第17話 反省~Side白~

コミティアの翌日。月曜日。朝。


目が覚める。


……あ。


顔がベタベタする。


化粧を落としてない。


服も、昨日のまま。


……寝落ちしてた。


昨日の夜。


コミティアから帰宅して。


部屋に入った途端、ベッドに倒れこんだ。


そのまま、気絶するように眠ってしまった。


疲れてた。


すごく、疲れてた。


朝5時起きで、会場設営。


6時間、ずっと立ったり座ったりしてた。


声をかけた。


でも、売れなかった。


そして撤収作業。在庫26冊を段ボールに詰める。


重い。


家まで運ぶ。


電車に乗って帰宅。ラッシュにぶつかり立ちっぱなし。


……もう、限界だった。


ベッドに倒れこんだ途端、意識が落ちた。


そして、今。


朝6時。


時計を見る。


……学校、行かなきゃ。


でも――


体が、重い。


起き上がれない。


顔を洗いに行く気力もない。


……でも、行かなきゃ。


なんとか起き上がる。


洗面所へ。


鏡を見る。


……ひどい。


化粧が崩れてる。


目の下にクマ。


髪もボサボサ。


顔色も、悪い。


……最悪。



授業中、机に突っ伏してた。


……眠い。すごく、眠い。


先生の声が、遠い。


ノートに何も書けない。ペンを持つ手が、重い。


そして、昼休み。


「遥!」


綾が駆け寄ってくる。


「大丈夫? すごい顔してるわよ」


「……え?」


「目の下にすごいクマ。顔色も悪いよ。何かあった?」


綾が、すごく心配そう。


……言えない。


コミティア行って、4冊しか売れなくて、疲れ果てたなんて。


「……ちょっと、寝不足で」


「寝不足? 徹夜でもしたの?」


「……まあ、そんな感じ」


嘘じゃない。


昨日は帰宅してすぐ寝落ちしたけど。


その前の夜は、黒澤と反省会してたし。


「無理しないでね。保健室、行く?」


「……うん、ちょっと休むわ」


綾が、背中を押してくれる。


「ちゃんと休みなさいよ。午後、授業あるんだから」


「……ありがと」


保健室へ向かう。



保健室で、ベッドに横になる。


保健の先生が、心配そうに声をかけてくる。


「大丈夫? 顔色悪いわよ」


「……ちょっと寝不足で」


「無理しないでね。お昼まで寝てていいわよ」


「……ありがとうございます」


目を閉じる。


……綾、心配してくれた。


優しいな。


でも、言えない。


同人誌のこと、誰にも言えない。


コミティアで売れなかったこと。


在庫が26冊残ったこと。


レビューで酷評されたこと。


全部、秘密。


黒澤と、二人だけの秘密。


……疲れた。


すごく、疲れた。


でも――


諦めない。


次は、もっと上手く描く。


目を閉じたまま、決意する。



放課後、重たい体を引きずってやっと帰宅。


一秒でも早くベッドに倒れこみたい。


でも――


……その前に。


机に向かう。


目の前には、『隣の席の吸血鬼』。


あたしたちの第1作。


印刷された同人誌。


コミティアで4冊売れた。


26冊、在庫が残った。


……なぜ、売れなかったの。


悲しい。


でも、今は冷静に考えたい。


何が悪かったの。


何が足りなかったの。


あたしは、スケッチブックを開く。


分析メモを書き始める。


「『隣の席の吸血鬼』失敗分析」


まず、絵作り。


あたしは、絵を頑張って描いた。


丁寧に、綺麗に。


でも――


売れなかった。


なぜ?


ページをめくる。


1ページ目。教室のシーン。


2ページ目。ハルトとルイーゼの会話。


3ページ目。


……うん、悪くない。


あたしなりに、頑張って描いた。


でも――


売れなかった。


何が悪かったんだろう。


わからない。


絵は、描けてる。


黒澤のネームも、悪くないはず。


でも、4冊しか売れなかった。


……もしかして。


Pixivを開く。


ランキング上位の漫画。


人気作品を、見てみる。


1ページ目。


……あ。


アップの構図。


次のコマは、引きの構図。


その次は、斜め上から。


次は、真下から。


色々な角度で、描いてる。


それで――


動きが出てる。


迫力が出てる。


あたしの漫画を、もう一度見る。


1ページ目。顔のアップ。


2ページ目。バストアップ。


3ページ目。また顔のアップ。


4ページ目。全身。


5ページ目。また顔のアップ。


……全部、正面から。


同じような構図が、続いてる。


人気作品と、比べると――


変化がない。


カメラワークが、単調。


だから、退屈なんだ。


……気づかなかった。


描いてる時は、気づかなかった。


一枚一枚、丁寧に描くことに集中してた。


全体を通して見ること、考えてなかった。


人気作品と比べること、しなかった。


だから、気づけなかった。


スケッチブックに、メモを書く。


「【課題1: 絵作りが単調】」

・構図のバリエーションがない

・正面ばかり

・カメラワークの工夫なし

・アングルの変化なし

・人気作品と比較しなかった


次。


エロ絵。


12ページ目。


キスシーン。……恥ずかしい。なんで、自分で描いた絵ってこんなに恥ずかしいんだろう。


でも、冷静に見る。


正面から、二人がキスしている。


確かに、キスしてる。


でも――


……エロくない。


なぜ?


Pixivでエロ絵を見る。


ランキング上位の作品。


キスシーンでも、色々な描き方がある。


横からのキス。舌が見える。


斜めからのキス。表情が見える。


アップで唇だけ。密着感がある。


……あたしのは、正面だけ。


唇が触れてるだけ。


舌も見えない。


密着感もない。


だから、エロくない。


13ページ目。


ベッドシーン。


二人が抱き合ってる。


服を脱いでる。


でも――


……肌の露出が少ない。


Pixivのエロ絵を見る。


肌の描写が、丁寧。


肌の質感。


柔らかさ。


ツヤ。


影のつけ方。


全部、エロい。


あたしの絵は――


肌が平面的。


ツヤもない。


影も薄い。


……肉感がない。


体が、柔らかそうに見えない。


だから、エロくない。


スケッチブックに、追加でメモを書く。


「【課題2: エロ絵が弱い】」

・キスシーンの角度が単調

・舌や密着感がない

・肌の描写が平面的

・肉感がない

・ツヤや影の表現が甘い


そして――


本番シーン。


14ページ目。


二人が結ばれるシーン。


……省略しすぎた。


黒澤のネームにも、具体的な指示がなかった。


「ベッドシーン」とだけ書いてあった。


あたしも、どう描けばいいかわからなかった。


だから――


抱き合ってる絵。


肌が少し見える絵。


それだけ。


何をしてるか、わからない。

どういう体位なのか、わからない。

どういう表情なのか、わからない。


……全部、曖昧。


Pixivのエロ漫画を見る。


R-18の作品。


本番シーンの演出が、すごい。


体位がわかる。


角度を変えて、色々な構図で描いてる。


表情も、豊か。


恥ずかしそうな顔。


感じてる顔。


切なそうな顔。


全部、伝わる。


あたしの絵は――


何も伝わらない。


ただ、抱き合ってるだけ。


……これじゃ、エロくない。


エロ同人誌なのに、エロくない。


致命的。


スケッチブックに、さらにメモを書く。


「【課題3: 本番演出が不十分】」

・体位が不明瞭

・角度の工夫なし

・表情が描けてない

・何をしてるか伝わらない

・省略しすぎた



さらに、考える。


なぜ、あたしはエロを描けなかったの?


……恥ずかしかったから。


エロ絵は、Pixivで描いてた。


でも、それは一枚絵。


シチュエーションだけ。


漫画で、ストーリーのあるエロは――


初めてだった。


どう描けばいいか、わからなかった。


黒澤のネームも、曖昧だった。


「キスをする」「抱き合う」「ベッドシーン」。


具体的な指示がなかった。


だから、あたしも困った。


でも――あたしが、ちゃんと描くべきだった。


参考資料を見るべきだった。

Pixivで、エロ漫画を研究するべきだった。

エロビデオをみて、構図や肉感、表情を分析するべきだった。

リアルな体を見て、細部をもっと分析するべきだった。


でも、恥ずかしくて、逃げた。


……その結果が、これ。


エロくない、エロ同人誌。


全部、あたしのせい。


スケッチブックに、最後のメモを書く。


「【課題4: エロへの向き合い方が甘かった】」

・恥ずかしくて避けた

・参考資料を見なかった

・エロ漫画の研究不足

・一枚絵とストーリーのあるエロは違う



次の日。火曜日。


学校の授業は、上の空だった。


先生の話が、頭に入ってこない。


昨日見つけた課題のことばかり、考えてた。


構図のバリエーション。


肉感の出し方。


エロシーンの演出。


全部、勉強しないと。


昼休み。


食堂に向かう途中、綾に声をかけられた。


「遥、大丈夫?」


「え?」


「さっきの授業、全然聞いてなかったでしょ」


綾は、いつもの落ち着いた口調。


……やっぱり、バレてた。


「ちょっと、考えごとしてただけ」


「また黒澤くんのこと?」


「違うわよ」


「そう?」


綾は、わかってない表情で笑う。


でも、否定はしない。


……綾には、話せない。


コミティアのこと。


同人誌のこと。


エロ漫画のこと。


全部、秘密。


「週末、何かあった?」


「……ううん。何もないよ」


「そう」


綾は、それ以上聞いてこなかった。


……ありがとう、綾。


でも、今は話せない。


「あのさ、遥」


「何?」


「最近、楽しそうだよね」


「……え?」


「なんていうか、前よりも……生き生きしてる」


綾は、静かに微笑む。


「……そう、かな」


「うん。悩んでることもあるんだろうけど、でも、いい感じだと思うよ」


……綾の言葉が、胸に沁みる。


そっか。


あたし、楽しんでるんだ。


悩みながらも。


失敗しながらも。


創作を、楽しんでる。


「ありがと、綾」


「うん。無理しないでね」


綾は、それだけ言って歩いていく。


……あたしは、一人じゃない。


わかってくれる友達がいる。


秘密は話せないけど。


でも、見守ってくれてる。


それだけで、力になる。


放課後、急いで帰宅。


部屋でPixivを開く。


……覚悟を決める。


ランキング上位のR-18作品を見る。


エロ漫画。


……すごい。


みんな、上手い。


構図も、色々。


アップ、引き、斜め、真上から。


同じシーンでも、角度を変えてる。


それで、動きが出る。


迫力が出る。


エロさが出る。


肌の描写も、すごい。


ツヤ。


影。


柔らかさ。


全部、伝わる。


でも――


……何が違うの?


あたしも、肌にツヤを入れた。


影も、つけた。


でも、全然違う。


何が、違うんだろう。


……検索してみよう。


Googleで検索する。


「魅力的なヒロイン 描き方」


検索結果が出る。


上位の記事を開く。


『魅力的な女性キャラクターの描き方 初心者が陥りがちな失敗例と改善法』


……記事を読み進める。


解説図が載ってる。


【NG例】なんとなくだけで描いた絵


女の子の全身図。


なんとなくで描かれてる。なにがなんとなくなのかわからないのだが、平面的。のっぺりしてる。


【OK例】筋肉と脂肪を意識した絵


同じポーズの女の子。


でも、全然違う。肉感が。なぜ?


「上腕二頭筋(力こぶ)」


腕の内側。力こぶのところ。線で、筋肉の盛り上がりを表現してる。滑らかな曲線ではなく、筋肉の凹凸を直線の組み合わせで表現している。


「三角筋(肩)」


肩の丸み。


線で、筋肉の境界を描いてる。


「広背筋(背中)」


脇の下から背中へ。


線で、筋肉の流れを表現してる。


「前鋸筋(ぜんきょきん)(脇腹)」


肋骨に沿って、ギザギザした形。


脇の下の部分。


腕を上げたポーズで、特に重要。


「大胸筋(胸)」


胸から脇へ。


女性キャラでは、胸の下のラインに影響する。


「上腕三頭筋(腕の後ろ)」


脇から腕へのつながり。


二の腕のライン。


「大腿四頭筋(太もも前)」


太ももの前側。


線で、筋肉の張りを描いてる。


「臀筋(お尻)」


お尻の膨らみ。


線で、脂肪の柔らかさを表現してる。


……すごい。


筋肉の名前、全部書いてある。


どこに、どういう筋肉があるか。


どう線を入れるか。


全部、解説されてる。


特に――


脇の部分。


三角筋、広背筋、大胸筋、前鋸筋、上腕三頭筋。


全部が、脇で交わってる。


複雑。


でも、ここが描けたら――


立体感が、すごく出る。


解説図を見る。


腕を上げたポーズ。

脇が見える構図。

前鋸筋のギザギザ。

広背筋の流れ。

三角筋の丸み。


全部、線で表現されてる。


そして線で描かれた女性の腕、脇、おっぱい。

それは、立体的でリアルで官能的だった。


解説文を読む。


「初心者はなんとなくの輪郭線だけでシルエットを描きがちですが、魅力的なキャラクターを描くには体の内部構造を意識することが重要です」


「特に脇は三角筋、広背筋、大胸筋、前鋸筋、上腕三頭筋が交わる複雑な部分ですが、ここを描けると立体感が格段に上がります」


「上腕二頭筋、三角筋、広背筋などの主要な筋肉の位置と形を理解し、その境界を線で表現しましょう。また、臀筋や太ももなど脂肪の多い部分は、柔らかさを意識して線を引くことで、肉感が生まれます」


……肉感。


そうか。


これが、肉感か。


あわてて、自分の絵を見る。


『隣の席の吸血鬼』の13ページ目。


ベッドシーン。


ルイーゼの体。


……。


……NG例、そのまま。


完全に、NG例。


筋肉なんて全く意識されてないなんとなくの曲線で構成された肢体。

それはそうだろう。だってあたしは筋肉の名前さえ知らなかったのだから。

……あたしの絵、ダメな例そのものじゃない。


愕然とする。


手が、震える。


……こんなの、描いてたの。こんなぼんやりした絵を、描いてたの。


肉感、ゼロ。

立体感、ゼロ。


……恥ずかしい。

すごく、恥ずかしい。


記事を読み続ける。


改善ポイントが書いてある。


筋肉の境界を意識する。脂肪の膨らみを線で表現する。なんとなくシルエットを描くのではなく、内部の構造を意識したうえで描く。


……全部、できてなかった。


全部、やってなかった。


スケッチブックに、メモを書く。


「【自分の絵の問題】」

・完全にNG例のパターン

・輪郭線だけで描いてた

・体の内部構造を無視してた

・だから肉感、ゼロ

・だから立体感、ゼロ


本番シーンも、すごい。


体位がわかる。

表情が豊か。

感情が伝わる。


そして――躍動感がある。


腕の筋肉。

太ももの脂肪。

お尻の膨らみ。


躍動感、それは動きだ。動くためには筋肉が機能する。どこに力が入っているのか、それが線で表現されてる。


立体的。

リアル。

そして、エロい。


……あたしの絵とは、全然違う。


次元が、違う。


でも――


やり方が、わかった。


参考になる絵や写真をお気に入りに追加していく。


参考にしたい作品。

構図がいい作品。

エロシーンが魅力的な作品。

肉感の表現が上手い作品。

全部、保存する。


恥ずかしい。


でも、やるしかない。


あたしは、エロ同人誌を描くって決めた。


なら、ちゃんと勉強しないと。


あたしは、スケッチブックを開いた。


練習を、始める。


次は、絶対。


もっと上手く描く。

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