第13話 美紗和の意外性

 シェアハウスに戻ると美紗和さんが奥のキッチンテーブルで紅茶を飲んでいた。そのままそっと二階に上がろうかと思ったがそっと近寄った。

「あらいやだ。こんなぼんやりしているところを見られるなんて」

 確かにそうだ。始めて会ったときから彼女は、常に活発に動き回って、スラッと延びた足からほどよくくびれた腰と肩までのラインに躍動美を感じて、両肩に流れ落ちる黒髪も風に揺れるとその輪郭までも滑らかに映し出してくれる。そんな彼女が双眼に憂いを深く沈めた瞳のままで居れば、こっちも吸い込まれそうでじっとしておられない。そのまま彼女に歩み寄ると山上は一瞬にして妖気を含んだ鋭く延びる細い瞼の中心に光る瞳に魅入られた。

「いつまで見るつもりなの?」

 大人びていた美紗和さんが、急に少女のように見えると頭の中が錯乱してしまう。

「梨沙ちゃんはどうだったの」

 今朝までの美紗和さんに戻ったようだ。

「何だ知ってたのか」

 やっとこっちも普通に戻れた。

「これでも伯父さんから此の家を任されているからね」 

「いつもそうして一人の時は神経を尖らせてるの」

「そんな風に見えたの、まあいいわ。梨沙ちゃんが此処でチェロを珍しく弾いてるの見たと思ったら一緒に行っちゃうんですもの。あの子は伯父さんも自分本位だともちろん好い意味で見ているわよ」

 梨沙もそうだが、芸大生は普通科と違って教材費というか彼女の場合は楽器だが、結構お金が掛かって遣り繰りが大変だった。そこで見付けたのが此のシェアハウスだ。

「それで入居者の基準は何なの?」

 特に決まってない。問題事を起こしそうもない人を選べば、梨沙ちゃんはさっぱりして伯父も気に入ったようだ。なるほど、言われてみれば山上が不動産屋の社員で梨沙のような子が来れば、同じような印象で気軽に応じていただろう。

「梨沙ちゃんのチェロはほとんど聞かないんですか」

「だから昨日も言ったように文化祭で聞いたのよ。梨沙ちゃんだけでなく美由紀ちゃんも憲和くんも芸大の生徒の作品は文化祭でなく学園祭か、そこで一応拝見させてもらいました」

「憲和くんか、彼は彫刻だけど何を彫ってるんです、伯父さんが言っていた。やはり仏像ですか、見てどうでした」

「う〜ん、学園祭で見たのは、お寺にある厳ついものでなく、菩薩のようなものを彫っていたのよ」

「それは完成品ですか」

「まだだと言っていたわよ、でも今年の学園祭は別なものを展示するらしいの」

「菩薩のあの柔らかい線を彫るのは無理なのか」

 憲和の場合は初対面のあの仏頂面で彫ってるらしい。それで黙っているときもいつも無愛想な顔になるが、慣れれば気にする必要はないと言われた。それより祥吾君の方が余程上手く持って行かないと話が続かないらしい。先ずは付き合いのある吉行君から仲良くなれば、自然と祥吾君とも上手く行くとアドバイスもされた。

「それで賄いを雇う話はどうなんです」

「伯父様は、意外とすんなり聞いてもらえて、来週から来てくれる人のめどが立ったのよ」

 吉行君と山上さんからあたしの負担が多すぎて大変だと言ったそうだ。伯父様はどうやら柳沢君がそう言うのならと決めてくれた。

「何だそれは」

「伯父様は吉行君を相当気に入ってるのよ。だから山上さんも先ずは吉行君から接すれば自ずと上手く行くと思うわよ」

 冴木さんを山に例えれば柳沢吉行くんはそこまでに行くベースキャンプと言われれば、俄然と目標の聳え立つ山を目指す登山家の気分に浸れた。

 美紗和は父に頼まれて伯父の様子伺いにやって来た。もし伯父が亡くなれば親子供の居ない伯父の財産の総ては弟が相続人になる。そこまで考えてないのか美紗和は父に確かめた事はなかった。父も純粋に兄が気になった以上は、余計な詮索はしない方が親身になって見られる。そう思っていたところに、父は伯父の精神状態を確かめるように山上を寄越した。正確には友人である阿倍に相談した結果、彼が来た。

 美紗和は山上が来てから今までの考えを一新させるべきか悩んでいた姿を先ほど見られた。

「冴木さんは柳沢吉行君の性格以外では何が気に入ったんですか」

「そうね、此処で今まで車の免許を持っていたのはあたしと吉行君だけだったからかしら」

「つまり、美紗和さんが無理な時は、柳沢君に頼めるメリットがある訳なんですか。そもそも免許のない人が何で車を持っているんです」

「嗚呼、あの車の持ち主、名義は伯父様だけど、あたしが此の家に来るときに買ってもらたのよ」

 それで伯父は車の便利さにスッカリ馴染んでも回数は抑えていた。そこに吉行君に目をつけてあたしの代わりを務め出すとあのシェアハウスのメンバーから吉行君は頭一つ突き出て伯父と接する機会が増えたのも理由の一つに挙げた。

「でも彼は会社の休みの時だけでしょう」

「そうね、でも、それだけに結構寄り道させられるのよ。まあ、そのほとんどがついでに昼食時に結構値の張るレストランに行かされてるみたい。もちろん伯父の奢りだけど」

「そうか、じゃあシェアハウスの面々の中では柳沢君が冴木さんの癖を良く知っているのか」

 今日一緒だった梨沙ちゃんは、冴木については突っ込んだ話は出来なかった。美紗和さんの話では他の芸大の生徒も冴木に関しては似たり寄ったりらしい。そこへ行くと社会人の北原祥吾君はまだましなようだが、彼に近づくには柳沢君を手なずけるのが一番の近道らしい。

「でも学生と違って社会人なら中々誘う機会が少ないなあ。彼は休みの日はいつもどうしてるんです」

 吉行君は真面目にやっていて用がなければ出歩かない。そこも伯父に好かれて用もないのに連れ出すこともあるらしい。平日の夕食後が一番接触し易いそうだ。

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