神聖フォルツ王国物語

駒井 ウヤマ

第1話 決戦前夜

 フォルツ王国は南方、ルクサンヴァルト駐兵基地にて。

 月灯りが煌々と差し込む基地の廊下を顰め面で歩く男、コレム・アロランド大佐はその相貌通り、大層に不愉快であった。表で酒盛りをする胴間声も、何も知らない癖にしたり顔で大言壮語を語る隊付参謀も、何もかもが気に食わない。そんな気分だった。

 しかし、何よりも気に食わなかったのは、そんな彼らに真相を伝えるでもなく骨子を秘したまま、何食わぬ顔で作戦会議を終えた自分自身である。それが仮令、軍師府ぐんすいふからの命令だからだとしても、である。

「・・・フン」

 止めだ、止め。そう思ってコレムは不満げに鼻を鳴らすと、手に持って出てきたボトルを持ち上げて自嘲気味な目で眺める。こんな日は1杯呷って寝るに限ると思い、宴会場より葡萄酒を1本拝借してきたのだ。あの、飲めや歌えの大一座では、くすねてきてたことにすら気付いてはいないだろう。

 どうせ、下戸の自分は明日に引き摺る程に飲めはしない。なら良かろうと、若干捨て鉢な考えをしながら彼が用意された自室のドアを開けると其処には、自分をこんな状況にした張本人がしれっと座っていた。

「やあ、コンバンワ」

「・・・・・・ああ、こんばんわ」

 そこに居た人物をジロリと睨めつけると、その男はワザとらしく手をワタワタと動かして見せる。

「いや従卒や番兵は罰しないでくれよ、何せ僕だから、止めろというのは気の毒だ。いやなに、北方との協議の帰りに寄っただけだよ、何せ君だから、現状を気に病んでいるだろうと思ってね。」

 そう言い訳がましく嘯く旧友、アーノルド=ノイシュタイン伯爵にして内務尚書だが、その台詞そのままに焦っている訳もあるまい。

 その証左に、見せかけの動きとは裏腹にその態度は悠々としており、自ら持ち込んだのであろう葡萄酒を既に半分以上開けているくらいだ。よもや、他人の部屋で酒盛りをしておいて、今更バレて焦るようなタマでは決してないだろう。

「・・・我俺の仲とはいえ、お互い立場もある。ハイティーンの真似事をされては困るんだがなぁ。」

「確かに、片方は尚書台しょうしょだい首座、もう片方は未来の代将軍、此の作戦終了後は東方軍司令となる御方だからね」

「俺はただの大佐だぞ?」

「はは、気の早い事だと思うかね?なあに、無事にやり遂げるだろうと、勝手に買いかぶらせて貰っているのだよ。大丈夫さ、君は勿論、君の幕下に付けたのも年若いが、優秀な連中だしね」

「・・・其れだけ呑んでいるのに相変わらず、口の回る奴だ」

「呑んでいるから、だよ。僕はこれでも人見知りで通ってるんだ、アルコールが無けりゃ、こうはいかないさ」

「どうだかな」

 何処か芝居がかった口調と、酔っているにもかかわらずの作り笑顔が大いに癪に障るが、それに毒気が抜かれたのか不思議とコレムの不機嫌は薄らいだ。そういう意味では、この不法侵入者に感謝するべきかもしれない。

「しかしな・・・ん?」

 しかし、それはそれとして。ともあれ、言いたいことはそれこそ西方山脈の如くある。口火を切ろうとすると開け放していた扉の向こうから一際大きい笑い声が響いた。

「酷い騒ぎだな」

「ああ、あの胴間声はイラント将軍か・・・まあ、仕方ないよ。彼にしてみれば、苦節四40年の結果掴んだ晴れ舞台だからね。・・・少なくとも彼の中では」

 そう嘯いて、アーノルドは「貰うよ」と、コレムが持ってきた1本をひったくるように奪って手酌酒を続ける。

「・・・なあ、本当にいいのか。」

「何がだい?」

「今回の作戦だ。確かに陽動というのは戦術の基本だが、何も・・・」

「そこまでだ。いくら君の自室とはいえ、外で誰が聞いているのか分からないからね。それに・・・イラント将軍幕下にもそれなりの人材は付けたし、勝ってくれる分には文句は無いよ。勿論、紐は結わえさせて貰ったけれど、ね」

 そう言われると、コレムとしては立場上口を噤むしかない。

「まったく意地の悪い奴だ、と思ったろう?確かに、立場を利用して相手を黙らせるのは、実に気味がいいものだね」

「・・・それで、王都へはいつ帰るんだ?」

 言い争いをしても無駄だと思い、言外に「早く帰れ」と含まして話題を変えた。しかし、普段から腕っぷしなら兎も角口舌ではとても勝てないと分かっているのに、どうしていつもこうして挑んでしまうのだろうか。

「人間とは不思議な生き物だね」

「他人の頭を読むな。・・・で?」

「心配しなくて良い、明日の早朝には帰るよ」

 そう告げるアーノルド手にある酒瓶は、既に半分近くが無くなっていた。どれだけ呑むんだ、こいつは。

「もっと早く帰れ、と思うかもしれないけどね。いま出立すれば到着は夜半だ、門が開いてないのに、ノコノコ帰っても仕方ない」

「ああ、安心し給え。勿論ここで寝る、とは言わないさ。『文武同衾せず』の原則は守るよ。さて・・・もういいか。君を揶揄うのも飽きたことだし、基地指令に頼んで用意してもらうとしようかね」

 そんなことをおホザきになって、我らが王国の宰相府首座は恐らく入った時と同じように、ふらりと出て行った。

「・・・おっと、いけない、いけない」

 ・・・と、思うや否や。一人の参謀徽章を付けた女性士官を連れ、下の根も乾かぬ内にまたドアを開けて入ってきた。

「すまない、紹介させてもらおうと思って、ドアの脇に隠れさせていたのを忘れていたよ。こちら、ユゥ・シー大尉、明日付けで君の指揮官付参謀への着任が予定されている、ね」

 そう紹介されて、その女性士官はペコリと小さく頭を下げた。肩の辺りで切り揃えられた暗夜の如き黒髪はサラリと揺れ、異民族の血が入っているであろう顔立ちに浮かぶ紫水晶のような瞳が知的にキラリと光る。他人の美醜については疎いコレムだったが、そんな彼でも断言出来得るくらいには美しく、整った顔立ちをしていた。

「・・・おいおい。何故今日来た、他のメンツと一緒じゃあ無かったんだ。第一、明後日には作戦決行というのに、指揮官の俺が部下の顔も知らないというのは・・・」

「どうなんだ、かい?私が知っているから問題ないよ。さて・・・やり残しも済んだことだし、今度こそサヨナラだ。ああ大尉、君はこの部屋で寝るかいブヘェ」

 阿保なことを言う蟒蛇の友人の腹には、木製の栓抜きをプレゼント。

「これ以上、下らないことを言う気なら。次はボトルをくれてやるぞ」

「それは・・・遠慮しておきたいね、うん」

「なら、さっさとここから」

「ああ、帰るとしよう。では、行こうか大尉」

 その言葉に、無言でユゥは小さく頷いて了承の意を示す。

 しかしこの大尉、今のやり取りを淡々と、間無表情のまま眺めていたようであった。勿論、アーノルドがこうしてこの場に連れて来た以上、自身の息のかかった軍人でには相違あるまい。と、くれば必然的にコレムとアーノルドの関係性くらいは先刻承知であろうから、この無反応も特に驚嘆すべきことではないのかもしれないけれど。

(・・・やりにくいな)

 驚いていないのか感情が無いのか、闇夜を掬い取ったかのような眼で此方をじいと見つめてくる。アーノルドの言い様だと明日顔合わせをしてから、本格的に腹心の部下を務めてもらうことになるのだろうが、果たして上手くやれるだろうか。そんな不安が、コレムを過る。

「ん?」

 と、そんなことをコレムが思案している間に、室内はいつの間にやら彼独りきりとなっていた。どうやらあの我が最愛なる友人は、大尉を連れてヨロヨロと出て行ってしまっていたらしく、この部屋に残っているのはコレムと空になったボトルが2本。それに、酒の匂いが漂う白けた空気だけとなっていた。

「まったく」

 それが彼の希望だったとはいえ、せめて挨拶くらいしてから出て行っても罰は当たらないだろうに。

「・・・ま、考えても仕方ない、寝てしまおうか」

 そう呟いてからハッと、不機嫌に捨て鉢だった自分の心がそんな風に思える程には、気が紛れていたことに気が付いた。そうして、その原因がさっきまで散々とくだを巻いて帰っていった酔っ払いであることに思い当たったコレムは、

「チッ」

 舌打ちをすると、複雑な気持ちで顔を顰めてアーノルドたちが出て行ったであろうドアを睨みつけるのであった。


「ふう・・・参った、参った。ところで、どうだった?」

「・・・はい」

「はい、か。それは良かった」

「・・・はい」

「彼も今回の作戦が成功したら栄達の仲間入りとなる。そうなれば放っておく人も少ない。それは分かるね?」

「・・・はい」

「宜しい。まあ、僕に出来るのはここまでだ。後は、背乗りしてくるような連中に先を越されないよう、精々頑張り給え」

「・・・はい」

「ただ・・・僕が言うのもあれだけど、彼も中々に面倒臭い性状をしているからね。一筋縄ではいかないと思うけれど・・・武運を祈るよ、色々とね」

「はい」


 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る