失われた首

湖上比恋乃

処刑された魔女と地下水路のふたり

 王宮前広場に、朝早くから多くの民衆が寄り集まっている。貴族たちは遠巻きの馬車から、あるいは王宮の監視室からその様子を眺めていた。人々が待ち望むのは、処刑である。稀代の魔女が今日この時、この場で斬首刑に処される。罪状は国家反逆罪。民衆に真実はわからない。公布される御触れが全てである。貴族たちも似たようなもので、王族の発する言葉は疑うべき何物もないと考えている。彼ら王族は、奇跡の人たちなのだから、と。

 広場中央に組まれた処刑台は鈍い光を放つ魔力絶縁材でできている。王都の技師たちが三日間かかりきりで、昨夜遅くに完成した。稀代の魔女が相手である。何が起きるかわからないということで、普段の処刑では拘束具のみに使用されるそれが、処刑台そのものを構成している。拘束具、台座、上部に据え付けられた刃、全てが同質の色を湛えていた。魔女の異様さが窺い知れ、民衆の興奮は一様に高まった。彼らの熱気が渦を巻くのに反して、処刑台は静かに佇む。そこに立つべき人を待っているかのようだ。建物の間から朝日が差し込んできた。台座に彫り込まれた魔法陣が端から順にその姿を浮き彫りにしていく。眩さに人々は目を細めた。そうして、あれほど膨らんでいたざわめきが、いつのまにか萎んでいることに気づき始める。来たぞ、とどこかで声がした。


 真っ黒なローブを着せられた魔女は、騎士に先導されるまま歩いていく。ローブの背中には処刑台に刻まれた魔法陣と同じものが刺繍されていた。目深に被ったフードから垂れ下がる髪は白い。魔力が強いほど髪色が薄くなるため、白は最も強大な魔法使いであることの証である。ふくらはぎまで伸びる豊かな髪は、朝日に反射して煌めいていた。人々は、あれほどまでに美しい髪はないと誉めそやしていた過去を忘れ、なんと恐ろしい象徴なのだと畏怖の念を抱く。処刑台に登る階段下で、彼女は前を向いた。ひっ、と誰かが息を呑んだ。金色の目は絶望も怒りも悲しみも映していない。ただ静かに輝いていた。


 処刑台に登ったのは四人だった。魔女、その両脇を固める騎士が二人、そして罪状を読み上げる役人が一人。彼女が魔法陣に足を踏み入れると、たちまち光が放たれた。同時にローブを脱がされる。質素なワンピースに身を包み、凛と背筋を伸ばして立つ魔女があらわになる。罪状が読み上げられるなか、手枷をしたまま刃の下に導かれる。半円の枷に首を預けて体を投げ出した。民衆がどよめく。誰も仰向けで斬首される者など見たことがなかったからだ。彼女の首を挟むように、半円が上から下ろされた。真っ白の髪が処刑台から垂れ下がる。役人が「最後に」と言った。

「言っておきたいことはあるか?」

 魔女は唇を固く閉じ、瞼も下ろした。

「では、刑を執行してくれ」

 カタン。刃を固定するロープが外され、少しだけずり落ちる音がした。騎士により元の位置まで持ち上げられる。それは前触れもなく落とされた。するすると枠の間を刃が滑り落ちていく。広場にいる誰もが呼吸を止めた。重い音がして、首が高く跳ねた。白い髪が波打つように揺れ、顔を覆い隠す。

「さようなら! みなさん!」

 高らかに声が響く。皆、誰の声だか判別がつかなかった。理解するのを無意識のうちに拒絶したのかもしれない。それは、魔女の首から放たれていた。

 顎が外れんばかりに口を開けた役人と騎士たち、そして民衆の目の前で魔女の首は、跡形もなく消え去った。



 王都の地下には水路が張り巡らされていた。絶えずどこかで水の落ちる音が反響している。湿った、ほとんど光のない世界だ。水と時間だけが流れている。そこに二人の兄妹が住処を構えていた。カンテラのぼんやりとした明かりが、ぼろ布で囲っただけの簡素な住処を照らす。薄くなったクッションを敷き詰めた上に、妹が寝ていた。息が細い。閉じた瞼は震え、唇は乾いてひび割れている。兄はそんな彼女の頭をそっとなでた。生きていることを確かめるように、わずかに上下する胸に目をやる。

「仕事に行ってくるよ。ゆっくりおやすみ」

 目を合わせるようにすると、妹の口元が少しだけ微笑んだように見えた。立ち上がり両手を握り込んだ兄は、妹の胸元が上下するのを一度だけ見守ってから、布の囲いを出ていった。


 複雑に入り組んだ水路は、彼にとって住処であり、また仕事場でもあった。カンテラを手に迷いなく進み、ときに角を折れながら待ち合わせの場所まで急ぐ。彼が弾んだ息を整えたのは、梯子の側だった。地上まで続いている。ほどなくすると天井が動き、朝の光が差し込んできた。目が眩む。とっさに顔を背けた。

「リオー! 降りていいかぁ!」

 頭上から声がかかった。

「いいよー!」

 目を閉じながら上に向かって返事をする。降りてきた五人の男たちは水路管理事務所の作業員だ。点検や修繕を担っている。彼らは梯子を降りきると、順番にリオの頭を撫でた。どれも分厚くて熱のこもった、大きな手だった。

「元気だったか?」

 ぼちぼちかな。

「今日も頼むな」

 任せて。

「ほら、食い物持ってきてやったぞ」

 ありがとう。

 親切な彼らとの仕事は楽しい。

「それで? 今回の点検箇所まではどう行くんだ?」

「来て。こっちだよ」

 リオは彼らに雇われ、この複雑な水路の案内人をしている。たまに地上での打ち合わせにも参加するが、大抵はこの地下での仕事だった。


 作業が終わり、地上へ帰っていく彼らを見送る。地上部の蓋が閉められると途端に静けさが訪れた。ついさきほどまで談笑していた男たちの声が耳に残っている。足元に置いていたカンテラを拾い上げ、少しだけ足早に住処への道を歩みはじめた。

——妹が今日という日を生き延びられますように。

 それはもうずっと、長い間のリオの願いである。自分がいない間に死んでしまってはいないだろうか、と考えない日はなかった。


 カンテラが揺れると、リオの影も揺れる。石造の壁面についた苔も、影になると大きく見えた。絶え間なく流れる水の音はいつもと変わらない。それに紛れる自分の足音もいつも通りだ。ところが住処に近づくにつれ、普段ではあり得ないものが聞こえてきた。誰かが笑っている。

 まさか。

 嫌な想像が頭をよぎるよりも早く、リオは走り出していた。この水路で妹と自分以外の声が聞こえるはずがなかった。作業員の男たちも帰っていった。気持ちは急いているのに、足が追いつかない。明かりが大きく揺れる。息が乱れる。

 あと少し。あの角を曲がれば。

 曲がった先に見えたのは、布に映る影が二つ。

「エナ!」

 叫びながら走った。もうほとんど転がりそうだった。殴るように布を捲りあげると、彼の妹が、笑っていた。体を起こして。

「あ、リオ」

「エナ?」

 全身から力が抜けてへたり込む。顔色の悪さも唇のひび割れもそのままだったが、確かに彼女は笑っていた。声をあげて。そしてリオは気づく。壁際に置いた木箱の上に、人間の頭部がのっている。

「……え?」

 豊かな白い髪と頭部だけの人間に、リオは心当たりがあった。ついさっき、作業員の男たちから聞いたばかりだった。振り返った生首と目が合う。金色の目は薄暗がりの中でも美しく輝いていた。リオが頭に浮かべた名が、口をついて出た。

「モルガン、ノクト」

「リオったら、この人のこと知ってたの?」

 ひさしぶりに聞く妹の声が、リオの耳に心地よく響く。

「この国で白い髪をもつのは、モルガンだけだって聞いてる。しかも先月、に」

 言い淀んだ。エナとモルガンを交互に見やり、処刑されたことを話すべきか悩んだからだった。

「なんだ? 私がどうかしたか?」

 金の目が瞬き、リオに尋ねる。

「いや。あんたの方がわかってるだろ。自分のことなんだから」

「それがさっぱりでな」

 宙に浮いた首が、くるりと一周まわった。白い髪がふわりと揺れる。

「この人、記憶がないらしいの」

「は? どういう……いや、今はそんなことより、エナ、お前のことだ」

 リオはへたりこんだままだった膝を伸ばし、ゆっくりとエナに近づいた。

「そうそう! モルガンさんに元気にしてもらったのよ」

 張り上げる声も、嬉しそうに輝く目も、リオはもう半分諦めていたものだ。

「手がないからおでこをくっつけてね、こう、ぐわあって。本当にすごいんだから!」

 縋りつくように抱きしめた肩は変わらず薄く、骨が刺さったが、その内に宿る体温で喜びが上回る。エナは肩口が湿っていくのを何も言わずに受け入れた。


「それで、私の名前はモルガンということで違いないのか?」

 リオがいまだ、エナの体温と力強い呼吸を感じているさなか、首だけの魔女は問いかけた。

「……間違いない」

 体を離してモルガンを見る。深く息を吐いて、クッションの一つに腰を落ち着けた。わずかな空気の流れに、ランタンの灯りが揺れる。

「何度治療を受けても回復しなかったエナを、ここまでにしたんだ」

「ああ、それな。魔力経路が随分と面白いことになっていたぞ」

——ぱた。

 落ちてきた水滴の音がやけに大きく響いた。リオの目が見開かれる。

「とはいえまだ完全ではない。エナの体力とも」

「ふっざけんな!」

 立ち上がり、モルガンの首を掴み上げる。リオの両手が回るほどに細いそれを、前後に振った。

「何が面白いって? エナは死にかけてたんだぞ! それをお前は!」

 体は怒りで震え、食いしばった歯が剥き出しになる。モルガンは何も言わない。

「まって!」

 リオのズボンの裾が引っ張られた。振り向くとエナがクッションの山を崩して這いつくばっている。かろうじて届いたのだろう。力を入れて白くなった爪が、必死に布を掴んでいた。

「エナ!」

 モルガンを放り投げて妹に駆け寄る。宙に浮いた首はそのまま、乱れた髪を整えるように揺れたり回ったりしていた。

「いいの。どんな理由だって」

 いいの、ともう一度言った。そうして再び木箱の上に着地したモルガンを見て微笑んだ。

「ありがとう、モルガンさん。私を元気にしてくれて」

「さっきも聞いたぞ」

 心底不思議そうに首を傾ける。せっかく整った髪が、またばさりと顔にかかった。

「だって嬉しいんだもの」

 リオはどちらにも、なんと言ったらいいものかわからなくなり、黙っていることしかできなかった。


 カンテラを消した暗闇のなかで、モルガンの白髪がぼんやりと光って見えた。板のようなマットに寝転がるリオは、妹の寝息に聞き耳を立てる。いつもの癖だった。

「なあ」

 息をするような声で向かい側の首に話しかけた。しかし反応はない。暗闇ではモルガンの目が開いているのかどうかはわからなかった。

「寝てるのか?」

 尋ねてみた。リオは先ほどよりわずかに声を大きくしてみた。それでもモルガンからの返答はない。しかしながら、なんとなく首が動いた気配があった。ぼんやりと発光しているような白の塊が浮いた気がしたのだ。

「モルガン?」

 これが最後とばかりに暗闇に囁いた。

「なんだ。私に話しかけたかったのか」

「いや、どう見たってあんたの方を向いてるだろ」

「確かに私は魔力経路が見える。お前がこちらに顔を向けているのも、光ではなく魔力の流れでわかる。だがそれと、なあ、だけで」

「もういい」

 俺が悪かった、とつづけた。あんたはそういう人だった、とも。

「話を遮られたのは釈然としないが、謝罪は受け入れよう」

 少しの間、沈黙が流れた。遠くで水滴が水の流れに着地する音が聞こえた。

「なあ。エナはもう、大丈夫なのか? 本当に治ったのか?」

「死からは遠ざかった。だが治ったというにはまだだな」

 モルガンが浮き上がり、リオの近くまでやってきた。

「やはりお前の中も面白い、っとこれはよくないんだったか?」

 浮いた首が傾げた勢いのまま一周回った。長く重たい髪はモルガンの頭に絡まり、顔がほとんど見えなくなる。リオは体を起こして彼女の髪をかき分けてやりながら、気まずそうに答えた。

「あー、まあ、うん。悪気はないんだろ。いいよ。そっか。俺の中も見えるんだな」

「エナは魔力が体内で暴れて酷いことになっていたが、お前は逆だな」

 今度はリオの周りを浮遊しながら、興味深げにしている。リオはエナに対してもこうだったのかとなんとなく予想ができて、堪えきれない笑いが鼻から漏れた。

「俺はいいよ。エナが元気になれば、十分だ。見た通り俺たちには金がない。あんたに支払えるのがいつになるかはわからないが、なんとかする」

 浮遊し続けていた首が止まった。それはちょうどリオの顔の前だった。

「なんの話だ? 私は金が欲しいと言ったか?」

 とまどうリオは無視をして、モルガンは続ける。

「お前はただ面白いと言う私を怒っていればいい。これは私の好奇心を満たすためにやっていることだ。それに、どうやらエナの魔力経路をいじることが、記憶を取り戻すことに繋がりそうでな」

「どういうこと、だ?」

「さあな。私にもさっぱりだ」

 すい、とリオの眼前から飛び去り、木箱の上に戻った。

「考えてもわからんのだから、もう寝ろ。ここの温度管理は私に任せておけ」

 彼はそこで初めて、住処が暖かいことに気づく。モルガンの魔法によって適切な温度に保たれていたようだった。

「わかった。ありがとな、いろいろ」

「かまわんさ」

 それきり闇の中はふたたび静かになった。リオは暖かな寝床で、妹の寝息を穏やかな気持ちで聞きながら眠った。

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