第09話 壁~Side 白~
数日後。学校の休み時間。
あたしは教室の隅で、黒澤と話していた。
「……やっぱり、難しいわね」
「……そうだな」
あたしたちは、小声で話す。
誰にも聞かれないように。
サークル「黒白」の活動は、秘密。
「コマ割りが……」
「セリフの配置も……」
黒澤が小さく溜息をつく。
あたしも溜息をつく。
1週間前。
あたしたちは意気揚々と漫画制作を始めた。
プロットは完璧だった。
キャラデザも完璧だった。
『隣の席の吸血鬼』。
学園ものの吸血鬼と人間の恋愛。
エロありの、本格的なストーリー。
でも――
(……現実は、甘くなかった)
壁に、ぶつかった。
大きな、壁に。
◆
放課後。あたしの部屋でタブレットを開く。
画面には、描きかけの漫画。
『隣の席の吸血鬼』第1話。
黒澤と一緒に画面を見る。
「……これ、おかしくない?」
あたしが言う。
「どこが?」
「このコマ、ハルトがルイーゼの左に座ってるのに、次のコマではハルトがルイーゼの右に座ってる」
「……え、あ、本当だ」
黒澤が画面を凝視する。
1コマ目:主人公が左、ヒロインが右。
2コマ目:主人公が右、ヒロインが左。
位置が逆転してる。
「……どうしてこうなった」
黒澤が頭を抱える。
「あたしもわかんない」
あたしも頭を抱える。
(……位置取りもそうだし、コマ割りも、難しすぎる)
イラストなら、あたしはそれなりのクオリティで描ける。
一枚絵。
構図も、色も、表情も。
でも、漫画は――
コマの連続。
視線誘導。
画面構成。
全然、別物だった。
「……漫画の教本、買った?」
黒澤があたしに聞く。
「買ったわよ。でも、読んでもわからない」
「……俺も」
二人とも黙る。
教本には書いてある。
「視線は右から左、上から下」
「キャラクターの位置関係を保つ」
「見開きで構成を考える」
でも――
(……実際に描くと、思い通りに全然いかない)
理屈じゃない。
感覚。
経験。
それが、足りない。
「……次、セリフなんだけど」
あたしはタブレットをスクロールする。
コマに、セリフを入れてみた。
黒澤のプロットから、セリフを抜粋。
でも――
「……読みにくくない?」
黒澤が言う。
「どこが?」
「このセリフ、吹き出しが大きすぎて、絵が隠れてる」
「……え」
確かに。
吹き出しが大きくて、キャラの顔が半分隠れてる。
せっかく描いた表情が、見えない。
「……文字小さくする?」
「でも、小さくしたら文字が読めないんじゃ」
「……そうよね」
あたしは溜息をつく。
(……どうすればいいの)
セリフの配置。
吹き出しのサイズ。
文字の大きさ。
フォントの選択。
全部、初めて。
一枚絵なら、テキストは別。
でも、漫画は――
絵とテキストが、一体。
バランスが、大事。
でも、そのバランスが、わからない。
「……で、一番の問題なんだけど」
黒澤が言う。
「何?」
「エロシーン」
「……」
あたしは黙る。
肝心のエロシーン。
プロットでは、『キスして二人がまぐわる』と一文でかいてある。
まぐわるって何!?
黒澤雑すぎでしょ!漫画に起こすあたしの立場になってよ!
という言葉を飲み込みつつ。
「……どう描けばいいの?」
あたしが聞く。
「……えっと」
黒澤がプロットを見ること一分。考えが至っていなかったことにようやく気づいたようだ。
「とりあえず、キスする」
「うん」
「とりあえず、服脱がせる」
「うん」
「とりあえず、おっぱい触る」
「……うん」
顔が熱くなる。まあエロ漫画かいてるんだからおっぱいくらい触るだろう。
「……で?」
黒澤が固まる。
「……で?」
あたしも固まる。
「……そのあと、どうするんだ?」
「……あたしに聞かないでよ」
二人とも黙る。
1分。
2分。
3分。
5分経過。
「……」
「……」
気まずい沈黙。
『本番』の段取りがわからない。経験がないから。
それは黒澤も同じなようで、全部、わからなかった。
埒が明かない。
「こ、今回は朝チュンにしましょう」
あたしが言う。
「あ、朝チュン?」
「そう。エッチなシーンは描かずに、翌朝のシーンで済ませるの」
「……そ、そうだな!」
黒澤が勢いよく頷く。
「それがいい!」
二人は誤魔化すように笑いあった。
◆
その日の夜。自分の部屋。
ベッドに座る。
タブレットを見る。
描きかけの漫画。
『隣の席の吸血鬼』。
コマ割りが変。
セリフ配置が変。
エロシーンは、キスまで。
(……ダメだわ、これ)
「あたしたち、順調じゃない?」
1週間前、あたしはそう言った。
黒澤の物語と、あたしの絵ならいける。
そう思ってた。
でも、違った。
小説とイラストはできても。
漫画は、別物だった。
(……どうしよう)
スマホが光る。
黒澤からメッセージ。
『……難しいな』
あたしは返信する。
『……そうね』
しばらくして、また返信。
『でも、諦めないぞ』
『……あたしも』
(……諦めない)
でも、どうすればいいの。
コマ割りは、わからない。
セリフ配置は、わからない。
エロシーンは、描けない。
全部、壁。
大きな、壁。
(……あたし、本当に漫画描けるの?)
不安になる。
タブレットを閉じる。
ベッドに倒れ込む。
天井を見る。
白い天井。
なにも答えてくれない。
でも――
(……諦めたくない)
黒澤も、諦めないって言った。
あたしも、諦めない。
壁にぶつかったからって、諦めない。
プロになりたい。
認められたい。
評価されたい。
だから――
(……乗り越える)
この壁を。
なんとか、乗り越える。
あたしは拳を握る。
――明日も、黒澤と打ち合わせ。
漫画の勉強を、続ける。あたしと黒澤が競い合っている勉強とは全く異なる勉強。答えがない勉強だ。それでもやるしかない。
こうして、あたしたちは初めて、本気で壁にぶち当たった。
ここからが本番だ。
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