第3話:温かい力
夕飯の後、ダイニングテーブルでくつろいでいると、インターホンの音が鳴った。真っ先に立ち上がった優花を制止し、明日翔が玄関へと向かい、扉を開ける。
現れたのは、どこからどう見ても少女だった。
だが、不思議なオーラがある。気を抜けば気圧されて、後ずさってしまいそうなほど。
その人物に、明日翔は見覚えがあった。
「たしか面接で見た……」
「星雲学園理事長、
「ああ、理事長でしたか、これは失礼しました」
後頭部を掻く明日翔に、ふふふと微笑む明野理事長。急な訪問に面食らいながらも、明日翔はその笑みに苦笑で返した。
「まずは初日から大変でしたね、と労います」
「労うってそういう伝え方するものでしたっけ」
「本来は私が学内の案内などをするべきでしたが、少々立て込んでいて失念していました」
「そうでしたか、でも地図を見たので大体は把握しています」
実際、今朝だって優花と愛璃に先導されながらではあるものの、問題なく教室まで来られた。
明日翔の返答がお気に召したのか、理事長はまたふふと笑う。
「ここからが本題なんですけどね」
言いながら、明野理事長の顔が引き締まったように感じた。和やかだった空気が一変、ヒリヒリと肌を刺すような緊張感を抱く。
明日翔はゴクリと生唾を飲み込んだ。
「くれぐれも、彼女らの心の傷に無闇矢鱈に触れないよう、注意してください」
ドキリ、と心臓が跳ねる。まさか自分の思惑がバレているのではないか、と一瞬冷静さを失い欠けたが、すぐに落ち着きを取り戻した。
「わかりました」
「ええ、頼みましたよ」
「ですが、知らなければ触れないよう気をつけることも難しいのでは?」
もしかしたら、という期待を込めて聞くも、目の前の威圧感を放つ少女は目を細める。値踏みするかのように、ジロジロと見てくる理事長の視線から逃れたくて、明日翔は目を逸らした。
「管理人の仕事をしていれば、そのうち嫌でも知ることです」
「そ、そうですか」
「それに、乙女の心の傷を私から漏らすわけにはいかないでしょう?」
その返しを聞いて、落胆するどころか、明日翔は胸を撫で下ろした。
(理事長はちゃんと魔法傷女のこと、生徒として大切に思ってるのか)
「それでは、よろしくお願いしますね」
「はい、こちらこそ」
明野理事長が一礼したのを見て、明日翔も礼を返した。
顔を上げた瞬間、彼女はいなくなっていて、明日翔は目をぱちくりとさせた。
「何者だよ、あの人」
見た目はまるっきり少女。銀髪長髪の美少女で、髪の毛をモルフォの羽根を模しているかのような綺麗なサファイアブルーの髪留めで括っている一風変わった女の子だ。
だが、接していると不思議な感覚になる。まるで何十年も生きている老人と対峙しているかのような、錯覚を覚えるのだった。
「はあ、疲れたな」
肩を落とし、一息吐くため中庭に向かった。ベンチに座り、タバコを取り出し、火をつけようとしたところで、ライターを部屋から持ってきていないことに気づいた。
部屋に取りに戻るか、と立ち上がったところで優花の姿が見えた。こちらを見て、微笑みを浮かべながら指先に火を灯している。
「お、さんきゅな」
その火を借りてタバコに火をつけ、一服。薄紫の煙を吐きながら、ベンチに深く腰掛けて、空を見上げた。雲ひとつない星空が、明日翔を見下ろしている。
「こんなことにしか役立てられない魔法だから」
どこか寂しそうに呟く優花が、隣に腰掛けてきた。
「そうか? 炎って一番使い道ありそうだけどな」
「そうでもないよ。料理がしたいならコンロを使えばいい、タバコを吸いたいならライターを使えばいいからね。炎なんて、一番科学で代用可能な魔法だよ。人殺しでもしない限り、役立たない」
「ま、そうかもな」
しかし、明日翔は羨ましいと思った。
自身の前に立って、人差し指から炎を出し、こちらに差し出していた彼女を見て、そう思ったのだ。
「だけど憧れだな」
「憧れ?」
「ああ」
笑いながら言う明日翔の隣で、自らの魔法を卑下した少女が首を傾げている。
「ほら、男の子の夢だから、手から炎出すの」
「そういうものなのか?」
「そういうものなんだよ」
今でこそスーツに身を包み、常に気だるげな雰囲気を纏わせている老け顔の大人だが、明日翔にも少年時代があった。
在りし日に想いを馳せながら、明日翔は苦笑する。
「だってかっこいいじゃん、炎使いって。アニメとか漫画とかでも優遇されがちだし、一度も憧れない男はいないだろうな」
明日翔が臆面もなく言い放つと、優花が口元に手を当ててくすくすと笑う。
「なにそれ」
そして立ち上がり、くるりと振り返り、掌から炎を出してみせた。星空に照らされ、宵闇の中で輝く彼女の手が、炎の光に照らされる彼女の顔が、やけに綺麗に思えて明日翔は息を呑む。
「どう? かっこいい?」
「お、おお、かっけえな」
「リアクション薄いね」
炎を消しながら笑う彼女の顔から、目が離せない。彼女の魔法は本当は視線誘導か何かなのではないか、と存在しない魔法の存在を感じてしまいそうになるほど、彼女は美しかった。
だが、どこか儚げに見えて、途端に胸が苦しくなった。
どこか悲しそうに、苦しそうに笑う優花。
(きっと本当は、やりたくなかったんだろうな)
それでも、かっこいいと憧れると言った明日翔のために、見せてくれたのだろう。
「ふう、そろそろ寝るね」
踵を返す優花の背中が、煤けて見える。
「ま、でもさ、優しいお前に炎魔法ってのは、なんか切ないもんがあるな」
寂しそうに丸まっている背中に向けて投げかけた言葉は、しっかりと彼女に届いたのか、優花の背中がピクリと震えた。
「わたし、別に優しくなんかないよ」
その声色は、ここに来てはじめて聞く冷たさだった。
すぐに「ふふっ」とこれまでの調子で笑っているが、明日翔にはその顔が笑っていないのではないかと思えてならなかった。
「おやすみなさい、管理人さん」
「おう、おやすみ」
彼女が部屋に戻るのを見届けて、タバコの火を消す。結局一服しかしないままに消してしまったタバコの吸い殻を灰皿に落とし、また空を見上げた。
満天の星空はやはり、明日翔達を変わらず見下ろしているように感じた。
「理事長にはああ言ったが、俺は彼女らの傷を抉りに来たんだよな」
ふう、と息を吐く。
少し、肌寒くなってきたなと苦笑した。
「お互いにとって、苦しい道だな」
誰にでもなく呟き、自嘲する。
しばらく、ぼうっと星空を見つめた後、自室に戻り、泥のように眠った。
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