第7話 アリスさんと話してみて、改めて日本語が複雑だと思う

「ってことで、出前が届きました!」


 キッチン傍のテーブルへ戻って来た母さんがお盆を持ってきた。その上には丼茶碗が四つあって、運んできた後、僕たちの傍に並べていく。


 すると、隣に座っていたアリスさんはふたがされたどんぶりに期待の眼差しを向けていた。

 夕食に出前を頼んだ母さんが僕の斜向はすむかいの席に座ると、父さんが話し出す。


「それじゃ、みんなで食べるとするか」


 全員が座ったタイミングで、父さんが声をかけてすぐ合掌する。

 それを見たアリスさんもすぐに、自分の胸の前で両手を重ねた。


 その様子を見た母さんも微笑ほほえましくながめながら合掌。そして俺も手を重ねると、全員で「いただきます」と言った。その後、それぞれの前にある丼の上の蓋を開くと、かつ丼の姿がお目見えになった。


 茶色に上げられた衣のかつと半熟の卵の黄色がご飯の上で圧倒的存在感を放つ。そのビジュアルを目にしたアリスさんは、目をキラキラさせて見つめていた。

 隣でかつ丼に興味津々な彼女に僕は声をかける。


「アリスさん。箸で食べるの難しかったらスプーンとフォークも用意するから、困ったら言ってね」


 昼食の時、アリスさんは箸の使い方に慣れてなかった。先に伝えておいた方が彼女も遠慮せずに食べづらいのを教えてくれるはず。

 そのことを話した僕の方に顔を向けてくるアリスさんが嬉しそうに笑みを浮かべてきた。


「ありがとう、ケントさん!」


 お礼を伝えてくれたアリスさん。

 爛々とした笑顔に、思わず見とれてしまう。そんな僕は、ふと我に返って斜向かいへ目を向けた。そして目に入るのは、ニマニマしながらこっちを見る母さんの顔。


 おまけに、父さんも母さんと同じ表情をして眺めてきていた。

 ……なんか、動物園のパンダになった気分だよ。


「冷めないうちに食べよう。父さんと母さんも、じっと見てないで食べて」

「「はいはい」」


 向かい側の二人に半眼を向けながら声をかけると、声がそろった返事がくる。

 こういう時も息が合うって、さすが夫婦。全然褒められたことじゃないんだけど。


 その後、僕たちは箸を手に取って目の前のカツ丼の器を持った。手元に伝わる温かさと、甘辛い香りが鼻をくすぐってくる。

 そんなカツ丼を箸で掴んで、卵と出汁に浸ったカツとご飯を一緒に口へ運んだ。


「うん。美味うまい」


 半熟の卵と出汁でふやけた衣に味が沁み込んでる。ボリュームたっぷりのカツと相まって口の中の満足感が半端じゃない。


 いつも僕が食事を用意する僕は面倒だから揚げ物料理をあまり作らない。だから、出前で注文して食べるのもたまにはいいな。


 カツ丼の味を単横していると、隣のアリスさんはこっちを見てきた。

 箸を手に持っているけど、昼食と同じでうまく握れていない。ということは、


「少し待っててアリスさん。スプーンとフォーク持ってくるから」


 と、アリスさんに声をかけて、僕は席を立ってキッチンへと移動する。そしてスプーンとフォークを持ってテーブルへ戻った。

 そして、アリスさんへと渡した。


「ありがとう、ケントさん!」

「どういたしまして」


 お礼を伝えてくるアリスさんに返事をする。その時の天真爛漫てんしんらんまんな笑みを向けて眩しい。そんな風に感じていたら、視界の端の両親の生温かい視線が目に入った。


 でも、ここで話題に出したら負けな気がした僕は無視をして椅子に座り直す。その後、カツ丼を食べていく僕の隣で、フォークを使ってカツ丼を食べるアリスさん。


 一口かじると、すぐに満面の笑みを浮かべて咀嚼そしゃくしていた。その表情だけで美味しいのが伝わってくる。


「美味しい、アリスちゃん?」

Ouiウィ ! ……っ、おいしいです!」

 感動のあまりに、先にフランス語が出たな、アリスさん。途中で感想を日本語で言ったのを見ていた母さんは微笑ましく見ていた。


「アリスちゃん。前に会った時より日本語上手くなってるわね」


 母さんがアリスさんへニコニコしながら話しかける。その言葉を聞いたアリスさんも嬉しそうな表情になって言葉を返した。


「ホントですか、マナ?」

「うん。去年会った時よりうまくなってる。健斗もそう思うでしょ?」


 満面の笑みを浮かべてアリスさんの質問に答えた流れで、母さんが僕に話を振ってきた。


「……去年のアリスさんがどこまで話せてたのか知らないけど、日本語上手うまいと思うよ。普通に会話できてるし」


 英語を話すのも大苦戦する僕が他の国の言語を話す前に諦めてるはず。

 それをアリスさんは、普通に会話できるくらい日本語を話せていた。ここまでどれだけ努力したのかだけは、僕もすぐにわかる。


 その素直な感想を口にして、またカツ丼を口に運ぶ。


「やっぱり、美味うまいな」


 自然と味の感想が口から零れると、アリスさんが前のめりでこっちを見てきた。


「ホントにうまいですか⁉」


 隣に座っていたのもあって、嬉しそうな顔のアリスさんの顔がもっと近くなる。

 あまりに整った顔がすぐ近くに見えて、一瞬びっくりしてしまう。でも、アリスさんが尋ねてきたことに答えようとした時、ふと脳裏によぎった。


 今のって、アリスさんが日本語を話すのが『上手うまい』と言ったことになのか。

 みんなで食べてるカツ丼が『美味うまい』という感想を共有したいのか。


 アリスさんが言った言葉からだと、前者が会話の脈絡から成立する。だけど、まだ日本語が流暢とはいえないアリスさんの発言と考慮すると、どっちか悩む。


「うん、うまいよ」


 ここはどっちの意味でも通じる返事をした方がいい。

 実際、アリスさんの日本語も『上手い』し、カツ丼も『美味い』。


 そんな感想を伝えると、目の前の顔がさらに嬉しそうにキラキラしていく。

 ここまで喜んでいるアリスさんに僕も口の端が上がっていた。そんな彼女の姿が目に見えた脇に、父さんと母さんのニマニマした顔が見える。


「「青春だね~」」


 そこで声が揃わなくていいから。

 あと、僕とアリスさんの会話を見ながらカツ丼を食べないでほしい。


 どんな気持ちで注意すればいいかわからなくなるから。

 そんな夕食の時間に、僕はため息が出そうになってしまう。

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