも不敬はなくリスペクトどころか媚びへつらうほど過剰な対応を取ってきた。


相手が喜ぶと自分も嬉しいという『返報性の法則』を超えた理念が垣間見える。



とにかく、妖怪君が居ると飲み屋の姉ちゃんは喜ぶ。

本心から喜ぶ。



また一つ、歪な成功体験が生まれる。


元の元の元を辿ればそれは誤った見栄であるのにも関わらず、

歪な成功体験が間違った自己肯定感と実績になってしまっている。


『誤った見栄』という言葉の説明は先程のマザー・テレサ理論や妖怪君の話と認識してくれ。

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