第9話:凱旋と新たなる悪夢

 夜を徹した救出作業を終え、俺たちは衰弱しきった人々を背負い、あるいは肩を貸しながら、夜明けの光が差し始めた坑道を後にした。


 アークライトへの帰路、俺たちは英雄として迎えられた。 「よくやったな、お前たち! まさか、本当にBランク依頼を達成してくるとはな!」


 ギルドでは、マスター自らが出迎えてくれ、俺たちの功績を称えてくれた。 依頼主である商人は、俺たちの手を取って何度も感謝の言葉を述べる。


「おお、英雄の方々! この御恩は一生忘れません! これは約束の報酬と、ほんの心ばかりのお礼です!」


 差し出された革袋には、銀貨がぎっしりと詰まっていた。ずしりとした重みが、俺たちの成し遂げたことの大きさを物語っているようで、少しだけ誇らしかった。


「……ふん」


 カウンターの向こうで、赤毛の受付嬢が、俺のギルドカードを魔導板に乗せながら、いつもの皮肉な口調で言った。


「……あのバカ(グレゴール)のツラも拝めたし、今回は大目に見てやる。よくやったな、新人」


 彼女の手元で魔導板が光り、俺のカードに新たな紋章が焼き付けられる。 Bランク依頼達成の証。それは、俺がこの世界で「ただの足手まとい」ではなくなったことの証明でもあった。


 俺は、左腕の**古代の小盾(バックラー)**をそっと撫でた。 坑道での戦いでついた新しい傷が、誇らしげに光っている気がした。


 ◇


 その夜、俺たちは街で一番賑やかな酒場を貸し切り、祝宴を開いた。 木のジョッキがぶつかり合う乾いた音、肉が焼ける香ばしい匂い、そして冒険者たちの笑い声が店内に満ちている。救出された『鉄の戦斧』団のメンバーたちも加わり、店内は立錐の余地もないほどの熱気だった。


「まずは、アークライトの英雄に乾杯!」


 商人の音頭で、酒場全体が割れんばかりの歓声に包まれた。


「いやあ、まさかアレン、お前があそこまでやるとはな! お前の作戦がなけりゃ、今頃俺たちは影喰らいの餌食だったぜ!」


 イグニスさんが、俺の肩を力強く叩く。すでに彼の顔は、酒で真っ赤だ。 俺は痛む肩をさすりながら、苦笑した。


「そんなことないです。俺は、ただ口を動かしただけで……実際に戦ったのは、皆さんですから」 「謙遜するな、と言っているだろう」


 俺の隣で、ゼフィルさんがグラスワインを揺らしながら、静かに口を挟んだ。


「戦術とは、戦う前に勝敗の七割を決めるものだ。君の知恵は、我々の切り札として機能した。胸を張れ」


「ゼフィルさんの言う通りですよ、アレンさん」


 リリアさんが、優しく微笑みながら、テーブルの下から小さな包みを俺に差し出した。


「これ、私からのお礼です」


「え? 俺に?」


 開けてみると、丁寧に鞣(なめ)された革の剣鞘(シース)だった。 俺が中古屋で買ったあの無骨なショートソードに、あつらえたようにぴったりのサイズだ。


「アレンさん、第5話のコボルト戦でも剣を折っていましたし……ずっと抜き身や簡易な鞘で剣を背負っていたでしょう? これからは前線で体を張ることも増えると思いますから、しっかりした物をと思って」


「……リリアさん」


 彼女は、俺が「守られるだけの存在」から「戦う仲間」になったことを、この贈り物で認めてくれたのだ。


「ありがとうございます。大切にします」


 俺は、その鞘を、まるで宝物のようにそっと撫でた。 イグニスさんがグレゴールさんと肩を組んで豪快に笑い、リリアさんが商人の娘に優しく微笑みかけ、ゼフィルさんでさえ、珍しく他の魔術師と議論を交わし、その口元が微かに緩んでいる。


 この光景を、俺は……守れたんだ


 胸の奥からこみ上げる熱いものを、冷えたエールと共に飲み込む。 その、穏やかな宴の最中だった。


 イグニスさんが、救出した『鉄の戦斧』団のリーダー、グレゴールさんに酒を注ごうと、大きな酒瓶を手に近づいていく。


「おい、グレゴール! お前も飲め! 今日くらいはパーッと……」


 イグニスさんの言葉は、途中で途切れた。 グレゴールさんが、突如として激しく咳き込み始めたのだ。


「ぐっ……かはっ……!」


「どうした、グレゴール! 酒が気管に入ったか?」


 イグニスさんが笑い飛ばそうとして、その顔を引きつらせた。 グレゴールさんの口から吐き出されたのは、酒ではなかった。 コールタールのような、粘り気のある黒い霧。


「な、なんだ、これは……?」


 彼の体が、ガクガクと痙攣を始める。その場にいた冒険者たちが、異変に気づいてざわめき出した。


「おい、しっかりしろ!」


 イグニスさんが彼の肩を掴んだ、その瞬間。 グレゴールさんの瞳が、カッと見開かれた。 その瞳は、人間のものではない、あの「影喰らい」と同質の、禍々しい紫色の光を放っていた。


 ゴゴゴゴゴゴ……ッ!


 グレゴールさんの異変と同時に、大地が激しく揺れた。 棚から酒瓶が落ちて砕け散り、冒険者たちの陽気な騒ぎ声が、驚愕の悲鳴に変わる。


「な、なんだ!? 地震か!?」


 揺れは、一度だけでは終わらなかった。 まるで、地の底から巨大な何かが這い出そうとしているかのような、断続的な、おぞましい地鳴りが街全体を襲う。 窓の外、西の空が、不気味な紫色に輝いていた。


「まずい……!」


 ゼフィルさんが、目の前で苦しむグレゴールさんと、西の空を交互に見比べ、戦慄の表情で立ち上がった。


「……あの男、『影喰らい』の“残滓(ざんし)”に侵されている! 一番長く影に取り込まれていた影響か!」


 ゼフィルさんは、窓の外の異様な光を睨みつけた。


「まさか……影喰らいは、単なる魔物ではなく、世界の『理(ことわり)』の暴走が生み出した“歪み”そのものだったとでもいうのか? だとしたら、この揺れは……!」


 彼は、信じがたい結論を口にするように、絞り出した。


「『理』そのものが、本格的に動き出したという合図かもしれん……!」


「勝利の宴会」は、一瞬にして「次なる悪夢」へと反転した。 俺は、目の前で異形へと変貌しつつあるグレゴールさんと、窓の外で世界を揺るがす新たな脅威を前に、ただ立ち尽くすことしかできなかった。

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