小倉百人一首しりとり

藤泉都理

小倉百人一首しりとり






「あはれとも 言ふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな」

「名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな」

「難波潟 みじかき蘆の ふしの間も 逢はでこのよを 過ぐしてよとや」

「やすらはで 寝なましものを 小夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな」

「ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき」

「君がため 惜しからざりし 命さへ 長くともがなと 思ひけるかな」

「難波江の 葦のかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき」

「きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む」

「村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ」

「ほほ。「れ」から始まる小倉百人一首はなし。ここまで。ですね」

「ほほほ。ここまででございますね」

「九首ですね」

「九首でございますね」

「「いかがでしょう。はじめ先生」」

「いや。うん。え~~~」


 担任であり国語教師であり小倉百人一首しりとり部活動顧問である六十代男性のはじめは、高校一年の男子学生である河治かわじ児玉こだまの豹変っぷりに目を白黒させていた。

 河治と児玉といえば、手が付けられないほどの喧嘩好き。

 目が合えば喧嘩を吹っ掛けると言われており、若者を指導する教師としてはあるまじきことであったがどうか二人がうちの高校に来ませんようにと神社にお百度参りしたのだが、祈りは届かず。

 河治と児玉が入学すると知った時、さらに、二人を自分が受け持つクラスだと知った時、本気で教師を辞めようと考えたのだが、違う高校に通っているのだが二人と同じ高校一年生である娘の愛菜まなから叱咤激励させては、一念発起。こちとら教師歴四十年を迎えたんじゃと鼓舞。はんなりとした口調で以て、ひたすら喧嘩を吹っかけて来る二人に小倉百人一首でしりとりをできるようになったら喧嘩を受けようと言い続けた。


 ふざけんな。

 誰がてめえの言う通りにするか。

 怒号と共にいくら殴られても蹴られても警察沙汰にはせず、ただひたすらに手を出す事も足を出すこともせず耐え続けた。

 結果。

 覚えてしりとりできるようになったら絶対に喧嘩しろよ。

 河治と児玉が同時に吐き捨てたのは、夏休み前。

 それからおよそ三か月。

 誰にも喧嘩を吹っかけることもなければ、おとなしく授業を受け続けていた二人が今日の放課後、職員室に居たはじめの元に、どこからレンタルしたのか、河治が青の狩衣、児玉が赤の狩衣を纏って来たかと思えば、ギラツキをはんなりへと変化させて淀みなく小倉百人一首のしりとりを始めたのである。




「君たちはまだ私と喧嘩したいと思っているのかい?」


 かっぴらいてはギラつかせていたいた目から糸目へと変化させた河治と児玉を、はじめは真正面から見つめた。

 河治と児玉は狩衣の袖から扇を取り出しては、はんなりと広げて口元を隠したかと思えば、いいえと口を揃えて言った。


「喧嘩からは卒業します。俺は児玉さんとはじめ先生と共にはんなりと高校生活を過ごしたいです」

「はじめ先生と喧嘩をするために、河治さんと一緒に小倉百人一首を覚えて、喧嘩して、覚えて、喧嘩して、覚えて喧嘩して、覚えて覚えて意味も覚えて。しりとりをできるようになりましたが、最初は二首。三首がやっとでございました。それが九首までしりとりできるようになって。感無量でございます。今度ははじめ先生と一緒に小倉百人一首しりとりをしとうございます」

「そうか。今日は無理だけど、明日。河治さんと児玉さんと私と。それと小倉百人一首しりとり部活動に入部しているみんなと小倉百人一首しりとりをしよう」

「「はい。それでは失礼します。これまでの数々の御無礼をおゆるしください」」

「うん。これから一緒に高校生活を楽しもう」

「「はい」」


 はんなりと職員室から出て行った河治と児玉を見送ったのち、懐かしい気持ちが込み上げたはじめは仕事を終え次第、旧友の手嶋てじまに連絡を取ろうと考えた。


(しかし、私たちの時代のやり方がまだ通用するとは思わなかったな)


 河治と児玉同様に、喧嘩大好きヤンキーだったはじめもまた、手嶋と共に小倉百人一首しりとりをやれるようになったら喧嘩してやると、喧嘩最強と名を馳せた担任に言われたのである。


(高校一年生の私も手嶋も今の河治と児玉と同じようになって。今じゃあ私は国語教師。手嶋は歴史小説家。やはり小倉百人一首しりとりは人生観を広げるのだなあ。しかし。はは。久々だったからなあ。喧嘩を吹っかけられたの。少しだけ若さに充てられて、喧嘩を引き受けちまいそうになった。はは。久しぶりに手嶋と小倉百人一首しりとりをしようかな)


 はじめは仕事に集中する前に緑茶を飲もうと立ち上がって、はんなりと歩を進めたのであった。











(2025.11.9)




(参考文献 : 『新総合図説国語 改訂新版 (東京書籍株式会社)』の「小倉百人一首」)


 あはれとも 言ふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな

(ああ、かわいそうだとも言ってくれそうな人はだれ一人として思い浮かばず、私はこのまま恋いこがれて、むなしく死んでいってしまうにちがいないのだなあ)


 名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな

(逢って寝るという名の逢坂山のさねかずらよ。その名のとおりならば、その蔓をたぐり寄せるように人に知られずに逢いに来られるような方法があってほしいものだ)


 難波潟 みじかき蘆の ふしの間も 逢はでこのよを 過ぐしてよとや

(難波潟に生える蘆の短い節と節との間、そのように短い時間でさえもあなたにお逢いできないまま、この世を過ごせというのでしょうか)


 やすらはで 寝なましものを 小夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな

(ためらわずに寝てしまったらよかったのに。あなたがおいでになると聞いたから、夜が更けて西山に傾くまで月を見てしまいました。なのにあなたは来てくださらなかった)


 ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき

(もしこの世に生き長らえるならば、つらいこのごろのことがまた懐かしく思い出されるのだろうか。つらいと思った過去が、今は恋しく思われるのだから)


 君がため 惜しからざりし 命さへ 長くともがなと 思ひけるかな

(あなたのためには惜しくはなかった私の命までもが、逢うことのかなった今、長くあってほしいと思うようになったことよ)


 難波江の 葦のかりねの ひとよゆゑ みをつくしてや 恋ひわたるべき

(難波の入り江に茂る葦の刈り根の一節にも似た、短いあなたとの仮寝の一夜を過ごしたために、私はこれから身をささげ尽くして、恋し続けることになるのでしょうか)


 きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりかも寝む

(こおろぎが鳴いている、この霜夜の寒々としたむしろに、自分の衣の片袖を敷いて独り寂しく寝るのであろうか)


 村雨の 露もまだひぬ まきの葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ

(にわか雨が通り過ぎ、そのしずくも乾かない真木の葉に、霧が立ちのぼる静かで寂しい秋の夕暮れであることよ)





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小倉百人一首しりとり 藤泉都理 @fujitori

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