第10話 同人誌即売会~Side 黒~
翌日の放課後。教室の隅で、俺は白石に声をかける。
周りを確認してから、小声で。
「……なあ、漫画の勉強、どうしてる?」
白石も周囲を気にしながら、小さく答える。
「あたしはPixivでプロの作品研究してるわ」
誰にも聞かれないように、二人で小声で情報交換する。
クラスメイトたちは部活や帰り支度で忙しく、こちらに注意を払っていない。
でも、油断はできない。
「コマ割りとか、全然わからなくて……」
「あたしも。セリフの配置も難しいし」
白石が小さくため息をつく。
俺も同じだ。
小説とイラストは描ける。
でも、漫画は別物だった。
「……図書館に、漫画の描き方の本があったぞ」
「え、そうなの?」
「ああ。明日の昼休み、借りてくる」
「あたしも行こうかな……」
「……いや、二人で行ったら目立つ」
「……そうね」
白石が頷く。
確かに、俺たちが一緒に図書館に行ったら目立つ。
いつも張り合ってる二人が、なぜ一緒に?と思われる。
「ねえ、でもこれ……いつまでに完成させる?」
白石が聞く。
「……そうだな。期限がないと、ダラダラしちゃうかもな」
「そうよね。目標がないと……」
二人で考え込む。
具体的な目標。
いつまでに、何をするか。
でも、まだ答えは出ない。
「じゃあ、明日あたし先に帰るから、黒澤が図書館行ってきて」
「……わかった」
◆
翌日の昼休み。俺は図書館に来ていた。
目的は一つ。
漫画の描き方を学ぶこと。
棚を見る。
『マンガのコマ割り基礎講座』『視線誘導の技術』『セリフと吹き出しの配置術』『漫画演出の基本』
全部、借りることにする。
(……漫画、こんなに奥が深いのか)
小説を書くのとは、まったく違う。
レジに持っていく。
司書の先生が、本を見る。
「黒澤君、漫画の本?珍しいわね」
「……趣味です」
「ふふ、そう。頑張ってね」
(……バレてないよな)
優等生の俺が、エロ漫画を描くために勉強してるなんて。
もしバレたら、どうなる?
でも、今は気にしてる場合じゃない。
図書館の隅の席に座る。
本を開く。
『マンガのコマ割り基礎講座』
「コマ割りは視線誘導の基本である」
なるほど、Z字読みか。
右上から左上、右下、左下。
「キャラクターの位置関係を保つこと」
位置が逆転すると読者が混乱する、と。
(……確かに、俺たちそれやってたな)
白石が描いた漫画。
主人公とヒロインの位置が、コマごとに逆転していた。
あれが、読みにくさの原因だったのか。
メモを取る。
熱中する。
視線誘導の理論。
コマの大きさで、時間の流れを表現する。
セリフの配置は、読む順番を意識する。
全部、新しい知識だ。
――30分後。
「……ん?」
ふと、視線を感じる。
顔を上げると――
クラスメイトの佐々木が、俺の本を覗き込んでいた。
「黒澤、お前漫画描くの?随分熱心だな」
「!」
慌てて本を閉じる。
心臓が跳ねる。
「……いや、ちょっと興味があって」
「へー。意外だな。お前文学とか読んでそうなイメージだったけど」
「……まあ、な」
佐々木が笑う。
人懐っこい笑顔。
俺は、あまり佐々木と話すことはない。
向こうが一方的に話しかけてくることはあるが。
「俺も昔、漫画描こうとしたことあるわ。でもコマ割り難しくて挫折したんだよな」
「……そうなのか」
「ちょっと見せてみろよ。どんなの描いてんの?」
「やだよ!」
俺が即答する。
佐々木が目を丸くする。
「お、お前も恥ずかしいとかあるんだな」
佐々木が意外そうに笑う。
「……」
俺は黙る。
確かに、普段の俺なら「別に」とか冷静に断るところだ。
でも、エロ漫画は見せられない。絶対に。
(……しまった、反応しすぎた)
「でもさ、意外だわ。黒澤って漫画描くんだ」
「……何が意外なんだよ」
「いや、お前って勉強ばっかしてるイメージだったからさ。エンタメとか馬鹿にしてるのかと思ってたわ」
「そんなことねーよ」
俺が即答する。
佐々木が驚いたような顔をする。
「……俺だって、面白いもの好きだ」
本当だ。
俺は、物語が好きだ。
小説が好きだ。
漫画も、アニメも、面白ければ好きだ。
ただ、それを人前で言わないだけ。
「へー。いいじゃん、頑張れよ」
「……ああ」
佐々木が去る。
(……焦った)
バレたかと思った。
でも、まあ漫画描くこと自体は別に秘密じゃない。
エロ漫画を描いてること、それも白石と一緒に描いてることが秘密なだけだ。
(……気をつけないと)
勉強を続ける。
コマ割りの基本。
視線誘導。
セリフ配置。
全部、メモを取る。
(……これで、少しはマシになるはず)
昼休みが終わる。
俺は本を借りて、教室に戻った。
放課後。教室の隅で、俺は白石に声をかける。
周りに人がいないことを確認してから。
「……図書館で、漫画の本借りてきた」
白石が身を乗り出す。
でも、すぐに周囲を警戒して、声を潜める。
「どうだった?」
「コマ割りって、こうすればいいらしい」
俺はノートを開いて、メモを見せる。
机の陰に隠すように。
「視線誘導は、Z字で」
「吹き出しは、キャラの顔を隠さないように」
「なるほど……」
白石が真剣にメモを見る。
二人で頭を寄せて、小声で学びを共有する。
誰にも気づかれないように。
と、その時――
「黒澤」
佐々木が近づいてくる。
「!」
俺と白石が同時に顔を上げる。
慌ててノートを閉じる。
白石も距離を取る。
「さっきの続きなんだけどさ」
「……何が?」
「完成したら、同人誌即売会とかで売るの?」
「同人誌即売会?」
佐々木がスマホで検索して見せる。
画面には、同人誌即売会の写真。
大勢の人が、テーブルに並んだ本を見ている。
「コミティアっていうオリジナルオンリーの同人誌即売会。コミケみたいに抽選じゃなくて先着順だから、申し込めば出られるんだよ。作ってるの二次創作じゃないだろ?」
「……ああ」
「次回は7月。申込締切が確か今週末でギリギリなはずだけど、今すぐ申し込めば間に合うぞ。興味あったら調べてみ」
「……わかった」
「じゃあな」
佐々木が去る。
俺と白石が顔を見合わせる。
「……コミティア」
「……聞いてた?」
「……ええ」
白石が小声で言う。
「7月……」
「……出る?」
俺が聞く。
白石がしばらく考える。
その表情は、真剣だ。
「……出たいわ」
「……そうか」
「Pixivに投稿するだけじゃなくて、実際に本にして、手に取ってもらいたい」
「……同じこと考えてた」
二人で頷く。
本にする。
実際に、イベントで売る。
具体的な目標だ。
「じゃあ、申し込む?」
「……約2ヶ月で完成させられるか?」
「……やるしかないでしょ」
「……そうだな」
「……目標、できたな」
俺が言う。
「……え?」
「コミティア。7月」
「……ああ」
「短いけど、その間に、ちゃんとした作品を作る」
「……そうね」
白石が頷く。
「コマ割りを直して」
「エロシーンも、ちゃんと描いて」
「……ああ」
「完成させて、本にして、コミティアで売る」
「……それが、目標ね」
二人で握手する。
白石の手が、小さい。
(……やっと、目標ができた)
PV一桁から脱出する、じゃなくて。
評価される、じゃなくて。
具体的な目標。
コミティア。2ヶ月後。
そこで、本を売る。
(……一人じゃなくて、よかった)
白石と組んだことを、初めて良かったと思った。
二人で秘密を共有してる感じ。
悪くない。
「じゃあ、明日また打ち合わせね」
「……ああ」
白石が帰ろうとして、足を止める。
「……そういえば」
「ん?」
「漫画って、どういう順番で描くんだっけ?」
「……え?」
俺も考え込む。
確かに、まだちゃんと整理できてない。
小説とイラストは描けても、漫画の制作工程は別物だ。
「プロットは、あんたが書くんでしょ?」
「……ああ、物語の流れはな」
「その次は?」
「……ネーム、だと思う」
俺は図書館で借りた本の内容を思い出す。
「ネームってのは、コマ割りとセリフを決める段階らしい」
「コマ割りも?」
「……ああ。どのコマにどのセリフを入れるか、キャラの配置はどうするか、全部ネームで決めるんだと」
「じゃあ、ネームもあんたがやるの?」
「……そうだな。俺が物語を書いてる以上、どこで何を言わせるかは俺が決めたほうがいい」
白石が頷く。
「じゃあ、あたしは?」
「……ネームができたら、それを元に絵を描く」
「下書き、ペン入れ、仕上げってこと?」
「……そういうことになるな」
「わかったわ」
白石が納得する。
「じゃあ、役割分担ね」
「……ああ」
「あんたがプロットとネーム。あたしが作画」
「……でも、途中で相談しながらな」
「当然よ。ネームの段階で『このコマ、こう描いたほうがいい』とかあるだろうし」
「……ああ。エロシーンの構図とか、お前のほうが詳しいだろうし」
「……そうね」
白石が少し照れたように顔を逸らす。
「じゃあ、あんたがまずプロット書いて、それからネームね」
「……ああ」
「ネームができたら、あたしに見せて。OKだったら作画に入るわ」
「……わかった」
「今度こそ、ちゃんと描けるはずよ」
「……そうだな」
「コミティア、絶対出ようね」
「……ああ」
「申込、あたしがやるわ。サークル名は『黒白』でいいわよね」
「……ああ」
『黒白』
黒澤の黒、白石の白。
悪くない名前だ。
「約2ヶ月、短いけど……」
「……間に合わせる」
「……そうね」
白石が帰る。
俺も帰ろうとして、ふと考える。
(……でも、エロシーンは……)
それだけが、まだ不安だった。
本を読んでも、プロの作品を見ても。
エロシーンの「リアリティ」は、わからない。
経験がないから。
(……まあ、描いてみないとわからないか)
深く考えないことにした。
目標ができた。
コミティア。2ヶ月後。
そこで、本を売る。
それだけを考えよう。
その日の夜。自分の部屋で、俺は借りてきた本を読み返す。
コマ割り、視線誘導、セリフ配置。
全部、メモを取る。
(……これで、少しはマシになるはず)
でも、まだ不安は残る。
エロシーン。
本当に、描けるのか?
(……やるしかない)
明日、白石と打ち合わせ。
今度こそ、ちゃんと描く。
そして――
コミティア。2ヶ月後。
そこで、本を売る。
具体的な目標ができた。
(……頑張ろう)
俺は拳を握った。
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