新人バイトの天河さんは最強爆裂陰陽師でした

ころもやぎ

第1話

 コアなオタク達の聖地であるビル、中田ホープヴェイ。

 ありとあらゆるアニメや漫画、それらに関するグッズを多様に取り揃えた中古ショップがところ狭しと立ち並び、たまに有名人が通っているらしい喫茶店などの飲食店が入ったりするユニークなビル。オタクや観光客にとっては天国みたいな場所だが、俺にとってはとんでもない魔境であった。

 俺はホープヴェイの中にある中古ショップで働く相模正人さがみまさと。勤務歴は四年くらいで、バイトなのにほぼ正社員と同じくらいの勤務日数と仕事量を毎日こなしている。バイトリーダーという立場に近いが、ほぼ俺が副店長みたいな感じだ。

 かくいう店長といえば、酷いパワハラ女店長で困ったものだ。何故か知らんが、見た目はロリみたいなのに二十六歳の俺より十個以上は上らしい。バイトの男オタクや本部の社員は皆、ロリババアの容姿があるからか店長のパワハラを黙認している。まったくクソッタレ過ぎる。俺がどんだけあの女のヒステリックに振り回されてると思ってんだ。

 しかもここ数年、ロリババア店長の所為でバイトは男オタクしかいない。バイトを募集しても、基本的にロリババア店長が女の子のバイトを勝手に落としているという噂まである。俺は女の子との出会いが欲しいんだけどなあ。男オタクのバイトと話すのもそれはそれで面白いけど、もっとこう……潤い欲しいよな。オアシスがさ……。ロリババア店長はオアシスというよりただの拷問だから。

 そして今日も、ロリババア店長からのキツい当たりや嫌味を受け流しつつ仕事をこなしていく。「どうせ私が悪いと思ってるんでしょ」とか「私だって忙しいんだから仕事しろって急かすな」とかある事ない事ギャーギャー喚く女店長を俺が宥める。ああ、俺って毎日働いてて偉いなあ。でもそろそろ、このロリババア店長から解放されたい。

 他の地域で営業してる店舗に移るってのも、検討したいところなのだが……。しかし、四年もここにいるとなると引き継ぎも面倒なのだ。俺が離れるという事は、誰かがロリババア店長の犠牲になるという事。男オタクのバイト達はきっと嫌がるだろう。俺がいつもどんな目に遭っているかを見てきているからな。

 それに……移れない理由はもう一つある。このホープヴェイには、特定の関係者以外立ち入り禁止の曰く付きのフロアがあるからだ。噂では「呪われている」なんて話も聞いた。俺はそのフロアにある部屋の一つを管理するように命令されている。と言っても、決して部屋のドアを開ける事は許されず、ただ「鍵」だけを渡されている状態。

 この鍵を紛失したり誰かに勝手に譲渡すると……とんでもない事が起こるらしい。実際、昔部屋を管理していたらしい正社員は鍵を失くした事で行方をくらました。店長は「飛んで辞めただけよ」と言っていたが、俺にはそうは思えなかった。だって、俺はその人と同じ時期に働いてたけど普通に仕事は楽しそうにしてたし。いきなり辞めるなんて思えなかったんだ。何か、不気味な存在を感じた。

 その事もあって、俺は鍵の管理だけは気をつけている。この鍵に何があるのか知りたい時もあったが、今はもう知りたいという気持ちも湧かない。知ったら本当に戻れない気がした。だから、何も知らないフリでやり過ごしている。

 とはいえ、この変な鍵を別の男バイト達の誰かに引き継ぎの為に渡したとして、俺やバイトに何か起こるのも嫌だ。だから、このホープヴェイから逃れられない。はてさて、どうしたものか。

「相模氏、新人バイトの噂は聞いたでござるか?」

 俺がフィギュアの売値を考えていると、オタクバイトの一人である品川がそう話しかけてきた。黒縁眼鏡のブリッジをカチャリと押し上げ不敵に笑う品川に「ああ、そういやそんな話ありましたね」と適当に返す。

 新人バイト……ロリババア店長の苦行蛮行に腹を立てた俺が、上層部に「女性のバイトを一人でも雇った方が店長も窮屈な思いしなくて済むんじゃないですか? 彼女もきっとレディだから一人くらい女性の話し相手がいた方が気持ちも楽になると思うんですけど」とマイルドに伝えた結果、新人として女性のバイトを本社の方が雇って手配してくれたらしい。ロリババア店長は本社に不信感を抱いていたが、お前が勝手に自分の気持ちだけでバイト採用を仕分けてるから悪いんだろと思った。

「確か、明後日に来るんでござるよね! いやぁ、この品川も一目お会いしたかったでござる……」

「お会いしたかったって、これから会えるじゃないですか」

「し、しかし……あの店長がその方の在籍を許すかどうか……」

 品川が言わんとしている事は分かる。ロリババア店長は、自分以外の女性に対してキツい物言いをする可能性がある。過去も、それが原因で女性アルバイトが何人も辞めていった。不安があるのは俺もだ。まあ、せめて一日でも働いてくれるだけでありがたいってもの。俺はそこまで期待せずにまた仕事を再開した。

 それから数日。ついに女性アルバイトの方が初めて店に来る日になった。ロリババア店長もいるが、今日はやけに静かだ。多分、新人バイトの前で猫を被ろうって魂胆なのだろう。そんな化けの皮はすぐに剥がれるだろうに……。

「おはようございます」

 鈴の鳴るような声が聞こえ、カウンターから顔を上げた。どうやらバイトさんが来たんだな……って。

「え、ええ⁉ な、何で着物ーッ⁉」

 俺は目を見開いた。赤いチェックがオシャレな袴を着て佇む、一人の美女。全くもってカビ臭い中古ショップに似つかわしくないその姿に俺がびっくり仰天していると、彼女は困ったように白い頬に手を添える。

「申し訳ありません。服装自由との事でしたので……もしかしていけませんでしたか?」

「い、いや! よくないとかではないんですけど……その、着物でウチのバイトに来る人は流石に初めてで……」

 俺がたじろいでいると、バイトの女性は「そうだったのですね」と穏やかに笑った。な、何だこの和風美人は……ッ! 美し過ぎるッ!

 艶のある三つ編みの黒髪に、くりっとした大きい瞳とチャーミングな目元のほくろ、整った輪郭……アンタ平安時代の貴族かよと思ってしまう美麗な佇まいに、俺は着古したシャツに色褪せたズボン姿の自分が恥ずかしく思えた。

 圧倒的な存在感に恐れ慄いていると、女性が言う。

「申し遅れました。私、本日からこちらでお仕事をさせて頂きます天河悟美あまがわさとみと申します。どうぞ、よろしくお願い致します」

 礼儀正しい挨拶とお辞儀に、俺は慌てて「あっ……こ、こちらこそよろしくお願いします!」と頭を下げた。何だこの驚異的な美人は!

「俺、相模正人と言います。この店のバイトリーダー……的な存在なので、今日は俺が軽く仕事を教えますね」

 基本的に、新人バイトの教育は俺に丸投げされている。たまにロリババア店長が口を出してくるが、大体何言ってるか分からないので俺は無視しているしバイトの子にも無視してもいいよと話していた。

 そんな裏事情とは裏腹に、天河さんは美しい微笑を浮かべ「はい、よろしくお願い致します」と言う。あまりに光オーラが強すぎて俺は狼狽える。眩し過ぎるよ〜。

 俺は初歩的な商品作りを教えつつ、店でどんな商品を扱っているかを説明していった。その途中で分かったのだが、どうやら天河さんはアニメや漫画にあまり詳しくないらしい。ゲームは好きだと話していたが、四十年前のゲーム機で遊んだ話しかされなかった。顔からしてかなり若い筈なのにどういう事なんだ……? レトロゲーム好きなのかな? 謎が謎を呼ぶ。

「天河さんって……どうしてウチみたいな職場に来たんですか?」

 俺は思い切って質問してみた。あれから数時間色々教えたが、やはりどうにも天河さんはオタク文化に明るくないっぽい。ガチャガチャでよくある小さなソフビも初めて見た……とか言ってたし。一体どういう環境で育ってきたのか気になる。

「ええと……私はあまりこういったカルチャーに詳しくありませんので、社会勉強の為にこちらの仕事先を選んだのです」

 カルチャー。大和撫子な美女から出た横文字が気になったが、社会勉強で選ぶにしてはウチってヤバすぎるんじゃないだろうか。元々大手の中古ショップでもない小さな会社だし、ホープヴェイの中でもそんなに売り上げが良さそうでもない……それに、問題はあのロリババア店長だ。ロリババア店長は客やアルバイトに誰彼構わず噛みつく狂犬なので、基本店の一番奥の作業場から出さないようにしてる。店長としてそれはどうなんだと思うが、店の評判に関わるので店長には金の管理と社員しか出来ない仕事を任せて俺が代わりに接客や店の小さい仕事をこなしている。

「私は、私が知らない事を知りたいのです。だから、お仕事は精一杯頑張らせて頂きます」

 光に満ち溢れたその健気な宣言に、俺は心が洗われる気がした。ロリババア店長にいじめ倒されて弱っていたが、天河さんを見ているとみるみるうちに気力が湧いてくる。俺、もうちょっと頑張ろうかな。

 それからというもの、俺は天河さんに進んで仕事を教えた。天河さんは俺と同じ週五で勤務する事になっていて、会う頻度も高いから色々教えやすかった。

 他の男オタクバイトの反応としては、天河さんの光オーラが強すぎて皆やはり狼狽えていた。もはや、邪な感情さえ抱くのもおこがましい程に、天河さんは純粋で美しい。まるで水晶のような人だ。男オタクバイト達は、口を揃えて「天河さんはこの腐敗した地に舞い降りた天女様」と言う。皆、あっという間に天河さんの事を好きになっていた。

 しかし……これだけ天河さんがオタクバイト達に好かれている中、ロリババア店長だけはやはり良い顔はしなかった。むしろ、ロリババア店長はやっぱり想定していた通り天河さんに当たりが強い。小さなミスをネチネチ怒ったりもするし。でも、そこに俺や別のオタクバイトが気を遣ってフォローを入れ何とかなっている。まあ、そういうのもロリババア店長にとっては気に食わないんだろうが……。現に、天河さんを庇うと俺に火の粉が飛んでくる。ロリババア店長の当たりは日に日にキツいものとなっていた。もうパワハラでそろそろ訴えられるレベルで。

「相模さん……最近お疲れですか?」

「え? あ、ああ……まあ」

 今日も勤務が一緒になった天河さんに心配そうに尋ねられる。俺はヘラリと笑ってみせたが、割と限界が近づいていた。最近は上層部からもっと店の売上を上げろって言われてるし、何やかんやあのロリババア店長の飼育も押し付けられてるし……正直ヘトヘトだ。

 あと、ストレスの所為か最近よく鼻血が出る。勤務中に出ると中々止まらないし、品川には「休んだ方がいいでござるよ!」と必死に説得された。だが、休む事は出来ない。理由は金が無いからってのもあるけど……最近、誰かが俺を呼ぶ悪夢を見るから、何だかここに来なくちゃいけない気がしているのだ。誰が、何で俺を呼ぶのかは分からない。でも、確かにこの「ホープヴェイ」に呼ばれている事だけは分かっていた。そしてホープヴェイに行かなければ、死ぬかもしれない事も。

「……そろそろ、何とかした方が良さそうですね」

 天河さんが、ふいに呟いた。俺は「ん? 何の事です?」と聞き返すと、彼女は優しく微笑んだ。何ですかその意味深な微笑は。美し過ぎて目が潰れてしまいますよ。

「相模さん、今日お店のお仕事が終わったら少しホープヴェイを案内して頂けませんか?」

「えッ……別にいいですけど、ウチの店が終わるのって夜の八時過ぎですし……他の店とかも全部閉まってると思いますよ?」

 あと、店の締め作業とかもあって大体帰りは夜の九時だ。その時間になると、ホープヴェイの店はほぼ全部店を閉めてしまっている。ていうか開いている店なんてない。それなのに案内しろって……天河さんは何を考えているんだろうか。

「うふふ……実は私、ホラーやオカルトが好きなんです。だから、ホープヴェイの怪談について気になっておりまして」

「怪談……あの、まさか何ですけど……あのフロアの話ですか?」

「はい。品川さんからお聞きしました。特定の関係者以外の立ち入りが禁じられている呪われたフロアがあるって」

 天河さんは楽しそうに笑うが、俺は「おい品川ァ!」と怒鳴りたくなった。あのフロアの話は基本的に知る人ぞ知るって状態にしてて、尚且つオカルトめいた話とかじゃないって事で話が通ってる筈なのに。品川の野郎、絶対に「あのフロアは呪われてるんですゾ」とか言ったに違いない。

「い、いや~……あれは呪われてるとかそういうのじゃないですよ。ただ、普通に居住区だったり別の店の関係者が使ってるから立ち入り禁止になってるだけで」

「そうなんですか? 私、他のお店の方にも聞いて回りましたが……皆さん同じように『あの六階は呪われている』って言うんです。あ、何ならネットの掲示板でも見ました!」

 天河さんの行動力の凄まじさよ……。しかも、店のパソコンの操作が全然出来ない割にちゃんとインターネットの掲示板とか見てるんだ。どうせオカ板とかだろ。俺はがっくり肩を落として、もうカバー出来ない事を悟った。

「……マジであのフロアは行かない方がいいですよ。俺も店長に言われて数回行った事ありますけど、あんまり空気が良くないっていうか。昼なのに暗いんですよ。まるで、夕方と夜の狭間でずっと時間が止まってるみたいな……変な場所なんです」

「わあ~! それはそれは、益々興味が湧いてしまいますっ! 是非案内して頂けませんか?」

「俺の話聞いてました?」

 天河さんはキラキラした瞳で身を乗り出してくるが、俺はマジで嫌だった。あそこの空気のドンヨリ加減は異常なんだ。身体が重くなるっていうか……呪われているって言われててもしょうがない雰囲気が漂っている。それをわざわざ夜に行くとか嫌過ぎる。ただでさえ最近は具合も悪いのに……。

「……相模さん。ワガママを言っているのは承知です。ですが、どうしても私は行きたいんです。貴方の為にも」

「お、俺の為……?」

 天河さんが微笑みながらも真剣な眼差しを向けてくる。俺の為ってどういう事なんだろう? 俺と呪いのフロアが関係……してるか。そりゃ。俺、あのフロアにある部屋の鍵を持っているんだもんな。もしかして俺の具合が悪いのも、あの部屋の鍵を持っているからだったりして。そんな訳ねーか? 分からん。

「随分楽しそうにお喋りをしているのね」

 鋭い声が聞こえてきて、俺は肩を跳ね上げた。狭いカウンターの入口を恐る恐る見てみると、そこには鬼のような形相のロリババア店長がいた。げぇえ最悪だ!

「そんなに楽しそうにお喋りする暇あるなら、手足をせかせか動かして仕事したらどうなの?」

 そりゃテメーもだろ! いつもいつも裏の作業場でパソコン使ってすぐに打ち切る買取表ばっか作ってる癖に……。俺は言い返したい気持ちもあったがいちいち突っかかってもキリがないので「すみません」とだけ謝ってグッズの買取表制作の作業を再開する。天河さんもまた、近くにあった商品の袋詰めを始めた……と思ったのだが。

「店長、少しお願いがあるのですが」

「……何かしら?」

「こちらのお店にあるフィギュアと小物をいくつか買わせて頂きたいです。よろしいですか?」

「何の為に?」

 ロリババア店長が天河さんに冷たい目を向ける。な、何の為に買うかって……そりゃ普通に趣味とかじゃないのかよ。何でいちいちそんな事聞くんだこの店長。俺、店長のこういう土足で人のプライバシーに入り込んでくる所マジで嫌いなんだよな。マジで人間の心が分かってなさ過ぎる。

「どうしても必要なのです」

「……フン、勝手にすればいいんじゃないの? ウチの利益になるんだったら、ね」

 ロリババア店長がギラリと天河さんを睨みつける。そんな目で見なくたっていいだろ......! 俺は耐えきれなくなって、二人の間に割って入ろうとした。しかしその時。

「あ……え、うわ」

 俺の鼻から、ツウと鼻血が垂れた。こ、こんな時に鼻血かよ! 俺は慌ててティッシュで鼻を押さえる。やってしまったなあと思って天河さんと店長を見ると、二人は何故か俺が鼻血を出すのをめちゃくちゃ冷静な顔で見ていた。な、何だこの人達……⁉ ちょっとは心配してくれたっていいだろ!

「店長、お分かりになりましたか。時間がもう、ないのです」

「チッ……仕方ないわね。だったら今日は少し早く帰っていいからとっとと終わらせて頂戴」

 店長が不機嫌そうな顔で去って行く。え、今早く帰って良いって言った? 訳が分からず俺が困惑していると、天河さんがすぐに俺の傍に近寄って来る。

「相模さん、少し座って下を向いていて下さい。接客の方は私がやっておきますから」

 優しくそう言われ、俺は「は、はい……」とカウンターの中に座り込んでしばらく安静にしていた。接客や商品作りを丁寧に行う天河さんの近くで座っていると、鼻血は案外すぐに止まりホッとする。

「店長から許可も下りましたし、今日は早く帰りましょう……と言いたい所なのですが、やはりどうしてもあのフロアに行かなければいけません」

「……あの、マジで話が見えてこないんで説明して貰えませんか天河さん」

「はい。私も今すぐ全てをお話したいのは山々なのですが……とりあえず、退勤後にお話致しますね」

 えぇ、めっちゃ気になるんですけどぉ! 俺はソワソワしながら、退勤を待った。その間に、天河さんは店にあった美少女フィギュアなどの商品を買っていく。バイトの人間が店で買い物するのは珍しくないけど、天河さんが買い物するのって初めて見たな。俺も何か、一体何に使うか気になってきちゃった。

「アンタ達、もう今日は良いわ。とっとと帰って」

 閉店の一時間前。店長が俺達にそう言い渡しに来た。言い方がキツ過ぎてムカついてしまったが、こんなの働いてて初めてだから戸惑っている気持ちの方が強い。これから何が起こるんだろうか……と不安を抱きつつ、さっさと帰る準備を始めた天河さんに続いて帰り支度を整えていく。

「じゃあ……お疲れ様です」

 店長はヒラヒラと平坦に手を振るだけ。ああ、マジでムカつくぜ。俺がイライラしていると、天河さんが「相模さん、行きましょう」と声を掛けてくる。その手には、今日買ったフィギュアなどが入った袋があった。

「で……マジで今から行くんですか?」

 俺はもう一度聞いた。すると、天河さんは「ええ」と頷いて微笑んだ。そして、勝手に上層階へ続く階段を軽々上がっていく。

「じゃあ、行く前に何がどう言う事なのか全部話してくれません?」

 俺は階段を登りながら、天河さんに問いかけた。天河さんは俺と同じペースで階段を登りながら言う。

「あ、はい……。そうですね、何処から話せばいいのか分からないのですが、まず六階のフロアが呪われているのは本当です」

 俺はその言葉に「えぇ……?」と疑問符を浮かべた。めっちゃ断定してくるじゃん。

「何でそう言い切れるんですか? まさか、霊感があるとかそういう?」

「うーん、まあ……そう言う事になるかもしれません。私自身、少し特殊な身ですから」

「と、特殊な身?」

「はい。簡単に言うと、私は陰陽師なのです」

「は?」

 いきなりとんでもない話がぶっこまれてきて俺は階段を上がる足が止まった。陰陽師って……え、どういう事だ?

「私は元々遠い北国で神様をやっていたのですが、過疎の影響で信仰が薄れ力が弱まっておりました。しかし、そんな私を見つけて下さったあるお方……今の主様によって式神として使われる事になり、その流れで陰陽師という仕事を請け負ってですね……」

「待って待って待って! 話のボリュームが多すぎます! それ多分小説だと二話構成でやる話です⁉」

「そうなんですか?」

 天河さんがきょとんとする。いや、そんな可愛い顔してもダメですよ! 俺は理解が追い付かなくて額を押さえる。また鼻血出そう。

「ええと、困惑させてしまってすみません。とにかく私は陰陽師としての使命を全うするためにホープヴェイに来まして……六階フロアの浄化や様々な問題の解決に取り組まなければならないのです」

「そ、そうなんですか……って、様々な問題って何ですか? あの六階のフロア以外にも何かあるんですか、ここ」

「それはまた後日、お話しますね。とにかく今は、このホープヴェイで一番悪しき死地になっている六階フロアの浄化をしに行きます。そうでないと、相模さん……貴方の命が危ないですから」

 あ、やっぱり俺の命ってあのフロアの所為でヤバいんだ。まだ色々信じ切れてないけど、俺の命が危ないのは本当だというのは何となく信憑性があった。最近の具合の悪さ、異常だもんな。

「本日お店で買わせて頂いたのは、浄化の儀式に必要なモノです。あとは私が常備している塩とお神酒で何とかします」

「天河さん、塩とお神酒常備してるんですか……?」

 どんどん訳が分からなくなってくる俺と、「うふふ、内緒ですよ」と笑う天河さん。何でこの状況でそんなにお茶目に笑えるのかもよく分からないまま、四階に辿り着いた。

「……ここから六階に行くには、業務員用のエレベーターに乗らないといけないんですよね」

「ええ、存じております。オカルト掲示板で見ました」

「よりにもよって情報源オカ板かよ」

 普通に別の店とかで聞いてるんじゃないのか。俺は天河さんのややズレたソースに困惑しつつ、業務員用のエレベーターに乗っていく。二人きりで狭いエレベーターに乗りながら、話を続ける事にした。

「そもそも六階のフロアって何で呪われてるんです? 呪いの話は俺がここに来る前からずっとあったにはあったみたいなんですけど」

「ええ……私もここで働く前から色々調べたのですが、六階フロアのとある部屋にかなり強い邪神が閉じ込められているようで。その邪神の放つ悪い気が、六階のフロア全体を魔境にしているのです」

「……そ、そのとある部屋ってまさか、俺が持ってる鍵……の部屋、じゃ、ないですよね?」

「相模さん、ご名答ですよ」

 絶叫、というより愕然とした。天河さんは冷静な顔をしているが、俺は冷や汗が駄々洩れである。

「きっとかなり昔に、邪神の力を使おうとした誰かがいたんです。しかし、その力を制御できないと判断して封じ込めた……。とはいえ、今は封印が弱まり邪神の邪気が部屋から漏れ出てしまっているんです。それが、更に良くないものを呼び寄せている。だから、六階のフロアは呪われてしまった」

 淡々とした説明に、俺はただ俯いた。今、俺のポケットにはその邪神とやらが封じられているらしい部屋の鍵が入っている。今すぐ投げ捨ててしまいたいが、今投げ捨てたらヤバいのだろう。俺はエレベーターという密室で、逃げ出したくて仕方ない気持ちのまま座り込んだ。

「お、俺……このまま死んだりします?」

「死にませんよ。相模さんは、私が救います」

 天河さんの凛とした声に、俺は泣きそうなまま顔を上げた。彼女は静かに微笑みを携えている。その笑みは力強くて……この人を信じてみたいと思える顔だった。

「それに今日は……見て下さい! 主様が特別に作ってくれたオリジナルの笏もあるんです。これにはとても強い霊力が籠もっておりますから、絶対に相模さんを守れますよ!」

 天河さんが木のヘラみたいなのを見せてくれる。それには何故か、めちゃくちゃ有名な怪獣とヒーローの絵がカッコよく描いてあった。何これ……。

「昔から主様とは怪獣映画やヒーロー番組を良く見ておりまして……主様が『これからホープヴェイで仕事するなら』と作ってくれたんです! あ、ちなみにこれは一九五四年の怪獣映画に出てきた怪獣で……」

 そこから、六階に到達するまで天河さんの特撮語りが始まった。俺が生きるか死ぬかの状況かもしれないというのに、何でこの人は特撮について熱弁しているのだろう。やっぱりこの人が陰陽師とは思えなくなってきたぜ。本当に何とかなるのか滅茶苦茶不安になってきた。

 やがて、天河さんの弾丸特撮語りの途中で六階に到着する。天河さんは「あら、もう到着してしまったんですね」と不思議そうに言った。俺にはすごく長い時間に思えましたけどね。

 俺と天河さんはエレベーターを降り、六階のフロアに入っていく。やはり、空気が重い気がする……し、いきなりジワジワと頭痛がしてきた。やっぱりここは、おかしい。

「ふむ、噂通り……ですね。では、部屋の方まで行きましょうか」

 嫌だと言いたかったが、天河さんがどんどん進んで行ってしまうのでついて行くしかなかった。例の部屋は赤いカーペットの廊下を進んでから突き当りの方にある。道を進むにつれて気が重くなってきた。

「……ここですね」

 ついに、部屋の前に辿り着いた。何の変哲もない、古びたドアに「一〇六」と数字が刻まれている。それなのに……ドアの前に立っただけなのに、かなり気分が悪い。

「相模さんは鍵を持っている分、この部屋の邪気を受けやすくなっています。なので、儀式を早くしてしまいましょう」

「……そ、そうして下さい。マジで吐きそうです」

 俺がグロッキーなままそう言うと、天河さんが部屋のドアから少し離れた場所にサクサクと袋の中から美少女フィギュアや小さいソフビを並べていく。そして、背負っていたリュックから塩やご神酒を取り出した。マジで塩とご神酒持ってるのかよ。体調の悪さが勝ってツッコめないまま、天河さんがアニメグッズの小さな皿に塩や酒を盛って行く様子を見ていると、彼女が俺の方を見た。

「相模さん、塩と酒を少し飲んでから私に鍵を渡して下さい。それと、念のため護符を持っていて下さいね」

 俺は指示されるがままに、皿に乗っかった酒と塩を舐めた。塩辛いが……舐めた途端少し身体が軽くなった気がする。俺がびっくりしていると、天河さんが「少しは体調が良くなりましたか?」と尋ねてきた。

「は、はい……あ、鍵ですよね。今渡します」

 俺は天河さんに鍵を渡し、その代わりに謎の呪文が書かれた紙を一枚貰った。もうここまで来ると、彼女が陰陽師であると認めざるを得ない。神様だとかなんだとかはまあ、一旦置いといて。それはこの後の小説を二話構成にしてやればいいからな。

「では、始めましょう」

 天河さんが、鍵を持って部屋のドアへ近づいていく。俺はドキッとして彼女に向かって叫んだ。

「あ、天河さんっ! まさかですけど、部屋のドア開けるんですか⁉」

「ええ。浄化装置は作りましたから……あとは邪神を復活させ、滅するだけです」

 お祓いってそういうモンなの? 俺は不安と恐怖のまま、じっと天河さんの様子を見つめる。彼女は静かに鍵を部屋のドアノブに差し込んだ。心拍数がどんどん上がっていく。

「起きなさい」

 カチャリ。ドアの鍵が開いた。天河さんは鍵を引き抜き、ドアからゆっくりと距離を取る。数分、何も起こらない。俺は緊張感でどうにかなりそうだったが、段々「何も起こらないじゃないか……」と息をつく。だが、それからすぐだった。

 ギイーと音を立てて、ドアが勝手に開く。俺の心臓が跳ね上がり、勝手に恐怖で唇が戦慄いた。天河さんはドアに一切触れていない。なのに、ドアが勝手に開いた。何故、どうして。疑問と共に、恐怖が這い上がってくる。

「あ……ぐッ、がはっ」

 いきなり、鼻から血が噴き出す。しかも今度は鼻だけじゃない、口からもだ。咳き込みながら、嘔吐の感覚でその場に血をぶちまける。何だこれは? 俺に何が起きている? 天河さんから貰ったお札を握り締め、その場に蹲る。

「……彼の寿命を、食っていたんですね。なるほど……とても悪い子さん」

 荒く息を吐きながら、天河さんの方を見る。虚ろな視界、開いたドアの向こう側から黒いモヤのようなモノが溢れ出て来るのが見えた。

「ひっ……!」

 黒いモヤの中に、何本ものどす黒い手足を持った「何か」がいる。上手く認識できない、この世の者ではない誰か。あれが、天河さんの言っていた邪神? 子供のような無邪気な笑い声をクスクス漏らす、あんな恐ろしいものが……あの部屋に封印されていたのか。

 逃げ出したいのに、身体が上手く動かない。ただ、天河さんと邪神の対峙を食い入るように見つめる事しか出来なかった。

「邪神様、もし呪いを解きこのまま黄泉に帰るというのならば、私は同じ神のよしみで貴方を滅しません」

「な、なっ、何言って……! げほっ」

 さっき滅するって言ってたじゃないですか。そう言おうとしても、喉に血が絶え間なくせり上がってきて喋れない。

「****」

 邪神が、何かを喋った。だが、俺には何を言っているか聞き取れない。子供の笑い声とテレビのノイズをぐちゃぐちゃにしたような響きに、むしろ頭が痛くなった。苦しくて今にも死にそうだ。

「そうですか……ならば、仕方ありませんね」

 天河さんがため息をついた。それから美しい所作で、片手に持っていた笏を邪神にかざす。

「消えて貰います」

 天河さんのその一言で、邪神が一気に彼女へ襲い掛かる。黒い手足が伸び、天河さんをぱっくりと飲み込んだ。俺は目を見開き、「天河さんッ」と叫んでまた血を吐く。どうしよう、天河さんが……ッ! 俺が深く絶望した時だった。

「え……ッ」

 天河さんを飲み込んだ黒い渦が、一気にサアと砂に変わっていく。一体何が起きたんだ? 俺が呆気に取られていると、砂埃の中から傷一つない天河さんの姿が見えた。その姿の神々しさに、見惚れた。

「あ、あまかわ、さん……」

 俺が息も絶え絶えに天河さんを呼ぶと、ゆっくりと彼女が振り返る。いつも通り、穏やかで緩やかな美しい微笑で。

「今、終わりましたよ。邪神は滅しましたから……相模さんの呪いもすぐに解けます」

「……そ……です、か……」

 俺はゆっくり、床に倒れ込む。安堵と共に、身体から力が抜けてしまった。どうしよう、動きたいのに動けない。

「あとは私がお祓いをしておきますから、相模さんは寝ていていいですよ。ああ……でも、少しお神酒で体内を祓っておいた方がいいですね」

 天河さんが倒れ伏す俺をひょいと抱き起こす。そして、近くに置いてあったご神酒を手にして口に含んだ天河さんは、俺の唇をそっと塞いだ。

「ん……」

 口の中に、日本酒の辛い味。まさか、神様からの口移しなんて夢だよなあと思いながら……ようやく俺は静かに意識を手放した。


****


 お祓いをした翌朝。俺と天河さんは六階の廊下で寝ているのを警備員に発見されて滅茶苦茶怒られた。だが、あのロリババア店長からは何故かお咎めなし。何でかは分からなかったが、ラッキーだなと思った。

 それからしばらく、俺は呪いが解けた事で健康を取り戻して普通に出勤。まあ、相変わらずロリババア店長は元気に嫌味を言いたい放題言い散らかしてくるけど。でも、全然気にならねえぜ。だって俺には……天河さんがいるからな!

「おはようございます、相模さん」

 カウンターの入口から声がして、俺は嬉々として顔を向ける。おお、今日も美しい袴姿の天河さんだ……。俺は乙女みたいな気持ちでもじもじしながら「お、おはようございますぅ」と上ずった声で返す。

「あら、どうしましたか?」

「……あの、天河さん……もし迷惑でなければ、天河さんの陰陽師の仕事を手伝わせて貰えませんかっ? 俺、ここの勤務歴長いっちゃ長いし……ホープヴェイの噂なら、何個か知ってるんで……。何ていうかその、助けて貰ったお礼がしたいんです!」

 俺が決死の覚悟でそう言うと、天河さんはきょとんとしてから嬉しそうに笑った。

「それはとてもありがたいお話ですわ。では、調査のご協力を是非お願い致します」

「ヤ、ヤッター!」

「えっ、どうして相模さんが喜ぶ側なのですか……?」

 不思議そうにする天河さんに、俺は笑いかける。そりゃ嬉しいに決まってる。好きな人の手助けが出来るんだから!

「で、次は何の退治に行きますか⁉ 悪霊でも妖怪でもどんとこいですよ!」

 俺は喜びのまま、天河さんに鼻息荒く言う。すると、天河さんは困ったように笑って頬に手を添えながら「うーん……そうですねぇ……」と何かを考えるような仕草を見せる。か、可愛すぎるッ! 可憐! まるでコスモスが風にそよいでいるかのようだッ!

「とすると、次は悪魔退治になりますね」

「……へ? 悪魔? 妖怪とか、悪霊じゃなくて?」

「ええ、悪魔です。それもとびきり邪悪な……ね」

 天河さんが意味深に微笑む。俺は拍子抜け……というか困惑の眼差しで彼女を見る。この流れだったらどう考えても妖怪とか悪霊じゃないのか? なのに悪魔って……それ西洋の魔物じゃん。そんなのいるのかなあ。

「うふ。まあすぐに分かりますから。乞うご期待です♪」

 軽やかに天河さんが言う。そっか! なら、また天河さんが無敵の力を振るう所が見れるのを楽しみにしておかなくっちゃな! 

 そうして今日も、俺は陰陽師としての彼女の活躍を心待ちにしながら中古ショップで働くのであった……。

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