〜親愛なる君へ〜
宵月乃 雪白
黄昏時の下駄箱
黄昏時の昇降口。真夜中の海のようなブレザーを着た帰宅部の人たちを横目に下駄箱を開けると、くたびれた靴の上にはいつものように一通の真っ白な手紙が置かれている。
いつもと同じ、色、形、大きさの手紙には決まって差出人は記しておらず、小学校の頃読んだ教科書の一節である一文だけが添えられている。
手紙の内容は決まって今日のボクの良かったところやすごかったところなど、賞賛ばかりが書かれている。
最初のうちは気味が悪かったけれど、手紙が一通、二通、三通と増えてゆくうちに、いつの間にかその気味悪さが消えていった。
朝でも、昼でもなく、この下校時にしか入っていない手紙。
ボクの悪いところではなく、良いところを見てくれる人にお礼を、どうしてボクなんかを見てくれているのかを知りたくて、一ヶ月前からずっとお礼とあなたのことを知りたいという文章を書いた手紙を置いたりしたけれど、置きっ放しで持っていってくれる様子は全くない。
湿気や靴の汚れのせいで一ヶ月の間にこんなにも茶っちゃになってしまった。
「ねぇ」
声がしたほうへと振り向く。深い緑色をしたブレザーを身にまとった、長い黒髪の女の子が一人、そこに立っていた。
「二通もなんてモテモテだねぇ」
手にしている二通の手紙をみた彼女は心地よい声色で目を弧にしてボクを見る。それが何だか恥ずかしくて思わず目を逸らしてしまった。
「いや、そんなんじゃ……」
「いいじゃん。いいじゃん。誇っていいんだよ」
彼女は何か勘違いをしているらしい。まるで揶揄うようなその話しかたに、なぜだか目の奥が痛くなる。
「だから……」
「じゃあさ。その茶色いほう見せて」
「い、いやですよ」
「なんで?」
そう言ってわざとかは分からないけれど、彼女は大きく一歩。近づいてきた。
黄昏時が似合うその瞳が地味で冴えないボクを映し出している。吸い込まれるようなその綺麗な瞳と共に風に運ばれやってきた彼女の匂いはとてもいい匂いがして、心臓がバクバクと運動した時のように激しく動いて痛い。
「なんでって……わかりました」
もらった手紙を脇に挟み、茶色くなった封筒から文章が書き連なった便箋を取り出し手渡す。
「こうやって見せて」
紙が想像以上に汚かったのか、彼女は紙を自分ではなくボク自身で広げて見せてと要求した。ボクを見てくれる誰かに向けて書いた手紙はきっと見せなくてもいいはずなのに、ボクはどうしてこうも断れないのだろう。掃除だって、委員会だって、本当はやりたくない日だってあるのに「やってほしい」「お願い」と頼まれるともう断れない。
断るより、誰かにとって都合のいい人間でいるほうがずっと楽なのだから。
彼女はきっと明日にでも手紙の内容をクラスの子や仲良い子に面白おかしく話して、一時的にだけどボクは話題の
「ふーん。近くで見るとよく分かるね」
広げた紙を至近距離でじーっと、考えるポーズをとりながら半ば独り言のように呟いた。
「何がです?」
「んー? 別にー」
そう言ったきり彼女は一言も話さなくなった。別におかしくはないのだけど、こうして話さない謎の間みたいなせいで、頭の中は恥ずかしさと、明日にでもたくさんの人にこの手紙の内容が伝わってしまうという恐怖が駆け巡るから、とにかく何でもいいから話すか、ボクの前から居なくなってほしい。
何分たっただろう。彼女は前かがみになっていた姿勢をただし、猫のようにうんと背伸びをした。
体感的には一時間くらいだったけれど、きっと数分の出来事に違いない。書くのに何日もかかった手紙は届いてほしい人ではなく、知らない赤の他人にこうも速く読まれてしまうとは……一ヶ月前のボクには想像もつかなかっだろう。
「見せてくれてありがとう。じゃあね」
満足したのか、彼女は話しかけてきたよりもずっと満足したような表情を浮かべ、今にも鼻歌を歌い出しそうな雰囲気で、金色の光が差す、別棟へと軽やかに向かった。
「あ……はい」
彼女は一体何がしたかったのだろう。茶色くなった便箋を封筒に戻しながら彼女に背を向けた。
同じ学年なのか、それとも先輩かはたまた後輩か。雰囲気的には同じ学年だったけれど、見たことはない。中学校の時と違ってクラスも多いし、きっと知らないだけだろう。
「ねぇ!」
「はい」
さっきと同じ声が聞こえ、自分でも驚くほど大きな声で返事をし、声がした彼女が向かっていた別棟へと身体を向けた。
「パンジーにお水ありがとう! おかげで元気になったよ!」
呼ばれたときよりも大きな声で。見惚れるほどの笑顔で。彼女のためだけに差したと錯覚してしまうほど綺麗な夕日に照らされた、黒髪の少女は絵に描いたように笑っていた。
深い緑色のブレザーをその身にまとって。
〜親愛なる君へ〜 宵月乃 雪白 @061
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