第09話 壁~Side 白~

数日後。学校の休み時間。


あたしは教室の隅で、黒澤と話していた。


「……やっぱり、難しいわね」


「……そうだな」


あたしたちは、小声で話す。


誰にも聞かれないように。


サークル「黒白」の活動は、秘密。


「コマ割りが……」


「セリフの配置も……」


黒澤が小さく溜息をつく。


あたしも溜息をつく。


1週間前。


あたしたちは意気揚々と漫画制作を始めた。


プロットは完璧だった。


キャラデザも完璧だった。


『隣の席の吸血鬼』。


学園ものの吸血鬼と人間の恋愛。


エロありの、本格的なストーリー。


でも――


(……現実は、甘くなかった)


壁に、ぶつかった。


大きな、壁に。



放課後。あたしの部屋でタブレットを開く。


画面には、描きかけの漫画。


『隣の席の吸血鬼』第1話。


黒澤と一緒に画面を見る。


「……これ、おかしくない?」


あたしが言う。


「どこが?」


「このコマ、ハルトがルイーゼの左に座ってるのに、次のコマではハルトがルイーゼの右に座ってる」


「……え、あ、本当だ」


黒澤が画面を凝視する。


1コマ目:主人公が左、ヒロインが右。

2コマ目:主人公が右、ヒロインが左。


位置が逆転してる。


「……どうしてこうなった」


黒澤が頭を抱える。


「あたしもわかんない」


あたしも頭を抱える。


(……位置取りもそうだし、コマ割りも、難しすぎる)


イラストなら、あたしはそれなりのクオリティで描ける。


一枚絵。

構図も、色も、表情も。


でも、漫画は――


コマの連続。

視線誘導。

画面構成。


全然、別物だった。


「……漫画の教本、買った?」


黒澤があたしに聞く。


「買ったわよ。でも、読んでもわからない」


「……俺も」


二人とも黙る。


教本には書いてある。


「視線は右から左、上から下」

「キャラクターの位置関係を保つ」

「見開きで構成を考える」


でも――


(……実際に描くと、思い通りに全然いかない)


理屈じゃない。


感覚。

経験。


それが、足りない。


「……次、セリフなんだけど」


あたしはタブレットをスクロールする。


コマに、セリフを入れてみた。


黒澤のプロットから、セリフを抜粋。


でも――


「……読みにくくない?」


黒澤が言う。


「どこが?」

「このセリフ、吹き出しが大きすぎて、絵が隠れてる」

「……え」


確かに。


吹き出しが大きくて、キャラの顔が半分隠れてる。


せっかく描いた表情が、見えない。


「……文字小さくする?」


「でも、小さくしたら文字が読めないんじゃ」


「……そうよね」


あたしは溜息をつく。


(……どうすればいいの)


セリフの配置。


吹き出しのサイズ。

文字の大きさ。

フォントの選択。


全部、初めて。


一枚絵なら、テキストは別。


でも、漫画は――


絵とテキストが、一体。

バランスが、大事。


でも、そのバランスが、わからない。


「……で、一番の問題なんだけど」


黒澤が言う。


「何?」


「エロシーン」


「……」


あたしは黙る。


肝心のエロシーン。


プロットでは、『キスして二人がまぐわる』と一文でかいてある。


まぐわるって何!?


黒澤雑すぎでしょ!漫画に起こすあたしの立場になってよ!


という言葉を飲み込みつつ。


「……どう描けばいいの?」


あたしが聞く。


「……えっと」


黒澤がプロットを見ること一分。考えが至っていなかったことにようやく気づいたようだ。


「とりあえず、キスする」


「うん」


「とりあえず、服脱がせる」


「うん」


「とりあえず、おっぱい触る」


「……うん」


顔が熱くなる。まあエロ漫画かいてるんだからおっぱいくらい触るだろう。


「……で?」


黒澤が固まる。


「……で?」


あたしも固まる。


「……そのあと、どうするんだ?」


「……あたしに聞かないでよ」


二人とも黙る。


1分。


2分。


3分。


5分経過。


「……」


「……」


気まずい沈黙。


『本番』の段取りがわからない。経験がないから。

それは黒澤も同じなようで、全部、わからなかった。


埒が明かない。


「こ、今回は朝チュンにしましょう」


あたしが言う。


「あ、朝チュン?」


「そう。エッチなシーンは描かずに、翌朝のシーンで済ませるの」


「……そ、そうだな!」


黒澤が勢いよく頷く。


「それがいい!」


二人は誤魔化すように笑いあった。



その日の夜。自分の部屋。


ベッドに座る。


タブレットを見る。


描きかけの漫画。


『隣の席の吸血鬼』。


コマ割りが変。


セリフ配置が変。


エロシーンは、キスまで。


(……ダメだわ、これ)


「あたしたち、順調じゃない?」


1週間前、あたしはそう言った。


黒澤の物語と、あたしの絵ならいける。


そう思ってた。


でも、違った。


小説とイラストはできても。


漫画は、別物だった。


(……どうしよう)


スマホが光る。


黒澤からメッセージ。


『……難しいな』


あたしは返信する。


『……そうね』


しばらくして、また返信。


『でも、諦めないぞ』


『……あたしも』


(……諦めない)


でも、どうすればいいの。


コマ割りは、わからない。


セリフ配置は、わからない。


エロシーンは、描けない。


全部、壁。


大きな、壁。


(……あたし、本当に漫画描けるの?)


不安になる。


タブレットを閉じる。


ベッドに倒れ込む。


天井を見る。


白い天井。


なにも答えてくれない。


でも――


(……諦めたくない)


黒澤も、諦めないって言った。


あたしも、諦めない。


壁にぶつかったからって、諦めない。


プロになりたい。


認められたい。


評価されたい。


だから――


(……乗り越える)


この壁を。


なんとか、乗り越える。


あたしは拳を握る。


――明日も、黒澤と打ち合わせ。


漫画の勉強を、続ける。あたしと黒澤が競い合っている勉強とは全く異なる勉強。答えがない勉強だ。それでもやるしかない。


こうして、あたしたちは初めて、本気で壁にぶち当たった。


ここからが本番だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る