第9話 冴木の前の会社

 シェアハウスの住人はみんな出てしまった。冴木さんは朝から部屋に籠もって外出するかどうか判らないなら此処に居てもしゃあない。アニメの下書きという触れ込みはあっても山上は得意でなく部屋に戻って暫く窓から市内を眺めた。吉報は寝て待てと言うが今回初めて美紗和さんから代わりに山上が運転を頼まれた。

 シェアハウスの前は道路だが車を数台置くスペースがある。冴木さんはごく普通の車でセダンタイプの乗用車だ。山上が車で待機していると冴木がやって来た。

 そこそこの収入はあるが形振なりふりを構わないのか、待たした車に貧相ないでたちで後部座席に乗り込んだ。服装とチグハグなここら辺りが新たに判った特徴だ。

「いつもなら姪に頼むのだが今日はあいにく締め切りに間に合わないアニメの下絵で、山上君、君も運転がいいそうで、来て早々で代わりを引き受けてくれたそうだね」

 それよりも行き先を言われなければ車は出せない。取り敢えず裏は池と山で南に向けて車を走らせた。

「どちらに行くんですか」

「まだ行き先を言ってないなあ。北山通りに出て下鴨本通を下がってくれ。君は美紗和のお父さんからの伝手で、うちのシェアハウスに入居したが、どういう付き合いなんだ」

「美紗和さんもお父さんも知らないんですよ。お父さんと僕が大学でお世話になった先生と友人関係があるんです」

「なんだ、そうか。それじゃあまったく姪もその親も関係なかったんか」

「それじゃあこれから行くところも全く知らないなあ」

「ええ、それで何処に行くんですか?」

「わしが前居た会社だ」

「美紗和さんの話では出版関係の会社ですか」

「何だ聞いているんか」

「ハア、まあそうです」

「亡くなった父が勤めていた会社から独立して、父が別に作った会社だ。顧客が少なくてかなり規模は小さな会社だが意欲だけは凄いから、君が見てもこれからの人生設計に好い刺激になるかもしれん。まあそれは君次第だ」

「それほどの会社なら別に辞めなくても良いんじゃないですか。役員待遇でしたら定年はないでしょう」

 親から尻を叩かれてやっただけで性に合わなかった。それでも何とか自分を誤魔化しながら勤めていただけに、親の死に目でやっと吹っ切れた。これでのんびりとやるつもりが、しがらみがなくなり自由に成ると、あれほど忌み嫌ったものが一気に心の奥底でもぞもぞし出して、こうして偶に会社を訪ねたくなる。自分でもその動機が今ひとつ判らない。

 冴木は流れる車窓を見ながら独り言のように呟いた。そのまま語っていると急にそこを曲がってくれて指示された。車はかなり南の方まで走っていた。言われた五条通を曲がるとふた筋目の細い道に入り、次からは細かく道順を指示されて裏手のコインパーキングに車を駐めた。此処で待たすわけにも行かないと会社まで案内された。

 表通りに出で五階建ての雑居ビルに入り、エレベーターに乗り三階で降りた。エレベーター前の通路の先に入り口のドアが見えた。ドアを開けて直ぐ前に受付のカウンターがあった。直ぐ隣には人の肩ほどある植木で囲われた六畳ほどの自販機のある休憩スペースがあった。冴木さんはそこに山上を待たして、パソコンが載った机が並ぶ隙間を通り抜けて奥の部屋に入った。この間に見知った社員とは軽く挨拶をしていた。指示された場所で缶コーヒーを買って一台だけ置かれたソファーに座った。座ると社内の様子がさっぱり判らないまま待期すると一人の若い男性社員が休憩に来た。彼は缶コーヒーを買うと隣に座った。

「あれ、今日は姪御さんじゃあないんですか」

 嫌に馴れ馴れしい男だ。それで此処での冴木さんを見ると美紗和さんの影響力だと思えてくる。

「と言いますと冴木さんはよくここに来るんですか?」

「いや、しょっちゅうじゃないですが、あの人が来るときはいつも美紗和さんと一緒なんでね」

 やはり此処では美紗和さんの人柄が受けて、冴木さんは社長でそうも行かないか。でも少ない人数ならもっと身近に振る舞っても好いのに、矢張りそう謂う性格なのか。

「そうでしたか、此処は冴木さんが元いた会社ですね」

「そうです。定年を待たずに辞められて、まあ、なくなった社長の息子だった人ですから退職金なんて気にしてなかったでしょうね」

 なるほど言われてみればそんな気がするが。

「それで冴木さんはどんな人なんですか」

「お宅は?」

「いやー、これは失礼。美紗和さんの代わりですが親戚じゃなくて、あの家のシェアハウスに入居したばかりの山上といいます」

「そうですか、此処に入ってまだ未熟者ですが今岡です。冴木専務は余りユーモアには通じない人ですね。家でもそうなんですか」

 うん? 社長でなく専務か? 余り会社には関わりたくなかったのか。社長の長男なのに、精神分析が又やりにくい。

「まだ日が浅さ過ぎて込み入った話はしてませんが冴木さんは此処では専務でしたか」

「専務と言っても社員は二十人ほどですから」

 さっき入り口で見たところ十人ぐらいだ。机だけで空席が多いのは出払っているんだろう。

「辞めたのに冴木さんは此処に何しに来るんです」

 居たくなかったのに来るなんてますます冴木が判らなくなる。

「それはみんな気にしてます。なんせここに来ればそのまま奥の部屋に直行ですから」

 奥には冴木の弟が現在では社長だ。そこに辞めた兄が時々来て会社の状態を訊きに来れば社員は気になる。

「それを社員はどう思ってるんです」

なんか落ち着かないようです。疑心暗鬼って言うやつですか」

 今更取って代わる気はないだろう。

「そうかなあ、家での見た目では、そんな野心はさらさらなくて、のんびりと楽しんでるようですよ」

 とは言ったものの奥で社長とは何を話しているんだろう。

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