レディは爆ぜない ~“恥ずかしさは下品”と教えられた令嬢、感情を封じたら国は救えたけど、恋は暴発しました~
ふみきり
第1話 レディは爆ぜない
鏡の前で背筋を伸ばし、顎を少し引く。口角を上げすぎないよう気をつけながら、胸の奥でそっと息を整える。
――落ち着きましょう。レディは爆ぜません。
講堂の扉が開き、光が床を照らした。礼法官の扇子が一度鳴り、私の名が呼ばれる。
「ルシア・ヴェルンハルト嬢、歩行試技を始めなさいませ」
「はい」
裾を持ち上げて歩き出す。右、左、回頭。ここまでは完璧――のはずだった。
ぱちっ。
裾が青く光った。
……え? いまの音、まさか。
視線が集まる。
試験を受ける他の令嬢たちが、息をひそめて私を見る。
誰も笑わない。けれど、その沈黙が痛い。
彼女たちのドレスは控えめな淡色、指先の動きまで絵のように優雅。
私だけが、電光を散らしている。
羞恥が喉の奥で膨らみ、笑顔の形が歪んだ。
「魔力制御が甘うございますわ」
礼法官の声が低く響く。
胸が一気に熱くなった。
静電気です、静電気でございます。お願いですから、爆発とは言わないで。
ぱちっ。
袖口が光り、私の笑顔がひきつる。
「羞恥心。最も下品な感情です」
ぴしゃりと扇子が閉じる。
「貴族たる者、顔色も声も波立たせてはなりません。理解なさいませ」
「……はい」
他の令嬢たちの視線が、まだ背中に残っていた。
あの人たちは笑わなかった。けれど、きっと思っている――“またヴェルンハルト家の娘がやらかした”と。
完璧でなければならない家。完璧でなければ意味がない私。
頬が熱い。言葉を抑えるほど、呼吸が苦しくなる。
「退室なさいませ。爆ぜる前に」
礼をして、静かに歩き出す。扉を出た瞬間、ひとつ息を吐いた。
恥ずかしさって、どこに捨てればいいのでしょう。
★ ★ ★ ★
廊下の向こうで、靴音が響いた。
現れたのは近衛騎士団の制服を着た青年。肩章の銀が淡く光る。
「失礼します。騎士団実務官、グレン・アーデントです」
きっちりした人――第一印象はそれだった。
「礼法官から、魔力漏出の報告を受けました」
「漏出ではありません。ただの静電気です」
「観測値は二百五十。小型爆発の閾値です」
数字だけがやけに現実的で、なんだか犯罪報告を聞かされている気分。
「氷で冷やすのが効果的です」
「え、恋の悩みも氷で治るのですか?」
「……恋?」
彼が小さく眉を動かす。
沈黙。真顔。私の心拍だけが早まる。
ぱちっ。
袖がまた光った。
「今の出力、まだ高いですね。これを」
差し出されたのは、小さな冷却布。
「ありがとうございます」
手に取ると、ひんやりして気持ちが落ち着く。
この人、冷静すぎる。でも、なぜか安心する。
★ ★ ★ ★
「お嬢様! 裾の裏が焦げています!」
私付きの侍女ミナの声が、講堂傍の控え室に響き渡る。
「小声でお願い、ミナ」
「でも、匂いが……」
「匂いも静かに!」
ミナは慌ててドレスの裏地を直した。焦げ跡が、なぜかハートの形に見える。
「これ、恋の予兆かもしれません!」
「違います!」
即答したのに、自分でも照れてしまった。
ぱちっ。
「お嬢様、今の音は――」
「床です。床が悪いのです」
焦げた裾を握りしめ、私は息を整える。
恋なんて、あるはずありません。……たぶん。
★ ★ ★ ★
午後、再び講堂へ呼び出された。
「ルシア・ヴェルンハルト。あなたに社交界への参加資格は、当面認められません」
扇子の先で焦げ跡を示される。
「戴冠の季、王都は他国の賓客を迎えます。羞恥で火花を散らす令嬢は、国の笑い者になります」
私は膝をそろえ、静かにうなずいた。
「ご指導、痛み入ります。次こそ火花を鎮めてみせます。どうかお時間をいただけますか」
「次に発火すれば、除籍です」
女史は去っていく。残るのは焦げた匂いと、胸の奥の小さな熱。
泣くのは簡単。でも、もっと恥ずかしい。だから泣かない。
「お嬢様、これからどうなさいます?」
「決まっています。もう二度と――」
ぱちっ。
「――爆ぜません!」
天井のランプが一瞬だけ明滅した。
ミナが小さく悲鳴を上げ、廊下の奥でグレンが立ち止まってこちらを見た。
「今のは、決意の音……ですか」
彼が少し首を傾げ、淡々とした声で言う。その冷静さが、なぜか可笑しくて。
私は笑いそうになるのをこらえた。
もう爆ぜません。けれど胸の奥には、まだ小さな火花が残っている気がします。
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