『滅びの運命を背負う呪われし皇女、敵国の“冷血竜帝”に政略結婚で嫁いだら、実は運命の番(つがい)でした』
伝福 翠人
埃まみれの王女
王城の西の塔、その最上階にある「忘れられた書庫」だけが、私の世界だった。
高い窓から差し込む光の筋が、まるで舞台のスポットライトみたいに、ゆっくりと舞う埃をキラキラと照らし出している。床に積もった本の山と、革の乾いた匂い。遠くで聞こえる騎士たちの訓練の声や、侍女たちの華やかな笑い声が、分厚い扉に遮られて、まるで別の世界の出来事のようにぼんやりと響く。
「……エリアーナ様は、こちらにおられましたか」
呆れたような、それでいて侮蔑を隠そうともしない侍女の声が、私の小さな世界に波紋を立てる。振り返れば、彼女は入口の扉に寄りかかり、鼻にシワを寄せていた。この書庫の埃が、彼女の仕立ての良い制服を汚すとでも思っているのだろう。
「ごめんなさい、すぐに戻ります」
私は慌てて、開いていた古い本を閉じた。指先が、ざらりとした羊皮紙の感触を名残惜しそうに撫でる。アウレリア王国の王女、エリアーナ・フォン・アウレリア。それが私の名前。けれど、城の者たちは誰も私をそんな風には呼ばない。『埃まみれの姫』あるいは、もっと直接的に『出来損ない』と、そう呼ぶ。
魔力こそが全てであるこの国で、王族でありながらほとんど魔力を持たずに生まれてきた私は、一族の汚点そのものだった。両親である国王夫妻は、とうの昔に私という存在をいないものとして扱い、才能豊かな兄や姉たちだけを愛でている。
だから、この書庫だけが私の逃げ場所だった。誰も見向きもしない、古い時代の物語が眠る場所。インクのかすれた古代語で綴られた英雄譚や、忘れ去られた魔法の記録。誰にも読めないはずのその文字を、なぜか私だけは、まるで美しい詩を読むように理解することができた。
――それは、きっと、私と同じだから。
誰からも価値を見出されず、ただ静かに忘れられていく。ページの中に閉じ込められた魂の叫びが、私の心の奥底で共鳴するような気がして、それが唯一の慰めだった。
閉じた本の表紙には、翼を持つ巨大な竜の姿が描かれている。敵国ドラグニア帝国の象徴。恐ろしい魔獣、冷酷な支配者。そう教えられてきたけれど、この本に描かれた竜は、なぜかとても悲しい目をしていた。
「……いつまで、そんなゴミと戯れていらっしゃるのですか」
侍女の苛立ちが、鋭い棘となって飛んでくる。私は小さく肩をすくめ、立ち上がった。
その時だった。
ギィ、と。何年も動かされたことのない、書庫の重い樫の扉が、軋みながら大きく開かれた。
差し込んできた眩しい光に目を細める。そこに立っていたのは、私がこの城で最も恐れる人物。豪奢な装飾の施された軍服を完璧に着こなし、陽光を背にしたその姿は、まるで神話の英雄のようだ。けれど、その瞳だけは、氷のように冷たい光を宿している。
「探したぞ、エリアーナ」
アウレリア王国が誇る完璧な世継ぎ。私の兄、アルフォンス王子だった。彼の声は、美しい旋律を奏でる楽器のようでありながら、私の存在そのものを否定するような、絶対的な冷たさを孕んでいる。
兄が、このゴミ溜めのような書庫に自ら足を運ぶなんて、一度もなかったことだ。胸騒ぎがする。嫌な予感が、冷たい霧のように心に立ち込めていく。
「お前に、王命が下った」
アルフォンスは、埃一つない床を選んで一歩踏み出し、まるで汚物を見るかのような目で私を見下ろした。そして、その唇は、残酷なまでに美しい笑みを形作った。
「出来損ないのお前にも、ようやく使い道ができた。――敵国ドラグニア帝国へ、嫁いでもらう」
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