第10話:大阪での夜
気がつけば、元いた泉の広場が眼前に広がっていた。明日翔を見て怪訝そうな表情を浮かべる人々に、いたたまれなくなる。
だが、浴びている血の量が尋常ではないせいか、誰も悲鳴をあげて逃げるようなことはなかった。
「何かの撮影だとでも思われているのでしょうね、そちらのほうが都合がよろしいですけれど」
ユラが嘆息混じりに言うと、明日翔は「まったくだ」と頷く。それから何事もなかったかのように理事長の案内のもと、ホテルへと歩いて行く。
念の為、明日翔の要望したように全員が彼を取り囲んだが、明日翔が一番身長が高いせいで、何の意味も成さなかった。
ホテルは泉の広場から近く、明日翔には一人部屋が与えられた。教頭はどうやら大阪に実家があるらしく、実家に泊まるようだ。
明日翔は部屋に到着するやいなや、部屋の内装や雰囲気などには一切目もくれず、服を脱いでシャワールームに直行した。
血を洗い流したはいいが、返り血に汚れたスーツを見ながらバスローブを着て、深い深いため息を吐く。
すると、コンコンと扉を叩く音が聞こえた。
「はーい」
返事をして開けると、明野理事長がズカズカと入ってきた。
「とりあえず、これを」
彼女が両手で差し出してきたのは、男性用の服だった。ちょうど明日翔の身長に合うXLサイズの白無地のパーカーに、スウェットのズボン。
明日翔は「ありがとうございます」と言ってから受け取ると、理事長に見えないようにシャワールームで着替えた。
「それから、汚れたスーツは私がクリーニングに出しておきますね」
理事長は、なぜかベッドに腰をかけながら言った。
「お願いします」
「一瞬で終わるので、明日の夜半にはお持ちします」
「じゃあ学校には間に合いますね」
「はい」
なぜ一瞬で終わるのだろうと疑問には思ったが、もう聞かないことにした。きっと魔法ですとだけ答えられてしまうだろうし、そう答えられてしまえば明日翔にはそれ以上返す言葉がないのだ。
当の理事長はというと、明日翔の脱ぎ散らかしたスーツとシャツを丁寧に畳んで洗濯ネットに入れた後、彼女の持っていたランドリーバッグに入れた。
「それで、どうしてベッドで寛いでるんです?」
「今晩は大人同士でお話、したいなと思いまして」
理事長が言い終えた瞬間、隣から真理の元気の良い声が響いてきた。隣の702号室は真理とユラの部屋、反対側の隣の704号室は優花と夏菜子の部屋になっている。
それぞれが楽しく過ごしているのだろう。
明日翔は「ふっ」と笑った後、バッグから財布を取り出した。
「それなら酒とツマミが要りますね」
「いいですね、生徒達にはお菓子とジュースを差し入れましょう」
「あと晩飯どうします?」
「申し訳ありませんが今日はコンビニご飯です。大阪グルメは明日堪能することにしましょう」
「正直ありがたいですよ、クタクタなので」
一瞬でケリがついたとはいえ、マモノとの戦いは流石に明日翔にとっても重労働だった。深刻なダメージを受けたわけではないが、心身共に倦怠感が強い。
よいしょ、と可愛らしい声と共に立ち上がった理事長と連れ立ってホテルを出た。近くのコンビニに入って、適当にカゴに入れていく。
優花には激辛カップラーメンと野菜スティック、真理にはナポリタンとサラダ、ユラには幕の内弁当、夏菜子にはかき揚げそばと助六寿司を買った。
「もう皆さんの好みを把握しているのですね」
「それなりにですけどね、優花は辛党仲間だし真理は結構子供舌だし、ユラはおかずの種類が多いのが好きで、夏菜子は結構和食が好きなんですよね」
「ふむふむ、ぴったりですね」
理事長がカゴを覗き込みながら、こくこくと頷いた。それから自分の分の弁当をカゴに入れている。理事長は、焼き肉弁当だった。
明日翔は優花に買ったのと同じ激辛カップラーメンと、ツナマヨ明太子の爆弾おにぎり。それからビールと焼酎をいくらかカゴに入れ、理事長は甘い酒をカゴに入れる。
あとは適当にコーラとポテチなんかをカゴに入れて、会計を済ませた。当然のように、理事長の奢りだった。
真理とユラの部屋の扉をコンコンと叩くと、真理が元気よく飛び出した。
「はいはあい! なんでしょお!」
「晩飯とお菓子と飲み物の差し入れだ」
言ってから小分けにして貰った袋のうち、ユラと真理の分を手渡すと、真理はニヘラと顔を綻ばせた。
「わー! ありがとうございますう!」
「ちょっと、あなた声が大きいですわ。一般の利用客もいるのですから、ご迷惑にならないよう……」
「そんな優花先輩みたいなこと言ってえ~」
部屋の奥にいるらしいユラといつも通りの会話をしながら引っ込んでいくのを見て、明日翔は扉を閉めた。
今度は優花と夏菜子の部屋の扉を叩くと、案の定、優花が扉を開けた。
「これ、差し入れだ。晩飯もある」
「助かるよ柊管理人」
「夏菜子とはうまくやれてるか?」
「別に問題はないよ、私も何でもかんでも突っかかるわけじゃないからね」
唇を尖らせる優花に「すまんすまん」と謝ると、彼女は「ふふ」と笑った。
「今日は私たちのことは気にせず、ゆっくりしているといい」
「おう。だけどなんかあったら呼んでくれ」
「流石にないと思うけどね……食べて遊んで寝るだけだよ」
「まあ、それはそうだな」
一礼して「それじゃあ」と扉を閉める優花に、明日翔は「優花もゆっくり休めよ」と声をかけた。
それから自分の部屋に戻り、ケトルでお湯を沸かす。理事長は、自身の焼肉弁当を電子レンジで温める。
二人の食事が出来上がり、明日翔はビールを開けた。理事長も甘い酒を開ける。
「それでは、お疲れ様です」
「はい、お疲れ様です」
缶をコツンと合わせ、明日翔はビールを喉に流し込んだ。冷たさと炭酸の刺激が一気に喉を駆け抜けていく感覚が心地よく、思わず「あぁ~」と声を漏らす。
「この間まで子供だったと思っていたのに、変な気分です」
「親戚のおばさんみたいなことを言いますね」
「実質そんなようなものじゃないですか」
「そうかもしれませんね」
つられて返事をしたが、明日翔には明野理事長と子供時代に会ったという記憶がない。ただただ、後見人である叔母の親友であるという事実だけで反射的に返事をしてしまったことに、苦笑を零した。
甘い酒を心底美味しそうに飲む理事長に呼応するかのように、明日翔もまたビールを煽る。
「明日翔くんはあれですね、いつまで隠すおつもりですか?」
「……何のことでしょう」
あまりに唐突に話を切り替えられたせいで、ビールが気道に入りかけて一瞬焦ったが、努めて冷静に返した。
そんな明日翔を見透かしているのか、理事長は笑みを浮かべている。
「あなたが魔法を使えるという事実です。それもかなり特殊な」
「……どこまで知っているんです?」
「全部ですよ。あなたの過去も背負うものも全部です」
「おばさんが話したとか?」
全部知っていると語る彼女の口ぶりには、真実味があった。
だが、理由と言えば叔母が話したということくらいしか思い浮かばない。彼女の魔法が明日翔も知らないような特殊なものであったとして、全てを知ることができるほど便利なものではないだろう。
全てを簡単に知ることができるのなら、管理人など必要ないはずだ。
少なくとも、明日翔はそう思った。
「まあそういうことにしておきましょう」
「絶体違うやつじゃないですか」
「それで、最初の質問に戻りますが、いつまで隠すおつもりですか?」
今度は、彼女は笑みを浮かべてはいなかった。ダンジョンに入るときと同じように、余裕がありそうでどこか真剣味を感じる表情に見える。
明日翔は残ったビールを一気に飲み干し、今度はカップの芋焼酎を開ける。
それから枝豆を一房食べて、芋焼酎で流し込んで、ゆっくりと口を開いた。
「必要に駆られなければ、いつまでも」
「そうですか」
「まあでも、近いうちに必要に駆られるでしょうね」
「それは、どちらのことを言っています?」
「どっちもです」
はあ、とため息を吐く明日翔の脳裏に、在りし日の情景が浮かぶ。目の前を赤く染める血の海。崩れ落ち、壊れ、抉られていく両親の体。
そして、自分を庇って肉片と化してしまった優しかった姉の姿。明日翔の心の禁忌が、脳内で少しずつ存在感を増していった。
明日翔が家族を失ったあの日、彼の家族を奪ったのは、明らかに魔法だった。魔法の存在を知ってから調べたところによれば、あれは殺意や憎悪に呼応する魔属性の魔法だ。
非常に珍しいその魔法を使った魔法傷女は、今、どこにいるのだろう。そんな疑問が、首をもたげる。
「あなたの望みは復讐ですか?」
「……すごくズケズケと踏み込んできますよね、理事長」
「ふふ、私はそういう存在なので」
「はあ……まあ復讐もありますね」
家族を、大事な姉を奪った魔法傷女を許すことは難しかった。忘れようとしていたし、一時期は実際に忘れてしまっていたが、一度思い出してしまえば忘れることも許すことも難しい。
(そもそも、あれ以来会っていない奴をどう許せって言うんだ)
明日翔は自嘲しながら、天井を見上げた。
「ただ、復讐だけじゃないんです」
「というと?」
明日翔が管理人として働きたいと思ったとき、その胸中には2つの気持ちがあった。
ひとつは、復讐心。
もうひとつは――。
「偉そうですけどね、魔法傷女を救いたいんですよ。魔法が暴走しないように、トラウマを受け入れられるように」
「マモノにならないように?」
「そして人として生きていけるように、です」
そんな、優しい心だった。
だから明日翔は、芋焼酎を飲みながら、照れくさそうに笑えた。彼は復讐心を持っているし、人一倍、魔法傷女や魔法という現象への執着心が強い。
それでも、復讐者ではなかった。
ただ、どこにでもいるトラウマを抱えた人間の一人でしかなかった。
そんな明日翔の言葉を聞いた理事長は、コトンと缶を置いて、ふうと一息吐いた。
空気が、少しだけ鋭くなったような気がした。
「あなたのその優しさが、仮面が、いずれあなたを追い詰める気がしてなりません」
芋焼酎を飲もうとして持ち上げていた手が、ピタリと止まる。背後から後頭部を殴られたかのような感覚に、目眩がしそうだった。
何も言えずにいる明日翔の肩を、理事長が優しく叩く。その柔らかな衝撃に振り返ると、彼女は母親のような微笑みを浮かべていた。
「まあ、今は色々忘れて楽しみましょう。夜はまだこれからですよ?」
「はあ、理事長はマイペース過ぎますね」
「ふふ、よく言われます」
「でしょうね」
ふふふと笑う理事長に、明日翔はいつも通りの乾いた笑いを返した。
二人の飲み会は、時計の針が2を指す頃まで続いた。すっかり出来上がった明日翔は、理事長が自身の部屋に戻るのを見届けた後、ベッドにダイブした。
理事長が座っていたせいか、妙に心地よさを感じる甘い匂いがして、明日翔は目を閉じるなり眠りに落ちた。
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