第2話 本当に大切なものはお金で買えない
「くそ、いいから探索に行くぞ、バイ……」
「ブモ?」
「……ちょっと待て、今、お前の名前を考えるから」
「ブモ!」
俺がバイコーンを連れ歩いているというのは他人には知られたくない。特にバイコーンに嫌われていること……俺が童貞だということは絶対に秘密だ。
幸い、このバイコーンは丸々と肥え太った白い子牛という見た目なので、よほどモンスターに詳しい人間でもない限りバイコーンだとは気がつかないはず。だが、俺がこいつのことをバイコーンと呼んでいればすぐに正体がバレてしまう。
だから今この場で、誰にも正体が気がつかれないうちに、こいつの呼び名を決める必要がある。何かいい呼び名はあるか? 見た目は太った子牛なんだが、牛……肥えた牛……。
「牡丹?」
「ブモォ」
いや、牡丹は豚……猪だったか。そして馬が桜で、鹿は紅葉。牛はなかったな。
じゃあ色から。全身が白いし、どこかで聞いた言葉で。
「月白?」
「ブモブモ」
いや、ちょっと待てよ。思い出した、これって馬の毛並みを表す言葉だったわ。
こいつ、どう見ても馬じゃないんだよなあ。蹄が二つに割れてるから偶蹄類だし。馬の蹄は一つにくっついている奇蹄類、牛は蹄が二つに割れてる偶蹄類だから、こいつは間違いなく牛だ。
ううむ、なかなかいい名前が浮かばない。
瞳の色は紫色なんだが、紫で何かいい感じの名前を……待てよ、紫色って呼び名が何種類もあったな。こいつの瞳のような明るい紫色を確か……。
「――あれ? もしかして先輩ですか?」
「え? ……お前、日野か?」
うんうん言いながらバイコーンの名前を考えていると、ちょうど通りがかった二十代半ばの男に声をかけられた。意外なことに俺が勤めていた会社の後輩だった。まさかこんなところで会うなんて。
「なんだ、お前も冒険者になったのか」
「ってことは先輩も……あ、その子が先輩のモンスターっすか?」
「ん、ああ、そうだ。こいつが俺のモンスターの……葵だ。ほら、目が綺麗な葵色だろ?」
「ブモ……」
バイコーン改め葵が「なに勝手に名前つけてんだこの童貞」という目を向けてくるが知らん。お前は今日から葵だ。バイコーン? 知らない子ですね。
「へー、葵ですか。名前もカッコいいし白い毛並みも綺麗ですね。俺は日野晴斗、先輩の後輩なんでよろしく」
「あ、不用意な手を出すと……」
「ブモー」
「なん……だと……」
葵は後輩が伸ばした手を避けることなく、素直に撫でられている。
つまり、こいつ――非童貞だ!!!!
いや、彼女がいるのは知っていたし、童貞じゃなくても全然不思議はないんだが! だが、だが!! それでも、先輩のプライドとか、威厳とか、そういうものが……!!!
「ねえ、お兄ちゃん。二人だけで盛り上がってないで私のことも紹介してよ」
「あ、紹介しますね。こいつは千雨。俺の妹です。」
「はじめまして。兄がお世話になってます」
「あ、こちらこそお兄さんにはいつも助けられています。佐藤達也です」
俺がショックを受けていると、晴斗の後ろに隠れていた今風の女子高生らしき女の子が頭を下げた。え、普通に可愛いんだが? 俺にはこんな可愛い妹なんかいないんだが? 可愛くない兄ならいるけど。
「あ、一緒に紹介しますね。この子が俺の相棒です。来い、アグニ!」
嬉しそうな顔をした日野兄がカードからモンスターを呼び出すと、小学生くらいの男の子の姿をしたモンスターが姿を現した。赤い髪、赤い瞳にジュニアアイドル顔負けの整った顔立ちのショタだ。
「ひ、日野! お前、これ! 人型ってことは、
「へへへえ、はい。さっき引いたんです。当たっちゃいました!」
「あ、当たっちゃいましたって、お前……!」
普通の☆1モンスターカードにこんなモンスターはいない。ゴブリンやピクシーなど一目で人間ではないとわかるようなモンスターばかりだ。
こういう人間そっくり見た目のカードは、その全てが上位種族――天使、悪魔、吸血鬼など本来ならば☆3以上のランクしか存在しない種族の幼体、【ランダムガチャ産限定の☆1モンスター】となる。
通常のモンスターと比べて圧倒的に高いステータス、強力で優秀なスキル、そして美形。噂によると一千万円以上の値段で売買されることもあるというガチャの大当たり枠。それが目の前のこのモンスターだ。
「ま、負けた……」
男として、人として、冒険者として。
目の前の後輩と俺の間には、もはや比べるのも烏滸がましいほどの圧倒的な差が存在していた……。
「ブモッ」
隣の葵が不機嫌そうに鼻を鳴らすが、どう考えても向こうの圧勝だろうが。
比べることすら烏滸がましい。何様のつもりだデブコーン。
「ブモー」
「デブはお前だ」じゃない、うるさい、ほっとけ! ただちょっとメタボ気味なだけだ!
◆
新宿ダンジョン☆1フロア。通称【初心者草原】。
「いやあ、先輩と一緒にダンジョンに入れて助かりましたよ。俺だけで千雨の面倒を見るのはちょっと不安で」
「俺だって新人なのに何言ってんだ。お前の妹だろう、しっかり面倒見てやれよ」
「もちろんそのつもりなんですけど、いざとなると怖いじゃないですか~」
厳しい現実に打ちのめされた俺だったが、日野兄妹と一緒にダンジョン探索をすることになった。日野兄妹も今日が初めてのダンジョン探索で、二人だけだと不安だから知り合いが増えるのは歓迎らしい。俺もいきなりソロで挑戦するのは怖かったので渡りに船だ。
あ、千雨ちゃんはすまんけどこっちの
「しかし、お前だけじゃなくて千雨ちゃんまで【魔人】を当てたとかどうなってるんだよ。こんな理不尽が許されていいのか?」
先を歩く二体の魔人と千雨ちゃんを見やる。赤い髪の炎の魔人が日野兄の、青い髪の氷の魔人が千雨ちゃんの引き当てたモンスターだった。
ガチャは完全にランダムのはずだろう? 兄妹だろうと容赦なくバラバラのモンスターが輩出するはずなのに、こいつらの運はどうなってんだ? 誰かがガチャの確率を弄ったとしか思えないぞ……。
「あはは。なんか、偶然連続で当たっちゃったみたいです」
「そんな偶然があってたまるか、けっ」
「まあまあ。ところで先輩。その装備、なんか見覚えがある気がするんですけど」
先ほどダンジョン協会の更衣室で着替えてきた鎧をジロジロと観察しながら言ってくる。艶消しブラックの全身鎧装備なんて今どき流行らないからわかるよな。
「これは退職金代わりに貰ってきた試作品の鎧だな。開発部に転がってるのを見かけたんじゃないか?」
「やっぱりうちの会社の鎧だったんですか! うわあ、俺もどうせならこっちを貰えばよかったなあ! 羨ましい!」
「ははは……」
羨ましいと言っているが、実際は退職金の代わりに現物支給で受け取って貰えないかと上司から押し付けられただけだぞ?
俺だって金がもらえるなら金が良かったわ。……まあ、この鎧を手に入れたから冒険者になろうと思った、きっかけの品ではあるけどな。
俺と日野兄が先日まで働いていた株式会社『早乙女』は七十年以上ダンジョン用の防具を製作していた会社で、業界でも最古参の老舗だった。
主な取引先は警察や自衛隊。長年愛され続けて今後もずっと安泰だと思ったのだが、その流れが変わったのがほんの五年前のことだ。それまで警察や自衛隊しか立ち入りを認めなかったダンジョンが民間人に開放されたんだ。
これにより冒険者という職業が誕生し、ダンジョン関連の事業を扱う企業が急増。それまで寡占状態だった市場はあっという間に激しい顧客獲得闘争に襲われた。
そして熾烈な戦いの末に、初心者向けを謳い文句にしたキャッチーなデザインと新進気鋭の有名冒険者をモデルに採用した企業が消費者の心を掴み、一気に国内のシェアを塗り替えた。
我が社もなんとかその流れを変えようと抗ったのだが、相手の方が一枚も二枚も上手でどうしようもなく、最後は長年取引を行っていた警察と自衛隊にも手を引かれ命運が尽きた。それまで一般市場から隔離された温室育ちだった我が社に、世間の風は冷たすぎたのだ。
というわけで、俺が着ているのは今は亡き防具メーカー『早乙女』が世に出す前にお蔵入りとなってしまった試作品だ。
試作品は何種類かあったが、これは軽さと防御力、そして環境耐性を兼ね揃えたもの。☆2フロアでも余裕で使える性能があるらしいので、多分普通に買おうと思ったら50万以上はする。
……なんで初心者向けの防具を開発していたはずなのに、こんな試作品を作っていたのかは知らん。今の売れ筋は☆2クラスの防具でも30万円くらいに抑えないと無理だってのにな。
ちなみにこの鎧とセットで貰った盾は環境耐性の代わりに属性耐性がついていている。盾と鎧を合わせてだいたい100万くらいか。
でも試作品だから市場価格はついていないし、処分しようとしても買い叩かれるだけだと上司は言ったんだ。だから俺に渡したんだろう。十三年の勤務の退職金が100万は安いのか妥当なのか疑問だが。
「そういう日野と千雨ちゃんは、『イージス』の新作か」
「……すいません、千雨がどうしてもここの防具がいいって」
「別に構わんだろ。うちの商品の若者への訴求力が足りなかっただけだ。好きなものを使うのが一番さ」
日野兄妹が身に着けているのは全国シェアNo.1に躍り出た新進気鋭の防具メーカー、イージスの新作。デザインは可愛くてカッコいい、アニメや漫画に出てきそうな冒険者が着ていそうな防具だ。美形の日野兄妹が着るとよく似あっている。
ちなみに☆1フロア用なら値段は五万円から十万円程度。高いモデルだと素材にステンレスや軽量金属を使っているんだが、二人の装備は強化プラスチック製みたいだな。安くて軽くてそれなりに丈夫なのが特徴だ。
……防具の性能と値段だけは俺の方が勝っている、なんて思っていないぞ?
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【上位種族】
他のモンスターよりも強力な一部のモンスターは上位種族と呼ばれている。
人間に似た外見の天使、悪魔、吸血鬼、魔人などの他に、人外型のドラゴンや不死鳥なども上位種族に該当する。
様々な種族が上位種族と呼ばれているが、モンスターカードになった際に必ず共通する特徴として次の二つが挙げられる。
一つ目は強力なモンスターであること。同ランクの他のモンスターと比べても一線を画す高い能力を持つ。
二つ目は育成コストが重いこと。通常モンスターの数倍のコストがかかるのが普通で、成長には長い時間がかかる。
このことから『上位種族は強さも育成コストも通常モンスター3体分に匹敵する』と言う研究者もいるほどだ。
また、通常モンスターが上位種族に進化・変化する事例も確認されており、神化・魔族化などと呼ばれることもある。
モンスターの進化のメカニズムは未知に包まれており、どういう条件で上位種族に進化するのかは謎に包まれている。
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