第7話 ベテラン宮女の反撃

 蘇陽妃様の火葬は、わずか十分ほどで終わった。


 天に届くほどの大きな『白炎』だが、私の力は、実はほんの"種火"程度のものだったりする。

 足りない火力は、薪を「触媒」にして補った形だ。

 自身のチャクラだけで足りない場合は、私のように何か「触媒」を用いることが多い。


 ただ、世の中には「触媒」なしに、私以上の道術を行使できる者も存在するので、世界は広いと言わざるを得ない。

 もちろん五行(水、金、地、火、木)の相性もあるので、得意不得意はあるけれど。


 そんなことを考えていた時、バリキャリ宮女の琳芽リンヤがものすごい形相で迫って来るのが見えた。


「あなた、その羽織はどこで手に入れたの?!」


 琳芽リンヤは、そう言って突然、襟を掴まれていた。

 あまりの剣幕に驚き、咄嗟に「これは、人からいただいたもので……」と言ってしまう。


 すると琳芽リンヤの顔は、化粧がひび割れる程に、歪んだ。

 そして底冷えするような声で言う。 


「そう……、では誰にもらったというの?」

「……それは、言えません」

「ッ!」


 琳芽リンヤがなぜそんなことを聞くのか、理解が出来なかった。

 それにこの羽織の出元は言えない。


「……言いなさい。これは命令よ」

「……できません」

「そうですか、分かりました……」

  

 諦めてくれたかとホッとしたのも、束の間。

 当然そんな生易しい対応を目の前の女が取るはずがなかった。



「では――その羽織を渡しなさい」



 先程までの険のある感じはなく、不自然に口角を釣り上げ笑顔を見せる。

 背筋が凍るような思いがした。

 どうやら、どうあっても折れるつもりはないらしい。


「……なぜそこまで、これが気になるのですか?」

「その羽織の内側に、"白家"の刺繍が見えました。その羽織は――盗品の可能性があります。

 窃盗を行った者は、後宮令第五条により、杖刑じょうけいに処すことになりますよ?」


 そう告げられ、私は舌打ちをするような思いがした。


(そういうことですか……)


 琳芽リンヤがなぜ、これほど執着するのが分かった。

 要するに白家の誰かに贈られたと思って、やっかんだのだ。

 贈られた自体は合っているが、おそらく琳芽リンヤが想像するようなことはない。


(どうしたものでしょうねぇ)


 ちなみに杖刑は女にとって、最も屈辱的な罰の一つ。

 臀部でんぶを露出させられ、木の棒で打ち付けられるというもの。

 そんなことをされれば当然、社会的な死は免れない。


「……盗品ではありません。これは私が譲り受けたものです」

「その証拠がどこにあるというのですか? まぁ確かにそのとおりの可能性もありますから、確認の意味も込めてこちらに渡してください。でないと、後悔することになりますよ?」


 渡せばどうなるかなんて、分かりきっている。

 適当な理由をつけて、私を処罰するつもりだろう。 


「はぁ……」


 思わず深い溜め息が漏れた。

 それを見た琳芽リンヤは、眉がピクリと動いたがどうでもいい。

 本当にうんざりだ。

 どうして私ばかりがこんな目に遭わないといけないのか。

 本当にただ一生懸命働いていただけなのに。


(ああ、そうか)


 ――私、今、怒っているんですね。


 周朔ジョウシュウの言っていたとおり、これまでの私は「自分の意思を伝えられない女」だったらしい。

 私は、琳芽リンヤの方に振り向きまっすぐに視線を送る。



「——お断り、存じ上げます」

「は?」


 

 琳芽リンヤは、呆気にとられたように呆然としていた。

 私が断るなんて思っていなかったらしい。


「この羽織は、私の大切な人がくれたものです。琳芽リンヤさんに何を言われようとも渡すつもりはありません」

「……あなた自分が何を言っているのか、分かっているのかしら?」



「ええ分かっています。あなたこそ、私の大切な物を奪おうとしている自覚はありますか? それをするというのならあなたは、強盗と同じです」

「ッ……よくもこの私を強盗扱いしたわね、葬儀屋の分際で。もういいわあなた達、この女を……」


 琳芽リンヤは、宦官達に命じようとしていた。


琳芽リンヤさん、それはよく考えた方がいいと思いますよ。追い詰めたと思った獲物が従順に捕まると思っているのなら大間違いです。申し訳ありませんが、――全力で抵抗させてもらいます」

「ッ……」


 どうやら私の後宮生活はここまでらしい。

 政羅宮に啖呵を切った以上、こんなことで終わってしまうとは思っていなかったけど。

 私は覚悟を決めたその時、「パチン」と手を叩く音がした。


「――――そこまでになさい」


 手を叩いたのは、蓮陽妃であった。


「話は聞いていましたが、貴方がたの話は少し不当なように感じました。訴えを取り下げてはいかがですか?」


 蓮陽妃は政羅宮の者たちに、鋭い視線を向ける。


「蓮陽様……、ですがこの女は白家の羽織を盗んだ疑いがあるのですよ? それを見逃すおつもりですか?」


 琳芽リンヤは蓮陽妃に少し怯むも、顔立ちの中にあどけなさを見つけて余裕を取り戻す。

 苛烈な振る舞いをする蓮陽妃も、十六の少女と思い出したのだろう。


「では白家からそのような訴えがあったのですか?」

「それは……」


 当然そのような訴えがあるわけではない。蓮陽妃の前で嘘を言えば、後でばれた時にまずいことになる。

 琳芽リンヤは口ごもった。


「ないのでしょう? ならこの方の言っていることは本当です。事件でないことを、事件にする必要はないですよね」

「で、ですが……!」


 それでも琳芽リンヤは食い下がろうとした。

 そんな琳芽リンヤを見て、蓮陽妃は目を細め、とどめの一撃を刺す。


「ここは、蘇陽の葬儀の場ですよ。これ以上追求するようならば、郝家から政羅宮へ正式に抗議させていただきますが、……それでも、まだ問題にされますか?」


 五大家の一角であるかく家が動くとなれば、政羅宮の代表である琳芽リンヤが責任を追うことになる。

 そうなれば、羽織の問題どころではなくなってしまう。

 琳芽リンヤがとれる行動は、一つだった。


「〜〜〜ッ! 失礼します!」


 琳芽リンヤは、宦官たちを引き連れて去っていった。


 (ああ、緊張しました……)


 琳芽リンヤにビシッと言ったはいいものの、あの後はノープランだった。

 考えなしに行動するのは本当に良くない。

 この後の仕事も放り出して、尻尾を捲いて逃げ出すところだった。


「蓮陽様、助けていただき、ありがとうございました」

「構わないわ。政羅宮の対応があまりに杜撰ずさんで見るに見かねただけよ」


 そう言って蓮陽妃は手に持った扇子で口元を隠す。

 私にはできない上品な仕草だ。


「それでも、蓮陽様が仲裁してくれなかったらどうなっていたことか……」

「あら、そう? あなたならあの場でも一人で切り抜けられたと思ったのだけれど?」


 蓮陽妃から、少し探るような視線を向けられる。

 そんな大層な者じゃないのだけれども。


「……そんな、滅相もありません。私はただの葬儀屋ですから」

「さっきの啖呵は、なかなか見事だったわ。……あなた、名前はなんというのかしら?」


 蓮陽妃は、どういうわけか私に名前を尋ねてくる。

 天上に近い方から興味深げな視線を送られ、私はたじろいだ。


「そ、霜霞そうかと申します」

霜霞そうか――、ね。ふふ、気に入ったわ。なにか困ったことがあれば、私に言いなさい。少しくらいなら力になってあげるわ」


 蓮陽妃は、上品に帯を振って優雅にひるがえすと、軽い足取りで静葬廟ジンザンミョウへと戻っていった。



 ◇◇◇◇



 琳芽リンヤは、ふつふつと湧き上がる怒りに打ち震えていた。


 ……許さない。

 許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない。


 霜霞のあの顔、あの表情。

 その全てが私の神経を逆撫でする。

 自分が同じ思いを抱いているからこそ、霜霞の相手が特別な存在だということが分かる。


 なぜ、どうして、あんな辛気臭い女なの……。

 私のほうが能力も、立場も、美貌も、圧倒的に優れているというのに、どうして……!


琳芽リンヤ殿、大丈夫か……?」

「あの年増宮女め、琳芽リンヤ殿の言葉に従わないとは愚かな……」

「どうする琳芽リンヤ殿、報復するか?」


 馬鹿な宦官おとこ共が、暴力をちらつかせる。

 本当にうんざりだ。

 どうして私の周りには、こんなに無能しかいないのか。

 琳芽の瞳に、仄暗い光が宿る。


「……今、そんなことをしたら真っ先に疑われるのは私たちでしょう。あなた達は、そんなこともわからないのかしら。……少しは頭を使ってものを言いなさいよ」

「……」


 宦官おとこ共はそれっきり口を閉ざした。

 そう、無能は無能らしく最初から、私の言う事を聞いていればいいの。


「あの女には、必ず後悔させる」


 霜霞そうかは私に意見するばかりか、私を強盗扱いした。

 後にも先にも、あれほど自尊心を傷つけられたことはない。

 その報いを受けさせなければならない。

 どうしてやろうかと考えていると、ふと視界の端で若い宮女の姿が目に入った。


「……えーっと、これは天蒼宮てんそうきゅう蒼璃妃そらひからで、こっちが、花冥宮かめいきゅう雅蕾妃がらいひ様から……えっと……、えっと」


 灰を被ったような白っぽい髪の若い宮女が、香典こうでんの整頓をしているところだった。

 おそらく、あの葬儀屋の同僚なのだろう。

 それを見て、思わず笑みがこぼれた。


「……ふふ、いいこと考えちゃった」


 私はその少女の元へ歩み寄り、その少女に声をかける。


「こんにちは。あなた、あの葬儀屋さんの同僚の宮女さんかしら?」

「え……、はい。そうですけど……」


 若い宮女は、私に声を声をかけられたことに驚き、そして不安そうな表情を浮かべた。

 あどけなく、可愛らしい顔立ち。

 ……今の私からは失われてしまったもの。

 そのことに少なからず心がざわついたが、その分はこの宮女に味わってもらうとしよう。


「あなたに、少しお願いしたいことがあるんです。――もちろん、聞いてくれますよね?」

「っ」


 宮女の顔がこわばったが、知ったことではない。

 あの葬儀屋には、私に逆らったことを――骨の髄まで後悔してもらわないといけないもの。

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