静かさの中の動悸

メールの返信はすぐにきた。


不動産会社は「興味があるならぜひ一度見にきてください」と。


つゆ「では、金曜に…お願い…します…」すぐに返事を送った。


メールのやり取りで、物件の内覧は金曜の昼になった。




そして不動産会社屋さんからもらった写真をパソコンで精査する。


かわいい三角屋根の小ぶりな一軒家。


家自体はそこそこ古いがきっと愛されていたのだろう、保存状態は悪く見えない。


なのに破格なのはきっと付近にコンビニはおろかスーパーマーケットさえないから。


最寄りのコンビニは数十キロ先の高速のサービスエリア、スーパーマーケットは隣と隣の村。


またこのお家は山の麓に建っているので、


裏はなだらかな坂道になっており、そのまま山の入り口につながる。




背後に連なるのはあまりにも大きい連峰なので、どれがどの山につながるかはつゆにはわからない。


とにかく春夏は緑が豊かだろう、その代わり冬は厳しく毎年豪雪になる。


「雪かき初体験するかも!鍛えなきゃな。スーパーまでは自転車で行こうかな!」


つゆは初めてする大きな買い物にワクワクしていた。


自分を居場所を自分で作る感覚に、アドレナリンが出て興奮が抑えきれない。




ーーーーーーーー


木曜の夜、大阪から新幹線に乗り、その県の主要駅まで3時間かけて来た。


服や電化製品等を買い物できる場所も、飲食店も、Wi-Fiも、全部揃ってる。


しかし目的地の物件までは、この駅からまだ電車とバスを乗り継いで更に3時間はかかるのだ。


つゆ「本当に…人里から離れてる場所って感じ…」


興奮を抑えきれないつゆは駅前のホテルでビールを一缶飲んで自分を落ち着かせ、眠りに着く。


翌朝、まだ興奮抑えきれず早く起きたつゆはホテルで朝食を済ませてローカル線に乗り、スマホを頼りに目的地の村まで進む。


つゆ「次の乗り換えはと…6…60分?!60分待ち?!いやいや、こんなことで驚いてはダメ…最寄りのスーパーが隣の隣の村だしね…うん、大丈夫。たぶん。」



ーーーーーー



つゆは電車に揺られながらたくさん外の写真を撮った。


電車はガタンゴトンとゆっくり進む。


他に乗客は数名、服装から察するに山登り客であろう。


峠を越え、川を越え、綺麗な景色から目が離せない。


「すごく静かだなあ…たまらない」


そんな景色を見てると何故だが体内時計が整う気がした。


そうしてるうちに物件の最寄り駅に着到着。

荷物を持って、電車を降りる。

内覧後また同じルートを通ってホテルに帰るつもりなので荷物は軽い。




下車したのはつゆ一人、他の乗客はとっくにいなくなっていた。

つゆ「ほう…ここが…」思わず深呼吸をする。

「なんて空気が綺麗…空が高い…自然の匂いかな…。てかほんとに不動産屋さんくるのかな?」


駅前で一人呆然とするつゆ。


周りを見渡すと駅舎の向こうの山の中腹に古い木でできた鳥居らしいものを見つけた。


かなり遠いが、あれはきっと鳥居だ。


「古い神社なのかな…すごくきれい…」


周りの紅葉と相まり神聖さが増してみえるそれは、見逃してしまいそうなほど静かだった。



しばらくその鳥居を見つめていたが、約束の時間の少し前になると


白い社用車に乗った不動産屋さんが到着した。


「あーすみません、吉岡様で?お待たせしましたかねぇ?」


やって来たのは一人の青年か中年か…見た目で年齢がわからないタイプの飄々とした男。


つゆ「今来たとこです。今日はよろしくお願いします。」


「こちらこそ、はい、これ名刺。私は明智と申します。」


男は名刺を渡してニコニコしている、その笑顔の裏を読むことができないつゆ。


内心「連続殺人鬼だったらどうしよう・・・」と思ったくらいである。


明智「あの物件まではすぐです。ささ、車に乗ってください。」と言われ少し警戒してしまった。


「お、弟に電話しても?もし買うとなったら弟に改装を任せようと思っているので…」と言って弟に電話する。


「今からあの物件案内してもらう、うん。明智さんっていう人が担当。家の中の写真送るね。」今できる精一杯の護身である。


弟(尊)は「了解、まああんまり期待しないよう。そういう物件は人が住めるようにする方が大変だったりするから。」とだけ言って電話を切った。




そして二人は車に乗り込み、物件まで向かう。


信号はなく、対向車があれば終わりなんじゃ?というような細い農道、朽ちたバス停、刈られた田んぼ…そんな道を走っていき、しばらくしてその村に入った。


「この村がそうですよ」


だが見かけるのはお年寄りが数人、

畑仕事かなにかをしているようで見慣れない営業車を怪訝な顔で見ている。


つゆ「もしかして、村の外の人間が越して来ることを良しとしない人もいます?」


明智「まあ、そういう人がいないといえば嘘になりますねぇ、ええ。でも吉岡様は人当たりがよさそうなのできっと気に入られますよ。けけけ」と、無責任な励ましを受ける。


だがつゆはそれを信じることにした。


まだ一言も交わしていない人間を警戒するのは10代でやめた、無意味なストレスを自分に与えたくないからである。


そしていよいよ、物件の前に到着。


つゆ「うわぁ、密林…」


明智から送ってもらった写真よりも庭の草木は成長していた。


しかし真っ赤な三角屋根はこの村にはそぐわない洋風のデザインでどこか異質にも感じる。


明智「草刈りは必須ですね、けけけ。でも中はそんなに荒れてませんよ?ただ夏は草の成長が早くて…」


「季節はもう秋なのだけど」そう思ったが口には出さなかったつゆ。




門を開けたその先は玄関まできれいに草刈られていて、人ひとりくらいなら通れるようになってた。


昔は真っ白であっただろう、くすんだドアに鍵を差し込み玄関を開ける明智。


思ったよりも古い家のにおいがしない。


明智「ここに興味があるとメールをいただいてから、空気の入れ替えにきて、ついでに中もチェックしましたから、怖い虫とかはいなと思いますよ?ささ」そういって家の中に入る。


1階にあるのはリビングとキッチン、風呂にトイレ。


床も壁も水回りもどこも改装が必要な古さではあるが雨漏りなどはなさそう。


柱も叩いてみたがしっかりとしている。


明智の了解を得ていろんな角度から部屋の写真を撮るつゆ。


次は2階へあがる。

階段は軋むし、縦も横も幅が狭い。


2階は2部屋あり、ひとつがベッドルームになるであろう部屋。


もうひとつは物置や仕事部屋など明智曰く“ポテンシャルのある部屋”だという。




明智「そういえば…お仕事は何をされているのですか?」


つゆ「翻訳関係です、家で仕事する事が多いから…都会に住んでる意味ないかなぁって…」


明智「それは立派なお仕事ですね、えぇ…。でもここWi-Fi来てないんですけど、大丈夫ですか?」


つゆ「え?!」


明智「光回線とか無線ランはこの村にはないです。」


つゆ「はい?!」


明智「モバイル通信はギリギリつながってますけど、Wi-Fiは…」


つゆ「そんなことあります?!2025ですよ?!」


明智「もう珍しいですけどね、ここはそういう感じで…もしWi-Fiが必要な場合は大きな町に…けけけ」


つゆ「ネットフリックスは?!」


明智「観られないですねえ…でも夜空はきれいですよ?山も川も…あっ、鶏飼われては?」


つゆ「なんで鶏…明智さんはこの村に住んでいるわけではないのですか?」


明智「私は隣の隣の村に住んでます、峠を超えて国道を真っ直ぐいった…」


つゆ「あぁ、もしかしてここから最寄りのスーパーがあるという…」


明智「そうそう、その村です。スーパーといえどほぼ市場みたいなところですけど不便はないですよ。」


つゆ「そこはWi-Fiあるんですか?」


明智「あります、それでもこの辺りの村の一括して管理してる役所が固まってるエリアだけですけどね。」


つゆ「とんでもないなぁ…」


明智「でもね、私思うんです。吉岡様はここでうまくやっていける。そんな気がします。けけけ」


この男の営業トークがなぜか少し裏がありそうに聞こえるのはきっとこの変な笑い方のせいだろう。




一通り内覧が終わり庭や敷地の境界線などの説明を受けて


明智「で、おうちの印象はどうでしたか?」


つゆ「正直、写真で見る印象と違いましたけど、それでも素敵な家には変わりないと思います。」


明智「そうでしょう、そうでしょう。私の扱う家の中でもこの子は秘蔵っ子でしてね…」


つゆ「でもWi-Fiないのはやっぱり不便だな…」


明智「ここのバス、バスというかワゴン車ですけど。電話すればそこの道まで来てくれて、その村まで送迎してくれます。まあ公共サービスの一環ですね。」


つゆ「それ、は…まぁ…でも…家の中で使えないってそれはかなり…不便な気が…」


明智「最初だけですって、人って慣れていくもんですから。けけけ」


そういって他人事のように笑う明智を横目に「無責任なやつめ」と思っているつゆ。


つゆ「でも、それも田舎に住まうメリットとして考えてみるべきかもしれませんね」


明智「ね?吉岡様はきっとうまくやります、けーけけけ。」




そうして二人は車に戻り、また駅まで送ってもらうことに。


空は少し暗くなり始めていた。


駅前に到着して、思い出したかのように明智に質問をする。


つゆ「あ、そうそう。向こうの山にあるあれ、鳥居ですよね?」


明智「そうですね、あれは昔からこの辺りを護っている氏神様のひとつです。古い古い神社で。」


つゆ「そうなんだ…氏神様なら住む前に挨拶に行かなきゃ…」


明智「まあ、吉岡様はそういうことちゃんとされるタイプなんですか。えらいえらい。でも気を付けてください、ここから見るとそうでもないですけど、あそこは参道も古く誰も管理してないから、もう木々が茂っていて、迷子になりやすいので。」


つゆ「へえ…」


明智「あぁ、もう電車が来ちゃいますよ、これ逃したら次はありません!」


つゆ「やば!じゃあ今日はありがとうございました!また連絡しますね!ちなみに結構前向きに購入考えてます!」


明智「ご連絡お待ちしておりまーーーす!」






明智「なんとも上手に絶望するお嬢さんだったの、けけけ」


そう一人でつぶやきながら自分の住む村まで車を走らせる明智。


辺りがすっかり暗くなった頃、不動産屋に戻る。


「笑い方がいつまで経っても上達しないのは愛嬌愛嬌、けけけ」と言いながらドアを閉め振り返る。


そこにはもう人はいない、いるのは一匹の狐。


云壇である。


人に化けられる特性を生かし昭和の時代からこの村で不動産屋をしていた。


この村や付近の村でどんどん人が減っていくことを懸念し不動産屋になったが、

今はこの集落全体の静寂を守るためにこの辺りに越してくる人間を勝手に審査し、勝手に取捨選択している。




「さ、天ちゃんとこ行こうっと」


狐の姿で山を走り抜ける云壇。


運転できるのだから、途中まで車でいけばよいものを

落ち葉の感触、地面の冷たさ、そして山の風を感じながら山の中を走りたい狐。

何百年も走ってきたこの山は云壇にとって庭みたいなもの。

そしてこの季節が一番のお気に入り。


息を弾ませ走り切った云壇が天護の神社に到着する。


そして天護同様半神半獣の姿に戻り、興奮した様子で


「天ちゃん!天ちゃん!」と、大声で叫ぶ。




天護「なんじゃ、やかましい。」天護は社の裏の家屋でごはん中だった。


云壇「今日さ、都会で疲れたお嬢さんがこの村で家を買おうって、内覧に来たんよ。」


天護「やからなんじゃ」


云壇「この神社を麓から見て、氏神様にお参りに来るってさ。」


天護「…おまん、止めたやろな?ここは山の素人が入ってこれるとこやないぞ。」


云壇「止めてないよ?注意はしたけど。」


天護「…無責任なことをするな。遭難したらどうするんや、熊も出るんやぞ。」


云壇「まだ買うか決まってないし、前向きに考えてるとは言うてたけど。まあ注意しててあげて。」


天護「何でじゃ、面倒臭い。おまんがしろ。あと用がないなら帰れ。」


云壇「天ちゃんさ、橙君と蒼君以外と最近口きいてないでしょ?たまには友達としゃべろうよ。」


天護「おまんと喋る事なんてない。」


云壇「そんな怖い顔で暗い顔してたらモテないよ?」


天護「モテんでもええわ、お前が軽すぎるんじゃ。」




一方その頃、つゆはまだホテルへ戻る道の途中。


やっと安定したモバイル通信にあやかることができて弟に写真を送信していた。


すると弟の尊から電話がかかってきた。




尊「せやけど、ねぇちゃん。男にフラれたくらいでWi-Fiのない田舎に家買ってひきこもるなんてちょっと過剰反応すぎひん?」


つゆ「フラれたんじゃない、こっちからフッたの。私が出張の間に浮気するなんて…男らしいのは見た目だけって事。身体はデカくて、かっこよかったけどね。」


尊「壁みたいな人やったもんな。まあ、家の写真の感じそんな悪くないと思うよ?掃除するだけで住めそうやん。ただ現地行ってから見てみんと詳しい事はわからんわ。」


つゆ「雨漏りはないって、あと認可業者さんがチェックした書類ももらったからあとでそれも送る。シロアリとかもないってさ。」


尊「それも見てみなわからん。開けてびっくりってこともあるから。」


つゆ「しかしこんな金額で家が買えるってすごいよな。」


尊「弟が大工でよかったな、安く改装できるしな。」


つゆ「ほんまやな。DIYするつもりやったけど、たぶん無理。あんたが外国人と取引するときはねぇちゃんがタダで通訳してあげるわ。」


尊「ほんなら…ホンマに買うん?」


つゆ「そのつもりやけど」


尊「まあ、また教えて。ハンコ押す前にな?!」




あーはいはい、って返事をして乗り換えの電車が来たので電話を切った。


ホテルに戻る途中、購入の決心を固めたつゆはホテルに到着してすぐに明智に電話をする。


話はうまくまとまり、もう次の日判子を押すことになった。


もちろん買うつもりで来たつゆは判子も持参していた。




ーーーーーーーーー


次の日、主要駅の近くで用事があるという明智がホテルまで来てくれた。


ホテル1階にあるカフェでたくさんの書類を読み込み、最後に判を押した。


明智「では…これであの家はあなたのものです。」


つゆ「ふぁ…これは感動的な瞬間ですね。」


明智「いいですね、素晴らしい。けけけ」


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