026神の振ったサイコロ

矢久勝基@修行中。百篇予定

026神の振ったサイコロ

それは、とある魔法のミスから生まれた偶然だった。

 しかしその偶然で……世界は、神を作り上げてしまった。


 それは、禁呪のかかった魔導書を破壊するための儀式の最中だった。

 世界に災禍をもたらす魔導書の破壊はそもそもが難しい。一人では到底破壊できず、少なくとも四人が四方を囲み、エネルギーの逃げ場をなくして行う。

 同じ波長、同じ出力……呼吸のリズムすらぴたりと合わせ、一つのほころびもあってはならない作業を例えるとしたらなんだろう。共に食べ始めた夕食を、同じ回数咀嚼して同時に食べ終わらなければならない……と言えば近いのか。

 高レベル、かつ、息の合った魔術集団でなければならず、それらの破壊はいつも困難を極めている。


 その魔導書に挑んだ四人も、いずれも第一級の実力を備えた魔術師だった。

 ジダル、バルクード、フィッツ、ローゼ。それぞれに勝気な目をして〝茫洋の園〟という亜空間の一角に立った。ここなら魔力暴走をしても世界に影響を及ぼすことはない。

「ま、そうなったら俺たちはオダブツじゃにけどな」

 一通りの説明を行ったリーダー格のジダルがそのように〆ると、真鍮製の台座に据えられた魔導書が嘲笑うかのように小さな放電をした。

「こんなレベルの魔導書が僕たちに任されるなんて意外ですね」

 フィッツが言うように、魔導書を蝕んでいる呪いは強力なものだ。彼らを統べる評議会の中でも、もっと重鎮が出張ってきてもおかしくはない。

「所詮、あのじーさんたちはロートルなんだよ」

 バルクードが笑う。地位について鍛錬を怠れば、口は回っても魔力は回らない。

「万が一の保身もあるよね」

 紅一点、ローゼがおどけたように言った。力加減を誤れば暴走してこの空間に押しつぶされる。その際も魔導書は失われるから、あるいは暴走しても成功と言えるため、誰かに任せてしまえばリスクなく処理できるという思惑もあるのだろう。

 四人が四人とも、評議会のそういう温度を感じ取っている。だからといって、この場に立たされたことを誰も不満には思っていない。

 ……その勝気な瞳に、儀式の成功を疑う様子は全く見られなかった。


 台座の四方を囲んで、四人が向かい合わせに立つ。さすがに、四人から笑顔は消えている。

 魔導書の禁呪というのは、誰かが掛けるものではない。書かれている内容にまがまがしい魔力が宿っていると、羊皮紙に溶けたインクがそれと融合し始め、ある指向性を形成して変化する。

 どういう方向に向くかは混合物次第なのだが、成長のしかたによっては世界に多大な影響を及ぼす災禍の元となるから厄介なのだ。

 つまり、世界に影響を及ぼすような強大なエネルギーが目の前で凝縮しているわけで、いうなれば、いつ爆発するかわからない爆弾の前に立っているようなものであった。

「いいじゃいか」……ジダルの目が鋭い。

「波長はε。それをδθξまで継続じゃぞ」

 皆、無言でうなずいたが実際ひどく難しい。例えば定規も量りも時計もない状態で、正確に十三センチ先の場所を五キログラムの力で四十二分押し続けなさいと言われているようなものだ。

 しかし彼らにはそれができる。もちろん簡単ではないが、最大の集中をもってそれをやり遂げようとしていた。

「三……七……二……二……」

 魔術を知らなければ何の数値だか分からないが、魔導書を見つめたまま、一定の時間ごとにぽつりぽつりと数字を羅列していくバクルード。

 フィックは目をつむり無の境地を目指す。眼鏡のローゼは逆に目を見開いて瞬きもしない。

 声はあれど静寂に支配された亜空間で、寸分のほころびも赦されない手順が、一時間に数ミリ前進するような慎重さをもって動き出す。

 時折放電の棘(イバラ)を見せる魔導書は、それを受け入れているのか拒んでいるのか。音もなく猛っている様が、亜空間を不気味に照らしていた。


 ……しかしそこでミスは起きた。

 どこでミスが起きたのか。だれがミスしたのかは分からない。

 ただ……そのミスはあくまで静かに……しかし確実に、魔導書に変化を与えていた。

「うわっ!!」

 ある地点、ある瞬間。それは一瞬で、亜空間全体を激震の渦に包み込む。

「きゃぁぁぁ!!」

 突如消える視界。闇ではなく光だ。世界は斜めに揺れ、四人が四人とも、空間に引き裂かれて吹き飛ぶ。一瞬で身体の肉という肉が削げ落ちて、しゃれこうべとなった己から分離した内臓が巨大な手に握りつぶされるかのような……恐ろしい幻覚が彼らを貫いていった。


 いや……

 それが幻覚だったと知ったのはその時ではない。

 ……どれくらい経っただろう。そもそもが時間の感覚のない場所で、彼らは完全に気を失っていた。しかし目覚めてさえ……彼らは自分たちが生きていることが信じられなかった。

 それぞれ、己がアンデッドであるかのようにゆっくりと上半身を起こし、それでも立ち上がれない。目の前に互いの姿を見止めても、なお彼らは信じられない。

「天国……なのか?」

「先輩が天国行けるわけないじゃない」

 バクルードのつぶやきに、憎まれ口をたたくローゼ。両手に目を落とせば白骨化などしてはおらず、しっかりとした質感があり、辺りを見回してもどこも何も崩れてはいない。

「僕たち、ミスったんですよね」

「そのはずじゃいが」

 フィックに対するジダルの声には、戸惑いすら感じられる。

 禁呪のかかった魔導書の破壊だったのだ。ミスをして、こんなもので済むはずがなかった。

 恐ろしい程の静寂の中、ジダルは自分の足がまだ繋がっていることを確認するかのようにゆっくりと立ち上がる。

 真鍮製の台座は、まるで紙を割いたかのように斜めに〝切れ〟ていて、魔導書が紛失している。

「……どういうことじゃいか……」

 成功したのか、とは言えなかった。成功というには、通り過ぎた記憶が余りにもまがまがし過ぎた。

 しかし、実際に魔導書は消えている。いや、正確には燃え尽きるはずで、燃えカスが残るものなのだが……。

「ん……?」

 燃えカスがあるはずの部分に、小さな黒い物体が置いてある。博識な彼はしかし、それがなんであるかを知って目を大きく見開いた。

 それは、〝七宝珠〟に数えられる神器の一つだったのだ。

「ヤバくない……?」

 彼の反応に好奇心を抱いたローゼがひょいと台座を覗き込み、その軽快さとは裏腹に息をのむ。

 明らかに、見てはいけないものを見てしまった。通称『欲望の黒水晶』と呼ばれるこの宝珠が歴史に登場したのは三度と云われているが、そのたびに世界は暴君を作り出した。

 彼らも文献の文字列でしか見たことのない代物だったが、己自身で黒いジャギーのかかった光を放つ、宝珠と言いつつ三角錐の形の水晶は、まさに『欲望の黒水晶』の特徴を表していた。

「いや、さすがに偽物だろ?」

 目の前にあるものは伝説の一つだ。にわかに信じることのできないバクルードが苦い顔で笑っている。

「……」

 誰もが偽物だと思っていても、誰もその宝珠に手を伸ばそうとはしない。とにかくこれが七宝珠の一つであれば、由々しき一大事であった。


 徐々に平静を取り戻していく四人。幸運にも生き延びることができた自分たちが今すべきことは、現場を保存したまま評議会に事実を伝え、指示を待つことだ。

 フィックはひとまず亜空間を出るための準備を始めた。彼が亜空間と現実世界を繋ぐ〝目印〟を持っている。単なるブレスレットなのだが、これで外のスタッフに合図をして引っ張り出してもらう手はずとなっている。

 が、その時、ジダルがそれを止めた。

「ちょっと待つじゃいや」

 その目は、フィックを見ていない。宝珠に目をやったまま、声だけで彼を止め、

「おみゃ、これが何か分かってるじゃか?」

「何か……って」

 七十パーセントの確率で伝説の神器だ。

 禁呪のかかった魔導書の内容が、あるいはこれを召喚するための呪いを形成したのかもしれない。が、フィックにも、いや……現代を生きる魔術師に、それを説明できるものはいない。

 だから確実なことは言えないが、本物でないにしてもこの宝珠が発す威圧感に息がつまりそうなことは確かだった。

「こりゃ、所有するものの欲望を叶える宝珠じゃい。有史以来三度……世界を席巻した神器なんじゃぞ」

 フィックは息をのむ。

「……なにが言いたいんです……?」

「みすみす、誰かの手に渡していいもんじゃないじゃい」

「だけど、僕らの手には余ります」

「評議会は封印すると思うじゃか?」

 しない。いや、おそらく封印するという話にはなるだろう。しかしどこかのタイミングで、欲望に負けた者がこれを悪用する未来は明らかだ。

「誰かが使ってしまうんなら、これを召喚した俺たちが使うのがスジってもんじゃにか?」

「なにを考えてるんですか!!」

 フィックは思わず声を荒げた。とんでもない話だ。使い方によっては世界が傾く代物だというのに。

「まぁ聞け。神はサイコロを振らん、ちゅう言葉があるがじゃ」

「どういう意味ですか」

「すべてのことは偶然なんかじゃにい、ちゅうことがじゃい」

 つまり、自分たちの目の前にこの宝珠が降って湧いたことも偶然ではない。これを使う資格が、四人にはあるのだ……ということをジダルは言う。

「幸いここには四人おるがじゃ。これは偶然なんかじゃにい」

「おもしれぇ」

 気が付けば、バクルードも不敵な笑みを浮かべていた。


 七宝珠の一つ、通称『欲望の黒水晶』は、先も述べた通り三角錐の形をしている。あくまで文献の知識でしかないが、それによれば、これら一面につき一つの願いを別々の人格が吹き込むことによって作動する……と記載されている。三角錐だから四つの願いであり、これを作動させるためには四人必要だということになる。だから先ほどジダルは『幸い四人おる』と言ったわけだ。

 ただし四つの願いすべてがかなうわけではない。作動した神器は回転し、三角錐だけにいずれかの面を下にして止まる。その下の面に吹き込まれていた願いだけがかなうと文献には記載されており、であるなら先ほどの言葉『神はサイコロを振らない』を皮肉るような、『神のサイコロ』であった。

 歴史上三回……それで、世界の王は変わった。ジダルの笑みが止まらない。

「さぁおみゃーらは何を望む? この水晶に運命を賭けるがじゃ」

「危険すぎます!」

 フィックはあくまで食い下がるが、ローゼがそれを打ち消すかのような声を上げた。

「じゃああたしからね!」

「コラ! ローゼ!!」

 ローゼはうずうずしていたらしい。願いが叶う宝珠なのだ。ずっと思い描いていた願いがはちきれても、あるいは無理もなかったのかもしれない。

「フィックにプロポーズされたい!!」

 フィックを押しのけ、ローゼが宝珠の前へと踊り出る。

「もう何年も付き合ってるのに肝心なことを決めてくれないとか、もう我慢できない! 神様! フィックの優柔不断を改めて、あたしにプロポーズをするよう仕向けてください!」

「そんなんは本人に言うがじゃ!!」

「結婚式には白竜を召喚するオプションをつけて、新郎が乗って降りてくるのがいいです! 四大精霊のオプションもお願いします! あたしが天女になる演出もやりたい!!」

「いくらかかるんだそれ!!」

 考えるだけでフィックの髪が心労により数本抜けていく。

「天空城貸し切りプランもつけてください! 空の上で永遠の愛を誓いあうあたしたちに見渡す限りポップコーンシャワーが弾けまくるやつをお願いしたいです!!」

「ああ! そんなの僕の給料三十年分飛ぶっ!」

「だから神様にお願いするんでしょ」

「いや、だから待つがじゃ! 一生に一度、んにゃ、歴史上に三度しかない奇跡じゃのに、そんなくだらんこと願うな!!」

「くだらん言うな!!」

 ローゼが言葉をとがらせるが、勢いを借りたフィックが続く。

「ジダルさんの言う通りだよ! そんなことは神器にお願いすることじゃない!」

「アンタが優柔不断じゃなかったら、こんなお願いなんてしないわよ!」

「……」

 言葉に詰まるフィック。はらり……と、フィックの髪がプレッシャーに負けて数本抜ける。ローゼは一度、トーンを落とした。

「じゃあ、フィックの望みは何なのよ」

「いや、それ以前に触っちゃだめなんだよこんなのは」

「そういうの抜きにして。この際だから教えてよ。一生に一度、ありえない願いもかなうとしたら、フィックは何を望むの?」

「……」

「教えてよ。どんなこと言ったって怒らないから。知りたいの。フィックが望んでること」

「いちゃいちゃすんなよ……」

 バクルードが呆れると、ローゼは少しばつが悪そうに一歩引く。彼は苦笑いを浮かべ、フィックの方を向いた。

「ローゼには言いにくいことか?」

「いやまぁ、そういうわけじゃないですけど……」

 あんなアプローチをされたら、どんなことだって言いにくくなるに決まってる。

「じゃあさ、とりあえず俺の耳元で聞かせろよ」

 フィックの口に耳を近づけるバクルード。フィックがおそるおそるといった風情で耳打ちをすると、

「ハァ!? お前、そんな願いかよ!!」

「切実なんですっ!!」

「え、なになに」

 興味津々のローゼ。

「言っていい?」

「ま、まぁいいですけど……」

「コイツ、抜け毛のない頭皮にしてほしいって」

 バクルードとローゼは爆笑。しかし「切実なんですってば……」とか言ってるのを尻目に、ジダルは苦い顔をしている。

「おみゃーらは世紀の神器を目の前にして、よくそんな願いが思いつくもんじゃに」

 彼は身を乗り出して熱弁した。

「世界を変えることもできる神器じゃぞ。それなのにおみゃーらときたら、ジャリがアメちゃんもらって喜んでるようなちゃちな願いを並べくさりおって……」

「あたしの言った披露宴は子供がアメをもらうよりはるかに困難です!!」

「ほんなもん世界を手にしたら国丸々一つ使うて結婚式もできるじゃにか!!」

「なに、ジダル先輩は、本気でマオー(魔王)みたいなことを考えてるんですか!?」

 むしろローゼの方が『呆れた』みたいなゼスチャーをしてため息を吐く。

「子供ですか?」

「おみゃーな。その子供心で歴史に三度、名を刻んだ王がおるんじゃぞ」

「そもそも、マオーになって世界を征服したら、なにがしたいんですか?」

「にゃ……?」

「なにか、やりたいことでもあるんですか?」

「……そ、そりゃぁ……」

 口ごもるジダルに、ローゼが先んじた。

「今ジダル先輩が思いついたことって、別にそんな立場につかなくてもできることじゃないですか?」

「……」

「王となって世界を治めなきゃならないんですよ? あっちで金がない、こっちで疫病だ、そっちでデモ行進だ戦争だっていろんなことが同時に起こって、それへの完璧な対処が求められるばかりか、十分でないとSNSで馬鹿のクソのと言われ、人格まで否定される世の中なのに……」

「……」

「おまけに、暴君となってやりたい放題するほど、裏では暗殺に怯えなきゃならなくなりますよ? 誰も信用できなくなって、王なのにこそこそ生きなきゃいけなくなります。そんなの歴史を紐解けば明らかなのに……」

「……」

「仁君なら仁君でもいいですけど、世界の王になってまでイイヒト演じなきゃいけないの、めんどくさくないですか……?」

 正論に胸を貫かれ、危うく気絶しかけるジダル。しかし寸前で持ち直して、弁明を始めた。

「ん……にゃ、しかしじゃな。歴史上三度しかなかった奇跡じゃぞ。このチャンスを有効活用せんでどうするじゃに」

「だからぁ。したきりすずめの話だって言ってるんですよ。チャンスだと思って欲張って大きなつづらを持って帰ろうとすると、中は妖怪でハズレなんですって」

「まぁ、ローゼの言うのも一理あるわな」

 バクルードも認めざるを得ないようだ。ビジョンもないのに世界の王となっても、逆に翻弄されるばかりな部分もあるのかもしれない。

「そう思うと、魔王ってヤツは、だいたいがすでに大きな勢力持ってて好き勝手出来るだろうに、どうしてわざわざ勢力を広げたがるかねぇ」

「民衆(魔物)の生活を豊かにするためでしょうか……」

 フィックが首をひねると、

「魔王、いいやつだな!!」

 笑い出すバクルード。ジダルは言う。

「覇権を取らんと遠い将来、自分を脅かす勢力があることを恐れるからじゃに」

「いや、だからジダル先輩、その時点で、いらない心配抱えてるじゃないですか……」

「……」

「余計な力を持ったって、別の心配事が湧いてくるだけなんですって。それならあたしみたいに素敵な結婚式をあげるみたいなお願いの方が、幸せになれません?」

「さすがにそれはもったいないがじゃ!!」

「お前、昔っからもらえるものは最大限ってヤツだったからな……」

 バクルードが鼻を鳴らして笑うと、

「じゃあおみゃーの望みは何なんじゃいか」

「おー、俺も今黙ってずっと考えてみてたんだがね。一つあったわ。世界に作用する面白れぇことが」

 三人の視線が一斉に向けられる。面白いこと……。

 ある種、期待と困惑の入り混じった目が、背景のない亜空間で釘付けになった。

「いや、俺常々思っていたんだがね。〝進め〟の信号って青信号だろ?」

「は、はぁ?」あいまいな相槌を打つフィック。

「でも実際は、どう見たって緑なわけだ」

「うんうん」とローゼ。

「だから、アレは緑信号っていうのが正しいんじゃねぇかと思うんだよ」

「……」

「明日から青信号を皆で緑信号と呼ぶこと!! これが俺の望みだ!!」

「くだらねぇーーーー!!!」

 ジダルだけでなく、思わず後輩のフィックも叫んでいた。


「馬鹿野郎! 世界中の人間の意識を変えるんだぞ!? 奇跡でもない限りできるかそんなこと!」

「バクルードさん、抜け毛を止めたい僕が言うのもナンですけど、もう少しマシな望みはないんですか!!」

「後はお前……あれだよ。『ふんだりけったり』って言葉……あれ、意味を考えるだに、正しくは『ふまれたりけられたり』だと思うんだよな!」

「いや、確かにその通りかもしれませんけど、明日から皆が『ふまれたりけられたり』って言い出しても、バクルードさんに何か得はあるんですか!?」

「そらお前、有史以来誰も成し遂げられなかったことだぞ。俺、すげーことやり遂げた感があるじゃねぇか」

「待って待って。それってあたしたちも言わなきゃいけないの? 微妙に語呂が悪いんだけど」

「そらもう、俺の望みが選ばれた暁には、明日から立て続けにひどい目に遭った時は『ふまれたりけられたり』だよ。……あと信号は『緑信号』な」

「微妙すぎ!!」

「ジダルが魔王になって世界に迷惑をかけるのと、どっちが迷惑なんだ」

「迷惑かけるとは言っておらんがじゃ!」

「迷惑に決まってんだろ。世界中の女を大奥に入れるとか言い始めるくせに」

「言わんじゃに!!」

「え、あたしも大奥入るのは困る……」

「あ、ローゼは大丈夫じゃに」

「それ、どういう意味!?」

 ローゼは、あまり美人ではない。本人もそれを認識していて、すこぶる美人だった親友に競り勝ってフィックと付き合い始めたことは今でも奇跡だと思っているくらいだ。

「っていうかやっぱり大奥作ろうとしてるってことじゃん、やらしい! ジダル先輩になんて絶対世界任せらんない!」

「作るとは言っとらんじゃに!!」


 ……押し問答はいつまでたっても平行線のままだ。というか、どんな望みなら、歴史上三度しかなかった奇跡を有効活用できるのか。

「やっぱり、評議会にゆだねた方がいいんじゃないでしょうか」

 フィックが疲れた表情を浮かべるが、

「おみゃーは馬鹿じゃか。評議会に知らせようもんなら、誰かが俺に変わって世界の覇者になるだけじゃぞ」

「ジダル先輩の尺度で考えないでください」

 ローゼが口をとがらせてはみたものの、今ここの意見を反芻してみても、誰が使ってもろくなことに使われないことは言えそうだ。

「もういいよ。とりあえず、これはあたしたちで使うことは決めよう。だけど、ジダル先輩の大奥は反対!」

「大奥じゃないがじゃ! それよりおみゃーら、ちっとは壮大な夢を描かんじゃか!」

「ジダルさん。抜け毛は自分の努力じゃ何ともならないじゃないですか。その心配を払拭できれば、あとはいくらでも自分で壮大な夢を描けるというものです」

「発毛剤でも買え!」

「あんなの余計危なそうで怖いです!」

 値段が安いと逆効果なんじゃないかと心配してしまう。いや、マジ切実に。

 そんなフィックたちに、ローゼが横やりを入れた。

「まぁあたしも、フィックが禿げないのには賛成」

「じゃあキミも同じ願いにしてくれよ」

「今ここでプロポーズしてくれたら考えるわよ?」

「え~……今は無理だろ……?」

「いちゃいちゃすんな!!」

「もうええがじゃい。どうせ誰の願いが叶うも賽の目次第なんじゃし、やってみんか」

 いい加減皆疲れている。皆の願いが如何に自分にとって有益じゃなくても、それが当たる確率は四分の一でしかないのだ。

 フィックにしても、その四分の一のジダルの夢を除けば、他の願いは世界に大した影響を与えないことは分かったし、誰かが言ったように他の者に渡ってさらに状況が悪化する可能性も高いことを思えば、ここで消化してしまうのはありだとも思った。

 ジダルの世界征服の確率は所詮二十五パーセント。降水確率が七十五パーセントもあれば、ほぼ確実に雨が降る。二十五パーセントの付け入る隙はないと、疲れた頭は弾き出した。

「分かりました。協力します」

 そして、フィックがうなずくとともに、自然、彼らの、神器への魔力シンクロが始まった。

「楽しみだなぁ」

 緑信号のバクルードの表情が一番楽観的に見える。世界征服のジダル、天空結婚式のローゼ、そして抜け毛予防のフィックは、いざ自分の切実な欲望が間近にあると思えば、その目は切迫感を帯びた。

 なお、神器とはいえマジックアイテムであることには変わりない。とすれば、これに魔力的な効果を発揮させる手順は、一般的なものと同じである。

 皆それぞれに手慣れた様子で魔力を操作し、そこに己の願いを込めて……神器の活性化に努めた。

「神はサイコロを振らん」

 魔力の波動が大気を揺らす亜空間で、ふと、ジダルが呟く。

「じゃけ、今から振られる賽の目も、結果は決まっとる」

 それは、そう信じたい気持ちを言葉にしたかのようで、より周囲の目を据わらせる。

 インチキはできない。自分が先んじようと如何に余計な魔力を込めたとしても、それは結果に結びつくものではない。ひょっとしたら自分の望みが……という気持ちが、皆を沈黙させる。

 その静寂の中で、ジダルの声が揺れた。

「波長はΓ。一、二、三でピークに持っていくがじゃ」

 誰もが唇をかみしめ、中央の黒水晶を凝視する。七宝珠にカテゴライズされる神器は超電導状態にある磁石のように浮かび上がり、やがてその場で複雑な回転を始めた。

「一、二……」

 ジダルのカウントが無色無臭の空間に凝縮し、

「三!!」

 四人の魔力が一気に弾ける。『欲望の黒水晶』の回転は加速し、不規則な螺旋を描いて上昇。

 ……そのまま、見えなくなった。


「え……?」

 一同呆然である。半分口を開いたまま、亜空間を突き抜けていった神器を見上げ……そのまま、……長い間、そのままだった。

「失敗……?」

 ローゼの声にも、誰も反応しない。

 なにせ、『欲望の黒水晶』がどのようになれば成功で失敗なのか、誰も答えられないのだ。

 先ほど、宝珠がサイコロのようにいずれかの面を下にして止まるという知識も、あくまで文献にそのように書いてあっただけであり、思えば信憑性すら疑われる。使った者が書いたとは思われない。

 だから実際のところどうなるかは分からないのだが、そもそも失敗するにしてもあのような反応を示すマジックアイテムを見たことはなかった。

「……ひょっとしたら、現実に戻ったらいろいろ変わってんじゃね?」

 バクルードが呟いたように、世界がジダルのものとなっていても、誰もが緑信号と言うようになっていても、ここでは分からない。

 ただ、ジダルはその可能性を頭で否定していた。自嘲(わら)う。

「……そろそろ帰るじゃか」

 所詮、歴史に三度しか姿を見せなかった神器なのだ。おいそれとホンモノが拝めると思うだけ、無駄なのだと思う。

 ローゼはというと……落胆していた。

 ちらちらとフィックの方を窺ってみても、彼が何かのアプローチをしてくれそうな様子がない。ただ間抜け面で、消え去った七宝珠の一つを見上げているのみだった。ちょっと憎たらしいまである。

「フィック。なにか言うことないの……?」

「あ、うん……うん」

 がっかりだ。この優柔不断な男が自分を人生の伴侶と認めてくれるのには、まだまだ時間がかかりそうで……。

「ねぇ、いいのよ? あたし、心決まってるから」

「う……うん」

 言ってほしい。自分から言うのではなく、男の方から、同じ人生を歩む決心をしてほしい。

 天空じゃなくてもいい。ポップコーンシャワーがなくてもいい。

「ねぇ、あたしたち、まさかずっとこのままってことはない……よね?」

 フィックにも事情がある。使命もある。それがあるうちは彼女の一生を保証することができない。

 だけど決して……彼女の想いを受け止めたくないわけではなかった。そのジレンマがずっと……彼の毛根を圧迫してきた。

 今では切実な危機感を、その毛根に感じている。ただそれを、彼女からのプレッシャーによるものと告げるのは、男としてはあんまりだった。

「おい、いちゃいちゃすんなよ。帰るぞ」

 そういう様をいっつもからかうバクルードに救われ、彼は帰還のためのブレスレッドに魔力を込め始める。

 みな、今しがた起きた白昼夢のような出来事の余韻を感じながら、亜空間を跳んだ。数日後には笑い話にでもなるのだろう。みんな、それぞれに疲れていて、皆で酒でもかっ食らって騒いで寝てしまいたかった。

 ただ、その時点では誰も気づかない。いや……

 ……それからもずっと……四人が四人とも、気づかなかった。


 なぜか、それから先、バクルードの頭皮から、抜け毛が一切なくなったことに……。

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