僕のお仕事の話

@HamPumpkin

キャンプ場の掃除 15万円


 星がキラキラと光っている。寒い空の下。どうしてキャンプになんて行ったんだろうか。いや、僕の意思で言ったわけではない。僕にはいつだって決定権がないんだ。ユミネの言うことは絶対なのだ。

「何してるの?寒いんだから閉めて!」

 テントの奥でユミネが怒っている。いつもの癇癪。僕の頭にふわっとした感覚がおきると、足元には犬のぬいぐるみが落ちていた。

「ユミネ、物を投げるな」

 イライラすることに意味はない。弓音の怒りに拍車をかけるだけだから。振り返って眺めると、テントの奥の光景は異様だった。小さな折りたたみの机が4つもあって、その全てに溢れんばかりのぬいぐるみがおいてあった。いや、ぽっかりと一つだけ空いている空間がある。この犬がいたところなんだろう。

「ねえ、喉乾いた。ジュース飲みたい」

「そこに入ってるけど」

 ぬいぐるみ用の机の空白を埋める。そっと置かないと、端のほうが転げ落ちそうで、僕はユミネのわがままを聞きながら器用にこなした。しかしそれは不正解だったようだ。

 やや籠もったような鈍い音がして、背中がこぶしほどの大きさを中心に痛む。思わず前かがみになった僕はぬいぐるみの山にダイブすることになった。

「ユミネ!」

 振り返ると、僕の数倍怒ってるユミネがいた。理不尽を体現するような女。

「冷えてないでしょ」

 信じられないことに、先程の会話の続きらしい。もうユミネに対する怒りは枯れたと思っていたが、探せばまだありそうだ。僕はあえてその言葉を無視すると、転げ落ちたぬいぐるみたちを順番に戻す。

「さっきセンターハウスのほうに自販機あったから。これ片付けたらいく」

 置いてあった通りに、大きいのは奥、小さいのは手前。完璧に並べ直すと、先程の怒りは嘘のように晴れやかな心地になった。時間にして5分も経っていないのに、ユミネは急かすように足を踏み鳴らし始めた。次の癇癪がこのぬいぐるみたちをぶち撒けないうちに僕はセンターハウスへ向かった。



 とにかく寒い。ジャケットはきちんと温度に合わせたが、むき出しの顔はチクチク寒さで痛むし、マフラーをユミネに取られたせいで首から冷たい風が絶え間なく吹き込み、着込んだ意味を完全に消している。

「あいつ…。どうせ中で待ってるだけなら返せよ…」

本人には言い出せない文句をぶつぶつと言いながら歩く。


 踏みしめた砂利の音が、自分の後ろから聞こえてきたとき、僕は飛び上がりそうだった。この閑散としたキャンプ場に自分たち以外の人間がいるとは驚きだ。

 振り返るとそこにいたのはボロボロのジャケットを着た女性だった。どれだけ派手に転べばそうなるのか、裾は毛羽立ち、擦れた跡が沢山あり、前のファスナーが閉まっていることが奇跡に思えた。足元に目を向けると、靴の底が明らかに剥離しかけており、土で汚れた靴下と思しきものが覗いていた。

「気持ち悪い!!」

 とっさに口をついて出たのはそんな言葉だった。ユミネに言っていたら、コンマ0秒で顔面にパンチが飛んできていただろう。だが、目の前の女性は僕の言葉が届いていないようで、左右にふらふらと揺れながら一歩一歩踏みしめるように歩いていた。女性との距離は2メートルもなく、聞こえなかったはずがない。なんて寛容な女性だ。

 しかし僕は堪えきれない吐き気に口を抑えた。女が距離を詰めるたびに新たな気づきがある。古びた血の匂い。髪につく泥。細部まで鮮明に見えてくる。何だって構わないから、そのぐちゃぐちゃの土を落として、靴を変えて、髪も洗って梳かして――――。


もう限界だった。


「もう無理だ!!! 吐き気がする!!」

 どうせこいつも生者じゃない。死体はモノだ。生きている女性にこんな事するのは許されないだろうが、ただの女の死者なら構わない。

 僕は女との最後の距離を一気に詰めると、その両手を掴んだ。握ったときに手袋ごしに感じるのは柔らかな肉の感覚だった。しかしそこにあるべき温度はない。この空気と同じくらい冷たい。僕はほっと安心した。ちゃんと死者だ。

 ユミネほどの怪力じゃない僕は抵抗されたらどうしようもないと不安があったが、それは大丈夫そうだった。女は僕が掴んでいても無抵抗で、無気力のままだった。

 そのままずるずると女を引っ張る。もっと能動的に歩いてくれたら楽なのに。このキャンプの管理棟はすぐ近くだった。色褪せた看板にセンターハウスと書かれている。建物裏にちゃんと水がでるホースがあるのは、ここについて最初に確認したことだ。

 僕は女から一旦手を離すと、ホースをつないで準備を始めた。気持ち悪い。早く手を洗いたい。だが、今は耐えどきだ。リュックから警棒を取り出す。脱がせるわけにはいかないから。着たまま叩くしかないんだ。

 僕は女を思いっきり警棒で叩いた。

「ああ!転ばないでっ!」

 そうだ、女はこれだけ無抵抗についてきたのだ。当然踏ん張ることなんてできないんだろう。もう今更尻もちをついたくらいでつく土は誤差みたいなものだ、と自分を納得させながら改めて周囲を見渡すがどこも薄暗く、清潔な場所はなさそうだ。

「不法侵入なんてしたくないけど…。まあいいだろう。頼まれたことだし」

再び女を引っ張り、センターハウスの入口のガラス戸まで来る。ガラスが飛び散らないように、女を扉の前に立たせるとさっきと同じように警棒を正面から叩き込んだ。


 センターハウスの中はギリギリ許容できるレベルに清潔で、僕は安心した。ガラスの破片のせいで女のジャケットは更にボロボロになっている。僕は悲しみを堪えて、女を掴んで水場へ向かった。

 僕にもっと倫理観がなければ、この女の服を脱がせて風呂にいれる事もできたんだろう。しかし所詮ないもの強請りだ。

 水場はすぐに見つかった。トイレの近くの小さな手洗い場だ。

僕はまず泥を落とすために、女を壁に沿って立たせると、足で固定し、上から眺める。髪には細かい砂が見える。ジャケットの目に付く大きな泥はここに来る途中で落ちたらしいが、皺の溝にはまだ汚れが見える。ズボンも同様だった。それならば、とリュックからブラシを取り出す。まずはこの細かいゴミをのけないといけない。

 最悪なのは女が濡れていたことだった。乾いていればもっと綺麗に取れただろう。できる限り汚れをとり、水で流す。髪をすすいで割れた頭を乱雑に縫う。


「グァ…」

 空気が抜ける大人なのか、何かの言葉なのか。女から音がする。もし後者なら困る。僕は女性と会話するのは苦手だ。大急ぎで仕上げに入る。


 濡れたタオルで皮膚についた泥を落とす。最も露出しているのは顔だ。口があって、目がある。耳は欠けていたが、それが何だというのか。女性の顔を至近距離で眺めるのは苦手だ。

 全てを終え、改めて女を見る。ボロキレのようになった服は戻らないが、汚れを落とし、幾つかの修繕を加えてたかいあって、だいぶマシだ。上からしたに、自分の仕事に満足を覚えながら眺める。

「しまった!!!」

 重大なミス。靴を替えていない!!苛立ちを抑え、靴のサイズを見る。思いついたアイデアに大きなため息がでそうになったが、そうするよりほかないだろう。

 女を突き倒し、僕の靴を履かせる。この日のために、キャンプ雑誌を幾つも並べ、慎重に吟味して買った靴。ユミネにダサッと一言で切り捨てられた靴。よく考えればそんな思い入れもないな。

「これでよし」

 完璧だった。女は裂けてない頭と清潔な服と何処にでも行ける靴を備えた完璧な存在だった。もう生きていないことを除けば。


 太陽の光が窓から差してくる。女はゆっくりと窓の方へ歩みだした。光のせいでその表情は読み取れない。注ぐ光に手をかざし、息を吸おうとするかのような、もう必要ないはずの動作をする。膨らんだ胸、ためたであろう息が吐かれることはなかった。彼女はもうとっくに終わっていたから。


 残されたのは疲れ切った僕だけだった。一刻も早くシャワーに入りたい。そうだ、探せばあるかも知れない。なかったらホースから水でも浴びよう。



 寒すぎる。冬のキャンプなんて何が楽しいんだ。ようやくテントに帰った瞬間、僕の顔面を殴り飛ばされていた。

「ジュース。遅い」

 鼻からヌルリと液体が出てくる。鼻水なのか、鼻血なのか。テントの床はほぼ地面の温度で冷たい。4つの机は無惨にひっくり返されており、ぬいぐるみは四方に飛んでいる。

「さいあく…」

珍しくユミネと同意見だ。そのままテントを出ていくユミネを尻目に僕はまず机を戻すことから始めた。

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