魔法傷女寮の管理人~その仕事は魔法少女のトラウマを抉ること~

鴻上ヒロ

第1章:怒りを規定する

第1話:魔法傷女寮へようこそ

 柊明日翔ひいらぎあすかは、スマホを睨みつけていた。魔法傷女まほうしょうじょ寮管理人規則と書かれたテキストファイルに目を通しながら、前方をチラチラと確認して歩く。


「魔法傷女か……」


 魔法傷女。魔法因子というものを持ち、心の傷を負った魔法が使える少女のことをそう呼ぶ。少年の場合は、魔法傷年だ。

 大人は性別問わず、魔法使い。調べたことを振り返りながら、何の捻りもないなと苦笑した。

 明日翔も、最近知ったことだった。魔法は都市伝説として囁かれてはいるが、ずっと眉唾だと思っていた。

 (それが、魔法傷女の寮の管理人になるとはな)

 自嘲気味に笑いながら、眼の前の建物を睨む。

 10年ほど前、東京に新たに建設された埋立地、星雲島。そこにできた私立高校、星雲学園の敷地の端にある古風な木造建築の邸宅。

 そこが、明日翔の職場だった。


「気合い入れるか」


 明日翔にとっては、はじめての職場だ。大学を中退して、職に就けず、魔法傷女寮に入ることになったのだ。募集要項をほとんど満たしていないにも関わらず、採用されたのには、自身でも驚いたものだが。

(おばさんのコネか)

 しかし、縁故採用上等だ。

 頬を叩き、深く息を吸う。

 そして、魔法傷女寮の門をくぐり、扉を開けた。


「降りろ、魔法を妄りに使うのはやめるんだ、真理まこと

「だって浮きたくなったんですもん!」

「は……?」

 

 目に飛び込んできたのは、浮遊する栗色の髪の少女。30センチほどだろうか、ふわりと宙に浮いたまま、ニヘラと笑っている。

 

「へ?」

「あ」


 目があった。瞬間、スカートがふわりと舞い上がる。明日翔は咄嗟に目を逸らしながら、目を覆った。


「誰え!? 見たあ!?」

「新しいここの管理人だ、あと見てない」

「管理人さん!? 聞いてないですよお!」

「今日管理人が来ると、わたしが前々から告知してあっただろう」


 足音が聞こえて安心して目を開けると、真理と呼ばれていた少女は、ふわりと着地した。

 小首を傾げる浮遊少女の後ろにいる黒髪長髪の凛とした表情と立ち姿の少女が、彼女の頭を優しく叩いた。


「痛いですよお! 優花ゆうか先輩ぃ!」

「君が人の話を聞かないからだよ」

「あの」

「ああすまない、放置してしまっていたね。ひとまずこちらへ」


 優花に促されて靴を脱ぎ、上がり込む。

 二人の後ろをついて歩きながら、明日翔は先程の光景のことを考えていた。先程のアレは、紛れもなく魔法だ。浮遊魔法は、風属性に分類される魔法の初歩である。

 風で体を持ち上げているのだ。

 そんなことを思い出しながら歩いていると、ダイニングテーブルが置かれた広々とした部屋に着いた。ダイニングテーブルの前の椅子に、金髪ポニーテールの少女が姿勢よく座っている。

 ダイニングテーブルの誕生日席に座るよう、優花に促されて座り、あたりを見渡す。ローテーブルとソファもあり、その前には大型の液晶テレビも置かれている。

 ダイニングテーブルの近くには、アイランドキッチンもあった。

 外観の割に洋風な内装だ。

 

「そちらが新しい管理人ですの?」


 金髪ポニーテールの少女が、囁くように言った。優花が頷くと、ポニーテール少女は、ふうと息を吐いて「そうですの」と零した。


「では自己紹介をしようか。まずは管理人から」


 優花に言われて、肩を竦めて立ち上がる。どうやら優花は仕切り屋タイプらしい。管理人を差し置いて、この場を支配している彼女に、不思議と嫌な気持ちはしなかった。

 背筋を正して、三人の顔を見る。

 じっと見つめてくる優花に、姿勢を正しながらもこちらを見ようとはしないポニテ少女、頭をゆらゆらと揺らして鼻歌を歌う真理。先が思いやられるようだった。


「新しく魔法傷女寮の管理人になった柊明日翔だ」

「他にはないのか?」

「年齢は二十歳、魔法は使えない」

「使えない? そんなことがあり得ますの?」


 だよなあ、と頭を掻く。

 魔法傷女寮の管理人の採用条件のひとつに、魔法が使えることという項目があった。

 優花も流石に驚いたのか、目を大きく見開いている。


「魔法が使えない代わりに、料理が得意だ」

「いや代わりにならないですわ!」


 (ポニテ少女はツッコミキャラ、と)

 心のメモにポニテ少女への印象を追加して、淡々と自己紹介を続ける。


「あとは独学で武術の心得がある」

「独学の武術は喧嘩殺法って言うんじゃなくて?」

「いやそれも違うだろう」


 ツッコミに違和感があったのか、優花が正した。

 明日翔が言うだけ言って座ると、まばらな拍手が起こる。もっとも、拍手をしているのは優花だけだから、まばらどころの話ではないが。

 続けて、優花が立ち上がった。


「わたしは響優花、学年は3年、魔法は炎属性……発火だ」

「おお、ライター要らずだな」

「ん? 管理人は喫煙者なのかな?」

「ああ」

「中庭が喫煙スペースになっている。副流煙は謎の結界に遮断されるから受動喫煙は気にしなくていい」


 謎の結界とはなんだろうか。魔法だろうか。

 (にしても、炎か)

 魔法は、心的外傷により発現する。トラウマとなった出来事に深く紐づいている感情と、魔法の属性は呼応しているらしい。

 炎属性は怒りだ。

 目の前で淡々と自己紹介を終えて着席した優花に、どのようなトラウマがあるのだろうか、とふと思った。かつての、傷を負った彼女は、一体どのようなことで怒ったのだろうか。


 続けて、真理が立ち上がる。


「私は奏真理かなでまことです! 元気だけが取り柄です! 2年です! 魔法は風! 浮遊しかできませんが!」

「ああ、さっき見たな」

「やっぱり見たんですね!?」

「そっちは見てないぞ」


 元気だけが取り柄と言うだけのことはあり、ハキハキと大きな声だった。

 ただ、笑顔が自分に向けられていないことに少しの居心地の悪さを覚える。

 (風魔法かあ)

 風魔法は、喜びと紐づいているらしい。喜びがトラウマとは、一体どういうことだろうか。考えてみるも、明日翔にはいまいち想像がしにくかった。

 

 続いて、やれやれと言わんばかりに嘆息しながらポニテ少女が立ち上がった。


音無おとなしユラですわ。1年生ですの。魔法は草属性です」

「草属性か、何ができるんだ?」

「茨を生やして少しだけ操れますわ」

「なるほど」


 なるほどとは言ったものの、よくイメージできなかった。

 管理人をしていれば、見る機会はいくらでもあるだろう。明日翔はひとまず、疑問を棚上げすることにした。

 草属性は、嫌悪だ。

 これはまだ想像しやすかった。嫌悪感がトラウマとなる出来事など、考えればいくらでも思い当たる。

 

 自己紹介を終えて、気がついたことがある。優花は友好的に思えるが、残り二人は警戒しているということだ。

(まあ、当然だな)

 新しい管理人として来た人間は、成人男性。自分たちは高校生の女の子。警戒しないほうが無理というものだろう。

 警戒心を隠そうともせずにムスッとした顔をして横目でチラチラと見てくるユラを見て、明日翔は気合いを入れ直した。これから少しずつ、警戒心を解いていこう、と。

 

「では管理人、夕飯前に寮を案内しよう」

「おお、助かる」

「二人はくつろいでいるといい」

「言われなくても、ですわ」

「ゲームしてまあっす!」


 リビングから出ると、長い廊下が広がっていた。廊下はコの字に広がっており、その中央には中庭がある。喫煙スペースと言っていただけのことはあり、灰皿とベンチが置かれていた。


「あの喫煙スペースは歴代管理人の憩いの場だ」

「みんな喫煙者だったのか?」

「何人かは非喫煙者だったけれど、大抵はね」


 廊下を歩いていると、部屋がいくつか見えた。扉は鍵付きの襖で、名札が掲げられている。各人の部屋らしい。

 そして突き当りを曲がり、コの字の終着地点突き当りの部屋に、管理人室と書かれた札が提げられていた。


「ここが管理人の部屋だ、ひとまずその大きな荷物を置いてくるといい」

「お気遣いどうも」


 事前に受け取っていた鍵をポケットから取り出して差し込み、襖を開ける。部屋はパッと見、8畳ほどに見えた。外観上は四畳半くらいしかなさそうだったのに。

 そのうえ、家具まで備え付けられている。アンティークな本棚に、本が詰まっている。本棚の前にはこれまたアンティークなデスクがあり、椅子があり、入口から見て右側の壁にはベッドがある。

 まるで書斎と寝室が一体化したような空間だった。

 椅子にカバンを置いて、なんとなしに本を見る。


「これ、全部魔法関連の本か」


 あとで目を通しておこう、と思いながら優花を待たせていることに気づき、部屋を出る。


「外観と内観に差があるのは、わたしも詳しくはないが、魔法らしい」

「だろうね」

「あ、トイレは反対側の突き当りだ」

「風呂は?」

「これから案内する」


 言いながら、中庭に出る。コの字の開かれた部分が中庭だが、コの字なので当然壁はなく、どこかに繋がっているようだった。

 中庭から出ると、そこは草原……と見間違いそうになるほどの巨大な庭のようだった。立派な枯山水まである。

(嘘だろ、俺これも管理するの?)

 しかも、担任教師もやりながら。これからの日々のことを思うと、目眩がしそうだった。


「そしてそこが風呂だ」

「ええ……」


 優花が指した方向にあったのは、銭湯のような建物だった。邸宅の中に銭湯がある。奇妙な空間に、明日翔はもう考えるのをやめた。


「よし、受け入れた」

「今度の管理人は適応が早くて助かるよ」

「考えてもわからんからな、無駄に考えて無理に理解しようとするより、あるがままを受け入れた方が良いということもある」

「その考え、嫌いじゃないよ管理人」


 どこか上から目線にも感じる優花の言葉に、明日翔は苦笑した。

 嫌じゃなかった。彼女が、微笑んでいたから。

 傾きかけた陽の光に照らされて、彼女の白い肌が、柔和な笑みが目に焼き付いてしまった。


「これで寮のツアーはおしまいだ、どうだったかな? 柊管理人」

「一人暮らしに戻れなくなりそうだな」

「戻ることはないよ、あなたが仕事を辞めない限りはね」

「努力しよう」


 言いながら笑い合う。

 少しは、うまくやっていけるような気がした。庭園に吹き抜ける風が頬を撫でる感覚に目を細めながら、空を見る。

 これから始まるであろう、恐らく激動の日々に思いを馳せた。明日翔の仕事は、魔法傷女寮の管理、彼女らが通う特別学級の担任教師、そして魔法傷女の管理だ。

 魔法傷女寮管理人規則のひとつが、思い起こされる。


 彼女らの心の傷に触れてはならない。


(ま、こればっかりは守る気はさらさらないがな)


 目の前で同じように空を見ている優花を横目に見ながら、頷いた。そうして心のなかで呟く。まずは彼女からだ、と。

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