ルテイムの街
[シン]
隣で寝ていたレイが不意に上体を起こした。何をしでかすのかと見ていると、寝ているシンを見た。
「邪気が来た」
と呟いた。シンは「へえ」と答えて背を向けた。昨夜からの強行軍で眠い。レイも体を寄せてきた。少しして火が爆ぜる音が聞こえて煙の臭いが充満した。火だ。焚き火の不始末か。シンは外に飛び出した。レイは自らはリュックを持ち、シンには革帯を投げて寄越した。
シンに向かって黒い影が飛んできたところ、レイが影を蹴飛ばした。人だ。剣を突きつけてきたので、レイはショートソードで斬り返した。
「邪気だ」
レイが叫んだ。
シンはハンドアックスで、背後の影を払い落とした。地面に転げた頭が炎に照らされ、泣き別れた首からは血飛沫が溢れていた。
村が燃えていた。
近くで、
「おっとう!」
子どもが叫んだ。殺された。向こうの十数軒には人がいる。シンはレイの背を追いかけた。土塁の雑木林から何人が飛び込んできた。
「貴様、我が息子を!」
上半身裸の男があばら家から飛び出してきた。群がるような人影に飲み込まれて地面に倒れた。プロの仕業だと思った。正体のわからない誰かが火をつけている。レイの漆黒の蛇が敵らしき影を倒しているが、乾いた空気の中、火は広がる。どんどん勢いを増して、煙が土塁の村に充満していた。ただ敵もこんなところに手練れがいるとは想像もしていなかったようで、予想外の反撃に集団としての呼吸も乱れていた。
笛の音が三度聞こえた。
シンに襲いかかろうとしていた敵は背を向けて、外の土塁へと逃げようとした。シンはハンドアックスを投げつけて足止めしたが、仲間が逃げ遅れた奴を始末してした。
集落は焼け落ち、寝ていた者たちは焼け死んでしまい、外に出た者は声を上げる間もなく殺された。
シンはつるべ井戸から水を汲み出して飲もうとしたが、やめた。これくらいのことをする連中が井戸に何もしていないわけがない。
「毒?」
「わからない。もう火は消せそうにない。このままじゃ僕たちも煙に巻き込まれる。ここから離れよう」
「まだ生きてる人もいるかも」
「レイ……」
「うん」
「何が何だかわからない。生きてる敵もいない。離れよう」
シンたちは一人を運んだ。味方にやられた若い男は敵なのか村人なのかわからない格好をしていた。火打ち石と火薬臭い砂の入った巾着を持っていた。若いなと思いつつ、金の入ってない巾着を燃える家に捨てた瞬間、爆発ででんぐり返った。
「痛たた」
「何!」
「爆弾かも」
「何それ」
シンは火をつけたら爆発するものだと答えた。大丈夫だ。そんなに強い爆発でもない。この世界にも火薬がある。花火があるのだから。
「シン、わたしは子供が殺されるのを見た。親もだよ。こいつらは迷いがない。でもこいつも子供だ」
レイがふらついた。手の甲にかすかに切傷を負っていた。白亜の塔の治癒が使えるのか。片膝をついたレイを抱き締めるようにして、シンは両手で手を包み込んだ。
無数の矢が降ってきた。燃える集落は、ますます崩れ落ちて何とか出てきていた人々は、矢で命を奪われた。レイがまとう緑青色の結界が矢を跳ね返していた。一瞬、攻撃がやんだ。シンはレイを抱えて内の土塁を上った。突き刺さる矢を足場にして、頭上の雑木林に飛び込んだ。
「レイ?」
「少しマシかな。視野も戻ってきたみたい。ただ煙で涙が止まらない」
「風が街へ流れてる」
ルテイムの街まで、煙の薄いところを這うようにして進んだ。街は墨を流したように黒ずんで見えた。いくら夜とはいえ暗すぎた。どこかしらに火があるものだが、ここには何もない。眼下には川が流れていた。
後ろには火と煙が迫る。今は多少無理をしても岸辺まで、十メートルの高さの土塁を降りるしかない。ハンドアックスを突き立てつつ、斜面を下る。まだ矢は雑木林の枝や葉を引き裂いていた。
「歩ける」
「もう結界はいらない」
「連中、どこから来たのかな。何者なの?雑木林にも潜んでた?」
「いたはずだよ。でもまったく訳がわからん。じいさんとばあさんとお別れしてるのに、何でこんなことに巻き込まれるんだ」
シンたちは土塁から川まで転げ落ちた。まさか断崖になっているとは思わなかった。川底を転がるようにして、流されるまま、街の外れの川原へ這い上がるることができたとき、レイがむせた。
シンは手を離した。川を渡るときに離さないでいたのだ。引きずり込んだのか。ごめんと謝ると、気持ちはうれしいけど、死ぬかと思ったと答えた。
単にレイの回復力が凄まじいのかもしれない。シンに治癒の力があるのか疑問に思えてきた。疲れるということは、少しくらいはあるはずだ。これで効果がないなら恥ずかしいので、もう自分にだけ使うことにしようかと考えた。
「自分ではわからないの?」
「何が?」
「治癒の力」
「どうしてそんなこと?」
「シンが考えてた」
「読めるのか?」
「今は読めた」
「じゃこれは?」
「わかんない」
「そ、そうか……」
「何を考えたの?」
「街が暗すぎないかと」
「わかんなかった。でも言われてみたら本当に暗いね。まるでみんなで息を潜めてるみたいだね」
何もかもがずぶ濡れで、川を歩いた。慣れていたが、自分から進んでしようとは思わない。前の雑木林にも火が見えた。揺れる闇の向こうから一人、また一人と来た。着ているから服とわかるくらいで、手に手に鍋やら釜やら包丁を持つ女、鎖帷子に剣や盾を持つ者もいたし、ハンマーや斧を持っている奴もいた。
どこの誰かわからない者が煤塗れで川を渡ってきたのだから、誰もが警戒するに決まっていた。お互い同じ気持ちだ。身構えたシンは本調子ではなさそうなレイを背に隠した。
レイがひっくり返った。
浅瀬でバタバタした。
「押したし!」
「守ろうとしたんだよ」
「守られなくても平気!でも気持ちはうれしい」
レイは答えた。
武装した連中は、やり合うシンたちに警戒心を解いた。緊張感というものがない。長い剣を持つ一人が言うには、元々は土塁の集落に住んでいたとのことだ。
「子どもも大人も殺されてた」
「そうか。腕に覚えがある人は残ると話してたが」
「何ですか?」
「おまえさんらは見たところ旅をしているようだな」
「ハイデルから来ました」
「ハイデルの前は?あそこは港だからな。皆、風待ちに使う」
「コロブツです」
どこだ、それという気配が満ち満ちていた。気まずいな。
「塔の街にいた」
レイが付け加えた。
「塔が崩れたのは本当か?」
シンはレイに「ほらね」という顔を向けた。同時にどこまでも噂は流れてくるもんだなと感心もした。
「でもさ、どこから来たって聞かれて知らないと言われたら何か腹立つじゃん」
「言いたいことはわかる。ちょっと有名なところで話を続けたい」
「でしょ?」
シンは潰れたと頷いた。
「本当に塔が潰れたのか?おまえは見たのか?」
見たも何も。レイがシンを指差していた。冗談でもやめなさいと指を払い除けた。
「じゃこの街もおしまいだな」
「なぜ!」
シンとレイが同時に放った。
「そりゃおまえさん、ここは塔の街からの援軍を待ってるからだ」
ちょっと待て。
シンはレイの肩を抱いて、皆に背を向けた。
「僕たち悪人じゃないか」
「シンがね」
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