第13話 作画~Side白~

週末。自分の部屋。


あたしは液タブに向かっていた。


画面には、黒澤が描いたネーム。


CLIP STUDIO PAINTを起動する。


新しいキャンバス。


B5サイズ、600dpi、漫画原稿用。


そしてスマホで撮影したネームを、クリスタに取り込んだ。順にページにレイアウトしていく。コマ割り、セリフ、構図、全部決まってる。


『隣の席の吸血鬼』第1話、16ページ分。


あたしは、これを元に絵を描くだけ。


……描くだけなはずなんだけど。


でも、手が止まる。


漫画の絵。イラストとは違う。


1枚じゃない。16ページ、全部描かなければいけない。


背景も、トーンも、効果線も。


……ちゃんと描けるかな。


不安がよぎる。


でも、やるしかない。


コミティアまで、あと2週間。


印刷所の締切は、1週間後。


……ヤバい。


でも、やるしかない。


ペンタブを取る。


……よし、始めよう。


1ページ目。ハルトとルイーゼが教室で出会うシーン。


ネームを参照しながら、下書きを始める。



1コマ目。


教室の全景。朝の光が差し込む。


黒澤のネームには、こう書いてある。


「教室の全景。朝の光。窓から光が入る」


……背景、描かないと。


あたしは、いつもキャラしか描いてこなかった。


Pixivに投稿する絵も、背景は適当か、単色。


でも、漫画は背景が必要だ。


……教室、どう描けばいいの?


ネットで資料を探す。


学校の教室の写真を見る。机の配置、窓の形、黒板の位置を確認する。


そして、描く。


パースを取って、消失点を決める。机を並べて、窓を描く。


……時間かかる。


でも、丁寧に。


1時間後。


「……やっと、1コマか」


遅い。


こんなペースじゃ、16ページなんて終わらない。


でも、焦っても仕方ない。


……丁寧に、一つ一つ。


2コマ目。


ハルトのアップ。無表情。


キャラクターデザインを見る。


あたしが描いた、ハルトのキャラデザ。


黒髪、無表情、冷たい目。


……これを、ちゃんと描かないと。


下書きをする。


顔の輪郭、目、鼻、口、髪。一つ一つ、確実に。


2時間後。


「……やっと、1ページの下書きか」


まだ、ペン入れもしてない。


トーンも貼ってない。


でも、少しずつ進んでる。


……頑張ろう。


ペン入れを始める。


Gペン。


筆圧に応じて線が細くなったり太くなったりと、強弱をつけていく。


髪の毛の流れ、服のシワ。全部、意識しながら。


……イラストとは、全然違う。イラストは、時間をかけて描ける。


でも、漫画は――


スピードも、必要だ。


でも、雑には描けない。


……黒澤が、ネームを頑張って描いたんだから。


あたしも、ちゃんと描かないと。


もう一度、ペンを取る。


丁寧に、でも素早く。


線を引き続ける。



その日の深夜。


「……ここまでか」


8ページまで描いた。


半分。


時計を見る。深夜1時。


……明日も学校あるんだけどな。


でも、続きを描きたい。


ここから先が、問題だから。


……エロシーン。


ネームをめくる。


12ページ目から、キスシーン。


13ページ目から、ベッドシーン。


……これ、描くんだ。


頬が熱くなる。


Pixivでエロ絵を投稿してる。


R-18のイラスト。


それなりに、エロい絵。


でも――


……黒澤が指定した構図を、描くんだ。


なんか、恥ずかしい。


黒澤のネームには、細かく書いてある。


『このコマは、キスシーン。アップで。二人の顔を大きく。表情が見えるように』

『このコマは、ベッドシーン。正面寄りの角度で。肌を露出させて』


全部、黒澤の指示。


……これ、黒澤が考えたんだよね。


黒澤が、このシーンを想像して。


このキスを、このベッドシーンを。


全部、考えて。


……顔、赤くなってる。


自分でもわかる。


でも、描かないと。


……あたしも、エロ漫画描くって決めたんだから。


恥ずかしがってる場合じゃない。


液タブを見る。


12ページ目。


キスシーン。


ハルトとルイーゼが、キスをする。


指定通りに、下書きを始める。


二人の顔。目を閉じて、唇が触れ合って。


また、顔が熱くなる。


でも、描き続ける。


ペン入れ。


目、唇、髪。慎重に、線を重ねていく。


トーンを貼る。肌と髪に。


……キス、できた。


画面を見る。


ハルトとルイーゼが、キスをしている。


綺麗に描けた。


……次は、ベッドシーン。


13ページ目。


指示を確認する。


「正面寄りの角度で。肌を露出させて」


……これ、どこまで描けばいいの?


R-15。


局部描写はダメ。


でも、それ以外は――


描いていいはず。


……参考資料、見るか。


Pixivを開く。


R-18タグで検索。


色々な絵が出てくる。


エロ漫画も、たくさんある。


構図を研究する。


「なるほど、この角度」


「この表情、いいな」


メモを取る。


そして、描き始める。


ベッドの上、二人の体。肌を露出させて。でも、局部は描かない。R-15の範囲内で。


ペンを動かす。体の線、表情、髪の流れ。全部、意識しながら。


……恥ずかしい。


でも、描き続ける。


ペン入れ。


トーンを貼る。


効果線を入れる。


深夜3時。


「……終わった」


13ページ目、完成。


エロシーン、描けた。


……やっと。


疲れた。


顔も、まだ熱い。


でも、達成感がある。


……あと3ページ。


もう少しで、完成だ。



翌日。


学校から帰って、即、液タブに向かう。


残り3ページ。


14ページ目、15ページ目、16ページ目。


締切まで、あと5日。


エロシーンの後、二人が結ばれる。


ハルトとルイーゼが、恋に落ちる。


最後のコマ。


二人が、抱き合う。


……これで、終わり。


ペンを動かす。


下書き、ペン入れ、トーン、仕上げ。最後の一コマまで、気を抜かずに。



3日後の深夜。


「……完成」


締切前日。ギリギリ間に合った。


16ページ、全部。


『隣の席の吸血鬼』第1話。


完成した。


……やった。


画面を見る。


1ページ目から、16ページ目まで。


黒澤のネームを元に、あたしが絵にした。


……綺麗に描けた。


満足感がある。


達成感がある。


でも――


……これで、いいのかな。


不安もある。


ちゃんと、面白いかな。


エロいかな。


読者に、届くかな。


……黒澤に、見せよう。


スマホを取る。


メッセージを送る。


『作画、完成したわ』


すぐに返信が来る。


『……マジか』


『見せてくれ』


あたしは、完成原稿をスマホで撮影して送る。


1ページずつ。


黒澤からの返信を待つ。


5分後。


『……すごいな』


『……本当に?』


『ああ。綺麗だし、エロい』


『エロいって……』


『褒めてるんだよ』


顔が熱くなる。


でも、嬉しい。


黒澤が、褒めてくれた。


『……ありがと』


『……次は、入稿だな』


『入稿?』


『印刷所に、データを送る。明日が締切だ』


『……明日!?』


『……ああ。表紙も必要だ』


『……今から描くの!?』


『……頑張ってくれ』


『……わかったわ』


ヤバい。徹夜だ。


あたしは、ネットで調べた。


同人誌の入稿方法、印刷所のサイト、データ形式、解像度、サイズ。全部、確認する。


……PDF形式で、600dpi、トンボつき。


クリスタで、PDFを書き出す。


全16ページ。


表紙。


まだ、描いてない。


……時間、ない。


でも、やるしかない。


あたしは、表紙を描き始める。


ハルトとルイーゼが並んで立っている。タイトルロゴ『隣の席の吸血鬼』、サークル名『黒白』。黒澤の黒、白石の白。全部、配置する。


2時間後。


表紙、完成。


……やっと。


時計を見る。朝5時。


締切は、今日の正午。


PDFを書き出す。


本文16ページと表紙1ページを、まとめる。


印刷所のサイトにアクセスする。


入稿フォーム。


データをアップロード。


部数の欄を見る。


……10部くらいでいいかな。


料金表を確認する。


10部:1冊あたり600円


30部:1冊あたり480円


……単価、全然違う。


10部だと6000円。30部でも14400円。


売値を500円にするなら、10部だと赤字確定。


30部なら、半分売れれば元が取れる。


……在庫リスクはあるけど。


でも、単価が高すぎる。


30部にしよう。


部数30部、サイズB5、中綴じ、納期2週間後。全部、入力する。


……これで、いいはず。


でも、ちょっと不安。


黒澤にメッセージを送る。


『部数、30部にしたわ』


すぐに返信が来る。


『……30部?』


『単価の問題よ。10部だと赤字確定だから』


『……なるほど』


『でも、もし売れ残ったら……』


『……その時は?』


『クラスのみんなに配るとか?』


『……冗談だろ?』


『冗談に決まってるでしょ!エロ漫画よ!?』


『……だよな』


『絶対売り切るから。大丈夫』


『……ああ』


メッセージを閉じる。


……30部、売れるかな。


不安はある。


でも、やるしかない。


確認画面に戻る。


間違いないことを確認して。


「入稿する」ボタンをクリック。


画面が切り替わる。


「入稿を受け付けました」


時計を見る。朝6時。


……やった。


間に合った。


入稿、完了。


『隣の席の吸血鬼』。


2週間後、本になる。


そして――


コミティア。


2週間後。


そこで、売る。


……本当に、ここまで来たんだ。


胸が、熱くなる。


でも、眠い。


限界だ。


黒澤にメッセージを送る。


『入稿、完了したわ』


すぐに返信が来る。


『……お疲れ様』


『……あんたもね』


『……計算したんだけど』


『……何を?』


『売値500円。原価480円。利益20円』


『……まあ、そうね』


『30部全部売れても、利益600円』


『……』


『俺たちの時給、プライスレス』


『……』


『……何それ』


『……冗談だ』


あたしは、思わず笑ってしまう。


徹夜明けで、頭がぼんやりしているのに。


『……でも、そうね』


『……ああ』


『お金じゃないわよね』


『……そうだな』


『……次は、コミティアだな』


『……そうね』


『……頑張ろう』


『……うん』


メッセージを閉じる。


……黒澤と、一緒に作った。


一人じゃなくて、二人で。


ライバルだったのに。


今は、パートナー。


……不思議ね。


でも、悪くない。


液タブを見る。


完成した原稿。


『隣の席の吸血鬼』。


……コミティア、楽しみ。


ベッドに倒れ込む。


そのまま、意識が落ちた。



翌朝。


学校。


「遥ちゃん!」


綾の声。


「……ん?」


振り向く。


「うわっ!」


綾が、驚いて後ずさる。


「……何よ」


「す、すごい顔……」


「……え?」


スマホのカメラで自分の顔を見る。


……うわ。


目の下にクマ。


髪もボサボサ。


顔色も悪い。


「……徹夜した?」


綾が心配そうに聞く。


「……ちょっとね」


「大丈夫? 保健室行く?」


「……平気よ」


平気じゃないけど。


でも、入稿は完了した。


それだけで、十分。


「無理しないでね」


綾が心配そうに見ている。


「……ありがと」



1週間後。


印刷所から、メールが来た。


「印刷が完了しました。会場への直接搬入を手配いたします」


……来る。


本が、コミティア会場に届く。


あたしたちの本が。


『30部、ちゃんと届くかな』


黒澤にメッセージを送る。


『……大丈夫だろ。印刷所に任せてある』


『……そうね』


でも、不安だ。


見本誌が欲しい。


『……見本誌、送ってもらえないかな』


『聞いてみるか』


印刷所に問い合わせる。


「見本誌を1部、自宅に送っていただけますか?」


翌日。


返信が来た。


「承知いたしました。見本誌1部をお送りします」


2日後。


自宅に、小さな封筒が届いた。


あたしは封筒を開ける。


中には――


本。


1冊。


『隣の席の吸血鬼』。


あたしは、手に取る。


……重い。


データじゃない。物理的な重さがある。


これが、本。


Pixivで何百枚も絵を投稿してきた。


いいねも、ブクマも、たくさんもらった。


でも――


これは、違う。


画面じゃない。紙。


データじゃない。物体。


あたしの絵が、物理的に存在している。


手に持てる。触れる。重さがある。


……初めて。


初めて、あたしの絵が本になった。


表紙。


ハルトとルイーゼが並んで立っている。


タイトルロゴ。


サークル名。


『黒白』


全部、あたしが描いた。


指で、表紙を撫でる。


紙の質感。インクの匂い。


……これ、本物だ。


ページをめくる。


1ページ目。


教室のシーン。


ハルトとルイーゼが出会う。


2ページ目、3ページ目……


あたしが描いた絵が、紙に印刷されている。


画面で見た時とは、全然違う。


紙の白さ。インクの黒さ。トーンのグレー。


全部、リアル。


ページをめくる感触。紙の音。


……本になった。


データじゃない。本物の本。


手に持てる本。


誰かに渡せる本。


書店に並んでいるような、あの本と同じ。


……すごい。


涙が、出そうになる。


あたし、本当に作ったんだ。


同人誌。


スマホを取る。


黒澤にメッセージを送る。


『見本誌、届いたわ』


すぐに返信が来る。


『……どうだ?』


『……すごいわね』


『写真、送ってくれ』


あたしは、表紙と中身を撮影して送る。


しばらくして、返信。


『……本になったな』


『……本当にね』


二人で、しばらくメッセージのやり取りを続ける。


完成した喜び、本になった感動。全部、共有する。


……次は、コミティア。


1週間後。


そこで、この本を売る。


……何冊、売れるかな。


不安もある。


でも、楽しみの方が大きい。


……頑張ろう。


あたしは拳を握った。


見本誌を抱きしめて。


この本を。

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