火継ぎの系譜
奈良まさや
第1話
◆◆◆第1章 春夜、富士宮駅前で
2026年、春。
夜の富士宮駅前は、まだ少し冷える。
定志(さだし・27)は、会計事務所からの帰り道、自宅のアパートに向かって歩いていた。
「やっと決算終わった…」
新品の革靴が、アスファルトをコツ、コツと刻む。妻の涼子と生後三ヶ月の息子・拓磨が待つ家路。平凡だが、悪くない日常だった。
夜って、なんで帰り道だけ妙に未来がチラつくんだろうな――
そんなわけのわからないことを考えていた、その時だった。
「――おじいちゃん」
背中に、女の子の声。
「…は?」
振り返ると、制服姿の高校生くらいの女の子が立っていた。セーラー服、黒髪、肩まで。街灯の下、肌が雪みたいに白い。
「おじいちゃん、阿部定志でしょ。えっと、27歳。富士宮市住みの」
「いや待て。誰? おじいちゃんじゃない。しかも苗字まで言うな。こわい」
女の子は、息を吸って、一歩近づいた。
「私は、阿部夏美。未来から来た、あなたの孫」
「…………はい??」
鼓膜が追いつかない。時間が1テンポ遅れて理解に来るタイプの、漫画みたいな台詞。
「いやいやいやいや、無理でしょ。孫って、俺の息子まだ生後三ヶ月だし」
「だから、危ないの」
夏美の声が震えた。
「2027年5月7日、富士山が噴火する。関東が終わるレベルになる。でも、おじいちゃんだけは助かった。助かって、私たちの家族を作ってくれた。なのに…最近、おじいちゃんの存在が消えかけてるの」
「消え…?」
「私の写真から…おじいちゃんが透明になっていくの。そして、パパは…未来のおばあちゃんに殺された」
夏美は震える手で、スマホを取り出した。画面には家族写真。だが、中年男性の姿だけが薄く、透けている。
「未来の…涼子が?」
「うん。おじいちゃんの奥さん、涼子さん。拓磨パパが成長して、パパとママで私を産んでくれて…でも2072年春、交通事故で死んだ。不自然な事故だった。そして涼子おばあちゃんは、ずっと前から壊れてた。何かに憑りつかれていた」
夏美の声は震えていた。強がりじゃなく、本気で追い詰められてる人の声だった。
「“阿部一族は世界を壊す血”って信じ込んで…本筋の血筋を消すために、未来で儀式をしてる。おじいちゃんの存在そのものを、歴史から消そうとしてる」
「私、おじいちゃんの血を引く唯一の孫。おじいちゃんが消えると、私も巻き添えで消える」
夏美は唇を噛んだ。
「だから…一回だけ祈った。“おじいちゃんを救いたい。私も消えたくない”って」
「そしたら、火の悪魔が現れた。一度だけ過去に送ってやる、って言われた。代金は後払いでいいって」
淡々と話しているのに、言葉のひとつひとつが、胸をガリガリ削ってくる。
「おじいちゃん、2027年で死なないで。本当は噴火の中でも生き残ってたのに、その事実が、消されていってる」
沈黙。
富士宮の夜は静かで、ただ、富士山の黒い影だけが黙っていた。
「俺…そんな未来になるのか?」
「なる。でも、変えられる。今ならギリギリ」
夏美は涙を堪えながら笑った。
「ねぇ、まだ人生これから楽しくなるんでしょ? 死ぬ未来なんて、嫌だよ」
定志は、小さく息を吐いた。
「わかった。話、聞くよ。俺は生きる。まずそこからでいい?」
「うん。まずそこから」
夜の空気が、少しだけ動いた気がした。富士山はまだ噴いてない。ここから始まる未来は、まだ決まってない。
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◆◆◆第2章 未来を変えるための作戦会議
「とりあえず…今日はうち来る? 話はそこで落ち着いて整理しよう」
「いいの? アパート」
「いい。うち、2LDKしかないけど。涼子と拓磨は寝てるから、静かにな」
夜の富士宮の空気は、春なのにどこか薄い透明感があった。定志はコンビニで買った肉まんの袋を提げたまま、夏美と並んで歩く。
「ねぇ…夏美。お前の父親は、今うちで寝てる拓磨なんだよな。拓磨は、未来で事故死なのか?」
核心を突く質問だと思った。でも聞かなきゃいけない気がした。
夏美は、少しだけ息を飲んでから言った。
「パパは、交通事故で死んだ。2072年春。ママも一緒に。未来では”不自然だ”ってずっと言われてた。でも、証拠が全部途中で消えていくの」
「ドライブレコーダーも、現場写真も、記録も…どれも”最初から存在しなかったこと”になる」
「涼子…未来のおばあちゃんが関係してるの?」
「うん。たぶんそう。パパは、おじいちゃんが噴火で不思議なパワーを得た証拠を集めてた。2027年の記録を掘り起こしてた。それが、まずかった。だから消された」
心が、うっすら寒くなる。
二人はアパートの前に着いた。部屋に入って、安いローテーブルの前で向かい合う。隣の寝室からは、拓磨の寝息と涼子の気配がする。
不思議な感覚だった。今この瞬間、涼子は普通の母親だ。なのに未来では…
「じゃあ、やること整理しよう。未来を変える方法は?」
夏美は、短く呼吸してから言う。
「2027年の”噴火の日”に、あなたが生き残ればいい。最初の分岐点はそこ」
シンプルだ。でもその一行の裏には”とてつもない重さ”が貼り付いている。
「じゃあ…避難? 引っ越す? 富士宮離れる?」
「ううん。それじゃダメ。ただ逃げても、未来は別の形で”あなたの死”に調整してくる。未来改変って、物理じゃなくて”因果”なの。運命の方向性を、根本で変えないと」
「根本?」
「本当は、おじいちゃんは噴火の中でも生き残った。人間としてあり得ない方法で。それが、涼子おばあちゃんを狂わせた原因」
夏美は息を継いだ。
「火の悪魔の力。マグマの中でも死なない、再生の力。それがおじいちゃんに宿ってた。でも、その力が涼子おばあちゃんの中にある”破壊神”を目覚めさせた」
「破壊神?」
「涼子おばあちゃんの血筋にも、特別な何かがあったの。火の悪魔が創造の力なら、破壊神は全てを終わらせる力。二つの力が、阿部家で出会ってしまった」
机の上のコンビニの肉まんが冷えて、皺になってる。その程度の日常の描写が、妙に愛おしく感じた。
「じゃあまず、何から始める?」
「2027年5月7日。この日を、おじいちゃんが”正しく生き残る”こと。抽象的な言い方だけど、”正しく生き残る”これしかない」
「具体的にはどう”正しく”何だろう。で、涼子は?」
「涼子おばあちゃんと拓磨パパを、噴火前に遠くへ避難させて。そうすれば、涼子おばあちゃんは力に目覚めない」
定志は頷きかけたが――
その瞬間、夏美のスマホが砂嵐になった。
「……まただ」
夏美の手が、スマホの画面を一瞬すり抜けた。
「存在密度が、落ちてる。もって数週間かも」
「やばいね。急がないと」
定志は、深く息を吸った。
「未来に負けねぇよ。俺が死ぬ未来なんて、クソ喰らえだ」
夏美は微笑む。
そうだ。生きるって決めるだけなら、今この瞬間でできる。
ただ、その先の結果は――未来と、涼子が拒絶してくる。
そして、この「奮闘」は間違いなく、人間ひとりの意地の戦いだ。
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