第4話 霜が霞むように

 ◇◇◇◇



 静葬廟ジンザンミョウ

 後宮の西側に建てられた道教寺院の一つで、高貴な方の死者の鎮魂を行うための場所。

 いわゆる「葬式場」の役割を持った、後宮の中でもそこそこに大きな寺院であり、私の職場だ。


 帯をたすき掛けして、着物の裾をキュッと締める。

 そんな折、一人の少女がやってくる。


「おはようございます、白娘パイニャン

「……おはようございます」

 

 私の後輩の白娘パイニャンだ。

 他の宮女たちは、病気になったり、夜逃げしたり、実家に帰ったりしてしまい、今残っているのは白娘パイニャンだけ。


「今日は、蘇陽妃そようひ様のご葬儀です。大変な一日になると思いますが、よろしくお願いしますね」

「……はい」


 少し表情に乏しいところはあるが、勤務態度は問題がないし、よく気が利く娘なので、重宝している。

 最後に残ってくれた娘だし、できるだけ仲良くなりたいと思うのだけど、やはり年が離れているからか、なかなか打ち解けない。


「私は天井のお線香を設置しますので、白娘は床や調度品のお掃除をお願いします」

「……はい」


 この静葬廟ジンザンミョウは、大きな渦巻線香がいくつも天井から吊るされた独特な寺院だ。

 この線香の煙を常時炊くことで、冬の"禍"を払うと言われている。

 いつから始まった文化なのかは不明だが、こうした人の営みは非常に興味深い。


 葬儀が始まる時間が近づくと、来賓がぞろぞろと集まってきた。

 その中には、政羅宮の人たちも含まれていた。


「ああ、まだいらっしゃったのですね、霜霞さん」


 声をかけてきたのは、宦官をぞろぞろと引き連れた、宮女。

 先日私を散々こき下ろしたあの、バリキャリ宮女であった。


「……あなたは確か、琳芽リンヤさん」

「あら、私の名前を知ってくれていたんですね。私も、霜霞さんのことはすぐにわかりましたよ。その古臭い羽織を着ているひとなんて、霜霞さん以外にいませんからね」

「……」


 琳芽リンヤは、そう言ってクスクスと笑う。

 嫌味を言わないと、気がすまないのだろうか。


「ごめんなさい怒らせてしまいましたか? でも日輪帝陛下やその側近様にお目見えするというのに、そのようなみすぼらしい格好はいかがなものかしら? 葬儀の席とはいっても女なら、最低限は着飾るものでしょう?」


 最低限、といいつつ、琳芽リンヤの羽織は、朱子しゅすの地組織に、金糸や銀糸で錦模様を浮き彫りにした二重織という、要するに、最上位に近い上質な錦織りであった。

 たかだか宮女が着るには、明らかに分不相応な代物ではあるが、逆に言えば「背後に権力者がいる」ということを如実に表していると言える。


 その証拠にやってくる妃たちも琳芽リンヤを見て顔をしかめるものの、強く言うことはなかった。

 まぁ、これは自身もそれに準じた錦を羽織ってきているから、という理由もあるだろう。

 やんごとなきお方の葬儀の場合、喪服は白の麻布あさぬのと決められているが、流石に今日のような寒い日は、その限りではない。

 故に暗黙の了解として、葬儀の席であっても上等な錦を着ることになっており、その結果、一種のランウェイの様相を呈してくるのである。


 ちなみに私の羽織は、年代物なのであちこちに補修ほしゅうした箇所があり、多少煤けているが、これはこれで上等なものだったりする。

 服飾に興味のない私でも、唯一大切にしているものであり、ある種の執着。


 ――霜霞、お前にこれをやる。……多分、似合うと思う。


 記憶の彼方、不器用な男がそっぽを向いてそれを差し出して来た時のことは、今でも鮮明に思い出すことができる。


 しもかすむように消えた、甘く切ない記憶。


 いつか終わりが来ることは分かっていた。

 それがあんなに唐突だったなんて思わなかったけれど。


 ——少し、出てくるだけだ。ついてくるんじゃねぇぞ。


 それだけ言い残して、男は私の元を去った。

 私の心は今も、雪が降り続くあの「小さな炭小屋」に取り残されたまま。


 別にそんな事言われなくたって、私はついていったりしなかったのに。

 他所よそに女がいるなら、黙って出ていけばよかったのに……。


「あら? よく見たらあなたのそれ錦織りなのね、それに複雑な文様……。ちょっと見せてもらえるかしら……」

「触らないでください」


 私は、琳芽リンヤが伸ばした手を跳ね除けていた。


「な、なによ、そんなにその古臭い羽織が大切なの……? お年を召した女のみみっちい執着って本当に見てられないですね。あーやだやだ……こっちまで辛気臭さが移ってしまうところでした」

「……」


 琳芽リンヤは厄払いでもするかのように、その身を手で払うような動作をした。

 そして「コホン」と一つ咳払いをする。


「ああ。心配しなくても今日は、催促に来たわけじゃありませんよ。政羅宮せいらきゅうの代表として、公的手続きのために足を運んだだけですから」

「……そうですか。よろしくお願いします」


 私は、淡白にそう返事を返す。

 妃の葬儀には、政羅宮の者も同席する必要があるのだ。


「でも、くれぐれも退去の日にちは守ってくださいね。そうでないと、少し怖い目に合うことになりますので。……それではごきげんよう」


 琳芽リンヤは、踵を返すと、宦官たちもそれに続く。

 私はその背中を溜息の出る思い出見送った。


(面倒くさいことにならないと良いですけど……)


 蘇陽妃の侍女だった者たちが、やって来た。

 後から蘇陽妃のご遺体の入った棺を運ぶ宦官たちが続く。

 ちょっとした大名の行列であった。直近で言えば、先代日輪帝の葬儀以来の人の多さ。


 亡くなった蘇陽妃は『淑妃しゅくひ』という特に高い地位についていたことから、当然と言えば当然だろう。


「おいたわしや、蘇陽様……」

「まだお若いのに、どうして……」


 そんな声が口々に聞こえてきた。

 棺におさまった美しい少女の遺体を前に、妃や侍従たちの中にも涙するものが大勢いた。


(きっと、人徳のある御方だったのでしょうね……)


 亡くなられた蘇陽妃のご実家は、あの五大家のかく家ですから、葬儀は大々的に行われる。

 蘇陽妃は、流行り病で亡くなったらしい。

 取り調べが長く続くのはいつものこと。後宮で死因の断定は難しい。


 蘇陽妃の侍女達は、陰鬱な表情の他にもどこか納得できないというような思い、あるいは憤りの表情を浮かべている者もいる。


 これから起こるであろうことを思うと少し気が滅入ってしまう。

 やはり一番気を使わなければならないのは、"冬"のご葬儀なのだから。


 静葬廟ジンザンミョウの本堂は、ちょっとした宴会場レベルの規模感がある。

 貴賓席には、妃達とその侍従が収まり、その周囲を宮女や宦官たちがずらりと並ぶ。

 開始の時刻となったものの、会場は未だに騒然とした様子だった。


 それもそのはず、全員の視線が集まる最上位の席が不在だったからだ。


 ――日輪帝が欠席。


 あまりに異例のことであったが、「後宮令」の規定通り葬儀は開始された。


 静葬廟ジンザンミョウの道士である周朔ジョウシュウは、そうしたイレギュラーもあってか、カクカクした動きで壇上に進み出る。

 葬儀の周朔ジョウシュウによる、「超度ちょうど」と呼ばれる複合的な儀式。

 まずは、経典を読み上げる。

 次に、法事。珠杖を振って「豊穣の神」と「日輪の神」に加護を求める舞を踊る。

 最後に、棺の前に供物を捧げる、というもの。


 特に舞は、非常にタフなものなので、

 全てが終わった頃には、周朔ジョウシュウは汗だくで息も荒くなっていた。


 この日が来るまで、「失敗したらどうしよう!」と周朔ジョウシュウに泣きつかれて、何度も練習に付き合わされたのを思い出す。

 先代ほどではないが、まぁ頑張ったほうだと思う。

 周朔ジョウシュウも、これほどの舞台は初めてなので、無事にやり遂げてホッとしている様子だった。


「……それでは、これより出棺を開始します」


 周朔ジョウシュウがそう言うと、私と白娘パイニャンが袖から壇上に上がる。

 今から、二人で棺を外の火葬台に運ぶのだ。しかし。


「お待ち下さい!」


 そう言ってぞろぞろと進み出てきたのは、蘇陽妃の侍従たちだった。


「蘇陽様のご遺体を荼毘だびにするなんて、納得できません!」

「蘇陽様が亡くなられたことは、お父様にもお伝えできていないのですよ! 蘇陽様のお父様は、今、黄楼旅団を指揮されていますが、北陽の外は大雪で戻ってこれていないのです!」

「ご遺体を焼くだなんて、あんまりではありませんか!」


「んぅ〜……。そ、そういわれましてもっ」


 予想した展開だった。

 周朔ジョウシュウは、蘇陽妃の侍従に詰められ、完全に腰が引けていた。

 助けてほしいと、私の方に、しきりに目配せをしている。


(仕方ありませんね……)


「もう結構です! 蘇陽様のご遺体は私達で弔うことに致します!」

「――申し訳ありませんが、それは出来かねます」


 その侍女は、ぎょっとしたような表情で私を見上げる。

 ……そんなに驚かなくてもいいのに。


「っ……誰ですか、あなたは」

「私はここで"葬儀屋"を務めさせていただいております、霜霞そうかと申します。蘇陽妃様のご遺体を持ち帰るとおっしゃられましたが、それは出来ない決まりなのです」

「っ! 何を勝手なことを……」


 蘇陽妃の侍女は、納得できない様子。

 その気持ちは分かっているつもりだが、


「後宮令、第八条……、『寒厄により死せし女官、女僕、及び妃はすみやかに火葬に処すこと。これ、厳守すべし』……とあります。大変心苦しいのですが、」

「後宮令が何だというのです! 死後も苦しみを味わわせ、しかもご両親にお顔を見せられないまま荼毘にするなんて、あまりに……残酷ではありませんか……」


 そう言って侍女は涙を流し、崩れ落ちた。

 遺体を灰に帰す「火葬」と言うものを、否定的に捉える者は多い。


「……申し訳ありませんが、後宮で"冬"に亡くなられた方は、荼毘にするのは規則なのです」

「あなたには、人の心がないのですか!」

「……」


 仕事柄、「人の心がない」とはよく言われる言葉だ。

 人の死を弄んでいる、とまで言われたこともある。

 そういう意味で、「葬儀屋」という仕事は精神的な負担が大きい。

 周朔ジョウシュウが、嫌になるのもわからないでもない。


 それでも私は、この仕事に誇りを持っている。

 だからどんな言葉を投げかけられても毅然として対応をする。

 目の前の遺族に寄り添うということよりも、大事なことがあるのだから。


 私が口を開こうとした、その時。



「――おやめなさい、鈴々リンリン



 鈴のような声が、本殿に響き渡った。

 朱雀すざくの錦が浮き彫りにされた真っ赤な羽織を揺らしながら、優雅に歩いてくる少女の姿。

 誰がどう見ても、高貴な妃の一人。

 その少女は、何枚も着込んだ羽織の重さを、まるで感じさせないような足取りで、私の前に進み出る。

 美しくも、苛烈なその真紅の瞳が私に向けられた時、ゾクリと震えが走った。


 そして、その顔を見て驚いた。 

 なぜならその少女は……


 ――――亡くなられた蘇陽妃と、瓜二つの顔をしていたのだから。

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