暇わず

B・輪太

暇わず

 刺さるほど光る野草のトンネルがこっちへ行けと言っているようで、いつもなら怯えていたその奥への不安などなくゆっくりと心を惹かれた。地面は軽く、宙を歩くような感触がするが、深く落ち着いた好奇心がポンポンと脚を跳ねさせる。

 しばらく進むと両脇から覆っていた野草が背を伸ばし、花を咲かせ、やがて何もなくなった。いつの間にか地面は黒く前より硬くなり、野草の代わりに白線が引かれていた。妙に自然とかけ離れた景色に驚いたが、後ろから飛んできたカッコウに「こんなもんさ」と声をかけられまた深く落ち着いた。

「なんだ、君も違うか。そりゃそうか」

 どうやら落胆されたらしく、カッコウは僕の横に降りて歩き始めた。カッコウは僕と同じ背丈で、歩幅も歩調もぴたりと揃っていた。そのカッコウの名前はカズといい、托卵先のモズに育てられたそうだ。カッコウの中ではありふれた名前で本人は不服そうにしている。

 ここが何処かと聞くと「ここは道」と言われ、どこに続くかと聞くと「そんなのわからない」と言われた。道の端に大きな石があり、カズが腰を掛けたから僕も隣に腰をかけた。

「ああでもあれだ。ここは天国の端の端だって言う人間がいたな」

「やっぱりそうなんだな。やけに不思議だなと思っていたよ。じゃあ僕も君も死んでいるんだな」

「そんなことはいいんだ。話をしよう。早く、長く、おもしろく」

 カズの口が止まることはなく、カズはひどく暇そうで僕を先に行かせたくないというのが滲み出ていた。僕もすることがないから付き合うのは苦じゃなかった。

 カズは鳥の色々を教えてくれた。鳥の界隈のゴシップには興味がなかったが、あまりにも楽しそうに話すカズにつられて気づけば聞き入っていた。カズを知れば知るほどカズがどれだけ暇を憎んでいるかがわかり、だからこそこのようなゴシップで溢れているんだと思い、自分の生涯は忙しいものだったと認識した。

 二三度日が沈んでカズの下世話な話に飽きた頃に、ここにも夜があることに気づいた。「天国はずっと明るいものだと思ってた」と言うと「夜が好きなやつも多いんだろうよ」と返されて妙に納得がいった。

 十度目の夜が明けた頃にカズが話にも飽きたと言って鳴き始めた。今度は僕が話そうとすると、一台の乳母車がカラカラとひとりでに転がってきた。覗き込むとヒトの子供が入っていた。目元は腫れていて、とても静かにカズを見ている。

「ヒトにしては小さすぎないか?これじゃあ大人になっても僕と変わらない」

「ここではみんな同じ縮尺なんだよ。前に俺と同じ大きさのウシに会ったことがある」

 よくよく考えればカズも僕と同じ体長をしている。天国とは随分不思議な所らしい。誰にも食べられず、鳥とお話ができて、お天道さんも星も月もあって、みんな同じ目で見れる。どうやら素敵でもあるそうだ。欠点といえば暇なことくらいか。

「おい見てくれ。ついにきたぞ。嗚呼嗚呼こんなことってあるんだな待ちくたびれたよ。そうか君もカズなんだな」

 そう言ってカズは興奮気味に子供の毛布の中からロボットのおもちゃを咥える。ロボットの足には水色の名前シールが貼ってあり、丸い字でカズと書かれていた。どうやらカズは同じ名前の誰かを求めていたらしい。それまでのいい暇つぶしになれたならなによりだと思い、興奮しているカズに背を向ける。

「そうだ君にいいことを教えてあげるよ。ここから一週間くらい歩くと脇に草のトンネルが出てくるんだ。そこを目指すといい。君の仲間が入っていくのを見た」

「そうか、ありがとう。それが僕の友達なら暇は潰せそうだよ。この道で君に逢えて良かった」

 もう振り返るつもりはなかったが、後ろでカズが「もうなきたくないよな」と言ったのがたまらなくなって手を上げながら振り返った。そこにはカズ達はおらず、光の網がパラパラとなびいてやがて消えた。



 あれから三日進んだ頃にはまた野草が背を伸ばしてきた。さらに次の日には木々が左右の景色を塞ぎ、そこから先は空が見えなかった。さわさわと葉が鳴ると隙間から雫が降りてきて、天国には雨を好きな仲間がいることを知る。カズの言うとおり僕の仲間はたしかに天国に存在している。

 木々に隠されて見えないがそろそろ一週間は経っただろう。道路に文字が残されていた。

「この先右手に森の寄り道、番を待ちわぶ死因の広場」

 天国にそぐわぬ物騒な言葉が胸の奥に重石を置いたようにむんと乗り、頭がしびれて目が揺れる。二つの大きな丸い光、ガガガとなる硬い地面の音、ぐちと潰れた肉の透けた色。誰かに話したいと思うと文字が消えていて、かわりに矢印がそこにいた。矢印は徐々に伸びていて、僕が矢じりに追いつくと意地を張るようにぐいと速くなる。

 暇で数えていると千歩ちょうどで矢印が右に曲がった。顔を上げるとカズの言っていたトンネルがあった。天国に来たときの自然と草が覆っているトンネルと違って、草を結んで編んであーだこーだしているトンネルだ。誰かが暇で作ったんだろう。

 トンネルは思っていたよりも長くなかった。たぶん飽きたんだろう、途中からは草を分けただけになっていた。地面には様々な種類の足跡があり、その中に僕と同じ足跡がたくさんあった。気づけば体は走っていて、すぐに白い花で飾られたアーチがあり、くぐりぬけると広場の全員が僕を見ていた。

「おいお前もきたのかよ」

「久しぶりだな。どうだ、長生きできたか」

「さっきまでアンがいたんだ。この広場の奥に水場があって今はきっとそこにいる」

「俺呼んでくるよ。まってろよ」

「俺たちが食べられた後どうなった」

「お前はどうやって死んだんだよ。いや、やっぱりあとでにしよう。まだ順番じゃないよな」

 駆け寄ってきた仲間に囲まれて、これでもかと詰め寄られる。みんな僕が死ぬ一ヶ月前に目の前でヘビに呑まれた仲間たちだった。広場には彼らの他にもゾウ、ハト、イノシシ、そして中央の切り株にヒトが座っていた。ゾウも僕らもやはりここでは同じ縮尺で、目が合い互いに会釈をする。

「君がみんなの言っていた友だちだね。僕も君をずっと待っていたよ」

 切り株のヒトが立ち上がって僕の手を握る。そのヒトは僕らより少しだけ背が高く、平らな顔にやる気のない目をした青年で、白いパンツに白いシャツを着ていた。「成人しているヒトはみんなこの格好になるんだ。眩しくてかなわないだろう」と微笑んでまた切り株に座った。

「次は私だったよな。もう話していいかい」

 イノシシがばつが悪そうに一歩前に出た。ここでは死因の広場の名前のとおり、みんなで死因を話し合って暇を潰すそうだ。より珍しい死因や劇的な死に際なほど盛り上がるため、イノシシはあまり特別な死因じゃないのだろう。案の定イノシシは平々凡々な過程を経て猟銃で撃たれて終わったらしい。

 次に「私の番だ。私のは面白いよ」とハトが羽をぶんぶんと回して一歩前に出た。彼女はいくつもの鳥に言い寄られていた。朝昼晩いつ何時たりとも心と羽を休めることができなかったが、壮大な逃走劇の末卵を産むことができたそうだ。そんな矢先にカラスに巣を狙われ、卵を守るために注意を引き、遠く離れた都会の学校の窓にぶつかり終わったらしい。「最後はこんな格好だったわ」と片足を上げ羽をくねくねと曲げて広げてみせた。イノシシに比べて盛り上がっていたからきっと面白い死因だったんだろう。

 ハトへの視線が落ち着くと「じゃあ儂が話そうか」とゾウが一歩前に出た。彼は群れの中で一番大きく一番長く生きたアフリカゾウだった。老いた巨体はやがて自重に耐えられなくなり、地面に横たわって動けなくなった。群れから置いていかれ、自分の全身が朽ちていくのを延々と見届けていると、アリが体を登って齧り始めた。見えたことのない小さな命と最後に地に伏して会えたことを彼は朗らかな顔で感謝していた。彼の話が終わるとみんなが拍手をした。

「イトマ。また会えるなんて」

 突然広場に大きな声が響いて長かった拍手が止み視線が集まる。そこにいたのはアンだった。夜でも光って見えるまん丸の目に、生前と何も変わらない澄んだ水たまりのような艶。アンは僕に跳んで抱きつき、頭突きのようなキスをした。

「できなかったものね。約束だったものね。すごく満ちた気持ちだけど味はしないものね」

 僕の反応が悪かったのか、アンはきょとんとして僕から降りた。周りの反応をみるに、アンはすでにみんなに死因を話をしたようだ。アンはファーストキスの寸前でカワセミの口に潰された。僕の目の前であっとも言えぬ間に。

「イトマはまだ話してないよね。聞かせて。私はイトマの全てを知りたいの」

 アンの勢いに押されて話そうとすると、また胸が重たくなった。頭の中でビリビリと耳が割れるほど鳴り焦点があわなくなる。

「ごめんねアン。次は僕の番なんだ。ちょっと待っててくれるかい」

 そう言うとアンの返事を待たずに切り株のヒトが僕の代わりに話をし始めた。先ず彼は、彼には婚約をしていた恋人がいて目の前でその人を交通事故で亡くしたと言った。広場の全員が引き込まれた気配を感じた。恋人を亡くし憔悴した彼は、二人で住んでいた部屋の掃除の際に恋人の日記を見つけた。日記には恋人の純潔が記されており、彼は一度も唇を交わしたことがないことを思い出した。気づけば外は大雨が降っていて、窓を見るとその奥に恋人の姿が見えた。彼は気づけばキスをしに窓から飛び出した。五階の角部屋の窓から。

 みんなが彼に歓声をあげた。劇的だったからだろう。誰かが足を踏み鳴らし、つられてみんな踊りはじめた。この広場から暇など微塵もなくなった。

「イトマ君。やっぱり僕は君を待っていた」

 彼はまた立ち上がって僕の手を引き白い花のアーチをくぐった。アンはみんなと踊ってはしゃいでいたから放ってヒトと広場を後にした。

「君はなんで僕を待っていたんだい。あそこは番を待つ所なんだろう。ヒトの番はヒトだろう」

「ここで言う番っていうのは恋人とかその類じゃないんだ。天国で子を成す必要はないからね」

 草のトンネルを抜けると彼と僕の体が光り始めた。

「ここでの番は同じ名で同じ道を歩んだ者同士のことさ。僕の名前もイトマ。アンには悪いけど僕と君は番だよ」

 彼と僕の体からカズ達と同じ光の網が湧いてきて「僕の死因も聞いてくれ」とイトマに聞いた。イトマが光の網を散らしながら勢い良く頷いた。

 僕とアンは約束をしていた。お互いに初めてのキスの味を教えると。目の前でカワセミに潰されたあの日から次々とヘビやイタチに仲間が食べられて、憔悴しきったあとの大雨の日だった。飛沫でどこに行けばいいのかもわからない中、気づけば黒い道の真ん中にいた。目が潰れるほど眩しい光に照らされそっちを見ると、まん丸の光る目にツヤツヤの体が僕に向かってきていた。そうだアンに言い忘れていた。

 僕のファーストキスは、血と雨とタイヤの味がした。

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暇わず B・輪太 @bommrinta

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