殺しのプログラム

異端者

『殺しのプログラム』本文

「君は『殺す』という行為を、悪だと思っているのかね?」

 小木おぎは、大森おおもりの目を真っ直ぐに見て言った。

 大森はすぐには答えられなかった。


 20XX年、秋の終わり。

 日暮れ近くなった公園の一角がブルーシートに覆われていた。

 刑事の大森吉彦おおもりよしひこは天を仰いだ。厚い雲に覆われ、今にも降ってきそうだ。

 これは仏さんを早いところ移動させる必要がありそうだな――彼はそう思った。

 遺体はまだ若い女性だったが、性的暴行された形跡はなかった。代わりに鋭利な刃物でめった刺しにされていて、胴体、特に腹部は何度も刺されたようで臓物が飛び散っていた。

 持ち物は見た通りそのまま残されており、強盗の仕業とも考えづらかった。

「おう、どう思う?」

 先輩刑事の中林剛志なかばやしつよしが来て、大森を見て言った。

「さあ……少なくとも、金目当てではなさそうですね。おそらく――」

「『理由のない殺人』か?」

 理由のない殺人――それが、近年多発している無差別殺人事件に付けられた名称だった。

 過度に残酷な殺し方をするのに、捕まえてみると動機がない。いや、あったとしても「殺したかったからやった」という小学生でももう少しまともな言い訳をするだろうといったものばかりだ。

「ええ、おそらく……ですが」

 大森は曖昧あいまいに頷いた。

「……今、近隣の監視カメラと目撃証言を洗ってる。もしお前の言う通りなら、雑な殺しだしすぐに捕まるかもな」

 そう言った中林の表情は晴れない。以前取り調べた容疑者のことを思い出しているのだろう。

 あの時の容疑者の男は、不気味としか言いようがなかった。本来なら容疑者が感じるだろう息苦しさを刑事の方が感じていた。


「特に、理由はありません。……あえていうならば、なんとなく……ですかね?」


 普段なら中林は「ふざけるな!」と怒鳴っただろうが、その時は呆然ぼうぜんとしていた。

 異質……だった。容疑者の様子が。あまりにも、平然としていた。

 まるで「今日の昼は何を食べた」と答えるかのように。

 もし容疑者が捕まえられたら、あの不気味さをまた味わうのだろうか――大森は寒気がして身震いした。

 あれは、そもそも人なのだろうか? ……人として何かが欠落しているとしか思えなかった。


 三日後、容疑者はあっけなく捕まった。

 若い男が近所の監視カメラにはっきりと映っていて、本人もその事実を認めた。逃げようとすらせず、素直に連行された。

 幸い、取り調べは別の刑事がすることになった。大森はデスクで密かに胸を撫で下ろした。中林にしても同様で、どことなくほっとしているように見えた。

 それでも、取り調べの内容は伝わって来た。

 やはり「理由のない殺人」だった。容疑者は悪びれる様子もなく、殺したかったから殺したと証言しているらしかった。

 増加し続ける理由のない殺人――メディアはその原因に勝手な推測を立て、取り上げ続けていた。中には「こうなったのは警察が抑止力として頼りないからだ」という、責任転嫁せきにんてんかではないかと思える内容もあった。

「本当に、理由がないと思うか?」

 唐突に中林が聞いてきた。

「分かりません。否定するにも、肯定するにも『やりたくてやった』では、どうにも言いようがありませんから……」

「ま、それもそうか……」

 中林はそう言って天井を見上げた。

「俺の若い頃は、もっと長い時間仕事をしていた。刑事が定時帰りなんて、事件の時は考えられなかった」

「はあ……」

 大森は彼が何を言いたいのか見当が付かなかった。

「当時は異常な事件はストレスが原因だとかも言われていたが、今の時代にはそうまでストレスがあるとも思えない……むしろ楽すぎるぐらいだ」

 確かに、近年はほとんどの仕事の自動化が進んでいる。刑事……と言っても、慌ただしかったのは過去の話だ。最低限の仕事をこなせば、自律化した機械が代替してくれる。

「つまりは現代の異常殺人は、ストレスとは無関係だと?」

 ようやく見当が付いた大森は、そう言って中林を見た。

「……少なくとも、俺はそう思ってる。マスコミが言うように軽微なストレスが積み重なって精神に異常をきたした、なんてのはありえない」

 そういえば、そんな説もあったな――大森はメディアの言葉を思い出した。

「しかし、実際に同様の事件は増え続けていますが――」

「そこが、分からないんだよな……だから、行ってみようと思う」

「行く? どこにですか?」

 中林は名刺を一枚取り出した。

 大森が名刺を受け取ると「M大学 犯罪心理学教授 小木昭介おぎしょうすけ」と印刷されていた。

「俺の知り合いに、大学教授がいる……最近会っていなかったが、あいつには心当たりがあるらしい。興味があるなら来ないかと言われた」

「それは……確かなんですか?」

 大森は少し躊躇ためらってから聞いた。

「分からん。だが、こうして署でくすぶっているよりはいいだろう?」

 こうして、二人は車でM大学へと向かった。


 二人が大学に着いたのは、午後の少し遅い時刻だった。

 中林は堂々とその建物に入っていく。いかにも刑事然とした様子で大学施設に入っていくのに大森は少しひるんだが、付いていくしかなかった。

 来るまでに中林に聞いた話だと、小木はこの「現象」に興味を持って随分前から調べていたとのことだった。その結論が、最近出たということも。

 中林はある部屋の前に来るとノックした。

「入るぞ」

 返事を待たずに入る。

「やあ、相変わらず無遠慮だな」

 男は座ったままPC画面からこちらを向いて言った。この男が小木らしい。

 髪はぼさぼさ、ひげは伸び放題、着ている衣服も、おそらく高級な物だろうがよれよれだった。部屋の中も荒れ放題で、書類や本が積まれている。

「お前が、原因が分かったと言ったから来たんだ」

 中林は手慣れた様子でそう言った。このやり取りだけで、関係は予想が付く。

「そちらは?」

「ああ、後輩の刑事だ」

「あ……大森吉彦と申します」

 慌てて大森は頭を下げた。

「おいおい、そんなにもかしこまらなくてもいいよ。さ、適当なところに座ってくれ」

 二人は促されるまま、空いている椅子に座った。

「それで? どんなご高説を垂れる気だ?」

 中林は平然と言った。

「その前に、君たち二人はこの原因をなんだと思う?」

 二人は黙った。

 しばらくして、大森が口を開いた。

「諸説ありますが、近年の環境変動等との関係が――」

「違う。便利になったからだ」

「は?」

 とっさに言葉をさえぎられて、間の抜けた声が出た。

「だから、人間社会が便利になったから、殺人が増えた」

「し……しかし、それならストレスも減って、凶悪事件も減るのでは……」

「君は『殺す』という行為を、悪だと思っているのかね?」

 小木は、大森の目を真っ直ぐに見て言った。

 大森はすぐには答えられなかった。

「すみません。おっしゃることの意味が――」

勿体もったいぶらず、結論を言えよ」

 中林が急かす。

「いや、先に答えてほしいね。殺すのは悪か?」

「そんなもの、悪いに決まっているだろうが!」

 しびれを切らしたように中林が言った。

「そう。一般常識ではそうなっている。しかし、現実として人間は生きているだけで多くの命を奪っている」

 小木はそこで言葉を切った。それから――

「一日だけで、どれだけの生物を殺して食べているか、考えたことはあるかね? 肉や魚はもちろんのこと、植物まで含めたら何種になるか……」

「それは、人として当たり前のことだ」

 呆気あっけに取られている大森に代わって中林が答える。

「そう、当たり前のことだ。では、他の生物を殺して食べることが容認されているのに、人間を殺すことが禁じられているのはなぜか?」

「それを許したら、社会が成り立たなくなる」

「その通り!」

 小木は満足げに手を広げた。

「そのために、ヒトは同族を殺すことを禁じるしかなかった。道徳や宗教、社会常識とすることでその思想は浸透していった。しかし、実際は違う」

「禁じているだけで、ヒトがヒトを殺すことは異常ではないということですか?」

 ようやく大森が答えた。

「そうだ。ヒトは本能的に他者を殺すようにプログラムされている。それに先に述べた道徳等でふたをしているだけだ。君たちだって、小さい頃に特に理由もなく虫を殺したりしただろう?」

「それは……詭弁きべんだな」

 中林が制した。

「道徳など無い他の生物でも、積極的に同族殺しをするものは少ない。ライオンは群れの王が変わると前の王の子を殺すが、それは自分の遺伝子を遺すという理由があるからだ」

 大森は中林にそのような知識があるのに少し感心した。

 今まで刑事業ばかりで、こういった面を見るのは意外だった。

「確かに、野生動物でも同族殺しは積極的にする種は少ない。縄張りや繁殖活動による争いでも、相手が死ぬまですることはほとんどない」

 小木はそう認めたが、どこか満足げだった。そう反論があると予想していたようだ。

「しかし、人間である場合は事情が変わってくる」

 小木は椅子から立ち上がった。

「人間は、他の生物と比べて極めて効率的だ。他の生物が生存のために必死になるのと異なり、わずかな労働で生きていける。近年は特に、ね」

 確かに、あらゆる面で自動化が進み楽になってはいる。つまり――

「それが『便利になったから』ですか?」

 大森はそう言った。

「その通り! 人間は自らの生きるために必要なタスクをどんどん効率化していった。その結果、大きな余裕を生んでしまった」

「その『余裕』で殺す本能が出てきた、と?」

 大森は首を傾げながらも尋ねた。

「そうだ! 君は理解が早い。刑事にしておくのが惜しいぐらいだ。……人間は他の生物にない余裕を持つことで、それまでに道徳や忙しさで紛らわせていた『殺しのプログラム』が芽を出してしまった。これは、生物としては自然なことだ」

 その言葉に中林が顔をしかめながら口を開いた。

「だが、その理屈だと止めようがない……」

「ああ、そうだ。人間社会が便利になり、余裕があるために殺人が起き続ける」

 小木は平然と言った。

「じゃあ、対策はないのか!?」

 中林が詰め寄った。

「ある。簡単なことだ」

 小木は動じずに答えた。

「それは、なんだ?」

「便利な生活を捨てればいい。昔のように、疲れ果てるまで労働して、終わったら精一杯で眠る。余裕のない生活を送ればいい」

 しかし、それは……

「そんなもの、不可能だ! 言ったところで、誰も同意しない!」

 中林が叫んだ。

「そうだ。不可能だ。だからこれからも、理由のない殺人は増え続けるだろう」

 小木は他人事のように言う。

 だが、実際に他人事かもしれない。対策をするということは、社会のシステムの根幹を変えるということだ。

 それは一刑事、いや一大学教授の進言で容易に変えられることではない。

 そもそも、社会のシステムはより効率化するように今までずっと進んできた。それを逆行するなど、誰が認めるだろうか。

「他に、何かできることはないんですか?」

 無駄だと分かっていても、聞かずにはいられなかった。

「無いね。ヒトは便利さと引き換えに、同族殺しをしやすい環境を造り上げたんだ」


 帰りの車の中で、二人は黙っていた。

 大森は沈黙に耐えかねて、カーラジオをつけた……が、かえって静寂が強調された気がした。

 ちらりと助手席の中林を見た。窓の外の景色に目を向けていたが、実際は何も見ていないように見えた。

「なあ……」

 唐突に中林が言った。

「人間は、これまで快適な社会を造ろうとしてきた。それは……間違いだったのか?」

 大森は答えに困った。聞いているのではなく、独り言のようにさえ思えたからだ。

 それでも、しばらくしてから答えた。

「より良い社会を造ろうとすることが、間違いだったとは思いません」

「……だろうな」

 その言葉を最後に、また沈黙が訪れた。

 自分にも「殺しのプログラム」は備わっているのだろうか?

 大森はふとそう思った。

 おそらく、いや間違いなくあるだろう。

 幼い頃、特に理由もなく毛虫を踏み潰して殺したことを思い出した。

 それが人間に向いた時、自分は抑えることができるだろうか?

 答えは出ない。

 黄昏時を過ぎた空は暗かった。

 闇の中に二人を乗せた車が走っていく。頼りないヘッドライトの光だけが道を照らしている。


 カーラジオは、遠方で同様の事件が起きたことを告げていた。

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