朝ごはんと魔女師匠と燃える森
橄欖石 蒼
朝ごはんと魔女師匠と燃える森
村外れの森の奥の奥。
朝の木漏れ日の中にある小さなログハウス。そのキッチンでは朝食の用意が進んでいた。
起動した魔導コンロの上には鉄のフライパン。目玉焼きが二つに、ベーコンが四枚、油の泡が小さく跳ねて、じゅうじゅうと香ばしく焼き上げられている。
調理をしているのは十二歳の少年だ。
「……よし」
フライパンとターナーを持った短髪の少年——アレクは小さく呟いて、目玉焼きとベーコンを二人分の木製プレートに移した。ライ麦パンもスライスして同じプレートに乗せる。
うん。今日も立派な朝ごはんだ。
「師匠ー! できましたよー! ししょー!!」
さっきからもう何度も声をかけているが、一向に起きてくる気配がない。気づけば毎朝こうなっていた。
——最後くらい、起きてくれたっていいじゃないか。
「……もう……」
苦笑いしながらテーブルに朝食の用意を整えて、アレクは寝室へ向かった。
薄暗い部屋の中、ベッドの掛け布団が盛り上がり、規則的に上下している。どうやらまだ寝ているらしい。
「師匠ー、起きてください。何度言ったら分かるんですか」
アレクはカーテンと木の小窓を開け放った。部屋に朝日が差し込んで一気に明るくなる。
ベッドの盛り上がりがもぞもぞうごめいた。
「……あと五分……」
その中から弱々しいくぐもった声が漏れてくる。
「それもう六回言ってますからね」
アレクは容赦なく布団をばさりと捲った。
「ううう……」
ベッドの上で呻きながら顔をしかめたのは、三十代くらいの女。長い銀髪をボサボサにして、黒いロングワンピースの寝巻きを着ている。
「はいはい、もう起きてくださいよ。今日が何の日か分かってるでしょ。僕も忙しいんです」
「……分かったわよ……」
彼女は渋々と起き上がり、ぼんやりした顔のまま寝室を出た。
やっとのことでダイニングテーブルに二人で着く。
アレクが両手を組み、彼女は頬杖をついている。
「女神様、今日の
「感謝かんしゃ」
頬杖をついたままぽやぽや言う彼女にアレクはまた苦笑した。
ナイフとフォークでベーコンや卵を切り分けながら食べる。無言のまま、カチャリと食器の音がたまに小さく鳴るだけ。
しばらくしてアレクは食べるのを止めて、カトラリーを持った両手をテーブルに下ろした。
「……ちゃんと、売り上げた魔法薬は帳簿につけてくださいね」
「うん」
「素材の管理もしてください」
「うん」
「冷暗保管庫の魔石も定期的に交換を」
そこまで言ったとき、彼女もカトラリーを下ろした。
「分かってるわよー。この大魔導師ストレア様に小言なんて、いつからそんなに偉くなったのよ。拾ってやったの忘れたの?」
「それとこれとは別です。僕が全部管理してたんですからね。これからは師匠が自分でやるんですよ」
「あーあー、拾った時はちっこくてボロボロで目をうるうるさせちゃって、あんなに可愛かったのに」
ストレアがフォークでアレクを指した。彼女の眉は下がり、“嘆かわしい”と演技派女優のように訴えている。
「……それは感謝してますって」
「育てて訓練つけて、晴れて最年少で王都の魔法大学に合格したのに?」
「だからそれもありがたく思ってますって!」
アレクは思わず天を仰いだ。
——いつもこうなる。
彼女にしっかりしてほしくて言うのに、上手く丸め込まれてしまうのだ。そして結局また世話を焼いてしまう。
本当に、師匠はこれで稀代の大魔導師なんだろうか。
アレクが小さくため息をついたとき、ストレアがアレクを指していたフォークを戻した。
「……あんたが心配しなくても、ちゃんとやるわよ」
そう言う彼女は、珍しくほんの少しだけしおらしかった。
朝食を終えた後、アレクは水魔法で片付けをして、家の備品で補充できそうなものは全て補充した。
身支度を整え、大荷物を背負い、玄関を出た。
ストレアも、一緒に出てくれた。まだ銀髪はボサボサだし寝巻きのままだけれど。
「ほんとに歩いてくの? 転移魔法使えばいいのに」
「まずは自力で来るようにと大学から指示されてますので」
「アレクは真面目ねえ」
「師匠は不真面目です」
ストレアが不敵に笑って、アレクは苦笑で返した。
春の風が森の木を揺らす。それはアレクの頬を撫で、ストレアの髪も揺らした。
「……お世話になりました」
アレクは深々と頭を下げた。ストレアは、何も言わなかった。
頭を上げたアレクは口をぎゅっと引き結んで、ストレアと家に背を向けて歩き出した。
ここで暮らしたこと、学んだこと、そして、師匠からの不器用だけど確かな愛情は、絶対に忘れない。
そこの大樹を通り過ぎれば家は見えなくなる。大樹の横でアレクは最後に一度だけ振り返った。
玄関にはまだ、ボサボサ頭のストレアが立っていた。
******
森が燃える。
灼熱と、ごうごうという炎の音が、森を支配している。
突如始まった隣国からの侵攻は、この国全土を飲み込んだ。
「師匠ー!!」
アレクは燃える森の中を走っていた。
向かう先は、自分が育ったあの小さな家。
大樹を通り過ぎて、家の見えるところまでやってきた。
家の前には小さな人影が、炎の赤い光にゆらゆら照らされながら、しゃがみ込んでいた。
「師匠!!」
アレクは駆け寄って、そばに膝をついた。ストレアが、顔を上げた。
「……やだ、アレク? 十年ぶりね。すっかり大きくなって」
「いや確かにアレクですけど! 何でそんなにヘラヘラしてるんですか、大丈夫ですか!?」
「平気へいき」
そう笑うストレアの頬は
「ていうか、あんた王都の魔導師団に入ったんでしょ? 有事にこんな所にいて良いわけ?」
ストレアの問いにアレクは一瞬目を伏せた。
いつもヘラヘラしているくせに、彼女は鋭い。痛いところを突くなあ。
「良いかダメかで言われると規律的にダメですけど……。でも、師匠のいる森が燃やされてるって聞いて、居ても立ってもいられなくて」
そう言った瞬間、ストレアの目がキラリと光った……ように見えた。
「ふふっ、可愛い子ね」
彼女はにっこりと微笑んで、煤に汚れた手でよしよしと頭を撫でてくる。幼かったころ、新しい魔法を覚えるたびそうしてくれていたように。
「……やめてください」
自分はもう大人だ。喜んでしまう気持ちを胸の奥に押し留めながら、アレクはストレアの手のひらを押しやった。
「つれないのねえ」
ストレアは意地悪そうに口の片端だけを上げて笑ったが、次の瞬間にはきりりと表情が引き締まる。
「……村の人を転移魔法で『清浄の祠』に全員避難させたわ。消火もやってみたんだけど、燃えてる範囲が広すぎて私一人じゃ無理ね」
「分かりました」
「それで、私がもう魔力切れなの。立てないからおぶっていって」
「任せてください。安全な所まで移動してから僕が転移魔法を使いましょう」
アレクがストレアを背負った。意外なほど華奢で軽い。彼女はこんなに小さかっただろうか。
——いや、自分が成長したのだ。
師匠は変わっていない。体型も見た目も、拾ってくれたあの日のまま。どういう原理なのかは知らないけれど。
アレクは自らの脚に風魔法をかけ、文字通り風のように駆け出した。
「僕が来なかったらどうするつもりだったんです?」
森の中を高速移動しながら、アレクは尋ねた。
「うーん、村人も逃したし、弟子は王都で立派にやってるし、私ももう十分生きたし、このままあの家と一緒に燃えちゃっても良いかなって思ってた」
「もう……、ほんと不真面目なんですから」
「ふふっ、ごめんねー」
相変わらず、
「アレク」
ふと、呼びかけられた。
「はい、何でしょう?」
「……ありがと」
小さく、しかしはっきりと、そう言われた。彼女らしくないその言葉に、アレクの胸の奥が一気に温まった。——なんだ、お礼、言えるんだ。
「こちらこそですよ、師匠」
アレクの口元が緩む。ストレアからは見えていないはずだ。
「……魔導師団は、大魔導師ストレアの力を必要としています。回復も兼ねてこのまま一緒に来てもらいますよ」
「えっ!? 私あそこ堅苦しくて嫌なんだけど! だからこんな森の奥に隠居してたのに!」
「国の危機です。よろしく頼みますね」
「いやだあああ!!」
アレクは、駄々をこね始めたストレアに声をあげて笑いそうになったが、何とか堪える。
暴れる師匠をよいしょと背負い直して、燃える森の中を駆け抜けていった。
******
おわり
朝ごはんと魔女師匠と燃える森 橄欖石 蒼 @kanransekiao
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