光の速度で君に

蓮見庸

光の速度で君に

惑星ほしの裏側はたいへんなことになっているの……」

 彼女からその通信を受け取ったのは、もう何ヶ月も前のことだった。

 原因不明の病気が急激に蔓延まんえんし、俺たちの惑星全体を覆っているとのことだった。

 しかもそれは人間だけでなく、動物や植物を問わず生命いのちという生命をことごとくむしばみ、不毛の大地が広がりつつあるということだった。

 幸いにも俺たちの住んでいる大陸にはその影響は及んでいないようだが、それも時間の問題だと言われているという。

「早く帰ってきて」

 彼女は最後をそう結んだ。


 一攫いっかく千金を夢見て、ありったけの金をはたいて買った中古船。俺は長年連れ添ったこの船に乗り、希少な鉱物資源というお宝を求めて、1年をかけ、惑星系の最大の巨大ガス惑星が擁する衛星のひとつ、通称赤いダイヤを目指しているところだった。

「今度こそは……!」

 この星は生身であれば一瞬で生命を奪い去る赤い毒ガスの嵐が吹き荒れ、灼熱の大地は溶岩で赤く燃えたぎっている。その過酷な環境がゆえにほとんど手つかずで眠るきわめて希少な鉱物を目指して幾千もの命知らずが訪れた。

 そしてよほど運のいいひと握りの人間だけが富と名声を欲しいままにし、強烈な重力という腕で強引につかまれ脱出することすらできない多くの命は、はじめからこの宇宙に存在しなかったかのように、赤い大地に肉体は溶かされ元素に還るか、嵐の中に消え行方知れずとなった。

 赤いダイヤの赤は、星の色だけではなく、血の赤でもあった。


 彼女からの通信は、巨大ガス惑星の薄いリングの隙間から、まさしくダイヤのようなその赤い輝きがきらめいた時だった。

 俺たちの惑星にいったい何が起こっているというのか……。

 1年かけてやっと手の届くところに見えてきた赤いダイヤの輝き。けれど俺には迷いはなかった。

 実際にその輝きを目にして怖気おじけづいたからではない。俺が帰ってこないかもしれないという覚悟をもって送り出してくれたあの彼女が、早く帰ってきてほしいと言うのは、よっぽどのことが起こっているに違いないからだ。

 金ならまたかせげばいい。生命があれば何とかなるだろう。

 燃料と食料は十分積んでいる。あと数日飛べばこの辺境の地に唯一作られた宇宙ステーションに辿り着くが、そんなことをしている余裕はない。一刻も早く彼女のもとへ、俺たちの惑星へ帰らなければ……。

 俺は船を180度回転させ、彼女の待つ惑星に向けてエンジンをフルスロットルで加速させた。

 身体は操縦席に押し付けられ、一瞬意識が遠のいた。

 まぶたの裏には彼女の顔が浮かんできた。


 彼女からの通信は数日おきに入り、やがて悲痛な叫びともつかない内容になってきた。

 そして次第に他の船に宛てた通信電波が雑音となって混じるようになり、彼女の声を聞き分けるのが困難になってきた。

 いったい何が起こっているのか、とてももどかしい。


「もうこの惑星はだめみたい。せめてあなただけでも生き延びて……」

 ようやく聞き取ることができたその言葉を最後に、彼女からの通信は途切れた。

 そして通信機は水を打ったように静かになった。


『光の速度で会いに行けたら……』

 船の速度計はほんのわずかずつ速度を上げているが、それでも光の速度のたった0.1%もない。

「くそっ!」

 何度も修理を重ね、やっとのことで飛んでいるといっても過言ではない状態のこの船は、焦るばかりの俺の気持ちに応えられないばかりか、足元や天井などあちこちから悲鳴を上げだした。両側の翼は今にも振動で取れてしまいそうだ。

 警告を見るまでもなく、これ以上無理をさせるとこのオンボロな相棒はバラバラに崩壊して宇宙のデブリになってしまうかもしれない。エンジンが爆発する可能性もある。

『もう少しスピードが出せさえすれば……』

 こんな歯がゆいことがあるだろうか。

 彼女はどうしているのだろうか。焦りばかりが募った。


 数週間後、かすかながら通信が入ってきた。

「……非常、非常、非常。コチラハ、第5惑星ノ連邦政府デアル。我ラガ惑星ハ未知ノ病原菌ニ汚染サレ、スベテノ生命ガ危機的ナ状況デアル。至急救援ヲ求ム。非常、非常、非常。コチラハ……」

 俺は手動で通信機の周波数を変え、他の音声が聞こえないか何度も調べた。しかしいくら耳を澄ましても、聞こえてくるのはこの非常事態を伝える機械的な音声の繰り返しだけだった。


 やがてその音声も聞こえなくなり、助けを求めるモールス信号だけが送られてくるようになった。

「− − −・・・− − − − − −・・・− − − − − −・・・− − − ……」

 自動で入ってくる無機質な音は船内に反響し、俺は通信機の電源を強制的に落とした。


 レーダーの端に小惑星帯の濃い影が現れてきた。

 ここを通るのはリスクが高すぎる。当然船は回避しようと旋回をはじめた。

 俺は船を自動操縦から手動に切り替え、そのままの速度で、いやむしろ速度を上げてまっすぐ小惑星帯へ向かった。

 操縦かんの上にあるモニターとスピーカーは至急進路を変更しろと最大限の警告を出し続けていた。

 けれどこの軌道が一番近道だ。ここは何度か通ったことがある。今回のような速度ではないが……。

『大丈夫だ』

 俺は自分にそう言い聞かせ、小惑星帯の真ん中を目指して飛ばし続けた。

 モニター上には飛行の支障となるような小惑星はなさそうだった。そればかりか、船の進む方向を指し示すように、そこだけ何もない、まるで1本の道が伸びているように見えた。

 船は不気味なほど順調に進んでいった。

 しかし不運なことに、小惑星の影から突然1隻の船が現れ、俺の行く手を阻んだ。

『危ない!』

 頭で判断するよりも早く体が反応し、操縦桿を大きく倒した。

 すんでのところでなんとか衝突はまぬがれたが、大きく軌道をれた俺の船はひときわ小惑星の影の濃い地帯へ突っ込んでいた。

 とっさにエンジンの逆噴射をかけたが、前方から容赦なく向かってくる大小さまざまな岩石によって船体はあっという間に損傷し、姿勢制御がうまくいかず船の回転が止まらなくなった。

 速度は下がらないばかりか逆に上がり続け、俺の体は船とともに激しく回転した。

 遠のく意識の中で操縦桿を握りしめ、感覚だけで体勢を立て直したと思った次の瞬間、目の前に巨大な小惑星が壁となって立ちふさがった。

 そして俺は光を見た。


 彼の意識はここで途切れた。

 小惑星と衝突した彼の体は一瞬のうちに光となり、まばゆいばかりに光り輝いた。

 その光はこの広大な宇宙にとって取るに足らないものだけれど、確かに存在したひとつの生命いのちのきらめきをまとい、硝子ガラスのように透明で鋭い光は一直線に彼女のもとへ向かっていった。


 そこで待ち続ける君がいるから、光の速度で会いに行こう。


 そして彼は星になった。

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