第2話 先生からの依頼2

 先生の言葉に偽りはなかった。バス停から十分どころかその半分で着いた。冴木永一の家は道路沿いにあり、裏は深泥池の渕ギリギリに建てられた奇妙な形の洋館だった。場所が場所だけに、一軒だけ周囲の住宅から切り離された中に建って、しかも雑木林の中に溶け込んでいる。一軒家のせいかかなり大きく見えた。二階建てだが後ろは雑木林の隙間から深泥池が望めて、前は高台で近辺の町並みが一望できた。

 インターホンを押すと若い女性の声で先生から聞いた美紗和さんだろうと推測した。山上の来訪も予定していたらしく、目鼻立ちの整った若い女性が直ぐに出てこられた。

 年の頃は二十代半ばか。冴木永一が還暦の六十として弟は幾つだ。そもそも先生の友人の冴木は先生の歳からして五十代か、その娘なら三十代。友人の冴木が晩婚かそれとも多い兄弟の末娘なら、まあ、二十代で歳は合うか。

 目まぐるしく計算をしているうちに山上さんかと訊かれた。シェアハウスに女性は二人居ると聞いたが此の時間帯なら姪の美紗和さんで、聴けば間違いなかった。美紗和さんはお父さんから聞いて待っていたようだ。背も普通でほっそりとして高く見えた。髪はそのまま肩から胸の辺りまである。細く切れ込んだ瞼から覗く瞳は愛くるしい輝きを放っている。こんな姪御さんの世話を受けている冴木永一は何が憂鬱なのか、美紗和さんを見る限り不満は妻に出来ない一点に尽きるような気がした。それでは山上の出番がないし、先生にお呼びが掛かるはずもなかった。これは根が深いと、先生は教え子に教え込んだ実績を見込んで、山上に白羽の矢を立てたと推測した。

「冴木永一さんはいらっしゃいますか?」

「ええ、その為に来たのでしょう。部屋も用意してます」

 さすがは先生だ。そこまで話をつけていたのか。

 玄関から招き入れると直ぐに十二畳ほどの抜き抜けのダイニングルームになっていた。向かい合えば八人、両端も椅子を置けば十人座れるダイニングテーブルがあり、奥のキッチンとの間に料理や食器を受け渡すカウンターがある。片隅にある二人用のテーブル席を勧められて座った。この上に二階に上がる階段があった。

「伯父さんには僕の事は何て言ってるんです」

 紅茶を用意してくれた美紗和さんが、席に着くなり切り出した。

「新しいシェアハウスの住人だと言って、事実そうでしょう。まさか毎日、日帰りで伯父のケアするつもりはないんでしょう。伯父は見た目は普通の人と変わらなければ、一緒に暮らさないと症状も原因も分かる訳ないものね。夕食時にみんなそろうから、その時に紹介するわよ」

「その前に伯父さんと会わないと」

「その前にオートロックの番号を言っておくわ」

「いいんですか今着いたばかりなのに、伯父さんに断られたらどうします」

「簡単よ番号は直ぐに変えられるから」

「エッ、それもそうですが、若くはない伯父さんがいちいち覚えるのは大変でしょう」

「そうでもないわよ。伯父さんはいいものは直ぐに取り込む人ですから」

 一人暮らしには広い家を持て余していて、壊してマンショに立て直しを美紗和さんのお父さんが勧めた。伯父さんは此の古い家に拘って、受け容れてくれなかった。そこで壁で仕切っていくつかの部屋に分散させてシェアハウスにする案に、伯父さんは「建物がそのまま残ってこれはいい」とあたしの遣り方に直ぐに賛成してくれた。

 玄関のドアも4桁の番号で開くオートロック式で、歳の割にこれも鍵を持つのが面倒くさい冴木永一氏の特長だと聞かされた。それにこれだけ居住者が多いといちいち鍵を作るのも面倒くさい。頭の中に鍵を入れてしまえばそれで済むし、何かあれば鍵を付け掛けなくても直ぐに暗証番号を変えればいい。こんな便利なものはない。これが還暦を迎えても、物事に対して柔らかい一面を持てる人なんですよ。伯父さんは若いあたしたちとやっていることが変わらない。気に入った物を頑固に拒むのでなく、手を加えて便利になればどんな遣り方でも気にしないそうだ。リフォームされた此の家を見れば伯父さんの頭の中も少しは解るかも知れない。

「だから先ずはリフォームされた家の中を案内します」

「エッ! 今は誰も居ないんですか」

「平日の昼間は伯父以外は、みんな大学とか仕事に出掛けているわよ」

「そうか」

「山上敬一さんでしょう」

 先生は名字しか言ってなかったのか、フルネームを確認された。

「ええ」

「あなたがここに来た訳を知っているのは、此処ではあたしだけですから。昼間も此処で伯父を観察するのでしたら。いわいる在宅職業を考えないと疑われるわよ」

「それもそうだ。意図が解れば警戒されて解析が困難になるなあ」

「そうね、あたしは此処でアニメーションの下書きをしてそれをネットで制作会社に送っている。山上さんもその関係で此処でアニメーションの下書きして貰うとなればどうでしょう。それと車の免許持っているんでしょう。あたしは此処で伯父さんの運転手もやってるの。それをあなたにして貰えば、あたしの仕事もはかどる。それでどうかしら」

「それはいい。何でも冴木さんの傍なら症状もよく解るし。ところで伯父さん、今日は部屋にいるんですか?」

「ええ、これから家の中を案内して、最後に伯父さんに紹介しますので、よろしく」

 直ぐに案内せずに山上を待たして、先ずテーブルに残ったティーカップをかたづけた。若い人にしてはきちっとしている。これが冴木家の躾なのか、それとも美紗和さんの性格なのか最初に思いあぐねた。 





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