勇者の力は……不必要?

成田楽

第1話 全ての発端

『朝ごはん出来たわよー』


「はーい。今行くー」


 ドア越しに届いた声に、急いで階段を駆け下りてリビングに足を踏み入れると、パンの匂いが香っていた。


「時間は……まだ大丈夫だな」


 食卓に着いて、既に置かれていたパンと目玉焼きの前で手を合わせた。


「いただきます」


 いつも通り、トースターで焼かれている食パン。その上に乗っているのは黄身が偏った目玉焼き。


 流れている朝のニュース番組。


「……またこのニュースか」


「なにー?」


 独り言を聞いた母親が台所から問いかけてきた。


「あれだよ、連続殺人。しかも新しい犠牲者だってさ」


「あらまぁ。またなの?」


「今回は一家殺害だって。父親と母親と子供二人」


「早く捕まって欲しいわね」


「だねー」


「最近物騒だからあんたも気をつけなさいよ」


「わかってるよ。でもそんな心配するほど?実際ここら辺で不審者なんてみたことも聞いたこともないし、中学生の頃と比べたら結構ガタイもよくなってきたと思うんだけど」


 日頃の運動や筋トレで、筋肉により体重が増えるようにはなってきていた。足の速さも陸上部には及ばないが、クラスで五本指に入るという自負はあるし、逃げに徹すれば問題ないだろう。


「そういうことじゃないでしょ。すれ違いざまとか後ろからいきなり襲われたらどうするよ。もう……時間は大丈夫なの?」


「朝練無いし、雨も降ってないからゆっくりでも大丈夫」


「そう。ならいいわ」


 テレビで流れ続けている、連続殺人事件に関するニュース。


 画面は中継からスタジオに戻り、時間帯や場所、捜査関係者の言葉などを言っている。もし怪しい人を見つけたら迷わず通報するようにとか、暗い夜道はできるだけ歩かないよう、人通りの多い場所や、家族や友人と共に行動するようになど、聞き慣れた注意喚起を専門家なる人があーだのこーだの言っていた。


「……」


 やがて殺人事件に関するニュースは終わり、次は交通事故に関するニュースが流れた。車と人の衝突事故のようだ。


 時間的に、このニュースが終われば天気予報になるだろう。


「……あ、そういえばさ」


「どうしたの?」


 母親が食卓にきたタイミングで、ふと思い出した。


「今日は友達と遊ぶから遅くなるかも」


「あら、しょうくん?」


「んーん」


「じゃあ誰よ」


 麦茶を飲んでいたのでわかりにくい返事になったが、幸い伝わったようだ。


「もしかして女の子!?」


「そんなわけないでしょ。他のクラスの男子だよ。美菜実って奴」


「みなみ?…………もしかして佐田さん?」


「そうだけど、よくわかったね」


「佐田さんの妹ちゃんとなーちゃんが幼稚園の年長で同じクラスだったのよ。だから美菜実くんのお母さんとはたまにママ会してるの」


「菜恵が?」


 菜恵はうちの妹だ。つまり……


「美菜実って一緒の幼稚園だったんだ」


「そうね。言ってなかったかしら?」


「聞き覚えが無いや。後で美菜実に聞いてみよ」


 食べ終わったら食器を水にさらして、洗面所に向かう。それから歯磨きをして、先生にバレない程度に髪をセットして、少し苦戦しつつ学校指定のネクタイを着けた。


 時計を見れば長針が下を向いていたので、ベルトも締めて完全に身支度を済ませた。


「いってきまーす」


 洗い物をしている母に声を掛ける。


「明日になるまでには帰ってきなさいよ」


「ご飯前には帰ってくるって」


「そう?じゃあ気をつけていってらっしゃい」


「はいはい。それじゃいってきまーす」


 リビングを出て、廊下を歩き、靴を履き、玄関のドアを開けた。


 そして……






 彼は、日を跨いでも、家に帰ってこなかった。






─────




「…………は?」


 白を基調とした豪華絢爛な王城の一室。


 三角形の魔法陣が怪しげに発光しているその中心で、一人の男が唖然と声を漏らした。


 周りをキョロキョロを見渡して、なんか凄そうな人達がいっぱいいるなぁ、と現実逃避じみた考えをしたところで、下を見て自分が全裸であることに気付く。


 自身の裸体が晒されていることに羞恥心を感じたのか、青年はバッと手で陰部を隠してしゃがみ込んだ。


 なぜこんなところにいるんだ?


 周りの人たちは誰なんだ?


 なんで裸に剥かれているんだ?


 一人で考えても答えに辿り着くことはない。驚き心臓の鼓動を高鳴らせている青年は、口を半開きにさせたまま硬直してしまう。


「……?」


 そこに、一人の騎士が歩み出る。周りと同じような甲冑を着た、差別点に乏しい騎士だ。


 段差を二つ登って魔法陣の中に座る青年の元まで進む。


 丁重に畳まれた一セットの衣服を差し出しながら、騎士は戸惑う青年に変えられない真実を告げた。


「お待ちしておりました、勇者様」


「…………は?」


 青年は、再び言葉を失った。


「こちらをお召ください」


「は、はぁ……どうも……」


 とりあえず青年はなんとも言えない感謝を伝え、見守られながら着替えることに居心地の悪さを感じつつも渡された衣服を着用。


 サイズは大きめだが、落ちてしまうことはないくらいだ。ファッションだと言われれば半数はそうなんだと納得しそうなくらいのサイズ感。


 青年は衣服を着用し終わったところで、改めて周囲を観察。


 ちなみに、見られながら着替えるのは人権が無くなった気がしてかなり気が沈んだ。


 大半は服を渡してくれた人と同じ見た目の者だが、一角に一段と煌びやかな甲冑を着た者たちと、それらに囲まれている更に煌びやかな者が二人。


 ここまで見て聞いて感じれば、余程察しが悪くない限りは現状を理解できるだろう。


 そして青年もまた理解した。


 ここが、日本ではない、地球ではない、どこか知らない世界なのだと。


「良くぞ参られた。勇者よ」


 一段と煌びやかな二人のうち、青年より一回りか二回りほど年齢が上の男性が発言。


 頭に乗せられた輝くそれは、つまりそういうことなのだろう。


「我は、モロ・スクッシャ王国の国王、ワヒュード・モロ・スクッシャだ。おそらく、そうりだいじん……が勇者殿の地と当てはまるのではないかと思う」


「あー……えっと、そうです、ね?」


 ワヒュード・モロ・スクッシャ。長いのでワヒュード国王としよう。


 その名乗りと説明に対し、青年は微妙な反応を返した。


「……あ」


 そして、自分の行動が最悪の手を取ってしまったかと後悔する。


 過激派な国王だったら、へりくだらないから殺そうと考えるかもしれないという、野蛮な考えに至ったからだ。


 言語が通じるのは幸いだが、権力に溺れていた場合は言葉が通じないかもしれない。


 青年は恐る恐る国王の表情を伺うが、幸いにも眉間に皺を寄せてはいない。


 それどころか納得した様子で、朗らかな優しい表情になっていた。


「混乱するのも仕方無い。勇者殿を突然ここに呼び寄せることになってしまっているのはこちらの落ち度だ」


「……色々質問してもいいですか?」


「構わないぞ」


 国王が寛大な心を持っていることに安心と感謝を感じつつ、青年は脳内でこんがらがった情報を整理しようと口を開いた。


「勇者って俺のことで……私のことで良いんですよね?」


 一番の疑問だ。


 勇者殿と声を掛けられても、非現実的な状況なのだから青年の脳が理解を拒んでいる。


「そうだ。そして勇者殿が畏まる必要は無い。気を楽に普段通りの話し方をしてもらって構わない」


「そうですか。では遠慮なく……なんで俺なわですか?」


「すまない。それは我々にもわかりかねる問題だ」


「それはどういう……」


「気になるのであれば昔話をしようと思う。だが、少々時間がかかる話だ。食事は摂れるか?」


「えっと……はい。多分食べれると思います」


「変なものは無いと思うぞ。これまでの勇者も喜ばれていたと聞く」


「それは、安心しました」


 青年にとっては、ワヒュード国王の言うこれまでの勇者が自分と同郷とはわからない。


 過去の勇者が喜んだからと言って、自分に合う食べ物、飲み物があるとは限らないが、とりあえず安心したと国王の言葉に返し、円滑に事を進めることを優先した。


「勇者殿。名前を伺いたい」


「枝石誠って言います。枝石が苗字。家族共通のやつですね。誠が、両親がくれた名前です」


「シナイシマコト。では、シナイシ殿と呼ばせて頂く。構わないか?」


「はい。よろしくお願いします」


「……」


「どうしました?」


「シナイシ殿は随分と飲み込みが良いな。先代が遺した文献によるとまず数日は会話が成り立たないとあったのだが」


「昔から適応が早いと言われますね。色々自分の中で考えて完結させてしまうものですから、それが上手いこといって環境に慣れやすいんですよ」


「そうか。非常に有難い限りだ。先んじて、この場で娘のことも紹介させて頂きたい」


「ぜひ、お願いします」


 誠はにこやかに受け入れる。


 国王の隣に居る女性。もしくは少女とも呼べる年齢の見た目をした者。


 服装や、国王と髪色が一致しているところから、その素性は容易く読み取れる。


 誠は、先に話させた方が良いのか、それとも黙って聞いていた方が良いのか、どちらの方が良い印象を与えるのか一瞬悩み、結局先に声を掛けることにした。


「初めまして、枝石誠って言います。お嬢さんのお名前を聞いても?」


 言葉遣いはかなり緩めた。


 変に堅苦しいよりかは、親近感も持たせれるかと思ったからだ。


「スィフル・スクッシャと申します。以後、お見知り置きを」


「ご丁寧にどうも。お二人は親子ってことで良いんですかね?」


「その通りだ」


「……ここで紹介、話すということは、彼女、スィフル様とは今後関わりがあると言うことですか?」


「飲み込みが早いな。では、着いてきたまえ。リラックスして会話をした方が良いだろう」


「そうですね。では、これからお世話になります」


 騎士たちから突き刺さるの視線の多さに嫌気が差してきた頃だった。


 異世界人の誠にとっては、毒になる食べ物が提供されるかとしれないという、なんでもかんでもに疑い掛かってしまう未知への恐怖を僅かながら感じるものの、結局ここで食べなくとも生きていくにはいつかは食べないといけないわけだ。


 ならば、先か後かの違いになるのであれば、差し出された手にはありがたく掴まろう。


「……異世界、か」


 表情はほとんど変わらないものの、誠の心は僅かに浮き足立っていた。

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