第19話 覚悟~Side白~
コミティア3日後の朝。水曜日。
目覚めると、スケッチブックが開いたままだった。
昨夜、涙を流した後のページ。
「課題4: エロへの向き合い方が甘かった」
この一文が、あたしを見つめている。
……もう、逃げない。
今日から、本気でやる。
羞恥を、捨てる。
エロ漫画については、作品によって良し悪しがある。絵で惹かれるものは例外なく肉感がすごい。ちゃんと骨格・筋肉脂肪のラインを描くことがエロティズムにつながるのは間違いない。あとはこれをあたしが魅力的に描けるかだ。
パソコンを開く。
Pixivのランキング、R-18作品。
……恥ずかしい。
でも、やる。
上位10作品を開く。
1作品目。キスシーン。
正面だけじゃない。横から、斜めから、アップ。舌が見える。唾液の表現。密着感。
スケッチブックにメモを取る。
「キス:角度を変える。舌を描く。密着感。」
2作品目。肌の描写。
ツヤがある。影のつけ方が丁寧。柔らかそう。肉感がある。
「肌:ツヤ、影、柔らかさ、肉感」
3作品目。本番シーン。
体位がわかる。角度を変えて何コマも描いてる。アップ、引き、斜め。表情が豊か。感じてる顔、恥ずかしそうな顔。
「本番:体位を明確に。角度を変える。表情を豊かに。」
10作品、全部見る。
……恥ずかしい。顔が、熱い。
でも、羞恥心なんてクソ喰らえだ。
エロを描くには、何が必要か。そこをはっきり捉える必要がある。
傾向が見えてきた。
さあ次だ。
あたしはスマホを取り、黒澤にメッセージを送る。
『この後来られる?』
すぐに既読がつく。
『ああ』
『来てちょうだい。この前の続き』
『わかった』
メッセージを閉じる。
……緊張する。
でも、やるしかない。
1時間後、黒澤が来る。
部屋に通す。
二人とも、気まずい。
あたしは深呼吸して、切り出す。
「……エロビデオ、見たことある?」
黒澤が固まる。
「……は?」
「見たことある?って聞いたの」
黒澤は眼鏡を直す。
「……ある」
「なら、悪いのだけど、あたしの前で見てちょうだい」
「え?」
目を丸くする。
「あたしは女子だから男子がどのシチュエーションでどう興奮するのか、どこを見ているのかがわからないの。だから、あたしの前で見て、説明して頂戴」
当惑しているのが伝わる。それはそうだろう。
「──わかった」
蓮も覚悟を決めた顔で頷いた。
パソコンで動画サイトを開く。
R-18動画を検索。
再生。
……気まずい。
すごく、気まずい。
でも、勉強だ。
画面では、ナンパもののAVが始まる。
街角での声かけ。会話。ホテルへ。
あたしは黒澤をちらりと見る。
「どう?」
「……何が」
「興奮した?」
黒澤の顔が赤くなる。
「……いや、まだ」
画面では、服を脱がせるシーン。
黒澤の視線が、そこに釘付けになる。
「……今は?」
「……」
「正直に言って。資料なんだから」
「……少し」
「どこに?」
「……服を脱がすときの、見えるか見えないかのところ」
「……なるほど」
メモを取る。
「脱衣:見えるか見えないか。焦らし。ゆっくり描く」
画面では、女優がいよいよ脱衣を終える。
手で恥ずかしそうに局部を隠している。羞恥の表情。恥ずかしそうに、でも誘うように。
黒澤の視線が、そこに集中する。
隠す手元。
そして、羞恥の表情。
あたしは黒澤をちらりと見る。
……真っ赤な顔でじっと見てる。チラチラこっちを見てるが気にしない。
「……今、どこ見てた?」
「……手元」
「手元?」
「……隠してる、手」
「そこなの?」
「……それと、表情」
「表情?」
「……恥ずかしそうな顔」
「なんで?」
「──なんでだろう」
「頑張って分析しなさい」
「その──、恥ずかしがってるのを見ると……手を外して見たくなる、から……か?」
メモを取る。
「手で隠す羞恥。隠す手元と羞恥の表情。セット」
黒澤は眼鏡を直す。
癖だ。
緊張してる時の。
あたしもメモを取る。
体位、角度、表情、動き。
全部、メモする。
画面が次のシーンに切り替わる。
体位が変わる。
黒澤が少し身じろぎする。
……やっぱり、意識してる。
あたしも意識してる。
すごく。
でも、これは勉強だ。
男性がどこに反応するか。
それも、資料。
30分ほど見る。
停止。
二人とも、顔が赤い。
「……参考になったわ」
「……ああ」
「強調したほうがいいところがわかったわ。ありがとう」
「──それはなによりだ」
「その……それじゃ今日は」
「──ああ」
黒澤が帰る。前かがみで。
◆
黒澤が帰った後、一人自室部屋に残されたあたし。
……恥ずかしかった。
すごく、恥ずかしかった。
でも、参考になった。
黒澤がどのタイミングで何を見てどう興奮するのか。
でも――
まだ足りない。
肌の描写。
肉感。
柔らかさ。
これは、見るだけじゃわからない。
自分の体を、見ないと。
……やるしかない。
全身鏡を部屋の中央に移動する。
重い。
両手で持ち上げて、ゆっくりと運ぶ。
床に下ろす。
鏡が、あたしを映す。
スケッチブックと鉛筆、そしてお父さんに買ってもらった分厚い解剖学図鑑を用意する。
スケッチブックを開く。
手が、震える。
……本当に、やるの?
部屋の鍵をかける。
カチャリ、という音。
誰も入ってこない。
誰にも見られない。
でも。
……恥ずかしい。
深呼吸。
吸って、吐いて。
もう一度。
……やる。
手を、上着の裾にかける。
ゆっくりと、脱ぐ。
上着。
スカート。
ブラジャー。
手が、止まる。
……最後。
下着に手をかける。
心臓が、バクバクしてる。
ゆっくりと、下ろす。
素っ裸。
鏡に映る自分。
裸の、自分。
見慣れたはずの自分の裸体なのに、何故かすごく恥ずかしい。
思わず、手で胸を隠す。
さっき、AVで見たみたいに。
……あ。
これか。
隠す手元と、羞恥の表情。
鏡の中のあたしは、真っ赤な顔で身体を隠してる。
──っ
腹をくくると、あたしはゆっくりと手を下ろす。
深呼吸。
これは、勉強。
技術向上のため。
エロを描くには、肉感をそしてエロティズムを理解しないと。
……やる。
鏡を見ながら、解剖学図鑑を開いて、自分の身体を描く。
正面から。
鎖骨のライン。
解剖学図鑑のページをめくる。
鎖骨、胸鎖乳突筋、僧帽筋。
骨格と筋肉の構造。
それが、肌の下にある。
鏡の中の自分の鎖骨を見る。
線を引く。
首から肩への流れ。
胸の形。
図鑑を見る。
大胸筋、乳房組織。
自分の整った乳房をまじまじと見る……恥ずかしい。
でも、これは解剖学。
技術。
鏡を見る。
胸の膨らみ、下側の影。
線を引く。
……恥ずかしい。
手が、震える。
でも、描く。
お腹の柔らかさ。
腹直筋のライン、でも柔らかい。
脂肪の層。
太もものライン。
大腿四頭筋、でも女性の柔らかさ。
ゆっくりと、線を引く。
横から。
鏡の前で、身体を横に向ける。
体のS字ライン。
頸椎から、胸椎、腰椎、仙骨。
背骨のカーブ。
それに沿って、身体が曲線を描く。
胸の膨らみ。
横から見ると、重力で形が変わる。
お尻の丸み。
大臀筋。
でも、柔らかい。
描く。
斜めから。
鏡の前で、身体を斜めに向ける。
肩のライン。三角筋。
腰のくびれ。外腹斜筋。
脚の曲線。
全部、描く。
それから――
床に座る。
鏡を見る。
座った姿勢の自分。
……太ももが、潰れてる。
立ってる時と、全然違う。
柔らかいから。
脂肪が、圧力で形を変える。
これだ。
これが、肉感。
図鑑には載ってない。
生きてる身体の、柔らかさ。
これを描かないと、エロくならない。
鉛筆を動かす。
潰れた太もも。
柔らかさ。
お尻の形も変わる。
座ると、広がる。
全部、描く。
照明の角度を変える。
デスクライトを、上から。
鏡を見る。
影が、下に落ちる。
鎖骨の下、胸の下、お腹。
影が、立体感を作る。
ツヤは、上側に。
肩、胸の上側、太ももの上側。
光を受けて、輝く。
描く。
それから、ライトを横から。
影の位置が、全部変わる。
横に落ちる影。
身体の片側が明るく、片側が暗い。
コントラスト。
肌のツヤが、違う場所に現れる。
全部、描く。
スケッチブックにメモを取る。
「光源の位置で、影とツヤが変わる」
「肉感は、陰影で表現する」
何枚も、描く。
立ち姿。
座った姿勢。
横を向いた姿。
斜めから。
光を上から。
横から。
斜めから。
それぞれ、影の落ち方が違う。
ツヤの位置が違う。
立体感が、変わる。
……わかってきた。
エロを描くには、これが必要だった。
肉感。
陰影。
柔らかさ。
でも――
まだ、足りない。
さらにあたしは──
深呼吸。
……やる。
胸を張る。
胸を強調したポーズ。
鏡を見る。
……恥ずかしい。
でも、これもエロ漫画でよく見る。
描く。
それから。
……M字開脚。
床に座る。
脚を開く。
ゆっくりと。
もっと。
もっと。
鏡に、全部映る。
局部まで。
……恥ずかしい。
すごく、恥ずかしい。
まじまじと見たことがなかった。
自分の、こんなところ。
顔が、熱い。
真っ赤になってる。
心臓が、バクバクしてる。
でも。
これも、描かないと。
エロを描くなら。
手が、震える。
鉛筆を持つ手が。
……描く。
視線を、鏡に向ける。
自分の、一番恥ずかしいところ。
線を引く。
形を、捉える。
……恥ずかしい。
でも、描く。
黒澤は、こういうのを見て興奮するのね──
……あたしは手を止める。
って、なんで黒澤なのよ!
頭を振る。
リセット。
これは、勉強。
技術向上のため。
……細かいところまで、描き込むか一瞬、逡巡する。
でも。
あたしは覚悟を決めたのだ。
羞恥心を捨てる覚悟を。
……描く。
全部。
そして深夜。
一通り描き終える。
あたしは、いそいそと服を着る。
下着。
ブラジャー。
スカート。
上着。
やっと、人間に戻った感じ。
スケッチブックを手に取る。
パラパラと、めくる。
自分の裸体。
何枚も。
正面、横、斜め。
座った姿勢。
色々な光源。
胸を張ったポーズ。
M字開脚。
……恥ずかしい。
すごく、恥ずかしい。
でも。
初めて自分の裸体を、客観的に見た。
肉感。
陰影。
柔らかさ。
全部、わかった。
『隣の席の吸血鬼』よりは、明らかにうまく描ける。
その……エロく、描けると思う。
でも。
あたしは女子だ。
本当のところ、どうだか自信が持てない。
男性の視点で、本当にエロいのか。
黒澤なら、どう思うのか。
……この取り組みは、まだ終われない。
明日。
明日、蹴りをつけよう。
明日のことを思う。
顔が、真っ赤になる。
……恥ずかしい。
でも、やる。
絶対に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます